第29話 家族
フォルセールを観光するにあたって、外せない建物が三つある。
一つ、フォルセール領の中心であるフォルセール城。
一つ、フォルセール領の治安を守る者と、治安を乱す者が一緒くたに詰め込まれ、共に仕事をしているフォルセール騎士団の詰所。
そして最後の一つがフォルセール教会である。
この最後の一つについては、人によって不思議なほど評価は分かれる。
司祭と侍祭が女性であることに加え、侍祭にいたっては十歳少々の少女。
であるにも関わらず、その二人の女性によってもたらされる奇跡は、聖テイレシアのみならず、アルメトラ大陸全土において比肩する教会が無いからである。
今日、そのフォルセール教会に一組の男女が訪れる。
一人は人間の女性だが、もう一人の男性は人間ではなく、天使であった。
「珍しく静かだな……いや、そうでもないか」
アルバトールは周りを見渡すと、口中で感想を述べる。
ミサを終えた時間と言うこともあり、敷地内にあまり人影は無い。
もちろん敷地内を清掃したり、隣接する畑に向かう修道士たちは見えるが、基本的にその中は静かなものである。
畑のほうを見れば、孤児院の子供たちが修道士や修道女たちと一緒に畑仕事をしており、時々笑い声や悪戯をした子供を叱りつける声も聞こえてくる。
「何度言えば判るんですか! 甘い物ばかり食べていたら物質面に傾いて、人の感情に影響されやすくなってしまいますよ!」
あえて例を出すとするならこのような。
アルバトールは聖霊から聞こえてきたラファエラの小言に眉をひそめ、接続を絞ると受付の修道士にエルザへの面会を申し込む。
アデライードには教会の案内を、彼自身へはエルザが昨日起こした騒ぎについて釈明をしてもらうために。
「おはようございますアルバトール様。初めましてアデライード様。私はここの教会の侍祭を勤めておりますラファエラと申します。以後お見知りおきを」
しかし出てきたのはエルザではなく、クレイを抱いたラファエラであった。
「初めまして侍祭様。聖テイレシア第一王女アデライードと申します」
ラファエラの挨拶を受け、アデライードは日傘をたたむと優雅にブリオーをつまみ、目の前の少女に挨拶をする。
同時にアデライードの興味は、ラファエラが抱えるクレイに移ったようであった。
「アルバトール様が任務の際にお見つけになった赤ん坊で、名はクレイと申します」
「そうなんですか。ちょっと抱かせてもらってもよろしいですか?」
「どうぞ。意外と重いのでお気をつけてください。それと心臓の辺りに頭を近づけると、赤ん坊は安心すると司祭様に言われております」
笑顔のラファエラからクレイを受け取って抱き上げると、アデライードはゆっくりと持つ腕を揺り動かし、幸せそうな顔を見せる。
不思議なことに、抱かれたクレイは初見のアデライードを見ても泣き出しもせず、それどころか興味津々と言った様子で彼女の顔へ手を伸ばす。
しかし手が届かないと知ったクレイは、今度はアデライードが三つ編みにしている髪を掴もうと試み、それが叶うと自分の方へ髪を引き寄せてそれで遊び始める。
無闇に引っ張り、アデライードを痛がらせるような事も無く。
(子はかすがい、か)
クレイを連れて帰る羽目になる原因となった、魔物討伐の任務。
その時に泊まった宿屋のおかみが言ったことを思い出しながら、アルバトールはどうやら機嫌が直った様子のアデライードを見る。
そのままアデライードに近づき、彼もクレイをあやそうとするが。
「う」
その手に小手が装備されたままなことに気付いた彼は、クレイに何か悪い影響があってはならないと触ることを断念し、溜息をついて項垂れてしまう。
見る人によっては、小手を着けたまま赤ん坊に触るなど些細なこと、取るに足らない心遣いと断言しただろう。
だがアデライードはそうは感じなかった。
細やかな心遣いと感じ、今まで自分が思い悩んでいた事が馬鹿馬鹿しく思えた。
自分は何と小さなことで悩んでいたのかと。
(冷静になってみれば、聖職者たるエルザ司祭に手を出すような方ではありません。いくら天使になり、人を超えた身になったとは言え、その力に振り回されるような意思薄弱な方では無いはずです)
そう思ったアデライードは、自分からアルバトールに声をかけようとする。
しかし彼女が口を開くより先に、ラファエラがアルバトールにエルザの所へ行くように促したため、アデライードはタイミングを逸してしまっていた。
「アデライード様は私がお相手しますので御心配なく。それではアデライード様、重いでしょうしクレイは私が預かりますね」
「あ、まだ大丈夫です。……もう少し抱いていたいので、このままでお願いしてもいいですか?」
「それは構いませんが、大丈夫ですか? いつでも交代いたしますので、その時は遠慮なくおっしゃって下さい」
「はい、侍祭様」
「ラファエラで結構です。まだまだ未熟者ですから」
無邪気な笑顔を浮かべるラファエラの後ろについて、クレイを抱いたままアデライードは畑の方へ向かっていく。
二人を見送った後、アルバトールもエルザの元へと足を運ぶ。
しかし部屋に入った彼が見たのは、寝台に横になったまま彼を迎えるエルザだった。
「……なにやら具合が悪そうですねエルザ司祭」
「それほど悪くはないのですが……この所忙しかったせいか、天使としての安定性を欠いたもので、昨日からラファエラに付きっ切りで看病してもらっておりましたの」
「甘いものを食べるのに忙しいとは随分ですね。ラファエラ侍祭に看病ではなく、監視されていたの間違いではありませんか?」
「何とでもおっしゃいなさい。今はだいぶ天使寄りに戻っておりますから、今の冗談を冗談として受け取らず、ミカエルに対する侮蔑として受け取りますわよ」
アルバトールは生唾を飲み込み、声を低めて了解の意を返す。
「冗談ですわ」
それを見て満足したのか、エルザはあっさりと彼を許して寝台から身を起こした。
「冗談で済むなら安心しました。ところで私だけをここに呼んだ理由は?」
息をつくアルバトールの顔を見つめたエルザは、傍らの椅子を指し示す。
アルバトールが椅子に座るとエルザは短く祝詞をあげ、同時に彼女がアルバトールへと向けた両手に柔らかな光が宿り。
エルザはしばらくそのままの姿勢でいたが、光が若干強みを増した瞬間に得心したように頷き、アルバトールへ微笑んだ。
続けてエルザの手に宿った光がアルバトールの頭の上に移るとそこで輪となり、そこから足元まで数回往復して消える。
「……なるほど、確かに十分のようですわね」
寝台から立ち上がったエルザの顔は、満足げなものだった。
「何がですか?」
アルバトールは自分に理解できない術を使われたことに戸惑いと不安を覚え、エルザに質問をする。
「天使の階級を上げるのに必要な経験ですわ。昨日貴方に会いに行った時点ではまだ少し足りなかったようですが、私の飛行術を妨害したことで満たしたようですわね」
隣の部屋に通じる扉の前に立ち、それをノックしながらエルザは説明をした。
見た限りでは、特に怒っている様子は無い。
扉をノックした後に振り返る顔も慈愛に溢れ、何かを企んでいるようには見えない。
それでもアルバトールは首を振り、これはこちらを油断させようとする罠だ、とでも言うように身構えた。
しかし扉から出てきた男性を見て、すぐにその緊張は解ける。
「初めまして天使アルバトール。私は王都教会の司祭ダリウスだ」
厳しい眼差しの茶色い瞳で、アルバトールを見ながら挨拶をしてきた男。
それは王都教会の司祭を務めるダリウスだった。
襟足を短く切りそろえた栗色の髪の上に、剃髪代わりの白い帽子。
ゆったりとした緑色のローブを着こんだ姿は流石に威厳に満ちたものだが、年はまだ三十を超えたばかり。
教会と言う組織においては、まだまだ嘴の黄色いひよこ扱いされる年齢である。
しかしその地位は既に王都教会の司祭というもので、しかも四十を待たずに次の司教に選ばれることは間違いないと囁かれている。
聖職者としての活動期間と、血縁関係が位階の選定において重要視される教会。
その中で三十そこそこの若造が司祭の筆頭と言うのは異例だった。
(それが理由じゃないけど、なにか違和感があるなぁ)
挨拶を返しつつ、ダリウスの手を握ったアルバトールにはそう感じられた。
威厳と言うだけでは済まない何かが。
「さて、それでは天使アルバトールの階級を上げるとしましょうか。手伝って下さいラドゥリエル」
何故かダリウスを別の名前で呼ぶエルザ。
その瞬間、違和感の正体に気付いたアルバトールは、思わず叫びを上げた。
「発する言葉が天使となると言われるラドゥリエル!? まさかダリウス司祭も……!?」
唖然とするアルバトールを見て、ダリウスはそれまでの険しい表情をやや緩める。
「残念ながら、ここに居る私は存在の一部を投影したものだがね。以前は私も天使を誕生させて育てていたのだが、あまりにも中央の増長が目に余るようになったので、ミカエルに役目を譲渡したのだよ」
アルバトールはそのダリウスの説明を聞き、頭にふと浮かんだ疑問を口にする。
「しかし、貴方が天使をどんどん産みだして魔族をすべて駆逐すれば、天魔大戦もすぐに終了するのでは?」
だがそれを聞いたダリウスの顔は浮かないものであり、彼は即座に首を振った。
「その規模の戦いに、まだこの世界は耐えられん。調和を保ちながらゆっくりと創造、破壊を繰り返して世界は成長するのだから」
「……そうですか」
ダリウスの返事は、アルバトールにとって意味の通るような、通らないような曖昧なものに感じられた。
天使と魔族の全面戦争の余波は、世界が全て滅ぶ規模のもの。
彼はその情報だけを収穫とし、天使の階級を上げるための儀式へ望んだ。
「あまり王女様をお待たせするのも失礼ですわ。そろそろ始めましょう」
「判った」
宣言と共にエルザとダリウスの全身が光り、その光が両手に集まると、二人は手の平をアルバトールにかざす。
そしてゆっくりとアルバトールに光が移り、全身を包みきった途端。
「あら? 失敗でしょうか」
アルバトールは気を失って、ゴトリと床に崩れ落ちる。
そのエルザの言葉にうんざりしたかのようにダリウスは首を振り、両腕を広げた。
「何を言っている。彼の体は今猛烈な勢いで書き換えられている最中だろう。先に言っておくが、失敗したら君の解析が間違っていたと言うことなのでそのつもりでな」
二人が見守る中、三分ほどが経つ。
するとアルバトールの頭の上に天使の輪が浮かび、しかもその輪は以前よりほんの少し大きいものだった。
次に彼の背から伸びてきた天使の羽根もやはり少し立派なもので、それらはアルバトールの階級が上がったことを意味していた。
そして最後に。
「う~ん……やめてくださいエルザ司祭……溺れる……」
アルバトールの少し情けない呻き声が口から漏れ出でる。
「……日頃から彼に何をしていたのだ君は」
「修行ですわ」
エルザは天に向かってそう嘯くと、床に倒れているアルバトールに顔を向ける。
「そろそろ起きなさい天使アルバトール。このままでは天界に私の悪い噂が広まってしまいます」
「手遅れだろう」
三白眼で咎めるエルザを無視し、ダリウスはアルバトールを見守る。
天使の輪と羽根が出ている状態で下手に刺激を与えると、暴走する恐れがあるので手が出せないのだ。
程なくアルバトールは目を覚まし、エルザに天使の輪と羽根が出ていると指摘された彼は、感謝の言葉と共に神気の接続を切った。
「これで階級が上がったのですか?」
自分の身体を見ても目立った変化は無いことに不安に駆られ、アルバトールは思わずエルザに尋ねる。
「貴方は大天使となりました。術のみならず、肉体の能力も上がっておりますので、後でエンツォ様かベルトラムに相手になってもらい、今の力を把握しておくように。聖天術に関しては明日郊外で行いますので、予定を開けておいてください」
「判りました。他に用件は?」
エルザが首を横に振るのを見て、アルバトールは退出の挨拶をし、部屋を出た。
「大丈夫なのか? 彼は」
表でアデライードと落ち合うアルバトールを見ながら、ダリウスはエルザに不安そうに問いかける。
「不安定ゆえの可能性」
「言うは易し、行うは難し」
エルザの返答にダリウスが即答すると、エルザは先ほどまでアルバトールが座っていた椅子を見つめ、その背もたれにそっと手を添えた。
「しかし、今の私たちはその可能性に賭けるしか無いのです」
寂しそうに言うエルザを見て、ダリウスは小さく息を吐いた。
「主が全知全能であったなら、この世に悩みなど存在せず、我々は主の庇護の元に何もせずに生きていられたのだろうか」
「労働する喜びを神へ捧げることも出来なくなりますわね。そもそも私たちが存在していたかどうかすら分かりませんわ」
エルザの皮肉に、ダリウスは苦笑いを浮かべて隣の部屋へ姿を消す。
一人残されたエルザはしばらく背もたれを見つめた後、ふと部屋の外に目を向けた。
そこには篭手と皮手袋を外し、恐る恐るクレイに触ろうとするアルバトールがいた。
「頑張って下さい天使アルバトール。天が人を救うのではありません。人が人を救うのです」
指をクレイに掴まれ、どうしたらいいか判らずに目を白黒させるアルバトールに微笑を向けた後、エルザは恐れを抱いた表情で机の上を見る。
そこには労働の喜びが形になったもの、すなわち積み重なった書類があった。
「ラドゥリエル、ちょっと相談が……」
エルザは再び隣の部屋へ通じる扉をノックする。
「ラファエルから厳しく言いつけられている。ダメだ」
返って来た返答は、エルザの悩みをまったく解消しないものだった。
仕方なくエルザはどんよりとした表情で机に向かい、告解の予定や今月の周辺の村への巡回予定。
さらには洗礼や終油の予定、教会に務める皆の聖書への見解、報告、孤児院の運営状況などが乱雑に積み重なった机の上を、種類別に整理することから始めたのだった。
「それでは大天使様になられたのですね? おめでとうございます」
一方、先ほどまでの不機嫌はどこへやら。
教会を出た後、穏やかな春の日差しのような笑顔を向けてくるアデライードに対し、アルバトールの顔はにやけっぱなしであった。
「可愛かったですね……クレイちゃん」
先ほど教会で、クレイをアデライードから受け取って抱かせてもらった時。
アルバトールは固い鎧を身に付けたままだったのだが、クレイはまるでイヤな様子を見せず、それどころか嬉しそうに笑い声を上げ、彼の指を握っていた。
それを見たラファエラから、お二人はまるで本当の家族のようですねと言われ、その直後にアデライードの機嫌は急上昇。
実は単に照れていただけ、と言う可能性もあるが、とりあえずアルバトールとアデライードは顔を赤らめつつ、互いを意識しながら教会を後にしたのだった。
並び立って話をしながら、アデライードとアルバトールの二人は次の視察場所である騎士団の詰所に向かう。
その道中、アデライードは何度かアルバトールの手へ自分の指を伸ばすも、結局はその手を掴むことは出来ず、アルバトールはそれに気づくことが出来ず。
(姫……)
その様子を見たフェリクスは、国の権力争いに利用されていることを承知している王女の、せめてもの個人的な思いに胸を締め付けられた。
――今の自分が護衛の任についていなければ――
フェリクスはこの場で王女の前に飛び出し、膝を地に着いて許しを請いたい衝動に襲い掛かられる。
そんな時だった。
「……フェリクス殿、私は視察の護衛と聞いていたのだが」
耳元でいきなり発せられた冷たい声に、フェリクスは文字通り飛び上がりそうになって背筋を伸ばす。
必然、エレーヌの日傘でも隠し切れない高さにまで彼の顔は飛び出るが、幸いにも前方にいるアルバトールたちに気づかれた様子はなかった。
「あ、はい、そうなりますな」
「なにやら教会から出てきた二人の様子を見ると、仲睦まじい夫婦のようにも見えるのだがな……どう思う、王都騎士団団長のフェリクス殿」
そのエレーヌの恫喝に、フェリクスはこの場で膝を地に着き、彼女に許しを請いたい衝動に襲い掛かられるも、そこは王都騎士団団長のプライドで何とか乗り切る。
「そ、そうですね。お二人は幼馴染と聞き及んでおりますゆえ、久方ぶりに出かけた街の雰囲気に飲まれ、昔を思い出して懐かしんでいるだけではございますまいか!?」
「ほう?」
答えるエレーヌの表情は、日傘で隠れている為フェリクスにはその表情が読めない。
それだけに出発前に聞いた話と合わさり、彼は珍しく動揺していた。
「ま、アルバトールも最近は忙しかったし、たまには羽を伸ばすのもいい事だ……天使だけにな」
「は、はぁ……」
「大丈夫だフェリクス殿。私とてあの二人を昔から見守ってきた一人なのだぞ」
「……何のことやら。それより二人を見失わないように急ぎましょう」
「そうだな」
様々な思惑が入り乱れる二人組の二組が、騎士団の詰所が見える大通りまで来た時。
中から騎乗したベルナールが飛び出し、城の方へと向かう。
それを見送ったアルバトールとアデライードが建物に近づくと、中から顔色を変えたエンツォが出てきて、彼らに告げた。
王都が陥落した……と。