第27-2話 ラファエラの憂鬱
「へ? クレイ? 西の島国、ヘプルクロシア王国の言葉で粘土って意味のクレイ?」
「……そうなんです。私もさんざん抗議したのですが、ダリウス様とウチの司祭様に、洗礼まで済ませてしまったのだから変えることは出来ないと突っぱねられまして……」
「エルザ司祭はともかく、ダリウス司祭がねぇ」
アルバトールは首を捻る。
「申し訳ございません、アルバトール様がお忙しい身と知っていながら、私の方から無理に名づけ親になってくれるようお願いをしましたのに、このようなことになってしまって……お詫びの言葉が見つかりません」
平謝りに謝るラファエラを見て慌てて手を振り、アルバトールは場を取りなす。
「いや、それはいいんだけど……泥や粘土のような性質の魔物を倒した後に見つけたから粘土って、あまりと言えばあんまりな名前だね」
普通であれば、子供の名前と言うものは未来における幸せなどを願ってつけるものだが、それなのに粘土とは……?
「ウチに養子にきたら、クレイ=トール(泥人形)って事になるのかな」
アルバトールは頭の中に思い浮かべたことを口に出したことに気付かないまま、騎士の養成所の同期だった、異国の貴族の子弟と諍いを起こした時のことを思い出す。
諍いの原因は、アルバトールが貴族の子弟に罵られたことに端を発していた。
アルバトールの家名であるトールを、貴族の子弟は母国語のドールと似ていると揶揄し、自ら動こうとする意思を持たない、動くに足る知恵を持たない人形ではないかとアルバトールを罵ったのだ。
献身的に民や国のために働いてきた家に代々伝わる家名であるトール。
それを罵られた恥辱は、日頃から温厚である彼を以ってすら頭に血を昇らせるに十分な物で、あわや決闘と言う、下手をすれば国際問題に発展するところであった。
(彼とはその後、なんだかんだで行動を共にするようになっちゃったけど、養成所を出てからはお互いの国に距離があることと、忙しくなったことで全然会えなくなっちゃったな……元気にしてるだろうか)
「……アルバトール様? クレイを養子に欲しいのですか?」
「へ!? い、いやそういう訳じゃないけど……何で考えてることが判ったの!?」
狼狽し、手を振って否定するアルバトール。
「そうですか……」
しかしそれを見ても目立った反応を見せず、それどころか口に手をあて、考え込む様子のラファエラを見て、アルバトールは何か心配事でもあるのかと彼女に声をかけた。
いくら侍祭と言う地位にあるとは言え、アルバトールから見たラファエラはまだまだ子供である。
何か問題を抱えているのであれば、年長者である自分が相談にのって、解決の道を啓くべきであると思った故の行為だったが。
「問題ですか? そうですね、財によって人は幸福になれるか、と言う課題をダリウス様に与えられたのですが、そもそも財と言う観念が私には良く判らなくて……」
ラファエラの悩みが思ったより重かったことに、アルバトールはひるんだ。
しかし曲がりなりにも彼は二十年ほどを生きている年長者であり、自分なりに世間を知ってもいる。
少なくともラファエラよりは。
よって彼は自分なりの答えである、財とはお金やお金で買える物がある程度以上で存在する状態のことで、財とはそれを使って何かをするための手段であり、財を貯めることが目的ではないのだとラファエラに伝える。
それを聞いたラファエラは目をぱちぱちと瞬かせ、余計に訳が判らなくなったとアルバトールに答えを返す。
「財を貯めることを目的にしてはいけない、使うことを目的として貯めることはあってもね。その使用目的も、人を喜ばせる為に……」
この時、アルバトールは何故かこの前のニンジンの一件を思い出して冷や汗をかく。
「とにかく、お金は人から人へ移動するもの。無駄に留め置いて財とし、他の人の手に渡らなくなれば、他の人がそのお金を使って生きる糧とする機会が少なくなる。何事も程ほどにって感じなのかな」
ラファエラはニコリと笑い、可愛らしい口を可愛らしく開いて返事をした。
「人はその手に余る物を持ってはいけない、ですね。何となく判りました」
「あ、うん。そんな感じかな」
自分が長々と説明してきたことをあっさりと纏められたアルバトールは落ち込み、それを見たラファエラはころころと笑うと、からかったことを謝罪した。
「ごめんなさい。悩みごとは確かにあるのですが、今アルバトール様に答えていただいたこととは別の悩みなんです」
「別のこと?」
「ええ、私の本当の悩みごとと言うのは、主の教えをどうしたら信徒の方々に理解していただけるか、なんです」
「……え? でもエルザ司祭やラファエラ侍祭も説法はしてるよね?」
不思議そうに尋ねるアルバトールに、ラファエラはゆっくりと首を振った。
「主の御心は極みを知らぬ高みに位置し、その慈愛は底が無いと思われるほど深く、その広さは果てがあるのかすら判らない、おそらく人には理解し得ない尊きものです」
「言われてみれば……その通りかな」
「例え理解し得た人が出たとしても、それは神の御心のほんの一部に過ぎず、その一部の御心でさえ、他の方たちに説明するのは難しい。何故なら理解し得た自分の主観で、未だ理解し得ない方々へ説明してしまうからです」
「……何だか剣術や精神魔術を習い始めた時を思い出すな。最初は師範が何を言っているのか、さっぱり分からなかったんだよなぁ」
――剣で斬るのではなく、剣に斬ってもらうのだ――
剣に感謝の気持ちを忘れるな、が口癖だった養成所の師範を思い出し、アルバトールは一瞬、その懐かしさに身を委ねた。
「理解している同士で話すのであれば、先ほどのように簡潔に纏めることもできるんですけどね……万の言葉を尽くしても、主の一つの御意思すら伝えることもできない。歯がゆいです」
ラファエラのその言葉に、アルバトールは人が話し合う重要性を再確認する。
確かに自分の意思を、他人に過不足無くきちんと容易に伝えることが出来るのなら、齟齬や誤解と言う単語は生まれなかったはずだ。
「なるほど。それでは悩みは解決、かな?」
しかしラファエラは首を振り、先ほどまでの聖職者らしい凛とした侍祭の顔から、少女らしいあどけない顔へと変化させる。
「今の最大の悩みはクレイのことです。出自が不明、現れ方も不可思議。その後の身の世話も不相応――ただの孤児に与えるものとしては破格――のものです」
「確かにね」
「ダリウス様とウチの司祭様の二人が洗礼した時点で既に異例ですが、いくら年少で赤ん坊の扱いに慣れていないとは言え、侍祭である私にクレイの世話をさせるのは不自然です。今までは私が願い出ても見させてくれなかったのに!」
「あ、そうなんだ。修行中の間、ずっとエルザ司祭の代わりにクレイの面倒を見てたって聞いてたから、てっきりいつも赤ん坊の世話をしているのかと」
ラファエラは軽く首を振り、自分の手を見つめる。
「本当は他の子供たちにもそうしてあげたいんです……でもそう出来ない理由があって……」
気のせいか。
いや間違いなく怒っているラファエラの顔を見て、アルバトールは及び腰で彼女を見つめた。
「いつもいつもいつもいつもいつも! 司祭様が私に仕事を押し付けてフラフラと出歩くから! 修行の時もそうです! 修行期間の間の仕事だけかと思ったら、結局それまで溜めてあった仕事まで私に押し付けて!」
わざと仕事を残しておいたとラファエラが言っていたことには敢えて触れず、アルバトールはラファエラをなだめようと努力をするが。
「ええと、落ち着いて! エルザ司祭にもきっと何か考えが……いや、きっと侍祭様にもその内いいことがありますよ」
その言葉に反応し、素早く自分を向いたラファエラの顔を直視できずに、アルバトールはサッと顔を背ける。
しかし幸いと言うべきか、逸らしたその視線の先には偶然にも仕事を放り出し、こそこそと逃げ出そうとしているエルザがいた。
機を見るに敏。
日頃より世話になっているエルザに対して非礼があってはならないとばかりに、すぐさまアルバトールはエルザに来訪の挨拶を行う。
「……司祭様?」
その効果は劇的なものだった。
ラファエラの表情は見る見るうちに黒へと変化し、しかしエルザはそれを見ても悪びれずに笑顔を浮かべる。
「御機嫌よう天使アルバトール。あ、私は少し郊外に行く用事が出来ましたので、後は頼みましたよラファエラ」
「……天使アルバトール」
「は、はい」
ラファエラの発する気に、アルバトールは気圧される。
怒りでは無い。
彼はラファエラから発せられた力を感じ取り、気圧されたのだ。
アルバトールはその事実に驚愕し、思わず生返事をラファエラに返していた。
「四大天使、風のラファエルの名に於いて命ずる。天使アルバトール、ミカエルの身柄を押さえる手助けをせよ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいラファエル! 地上において貴女の力を解放することは、まだ許可されていな……」
エルザが言い終わらぬ内に、ラファエラの全身は淡い緑の光を放つ風に包まれる。
現世に物理的な影響を及ぼさずとも、天使であるアルバトール、エルザにははっきりと感じられる圧倒的な力。
だが未だ散漫に感じられる力が集積し終わる前に、エルザの声が響き渡る。
「四大天使、炎のミカエルがラファエルに要請する。剣を収めよ。兄弟の間の争いは主の嘆きを呼び、世界に新たな争いの火種を蒔くのみ。ミカエルは汝に詫び、己が使命を全うするものなり」
エルザが言い終わるとほぼ同時に、ラファエラに吸い寄せられるように集まっていた風は収まっていき、やがてゆっくりと解放される。
「仕事を片付けたら、クレイについてゆっくりとお教え願えますか? 司祭様」
そしてラファエラはエルザに笑顔を向けた後、ゆっくりと教会の中へ入っていった。
その場に取り残されたエルザとアルバトールは、互いに顔を見合わせ。
一人は疲れたようにラファエラの後を追い、一人は聖天術の制御を完璧なものとするべく、逃げ出すように人気のない郊外へ向かい。
そんなこんなで、ひょんなことからラファエラが四大天使の一人、風のラファエルと言う事実は判明したのだった。