第26-2話 親交の真意
それからの数日。
フェルナンが過ごした日々は激務の一言に尽きた。
統制とは無縁な傭兵たちが暴れるのは予想していたが、それに加えて仕事が急に無くなった騎士たちも街中で酔って暴れるようになったのだ。
魔族が北のフェストリア王国から持ち帰った、アルコール度数の高いエールもそれに拍車をかけた。
フェルナンは問題を解決するため東西奔走したが、発足したばかりで縦や横の連携がとれていない自警団では、とても解決できるものでは無かった。
しかし、本当に問題だったのは傭兵や騎士団ではない。
低級魔物――つまり知性が低く、上級魔族の指示を理解できない魔物たちが街中で暴れ始めたのだ。
やむを得ない場合、殺しても良いとモートの許可は出たものの、民兵を中心とした自警団では下級魔物を抑えこむことすらできず、その上に退魔装備は接収されたままであり、下級魔物と言えども討伐は難しかった。
そんな時は上級魔族が増援に来るのだが、稀にジョーカー本人や闇の四属性が下級魔物を倒すために市中に直接来ることもあり、その機会が増えるにしたがって彼らの人気は上がり、自警団の評判は下がっていく。
それが三日続いた後、下級魔物は市中に出ることを禁じる、との触れが回り、市中に於ける騒動は一段落した……と思われたが、すぐに妙な噂が流れ始めた。
その内容は、自警団に賄賂を受け取るものがいる、と言う物。
自警団の市中見回りの時に、小用などで隊を離れて一人になる者が出ることは防ぎようがない。
その一人になるタイミングで、噂を信じた者たちが団員に接触を試みるようになり、遂には本当に賄賂を受け取った者が出てしまったのだ。
当然フェルナンはその人物を懲戒、投獄したが、次に同じような事件が起きるのは時間の問題だった。
「人を貶める事により、相対的に魔物の印象を良くするつもりか……」
フェルナンの目の下にはクマができ、頬はこけ、まるで重病人のような有様となる。
しかし、そこに副官が着任したとの良き知らせが入り、フェルナンは喜んでその副官になるべき人物を出迎えた。
のだが。
[初めまして、セファールと申します。ジョーカー様の言いつけにより、今日よりフェルナン様のお世話をすることになりました。以後お見知りおきを]
フェルナンは開いた口を塞ぐことが出来なかった。
相手が魔物だったからではない。
その副官は、見目麗しい女性だったのだ。
「な、な、な……」
泡を食った様子のフェルナンを見たセファールは、すぐさまフェルナンを担ぎ上げ。
[いけません! フェルナン様はこの世に二つと換えのないお体! 無理をおして体調を崩されては困ります!]
寝所へと駆け込み、ベッドにフェルナンを縛り付け、薬師を呼んでくると言い残して急ぎ部屋を出て行く。
「これは死んでおった方がマシだった、と言う奴じゃな……」
フェルナンが呻くように言うと、今までの激務が祟ったのか程なく頭は枕へ、体はベッドへと沈み込み。
セファールが薬師を連れて来た頃には、彼は既に夢の世界へと旅立っていた。
朝、フェルナンが目を覚ますと、既に日付は二日後のものへ変更されていた。
人の気配を感じ、目を横に向ければそこには修道女の格好をしたセファールが座っており、彼女はフェルナンが目を覚ましたことに気づくと微笑を浮かべた。
[フェルナン様が寝ている間に、勝手ながら自警団の運営について草案を作っておきました。すぐに食事と書類を持ってまいりますので、食事の後に目を通していただくようお願い申し上げます]
「う、うむ……。しかし、人の副官もワシは頼んだはずなのじゃが」
[それについては、ジョーカー様が審査中でございます。なにぶんにも我らは人に不慣れなもので、御容赦下さいませ]
そこまで答えると、セファールは食事を取ってくると言い残して踵を返し、膝ほどまである長く白い髪をなびかせながら寝所の外に出ていく。
少しして戻ってきた彼女は、白パンとシチューを乗せたトレイを両手で持ち、両腕では抱えきれないほどの大量の書類を頭の上に浮かばせていた。
「……それだけの資料を作るのは大変じゃったろう、セファールよ」
その量にフェルナンが顔色を変えると、セファールは食事を乗せたトレイと数冊の文書だけをフェルナンに差し出し、残りの物は現在の執務室に運んでおくと口にした。
[とりあえず、こちらの自警団内の規則と罰則、そして騎士団に所属していた団員に関する任免に関して目を通して下さいませ。一応はこれまでの前例に沿って作り上げたつもりで御座いますが、もし変更する予定の物があったなら言って下さいませ」
「うむ」
「それと懸案であった傭兵団ですが、昨日モート様と話し合った結果、表向きは王都で暴れたことによる国外追放、と言った罪状で出て行かれました。騎士団の処遇に関しては、闇の四属性による話し合いが為されている最中です]
「こういう時は権力や権威のありがたみが判るのう……ワシが出来なかったことを、こうもあっさりと解決するとは」
フェルナンは寂しそうに言うと、食事を摂りながら書類に目を通す。
(ふむ?)
そしてその内容が人間側の立場に立った物であることに対して疑念を抱き、セファールを見つめた。
「ふむ、元騎士団の者たちは独立させて遊撃隊と言う実務のない閑職に追いやるか……しかし、ジョーカーはこれに納得しておるのか?」
[私は貴方様の副官です]
セファールが猫のように虹彩が大きい、くるくるとした黄色い瞳をフェルナンに向け、涼しい笑みを浮かべながらフェルナンに答えると、それに伴って彼女の耳の辺りで白い髪を結んでいる青いリボンが揺れた。
「……判った。確かに彼らを自警団に入れよとは言われたが、編成についての示唆は受けておらん。ワシは深読みしすぎていたのかも知れんな……ではこれからよろしく頼むぞ、副官セファールよ」
[承知いたしました。それからもう一つ]
「どうした?」
[フォルセールに我らが王都を陥落させたことを伝える使者を出しました。遠くないうちに、いくさが再び起こるかも知れません]
「そうか。では急いで王都の治安を回復させねばならんな」
フェルナンは食事を摂るとセファールの進言に従い、元騎士団の団員たちを遊撃隊に任命し、更には彼らを民兵たちの相談役に充てる指示を出した。
相談をされた場合のみ応じると言う職務内容であること、またフェルナンがそれとなく元騎士の彼らが知っていそうな問いかけや要望(武術の訓練など)を元民兵にするようにした為か、徐々に両者の仲は改善に向かっていく。
そんなある日、団員の働き振りを視察する為にフェルナンが彼らの市中見回りに付き合っていると、商人から賄賂を受け取っている者を見つける。
それはジョーカーであった。
「……何をしとるんじゃジョーカー」
そのフェルナンの問いに、ジョーカーは悪びれずに答える。
[見ての通り、気配りの出来る優秀な商人を調査している最中だ]
あっさりとした答えに、フェルナンは呆れた顔をした。
「お前たちにとって、我らの貨幣など役に立つものでもあるまいに」
[こうして人と交わるようになったからにはそうでもない。……かつて我らの同胞であった物を、取り返す手段になるのでな]
少し声を低めて答えるジョーカー。
フェルナンは返答に相応しい言葉を見出せず、渋面で受け止めるのみだった。
(本気でそう思っているのか、それとも何か思惑があるのか……なんにせよ、このまま奴を放置しておけば街の者たちが魔族に同情し、同調を始めることにもなりかねん。何とかせねば)
その場から去っていくジョーカーの後姿を睨みつけ、フェルナンは歯噛みをした。
その後もジョーカーは複数の商人から賄賂を受け取ると、マジックショップに入ってまだ加工されていない魔物の一部を購入する。
決してその数は多くなかったが、店に入る前と店を出た後では、ジョーカーを見る店主の表情は明らかに変わっていた。
彼らは職業柄、魔術の素材に関する情報を貪欲なまでに追い求める。
またその過程で得た、副産物としての情報を売り渡すことも生業としているのだ。
つまりジョーカーが魔物の体の一部を、触媒としてではなく形見として購入した時点で、彼らはどんな魔物の一部でも引き取って貰える可能性を見出したことになる。
それは遠からず、他の国にも伝わるだろう。
魔物も人と同じように、死者を悼む気持ちを持つ、と言う情報と共に。
そしてそれは、魔物も人間と同じように賄賂が通じる、人と同じ俗世の物への執着がある、魔物は決して人と分かり合えない存在ではない……と言う情報でもあった。
ジョーカーは城に戻ると、先ほど購入したかつての仲間の一部であった物を、下級魔物たちへ配り、城内に作らせた共同墓地に葬るように言う。
知性の足りぬ下級魔物の中には、墓地へ葬らずにそのまま同化、吸収して自らの力とする者も居たが、ジョーカーはそれを敢えて止めようともしなかった。
[さて、魔物は人と全く異なる存在と言う訳ではない。理解しようと努めれば理解できる存在なのではないか、と人が信じた時に、その相手に裏切られた場合の絶望とはどのような味になることか]
その言葉には何の感情も込められていなかった。