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第3-1話 大人の時間

「では解散!」


 随員の無事を確かめたアルバトールは、事前に手配していた民家への宿泊を命じ、自分たちもあらかじめ予約していた宿へと向かう。


 宿の主人はかなり屈強な体つきで、大人しくカウンターに座っているよりは戦場にいるほうがよっぽど似合う、といった風貌をしており、何で魔物討伐に着いてきてくれないのかと、出発時にアルバトールが内心で愚痴をこぼしたほどであった。


「あっしも昔は傭兵をしていたんですが、この宿に立ち寄ったときに一人の娘の笑顔に、胸を射抜かれちまいましてねぇ」


 主人は笑いながらそう言うと、分厚い体を横にして規則正しく置かれたテーブルや椅子の間をすり抜けながらアルバトールたちを部屋まで案内し、食事の準備はできていると言って一階へ降りていった。


「それでは全員が無事で任務を終えた祝杯をあげるとしましょうか」


 程なく下からは大勢の笑い声が聞こえるようになり、それに釣られるようにしてアルバトールたちは酒場を兼ねた宿の一階に降りていく。


 そこには魔物討伐のお礼に来た村長と、その日の野良仕事を終えた村人たちが十人ほど集まって談笑をしており、なかなかに賑やかな雰囲気になっていた。


 集まった全員が笑顔の中、アルバトールは討伐した魔物は上級魔物ではなく、普通の魔物であったと偽りの説明をする。


 それでもエレーヌが抱いている一人の赤ん坊の事は隠すわけにはいかず、彼は持っている言葉を総動員させて何とか誤魔化そうとした。


「確かに魔物は討伐したけど、どうにも不可解な結果になってね」


「と、申しますと?」


「いきなり赤ん坊が現れたんだ。エルザ司祭によれば人間の子供らしいんだけど」


 するとなぜか村長の顔はたちまち晴れやかなものとなり。


「なんとめでたい! 結婚もされていないのに早くも後継がお生まれになるとは!」


「全然違う! 身元が不明だから赤ん坊についての情報がないか聞いてるんだよ!」


 どうやらすでに酔っ払っているようである。


 なぜか祝いの言葉を口にしてきた村長に、アルバトールは余裕を取り繕うこともできず真顔で反論し、それを見た村長はたちまち顔を青ざめさせ、記憶をたどるべく首を捻った。


「申し訳ありませんが、赤ん坊がいなくなった話は聞いておりません。時々この村を訪れる旅の商人からも、そんな事件が起こったという話は聞いておりませぬ」


 やはり心当たりは無いようで、謝罪する村長を見たアルバトールはそれもそうだろうな、と思った。


 もし事前に知っていれば、魔物が現れたとの通報を受け取った時にその知らせも共に受け取ったはずだし、仮に報告から漏れていたとしても、村に到着した時に聞かされていただろう。


「おーよしよし、すまんな、私はまだ乳は出ないのだ」


 頭を下げる村長に手を上げて話を終えたアルバトールは、赤ん坊の面倒を見ているエレーヌに目を向ける。


 そこにはエレーヌと一緒にエンツォもおり、既に持っている酒杯を空にした彼は、右手に持った骨付きの肉をかじりながらエレーヌが抱いている赤ん坊へと顔を近づけた。


「なんじゃ? その胸は飾りかエレーヌぐはっ」


 骨の先を赤ん坊の口に近づけ、そう言ったエンツォがエレーヌに殴り飛ばされるところを見たアルバトールは心の中で十字架を切り、赤ん坊がエレーヌの乳房に手を伸ばしている所を見て一つの決断を下した。


(この赤ん坊の出自がどうあれ、当面の世話を頼む人物を探さないとな)


 人は食事をしなければ死んでしまうのだから。


「赤ん坊に乳を提供してくれそうな女性はいないだろうか?」


 食事云々を別にして、今にもエレーヌに殴り殺されそうなエンツォを見たアルバトールは、溜息を一つつくと村長に頼みごとをする。


 すると返事は目の前の村長では無く、厨房にいる宿の主人から返ってきていた。


「それならウチのかかあが丁度三人目の子供を産んだばかりでさあ。魔物討伐のお礼もごぜえやすし、ちょっくら話をしてきまさあ」


 そう言って厨房の奥に引っ込んだ主人は、すぐに一人の女性を連れて姿をあらわす。


「おやまぁ、賢そうなお子さんだねぇ」


「アルバトール様のお子じゃないみたいだがな。そんじゃ後は頼むぜ」


 そして母親としての貫禄がにじみ出るその女性に赤ん坊の世話を頼むと、主人自身は再びいい匂いのする厨房へ引っ込んでいく。


「それじゃ預けてくださいますか」


 やはりお腹が空いていたのだろう。


 頼まれた宿の女将が慣れた手つきで乳房を出し、抱いた赤ん坊に吸い付かせると、それまで特に泣く様子もなかった赤ん坊が小さい口を懸命に動かして母乳を吸い始めていた。


(可愛いものだな)


 赤ん坊は可愛い。


 極一部の例外を除けば、生き物における赤ん坊と言う時期はおしなべて可愛い。



 それが出自の知れぬ赤ん坊と言えども。



「では赤ん坊の世話を頼みます。丁度いい刻限ですし、我々も食事にしましょう」


 そしてアルバトールたちもテーブルにつき、めいめいに食事を始める。


(書き出しは上級魔物について……だな。しかし凄いな皆) 


 今回の任務から隊長になった関係上、この後に報告書の作成が控えているアルバトールは、アルコール類は抜きにしている。


 しかしエンツォ、エルザ、そして赤ん坊の世話を宿のおかみに頼んだエレーヌの三人は、そんなことはお構いなしとばかりにジョッキに注いだワインやエールをぐいぐいと飲み干していく。


 その様子に呆気にとられたアルバトールの顔が、どこか不満げなものに見えたのか。


「あのー……隊長様」


 近くの席にいた村人たちが、何やら顔を近づけてひそひそと相談を始め、そして貧乏くじを引いた全員の中で一番若い青年が、魔物討伐の詳細を聞いてきていた。


 アルバトールも最初のうちは断っていたが。


「いえいえ、詳しい成り行きを聞いた方が私も村の者たちを安心させやすくなります! どうかお話を!」


 と勢いよく顔を近づけてくる村長の勢いに押され。


「こいつぁ長い付き合いの旅の商人が、今ならまだ安く売れるって言ってたほどのとっておきの一本でしてね。仕事があるとのことですが、なぁに、一口だけなら大丈夫でしょう」


 また宿主が出してきた秘蔵のワインをつい口にした事も手伝って、いつの間にかアルバトールの舌は調子よく回るお喋りなものになっていた。



「うん! これほど芳醇な香りのワインは飲んだ事がない!」


 人とアルコールの付き合いは長く、その誘いに乗る人は後を絶たない。


 何が言いたいかというと、一口と決めてアルコールの誘いに乗ったはずのアルバトールは、何故かしたたかに酔ってしまっていた。


「確かに!! 主人! これはどちらの地方のものじゃ!?」


 先ほどから飲んでいたエンツォもアルバトールの叫びに同意し、即座に宿の主人に近づいて肩を組む。


「へぇ、それはローテ地方のもので、最近めきめきと力をつけてきた若い造り手の蔵のモンです」


 どんどん盛り上がっていく話題とそれに伴って増えていく酒量。


「あらあら、お二人ともあんなにお飲みになって。明日の早朝にはこちらを発たねばならぬのに、きちんと起きれるのでしょうかね」


 それを冷ややかに見つめるエルザの目には、カウンターの奥で握りこぶしを作る宿の女将の姿も映っていたが、酒の誘惑に負けてしまう軟弱な精神が悪いのだと内心で二人の醜態を断じ、木製のジョッキをワインでゆっくりと満たす。



 だがそんな彼女の隣でも、騒ぎは突然に巻き起こるのだった。



「うるさいぞ二人とも! ワインくらい静かに飲ませんか!」


 いきなりエレーヌがジョッキをテーブルに叩きつけ、少し上気した肌でふらりと立ち上がり、右手の人差し指をビシリとエンツォに向ける。


 その挑発を受けたエンツォは一気にワインを飲み干すとその勢いのまま服を脱ぎ、ムキムキの上半身をランプの下にさらけ出した。


「何を言うかエレーヌ! 昔からの知己と賑やかに語らい、浮世の愚痴を高らかに笑い飛ばすが酒の楽しみの一つ! 全身に刻まれたこの傷の一つ一つの由来、今ここで聞いてみるか!」


「よっ……かろう! だがお前だけに脱がせて、私が脱がぬのは不公平と言うものらぁ!」


 誇り高きエルフの血筋を引くエレーヌのプライドを触発したか。


 肩をはだけ、むさ苦しい肉体を衆目にさらけ出したエンツォに対抗するように、エレーヌも若干舌足らずの口調で言い放つと着ているレザーに右手を這わせ。


「ちょ、ちょっとエレーヌ小隊長……ぎょわぁ!?」



 アルバトールが止める間もなく、その黒く美しい肌を露出していた。



「エルザ司祭! 笑って見てないでエレーヌ小隊長を止めてください!」


「あらあら、私はか弱き女性である上に、就いている職業は戦いにまるで向いていない神職。それは無理な相談ですわ」


「ニヤケ顔で言っても説得力が無い! とりあえず服を着て下さいエレーヌ小隊長!」


 再びエレーヌに服を着せようと必死の形相で挑みかかるアルバトールを、ワインを片手にしたエルザが見送る。


「淑女を乗りこなすのも騎士のお役目ですわ。精進なさい……あらこちらのワインもなかなか美味しいですわね」


 そんな彼女は、先ほどからワインの銘柄を甘口で知られる国のものへと変えており、それに合わせる食事もデザートへ移っていた。


 優雅な手つきでつまんでいるリンゴのコンポートは、しっかりと砂糖で煮込まれながらも適度な酸味と歯ざわりを残し、フォルセール城で求めようとしてもなかなか食べられない仕上がりを見せるものだった。


「まぁ、たまには息抜きもしなければいけませんからね……コンポート、もう一つ」


「くそっ負けるかぐあぁ!」


 吹き飛ばされる一人の若者をよそに、夜は更けていく。


 騒ぎが発生したことによって、大事な何かを忘れたままに。




「やれやれ、あのような場合はエンツォ様に後を任せて、貴方は部屋に戻っても良いのですよ。いずれ領主になるようなお方は、人を使うことも覚えなければ」


 服を脱ごうとするエレーヌに殴られて気絶したアルバトールが、ベッドの上で気づいたのは夜半を過ぎた頃だった。


 アルバトールは痛むアゴをさすりながら、それでも報告書をまとめるために備え付けの机に向かおうとするが、それは叶わなかった。


 なぜなら、彼の目が覚めるまでベッドの横で椅子に座っていた、エルザの説教が始まったからである。


「いやだって、エレーヌ小隊長の裸を見せる訳にはいかないでしょう!?」


 説教のあまりの長さに耐えかねて反論を始めたアルバトールを見て、エルザは短く溜息をつく。


「自分で率先して何かを行うことは確かに尊いこと。ですが誰かに何かを頼むということは、頼みごとをした相手を貴方が信用していることを意味するのです」


「う……」


「それにエレーヌ様に服を着せようとするほうが不遜です。なぜなら自然の中で生まれ育つエルフは、本能的に衣服を嫌い、脱ぎ捨てる習性があるからですわ」


「……本当に?」


 エルザは自信満々に言い放つも、その姿にアルバトールが抱いたのは不安であり。


「何となくそんな気がしますわ」


「ちょっと!?」



 予想通り何の根拠も無かった。



「なんにせよ!」


 アルバトールの追及の手を逃れるようにエルザは声を張り上げる。


「報告書の下書きも終わらせず、夜更けまで飲み食いにふけった原因が、自分にあると言う事をお忘れなきように!」


「……はい。でもむしろ耽っていたのはエルザ司祭……」


「お黙りなさいですわ! しょうがないから報告書は私もちょっとだけお手伝いさせていただきますわ!」



 激務をこなした当日の夜だと言うのに、このような経緯でアルバトールは徹夜をしたのだった。

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