第25-1話 慌ただしい日々の始まり
門をくぐって行くフェルナンを見送った後、ジョーカーは謁見の間に向かう。
彼が扉を開けると、そこには現在に於ける魔族の指導者、闇の炎モート。
そしてそのモートと双璧を為す存在、闇の風バアル=ゼブルが黒いマントを羽織って立っていた。
マントの下には、ワンピースに似た衣服である白いブリオー。
水色の長い髪に縁取られた美しい顔の中央には、アナトを凌ぐほどの意志の強さを感じさせる双眸が光り輝いている。
うなじの辺りで髪を長い白のリボンで纏めているその姿は、一見女性のようにも見える優男。
しかし彼を見た目で判断し、接した者はあの世でそれを後悔しただろう。
[よう、久しぶりだなジョーカー。元気そうで何よりだ]
[アギルス領と北国フェストリア王国の調略を無事成功させてくれたようだな。この度の働き、感謝に耐えぬぞ]
二人が固く握手を交わした後、その握った手を離す前からバアル=ゼブルと呼ばれた男は口を開いていた。
[お前さんからそんな殊勝な言葉が聞けるとは思わなかったぜ。まぁ気にすんな。テオドールの奴は何やら前から気にかけていたことがあったらしくてよ、こっちの誘いに渡りに船とばかりにあっさり乗ってきてくれたからな」
その口調は恐ろしく軽く、魔族の中でも重要な地位である闇の四属性の一人とはとても思えないものである。
「むしろ厄介なのは他の家臣共だったぜ。それでも主のテオドールが乗り気だったから、最終的にはこっち側に問題なく付いてくれたんだけどよ……]
バアル=ゼブルはそこで話を区切り、額に手をあてて大げさに嘆いてみせ。
[お前さん、テオドールをやっちまったんだって? そりゃマズイぜ。こっちの立場ってモンも考えてくれよ。これからアギルス領の石頭たちに何て説明すりゃいいんだ?]
やはり軽い口調でジョーカーに苦情を述べた。
[すまんな。王を助けろとの契約を迫ってきたからつい殺してしまった]
[まぁやっちまったモンはしょうがねえか。テオドールの裏切りが発覚した今となっちゃあ、仕えてたアイツらの混乱も相当なモンだろうし、魔神を何人か差し向けてくれりゃ片がつくだろ。アスタロトの奴の了承さえ得られりゃあ堕天使でも構わねえが……]
バアル=ゼブルはそこで口を閉じ、怖気を感じたように身震いする。
[おいジョーカー。アレは今何をしてんだ?]
[東で封を探している。そう言えばあちらでも何やら仲間割れが起きたようだな。あの地に居る天使ガブリエルもその収拾に忙しいらしく、探索にそれほど苦労はしていないようだ。今なら援軍も引き受けてくれるだろう]
[へぇ、そうかよ]
[どうしたバアル=ゼブル。急にニヤけだすとは、また何か悪戯をしてきたか?]
モートはバアル=ゼブルの顔を見て苦笑し、剃髪した頭をぞろりと撫でる。
そのモートの燃え上がるような声に応じてバアル=ゼブルは腕を組み、胸を逸らし、口の端を吊り上げたまま話し始めた。
[また、とは失礼なことを言うじゃねえかモート。たまたま東方へ旅をした時に、神からある教えを授かったという開祖の血筋を執拗に探す信者達が居たから、不思議に思って質問をしただけだぜ?]
[お前のことだ、どうせロクでもない質問をしたのだろうな]
そう述べるモートの目の前で、バアル=ゼブルの人差し指が小刻みに振られた。
[お前たちはそのように必死に開祖の血筋を探しているが、開祖の血を引くと言うだけで無条件に尊い者と位置づけて良いのか。それは、尊いものの姿に似せていると言うだけで、無条件に金属や木の塊を崇める偶像崇拝と同じではないのか、それだけだぜ?]
その言葉を聞いた途端、ジョーカーは我慢出来ないように噴き出した。
[ひどい奴だな。奴等が忌み嫌い、禁じている偶像崇拝と教団の精神的支柱である指導者を混同するとは。しかも奴等が偶像崇拝を禁ずるのは、奴等が決してその姿を見ることが出来ぬ天主を崇めているからだろうに]
[あん? 俺は不思議に思ったことを素直に聞いただけなんだがな。それに最初からきっちりと自分たちの教義を理解してりゃあ、迷うことも惑うことも無いだろうよ。あんな奴等の面倒を見なくちゃならんガブリエルのお嬢ちゃんには、心底同情するぜ]
[クク、同情か。ところでフェストリアとの同盟の条件は何を出したのだ?]
とても同情しているようには見えないバアル=ゼブルに、ジョーカーはフェストリア国の様子について尋ねる。
[ああ、ちょっとばかり手こずったが、まず一つ目がワインの交易。二つ目がフェストリアの安泰、三つ目はヴェイラーグ国との戦いに力を貸すとの条件で手を打ってもらった。まぁ本音では、ヤム=ナハル爺の加護を海上輸送の船に欲しいようだが]
[ふむ……]
ジョーカーにとって、今後の戦略の根幹の一つを成すヤム=ナハルの加護。
それに関する情報を聞いたジョーカーは黙り込み、顎に手を当てて考え始めていた。
[バアル=ゼブル。肝心のヤム=ナハル爺はそれを承諾したのか?]
反応が無いジョーカーに変わってモートが話を進めようとした途端、バアル=ゼブルは手を振って顔をしかめた。
[無理だ無理。あの爺さん頭が固すぎるぜ。体を守る鱗がそのまま頭の中に詰ってるんじゃないかってくらい話にならねえ。何とかしてくれよモート]
バアル=ゼブルのその返答を聞き、モートもたちまちしかめっ面となる。
[ううむ。今の闇の四属性の中では一番の古株だからな……俺よりジョーカーの方がまだ話が通じるのではないか?]
[って事だ。後でお前さんから話をしてくれねえかジョーカー……おい?]
返事は返ってこない。
だが、ジョーカーが考え事をしている最中には良くあることであり、それに慣れている二人はじっとジョーカーの反応を待つ。
しかし、実際に待っていたのはジョーカーの方であった。
今まで交わしていた会話の返答では無く、何者かの到着を。
[……ふむ、一応話はしておくが、結果の良し悪しに関わらず返答は先延ばしにした方がいい。海を制する者が世界を征する、と言って良いほどに海路は重要なものだからな。鼻づらに垂らした餌として、せいぜいこちらのために働いてもらうとしよう」
ジョーカーはそこから更に何かを考える様子を見せ、軽く首を縦に振って口を開く。
[ところで、これから何か予定はあるのか? バアル=ゼブルよ]
[あん? そうだな、お前さんからの頼みは二つとも達成したことだし、久しぶりにフェストリアのロキの所に行ってみようと思ってる]
[ロキの所か]
[ああ、テオドールの奴が死んじまったとあっちゃあ、アギルス領とフェストリア国の奴らも不安に駆られるだろうから、そいつらの面倒も見なくちゃならねえし、おまけにここにいると色々と難儀な仕事を押し付けられそうだからな]
それを聞いたジョーカーは仮面の奥底で目を光らせ、一つの助言をする。
[アナトには会ったのか? お前が調略でテイレシアを離れて以来、お前に対する懸想は並々ならぬものになっているようだし、一度くらい会ってやってはどうだ?]
[やだね。つーかアナトから離れるために調略に行ったんだぞ? まぁ確かに見た目はいい女だし腕も立つ。だが性格が単純すぎて状況の全体を見れねえのは、将や神として致命的だ。まぁ一途と言えないこともねえが……一言で言えばしつこすぎる]
予想通りの返事にジョーカーは溜息を一つつき、ニタリと笑みを浮かべた。
[実はな、バアル=ゼブル]
[何だよ]
[先ほどアナトと口論になってな]
[ああ、アイツぁ気が短いせいか、人の言葉や態度の裏にあるモノを見ようとしねえからな。お前さんと口論になるのは当然の成り行きってモンだろ]
腕を組み、うんうんと頷くバアル=ゼブル。
[その詫びを兼ねて、先ほどアナトにお前が戻っている事を言っておいた]
そうジョーカーが告げた瞬間、頷いたままバアル=ゼブルは固まる。
[そうしたら、戦いで汚れた自分を見せるのは恥ずかしい。と言って、準備をしてくるから何とかして引き留めておいてくれと頼まれたよ。しかし私も長く生きているが、アレほど見事な赤面は久しぶりに見た]
[テメェ……まさか]
ジョーカーは肩をすくめ、バアル=ゼブルを馬鹿にするように両手を広げた。
[我々のように長く生きるものにとって、時間の浪費はさほど問題ではない。よって時間稼ぎを以って相手を嵌める事は極めてたやすい。これは薫陶すべき事案とは思わんか……おっと、姫のお出ましだ]
ジョーカーが言い終わらぬ内に、謁見の間に繋がる廊下の奥から数十台の馬車がまとまって走ってくるような騒音が響き渡り、床や天井を揺らす。
[おい? ……ジョーカーおい!? テメエ一体アナトに何を吹き込んだ!?]
視線を扉に釘付けにしたまま、バアル=ゼブルがジョーカーの襟首を両手で掴んで詰め寄る。
[私は今言った以外の事は何も言っていないが……ああ]
ジョーカーは哀れみを込めた視線で、バアル=ゼブルの肩を軽く叩いた。
[そう言えばアナトとの口論の際に、お前が天魔大戦より自分の旅を優先させたがっている、とは言ったかもしれん]
[ほう。そうか判った俺はついさっきアギルス領の人心掌握に出かけたとアナトには言っておいてくれじゃあなジョーカー]
バアル=ゼブルが襟首から首へと締め上げる対象を変えていた両手を離し、脱出を試みようとしたその瞬間。
王の間の扉が吹き飛ばされ、まるで花嫁を迎える演出のような火花と土煙があがる。
沐浴を済ませ、身支度を整えた瞬間に飛行術を発動させて飛んできたアナト。
ジョーカーが到着を待っていた存在が、そこに着弾していた。
今回、夫婦の営みって書いたので、神様ってナニしたら営みになるのかなーと思って調べてみたんです。
「男性の精液ではなく、男性の血によって受胎した」
思わずそっ閉じ