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第24-2話 今日を生き延び明日を支えよ

 アナトの目の前に大剣が姿を現わす。


 フェルナンはこの後に訪れるであろう一方的な虐殺を連想し、戦慄した。


 この場に集まっている者たちは、退魔装備はおろか通常の鎧すら身に付けていない。


 そんな所に魔族の中でも最強と名高いアナトの一撃が振り下ろされれば、何が起こるかは火を見るよりも明らかだった。


 死を覚悟した自分の身はどうなろうと構わない。


 だが閲兵場に集まった者の中には、二十歳にも満たぬ若者すらいるのだ。


 見る間に膨らんでいく焦燥感によって、フェルナンは自らの心臓が破裂するかと思った時、ただ一度の大きな動悸を最後にそれは収まる。



 剣を掲げるアナトを見た彼の焦燥感は、一瞬にして絶望の内へと塗り込まれた。



[卑怯者はどちらだ!]


 巨大な剣を握る手に力が籠められ、声がした方角に振り下ろされる。


 それだけで馬車三台分の幅に相当する人間が次々と押しつぶされ、背後に存在した城壁すら砕かれ、一瞬のうちに二百人を越える人々が絶命していた。



[数に任せ、数少ない我らの同胞を多数でなぶり殺し、あまつさえその死体を切り刻み、剥ぎ取って金に換える! そのような所業を許すような存在は神ではない! 悪魔だ!]



 アナトがそう叫ぶと同時に、恐慌、暴動状態に陥りかけた集団が静まり返る。


 中にはバツが悪そうに地面に目を落とす者すら出る始末だった。



 それは何故か。



 魔物を討伐した後、武功の証として魔物の体の一部を持ち帰ることは、傭兵のみならず一般の兵士でも当たり前のこととなっている。


 しかし、その一部以外にも魔物の体が持ち帰られる場合――いや常態化した非道――があった。


 魔物の体は、部位によっては魔術の触媒やマジックアイテムと呼ばれる貴重な装備や消耗品の素材となる。


 よって貴重な部分は生死に関わらず切り落とされ、魔術関連の店に持ち込まれ、換金され、討伐した者たちの懐を温めるのだが、問題はその先にあった。


 倒しても大した手柄にならないような下級魔物は、金になる部位のみ体から切りとられて放置されることもままあるのだ。


 その理由は単純明快。



 もし生き延びて再生すれば、また金づるになる。



 その一点だけで、彼らはもがき苦しむ魔族を笑いながら後にすることが出来た。


 人と相容れぬ存在、魔物であるために、殺しあう間柄であるために見逃されがちな問題ではあったが、一部の良識者の間では人が抱える闇を増幅させるものとして、以前から解決方法を模索される問題だった。



[そんな外道な行いにも気づかないとは、人間はどこまで落ちぶれれば気が済むのだ!]


 集まった人間たちに剣を向けたまま、アナトは荒ぶる。


[……そこまでだアナト]


 しかしその肩に手を置き、後ろに下がらせた者がいた。


[我らは必要以上の殺戮は求めていない。かつてお前たちに崇められていた我々にとっては、語り継ぐものがいなくなり、信仰が途絶えることが一番困るのだからな]


 アナトを下がらせたその人物モートは、近くにいる魔物たちを呼びつけ、押しつぶされた死体を片付けさせると酒を持ってくるように言い付ける。


[これは我々から、城を守るために勇戦したお前たちに対する敬意と親交の証である。フェルナン将軍、すまんが毒見をしてもらってもよいか? 我々がしても信用してもらえないだろうからな]


 フェルナンはモートの思惑を見抜くために顔を見て、素直にその言に従う。


 どうせ死ぬ身なら、最後くらいは配下の者たちの危険を身をもって防ぎたかった。


 だが、それは杞憂きゆうに終わる。


(これは……)


 美味であった。


 樽の中に入っていたのは、若干黒い液面の所々を泡で覆った、エールと思しき液体。


 しかしそれは口に含んだ瞬間、程よい苦味と共に果実のような優しい甘みが、戦いに疲れたフェルナンの口内を解きほぐす。


 それならばと勢いよく飲み込めば、それまでひりつくほど乾いていた彼の喉を、心地よい刺激をもつ泡が洗い流し、同時にハーブのような鮮烈、かつ爽やかな香りが鼻腔を駆け上がってくる。


 フェルナンは今まで味わったことのないそのエールに思わず舌鼓をうち、モートの顔を見上げてしまっていた。


[気に入ってもらえたようだな]


 フェルナンが酒器を側にいた魔物に返すと、モートはニヤリと笑みを浮かべ、声を張り上げて百ほどもある樽をすべて開ける様に命じる。


[今見てもらえた通り、この酒に危険はない! この日のために我々は北のとある人間の国と秘密裏に同盟を結んでいた! この酒はその国よりつい先ほど持ち帰らせたものだ! どうか安心してこれを飲み、疲れを癒して欲しい!]


 その叫びと共に、最前列にいる者たちがフェルナンが飲んだ樽の前に並び、不安そうな表情で先に飲んだ老将軍の顔色を伺う。


 フェルナンは軽くうなずき、その姿を見た彼らはおずおずと魔物から酒器を受け取ると、思い切った表情で樽の中のエールを飲んだ。



 飲み干した者の表情。


 それを見た者たちの表情の変化は、劇的なものだった。



 その場にいる全員が次々と他の空いている樽の前に並び、エールを飲んでいく。


 後方で控えていた者たちも、その様子を見て次々と樽に並んでいった。


 どう言った手法で作られているのかは判らなかったが、このエールは通常のものよりアルコールの度数が高いようだった。


 程なく人々は正気を無くしていき、しまいには樽の中のエールを奪い合おうとする様相を呈する。



 そこに、次の声は響き渡った。


 人の心の隙間に潜り込み、闇へと誘う言葉が。



「ハハハ、王国騎士団は今日のいくさでは混乱するだけで何も出来なかったくせに、酒の順番を争うことは一人前だな」


「神殿騎士団が目の前の敵に殺到せず、先に城内の敵を片付ければ篭城できたものを……今も目の前の酒に殺到するだけで、先をまるで見ようとしていないじゃないか」


「傭兵達はタダ飯を喰らうだけか。戦場を求めてうろつくハゲタカにはそれが相応しいとも言えるが」


「民兵はうろたえるばかりでまるで役に立たん。魔物に負の心を与える役立たず共をどうしていくさに出したのだ」



 その言葉は、それぞれの立場に所属する者たちに、それぞれ一種類の言葉だけ。


 自分の所属する組織をけなす言葉だけが、彼らの耳には聞こえた。


 次々と湧き起こる罵声、酔いが回った体でふらふらと立ち上がっていく人々。


 当然の如く始まった乱闘を、誰も止めようとする者はいなかった。



 やがてその争いを観察していたジョーカーが手を上げる。


 すると周りにいた魔物たちは一斉に咆哮をあげ、人間たちを恐怖に凍りつかせた。


[その辺にしておくのだな。いくさの直後で殺気立っているのは判るが、お前たちは本来その手を取り合って協力する仲間なのだろう?]


 ジョーカーは妙に優しい声で場をなだめた後に周囲を見渡し、動かなくなった人間が何故かそれぞれの組織にきっちり数名いることを確認すると、その死体を今度は魔物ではなく人間たちに片付けさせる。


 暴れた後だというのに、未だ怒りが収まらぬ様子で死体を運んでいく者たち。


「これは……」


 死体を運んでいった先で、彼らは見た。


 先ほどアナトに潰されて魔物に持ち運ばれて行った死体が綺麗に修復され、床に寝かされて手を組んだ状態で安置されている光景を。


 彼らは茫然とした後、自らが持ち運んでいる死体を、仲間だった者の顔を見る。


 そしてその後、他の騎士団や傭兵、民兵に向けた目は。


 それは仲間を見る目ではなく、倒すべき敵に向ける、憎しみを持った目であった。



(成ったな)



 ジョーカーは満足げに含み笑いをすると、戻ってきた者たちを集めて翌朝の九時頃に再び集まるようにと伝え、ある目的のために、ある一人を残して解散させる。



 フェルナン一人だけを。



「……何の用じゃ。ワシのような老いぼれには最早何の価値もあるまい」


 捨て鉢にそう言い捨てるフェルナンを興味深そうに見たジョーカーは、いそいそと嬉しそうに説得を始めていた。


[価値はある。先ほどのアナトの剣に"幸運にも"巻き込まれず、今も尚生きる大将軍フェルナンよ]


「あれだけの人数がいれば、別におかしくも何ともない話じゃろうが」


 その抗弁にまったく耳を貸さず、ジョーカーは話を続けた。


[お前には、我らに占領されて混乱の極みにあるテイレシアを立ち直らせるために、自警団のトップに就任してもらい、我らとのパイプ役になってもらわなければならん]


「なっ……!? 将軍職にありながら、王を、王都を守れなかったこのワシに、今もなお生き延びて生き恥を晒しているワシに、そんな大役を務めよと言うのか!」


 激しい怒りを見せるフェルナン。


[だが民はまだ生き残っている]


「……!」


 その無感情なジョーカーの反論を聞き、即座にフェルナンは押し黙った。


[お前が守るべき存在である国民が混乱し、未知の恐怖であろう我々の支配におののく中、自分だけ死んで逃げ出すことを恥と思わぬなら死ねばよい。私は国王を守りきれなかった自分を恥じるお前のために、その恥辱ちじょくを注ぐ機会を与えているだけだ]


「ぐ……ぬ……」


 王の後を追って、殉死するつもりであったフェルナンの心は揺れた。


 確かに王の後を追って死ぬことは簡単に出来る。


 しかし王都テイレシアを占領されても、そこに住む領民は未だ存在しているのだ。


「……ワシを自警団のトップに据える理由次第だ。その理由次第でワシはその要請を聞こう」


 答えるフェルナンの失われた両手を、ジョーカーは静かに見つめる。


「な、なんじゃ!?」


 次の瞬間、フェルナンの両手は一瞬にして復元されていた。


 土より生まれし人の腕が。


「信じられん……どういう仕組みじゃ?」


 目を丸くして両手を見つめ、指を動かしていたフェルナンの耳にジョーカーの含み笑いと説明が入ってくる。


[暗黒魔術による還元だ。しばらくは法術による治療を受けると激痛が走るだろうが、一ヶ月もすれば双方の術を受け入れることが出来るようになるだろう。団長に就任するにあたって、両腕が無ければ不便であろうからな]


 それを聞いたフェルナンの目は、ジョーカーへの敵対から興味へと変わった。


[モートが言った通り、我々はこれ以上の無駄な殺戮を王都の民衆に対しては行わぬ。だが人には困った習性があってな、絶望すると自ら死を選んだり、衰弱して死亡したりする。妙にしぶとい事もあればあっさりと死ぬこともある、厄介な種族だ]


「仕方あるまい。ワシらは基本的に弱い種族じゃからの。肉体的にも、精神的にも」


[だがその弱いはずの種族が、時には妙に力強くなることもある。それは押しなべて、精神的支柱となる存在が在る時。後は判るな、幸運の持ち主フェルナンよ]


 モートの時と同じく、フェルナンはジョーカーの顔をじっと見つめた。


 しかし人間である彼には、魔術師ではない彼には、ジョーカーの顔をいくら見つめてもその真意を推し量れない。


 彼は悩んだ。


 王を守れなかった責任をとらなければならない自分。


 民衆を守る責任を遂行しなければならない自分。


 その双方が彼をさいなんだ。


 そこへジョーカーが、フェルナンの背中を押す一言を投げかける。


[精神的に衰弱した人間が死ねば、それらは魔物へと転じる。少数の我々にとっては願ってもない話ではあるのだが、このような閉ざされた場所で次々と人が魔物に転じ、餌となるべき負の感情を生じる人がいなくなってしまっては困るのだよ]


 その一言は、フェルナンが自警団団長へ就任する決意を持たせるのに十分な説得力を持っていた。


 人を魔物に転じさせるようなことはあってはならない。


 王都が死の都へと転じてしまうことだけは、絶対に避けなければならなかった。


「……判った」


 その返事を聞くと、ジョーカーはフェルナンに明日の段取りを説明する。


[自警団の編成はこちらに一任してもらう。翌朝の七時に謁見の間で就任式を行い、その後に閲兵場で披露目をする。軽い挨拶文でも考えておくのだな]


 フェルナンは黙って頷き、きびすを返してジョーカーの前から姿を消す。


 その寂し気な背中と頭を見送ると、ジョーカーは北の国とアギルス領の調略から戻ってきているはずの闇の風、バアル=ゼブルに会うために謁見の間へ足を運んだ。

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