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第23―2話 使い手の資格

 シルヴェールにとって、決して短くはない沈黙。


 だが実際にはそれは、一瞬で破られていた。


 その沈黙をもたらした、ジョーカーの含み笑いによって。



「なっ……!? おのれ! 何を言い出すか貴様!」


[これは重要な質問だ。私ではなく殿下にとって]


 先ほどまで優位に立っていたのはシルヴェールだった。


 はずだった。


 しかしジョーカーの放った言葉は明らかな動揺をシルヴェールに生み、ジョーカーへの追撃を繰り出すと言う選択肢、思考の余地を埋めつくしていた。


 ジョーカーは呟く。


[ジョワユーズは王者の剣。その剣身は光煌き、一日に三十回はその光彩を変えたと聞く。しかし今のジョワユーズは何だ? その変わり映えせぬ剣身は、まるで剣より魂が抜けてしまったかのようではないか]


 続けてその口から紡ぎ出された言葉は、想像以上の衝撃をシルヴェールに与えた。



[そう、まるでリシャール陛下と共に、剣の魂まで旅立ったように。ひょっとしてシルヴェール殿下は、ジョワユーズに所有者として認められていないのではないかね]



 そのジョーカーの指摘に、シルヴェールは激情をあらわにして反論する。


「確かに私はまだ王位を継いでおらぬ! しかしそれを以ってジョワユーズが私を認めぬなど、あるはずがない!」


 発された激情。


 しかしそれでも斬りかかってこないシルヴェールを見て、ジョーカーは目の前の若者の考えが、自らの拠り所を探すことで頭が一杯になったと確信する。


 ジョーカーは内心でほくそ笑み、続けてシルヴェールが最も気に病んでいるであろう一言を、その胸に突きつけた。



[聞けば、殿下の母親は卑しい庶民の出自であったとのこと。その辺りが、ジョワユーズが殿下をお認めにならぬ原因の一つでは?]



 シルヴェールは激怒した。


 だがその怒りは目の前のジョーカーではなく、かつて彼が目の当たりにした、母親の不遇をもたらした人間へ向けられていた。


「我が母を……! 母を愚弄するか! 貴様に何が判る! 何も判らぬままに宮殿と言う監獄に押し込められ、それまでの人生を全て否定され、周囲の冷たい眼に晒されながら死んでいった母の何を知っていると言うのだ!」


 ジョーカーを左手で指差し、シルヴェールは叫ぶ。


 王位継承権、第一位シルヴェール。


 将来を保障されている身分にも関わらず、彼には常に一つの問題が付きまとった。


 それは母親の出自。


 王のめいを以ってしても、教会の洗礼を以ってしても、その問題を消し去ることは出来なかったのだ。


[私は愚弄しているのではなく、厳然たる事実を指摘しているだけだが? それに不満を持たれるとは不思議なことだ。ひょっとすると殿下の母上を愚弄しているのは、他ならぬ殿下ご自身ではないのかね。例えば……」


 ジョーカーは一旦言葉を区切ると、悪魔の言葉を囁く。


 それは実に滑らかに、するりとシルヴェールの耳の中へ流れ込んでいった。



「どうしてあんな母親から生まれてきてしまったのだ、と]



「……!」


 シルヴェールは怒りの声を上げた。


 自分自身でも理解できないほど、頭の中に残らないほどの怒りに満ちたその声。


 シルヴェールは最早眼前のジョーカーしか見えていなかった。


 否、正確にはジョーカーの顔しか見えていなかった。


 敬愛する母を、もうこの世には存在していない母を侮蔑するその口を、自分を虫けらのように見下すその目を引き裂こうとすることしか考えていなかった。



[おやおや、これは図星であったかな? 文武に秀で、その眼差しは目下の問題だけではなく、国家百年の大計すら見ていると噂されていたシルヴェール殿下の正体が、自らを産んでくれた母親を否定するような卑劣漢だったとは!]


 そしてシルヴェールがジョーカーに切りかかろうとした瞬間。


 その眼前にリディアーヌが割って入る。



「……黙れ下郎」



 その姿に、シルヴェールは沸騰していた頭を瞬間的に冷やしていた。


「義母上!? 危のうございます! 私の後ろに下がっていてください!」


 しかしリディアーヌは、その言葉に耳を貸す事は無かった。


 そのままシルヴェールの前に立ちはだかり、日頃弱々しい印象である彼女からは想像もつかぬ苛烈な言葉をジョーカーにぶつけていく。



「このシルヴェールの母君であるセシリア殿ほど高潔で、運命に抗う強さを持った気高い魂を持ち、周囲に訳隔てなく優しかった女性を私は知らぬ! 堕天使風情が気安くセシリア殿の事を口にするな!」


「義母上……」


「そも、人の尊さと出自の間に何の関係があろうか。庶民に生まれたと言うだけで、たかが貴族、王家の血筋に生まれたからと言うだけで人の価値を判断するような物が、聖剣や王者の剣と呼ばれるようなことがあると思ったか!」


[ぬ……]


 唸るジョーカー。


 怒りの中にも整然とした理論。


 シルヴェールではなく、リディアーヌから論破されるとは彼は思っていなかった。



「そのようなことも判らぬゆえに、貴様らは恐れ多くも天におわす全知全能の主に逆らうような真似をしたのだ! この愚か者が!」



 これほどの怒気を放つリディアーヌを、シルヴェールは初めて見た。


 このように自分の母を評してくれる人間も。


 そして自分の為に進んで危険に立ちはだかってくれる存在を。


 さしものジョーカーもその気迫に圧され、今自分が置かれている状況を再確認しているかのように見えた。


「私は周囲に流され続けてきた。父の言うとおりに王の下へ嫁ぎ、侍女の言うとおりに日々を過ごし、夫の言うとおりに国民と接してきた。そのような私に自らの意思の大切さを教えてくれたあの女性ひとの息子を、ここで朽ちさせるわけにはいかぬ」


 そう言うとリディアーヌは、小さい声でシルヴェールを呼ぶ。


「シルヴェール」


「はっ」


「私の一番大切な親友だった女性ひとの息子に告げる。この場よりく逃げよ」


「は? い、いや、しかし義母上は?」


「聖剣ジョワユーズは覇者の剣に非ず、王者の剣也。この事をよく覚えておきなさい。またフォルセールのフィリップ様に、約束を守れず申し訳ないと私が言っていたと」


 そう言い残すと、リディアーヌは先ほどシルヴェールより受け取った短剣で左の掌を切り、首より下げていた黒い水晶のペンダントを握り締める。


 すると掌より溢れる血は全てペンダントに吸い込まれ、握り締めている指からは黒煙に似た光が溢れ始め。


 そのリディアーヌの姿を見たジョーカーは、面白そうに感想を述べた。


[些少は魔術の心得があるようだな。もしや、失われていた私の力が戻りつつあることに気づいたのかね? まあ力が戻らずとも、先ほどの頭に血が昇った状態の殿下では、例えジョワユーズがあろうとも私が勝っただろうがな]


 その間にもペンダントからは光が溢れ、周囲の空気は一気に鈍化する。


 それを感じ取ったジョーカーは、リディアーヌに警告をした。


[即死魔法は私には効かぬ。そのまま術のプロセスを進めればお前は停滞し、この通路にて朽ち果てるのみだぞ]


「逃げなさいシルヴェール! 親友の息子を私に殺させるつもりですか!」


「し、しかし!」


「この過程に至っては、もう私は助かりません! 貴方は生き延びて私たちの無念を晴らすのです! 貴方以外の誰にそれが叶えられましょうか!」


 黒い光が周囲を包み、シルヴェールの位置からは既にジョーカーは勿論のこと、リディアーヌの姿すら見えなくなる。


「義母上!」


 シルヴェールがジョワユーズを振りかぶり、黒い光を払おうと近づいた瞬間。


(なにッ!?)


 気力が衰え、瞬時に彼はその場から出口に向かって走り始めていた。


(不完全なる停滞……!)


 後ろは既に闇に包まれている。


 いや、正確にはその闇の周辺に、周囲の壁から発するぼんやりとした光が集まって停止し、球体自体が輝きを発しているようにも見え始めていた。



 不完全なる停滞。



 即死魔法を使用する過程で陥ると言われ、術を発動させようとした人間の意志や持っている力の方向性が失われた、生も死も無い、すべてが止まった状態。


 だが、その停滞した状態は基本的に使用した術者の体と、術者に何らかの影響を及ぼそうとした力やモノなどに限られている。


 それなのにリディアーヌが陥った不完全なる停滞は、彼女のペンダントに起因した特別な理由でもあるのか、通路の天井や壁にまでその範囲が及んでいた。


(まさかあのような使い方があったとは!)


 シルヴェールが精霊魔術の知識が無ければ、ジョーカーが即死魔法について言及しなければ、そしてリディアーヌが自分の死は免れ得ないと言って居なければ、彼もその場に永遠に立ち尽くすことになっていたかもしれなかった。


(義母上……!)


 シルヴェールは隠し通路を一人で走る。


 そして出口から外に出ると王家の指輪で封を施し、自らの身体に強化魔法を使って走り始める。


 父の死を見たわけではないが、隠し通路に堕天使が入り込んでいる状況では、父の死と王都の陥落を信じないわけにはいかない。


(強化……! ここからはフォルセールまで三日ほどでつくはず!)


 いざと言う時に備え、力を温存している状況ではなかった。



 今がそのいざと言うべき時であったのだから。



 そして通路に残ったジョーカーは。


[ふむ、興味深い……]


 "不完全なる停滞"に興味を注いでいた。


 それもそうだろう。


 不完全なる停滞は、術者自身と術者に影響を及ぼすものにしか効果はない。


 しかしリディアーヌが発動させた停滞は、通路全体に影響が及んでいる。


 このような状態は、長く生きてきたジョーカーでも見るのは初めてであった。


[さて、下手に近づけば永劫の時をここで過ごすことになり、さりとてこの状態を解除するには……]


 完全なる停滞では無い以上、ある一定の精霊力を与えれば停滞から活動へと転じるはずであったが、今のジョーカーにそれほど時間の猶予がある訳ではない。


 シルヴェールはともかく、正しき使い手が振るえば堕天使や旧神ですら滅ぼすジョワユーズ。


 その意思に認められた新しき使い手が現れた時のことを考えれば、このまま人の手に預けておくのは危険であった。


[さて、今日の精霊達の機嫌は如何なものかな……?]


 ジョーカーは精霊たちを呼び寄せ始める。


 だがいつもより交信に時間がかかることに気づいた彼は、下級の精霊魔術である水の矢を連続して発動させ、精霊たちの興味を惹くことに専念する。


 しかし中位である爆風の術ですら、殆どリディアーヌの停滞に変動を与えていないことに気づいた彼は、あっさりと退く決定をした。


[覇者が王者と成り得るのか……その経過を見ることもまた一つの道]


 そう言うとジョーカーは振り返り、歩き出し、すぐにその足を留める。


[やはりこの通路は、ある一定の区間を通ると力を失う作りになっているようだな]


 来た時の状況を思い出して彼は冷や汗を流し、その場に立ちすくむ。



 ように見えたその瞬間、彼は走り出していた。



[うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!]


 次々と発せられる爆音。


 続いて目を潰さんばかりの閃光。


 ジョーカーは移動する。


 雄叫びか、悲鳴のどちらかを通路に残しながら。



[ジョーカー! お前がこれほど手ひどい目に会うとは……誰と対峙したのだ!?]


 そして見事ジョーカーは生還したのだった。

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