第22-2話 裏切
アナトが出陣してきた神殿騎士団を血祭りにあげた時。
「城内から火の手だと!?」
「馬鹿を申すな! 敵は郊外にて神殿騎士団と交戦中のはずだ!」
「まさか……城内から裏切り者が出たとでもいうのか……」
王城テイレシア謁見の間では血相を変えた人々が押し合うように集い、出鱈目な意見を交換し合っていた。
そこに入ってきた一人が上げた整然とした声が、それら無秩序に秩序を与える。
「状況はどうなっている! 応戦は出来ているのか!」
その声の持ち主は、聖テイレシア王国の主リシャール三世。
すぐに答えたのは、彼の脇に控えていた高官だった。
「芳しくございませぬ。輸送時の略奪に備えて退魔装備に封印をしていたため、保管庫に殺到した味方に遮られて術者がなかなか封を解けない状態。仕方なく通常装備で迎え撃とうとした味方は、各所で上がった火の手に遮られて分断されております」
コートのようなゆったりとした服を着た文官の答えに、リシャールは呻く。
「精神魔術を使える神殿騎士団は!」
「まず見える敵、外に陣取っている敵主力を撃破しようと出陣しましたが、物見塔からの連絡によれば敢え無く返り討ちにされた模様。陛下、この上は一刻も早く脱出を!」
本拠地たる王都の守りを手薄にして魔族をおびき寄せ、集合した所を各地に分散した戦力を結集し、袋叩きにする。
確かに魔物を短期間で殲滅できる、画期的な策であっただろう。
しかしその準備が整わぬうちに攻め込まれては、単に本拠を手薄にしただけの愚者の行いでしかなかった。
「主力を分散させるための準備が仇となったか……」
報告を聞き、リシャールは歯噛みをし、だがこの絶望的な状況をも乗り切れる一つの可能性、方策に思いをきたす。
「フォルセールへの連絡は!」
かの地には、現在王国を代表する強者が集まっている。
それに加え、新たな天使アルバトールが誕生したこと、また距離的にも王都テイレシアに近いフォルセールは、王にとって切り札と言えるものだった。
例え神殿騎士団が壊滅したとしても、城内に入り込んだ敵を駆逐し、篭城策をとってフォルセールと連携をとれば、この状況からでもまだ巻き返しはできる。
だがそのリシャールの思惑もすぐに潰えた。
「残念ですが繋がりませぬ」
一歩を踏み出し、周囲の臣下の中から姿を現した聖テイレシア王国大将軍フェルナンが、絶望と言う二文字に要約される返答をしてきたのだ。
「天魔大戦に備え、未熟な法術士たちに訓練を課していたこと。さらに昨今フォルセールの方角で大掛かりな法術が行われた形跡があること。それだけならまだ何とか連絡が出来るはずでしたが……」
「何があったのだフェルナン」
一筋の汗を流し、リシャールはフェルナンに問う。
「どうやら秘密裏に法術を使っていた者がかなりの人数いるようで……それが聖霊力の偏在に拍車をかけ、繋げようにも繋がらぬ状態に」
フェルナンの答えにリシャールは驚きの声を隠せなかった。
「バカな! 通常であればともかく、天魔大戦が間近に迫っているこの時期に、法術を無断使用する輩がそれほど大量にいる訳がない!」
「魔物、あるいはそれに味方する者が使ったと考えればあるいは……」
フェルナンの苦し紛れの推測にも、リシャールは納得できなかった。
「奴等の戦力は、少数の上級魔物たちが主力だ。それが法術による回復が見込めなくなれば、戦力低下どころの話ではないはず! それに人とは相容れぬ価値観を持ち、人を殺戮して回る魔物に味方するなど、そんな愚かな者がいるものか!」
[いやいや、その"はずがない"と言う思い込みにつけいるのが兵法と言うものらしい。天魔大戦が起こる兆候と、その兆候が現れても魔物の戦力はすぐには揃わないと言うこと。その二つをお前たちに知らしめるのに、随分と長い歳月がかかったものだ]
リシャールの疑問に答えたのは、フェルナンではなかった。
「き、貴様……は……?」
それどころか、人ですらなかった。
リシャールとフェルナンが話しているすぐ側に、忽然と現れた道化師を思わせる姿の魔物は、リシャールの問いに対して悠然と答える。
[私の名前はジョーカー。王の命を頂きに参上つかまつった]
その名乗りが終わらぬ内に、フェルナンと周囲に控えていた十数人の兵士たちが通常の剣を抜き、気合と共にジョーカーに対して切りかかる。
しかしそれらの振りかぶった剣が、ジョーカーに振り下ろされる事は無かった。
ジョーカーが指を鳴らした瞬間にその体は薄暗い球に包まれ、その球に触れた兵士たちの体が一瞬にして吹き飛び、四散する。
退魔装備で防御を固めていたフェルナンですら、剣を振りおろそうとした両腕を肘から吹き飛ばされていた。
血で赤く染まったジョーカーの体は、実際には傷一つついておらず、その体についた血は、すべてフェルナンに由来する返り血であった。
「ぐぬううううう!」
激痛で食いしばった歯の隙間から、叫びを漏らすフェルナン。
ジョーカーはその頭を上から踏みつけ、踏みにじりながら優雅に一礼をした。
[礼が遅れて申し訳ないリシャール三世陛下。作法を解せぬ野蛮な者たちに、いきなり切りつけられてしまったものでな]
「陛下! お逃げくだされ!」
両腕を失いながらも、その激痛に正気を失うことなく主の安否を気遣うフェルナン。
リシャールは床に倒れたままの老将軍の姿を見つめ、ジョーカーを睨んだ。
「……ジョーカーとか言ったな。ワシの命を取りに来たのであれば、その者の命を取る必要はあるまい。離してやってくれんか」
苦悩に満ちた、そのリシャールの表情と口調。
ジョーカーは満足そうに見つめると、仰々しく両手を広げてリシャールに答えた。
[この傷では……おっと、止血をする程度の術は使えるのか]
フェルナンの両手から噴き出ていた鮮血が止まっているのを見て、ジョーカーは残念そうに呟いた。
[では陛下にこの老体を助ける唯一の方法を教えて差し上げよう。それは陛下の魂と引き換えに、この死にぞこないを助けると契約を交わすこと。だがその場合、陛下の魂は永劫に地獄の業火に焼かれ、その苦痛を私に捧げ続けることになるがね]
ジョーカーが言ったその瞬間。
「待てジョーカー! 陛下の命は取らないと言う約束だったではないか!」
周囲を囲んでいた人々から、高貴そうな身なりをした一人の老人が、慌てた調子で飛び出てくる。
[んん? この時点でそれをバラしても良かったのかな? テオドール公爵どの]
ジョーカーのその声と同時に、テオドールと呼ばれた男はうろたえ、その場にいたすべての人たちの視線が集中する。
「結界で簡単に侵入できない王都の周囲に展開する敵、城内にいるはずのない敵に寸断される味方、各地に展開した味方との連絡手段である聖霊力を無駄遣いしていた術者たち……すべて貴様の仕業かテオドール」
リシャールの冷たい声に、甲高い笑い声が相槌を打つ。
[いやいや、こちらが求めもしない範囲まで良く働いてくれた。なかなかに優れた臣下をお持ちのようだ、リシャール三世陛下は]
リズミカルな拍手に合わせ、皮肉を口にするジョーカーをリシャールはしばらく憎々しげに見つめ、そして溜息をついた彼は、諦めたような口調で話し始めていた。
「是非もなしか。ジョーカーとか言ったな。先ほどの契約内容は変更だ」
[ほう? その新しい内容とは?]
枯れた口調とは裏腹な鋭い目に、ジョーカーは興味深そうな視線を送る。
「貴様がこの場にいる者たちに危害を加えず、このまま立ち去ることだ」
[……ほう!]
リシャールの申し出た内容に、ジョーカーは感嘆したように声をあげた。
[ほう! この期に及んでなかなかに冷静な判断! 確かにその契約内容であれば、この死にぞこない以外の全員を殺すことはできない! だがいいだろう!]
仮面の下で人知れず表情を変え、ジョーカーはリシャールに指示を出す。
[では、まずその腰の聖剣ジョワユーズを、こちらの足元に投げてもらおうか]
リシャールが腰に帯びていた剣をジョーカーの足元に放り投げると、テオドールは切迫した顔つきと声色でジョーカーに懇願した。
「やめてくれジョーカー! 陛下の命だけは助けると約束……あ……あ……」
[ん? 何か言ったかねテオドール公爵。私に願い事があるのなら、魂を私に捧げると契約してから言うのだな]
そう言ってのけるジョーカーの右腕は、既にリシャールの胸を貫いていた。
[いやいや、なかなかに美味であったろうに残念だ。契約を交わす前に死なれては、陛下の魂を食するわけにはいかん]
楽し気に言うジョーカーの口上を聞いたリシャールは、口より鮮血を流しながら怨嗟の声をあげた。
「キサ……マ……騙した……な……」
ジョーカーの腕を引き抜こうと、両腕に力を込めるリシャール。
だがその手はすぐに滑り落ち、力なく垂れてしまう。
(シルヴェール、リディアーヌ……無事にフォルセールに……祈っておる……)
ジョーカーの腕に貫かれたリシャールが痙攣する姿を見て、テオドールは半狂乱になりながらジョーカーにすがりつき、契約を迫った。
「やめろジョーカー! 貴様と契約する! このテオドールの魂を貴様に捧げる! リシャール陛下の命を救ってくれ! 隣国との婚姻はおろか、同盟も為さぬうちに国の柱である陛下に死なれては元も子も無いのだ!」
すがりついてくるテオドールを面白げに見下ろすと、ジョーカーは掲げた右手にぶら下がったモノを見上げた。
[おやおや、魂を捧げる契約をされては助けない訳にはいかん……が、存命していない者の命を助けるとは、一体どう言った契約内容になることか]
まるで人形のようにジョーカーの腕にぶら下がるリシャールは、既に事切れていた。
その姿を見た人々のうち、ある者は力なくうつむき、ある者は膝から崩れ落ちる。
それらはまるでリシャールの魂が、その場に居る人々の魂の一部を連れて共に冥界へ旅立ったかのように見えた。
そんな人々を見渡した後、ジョーカーは一人で何かを納得し、頷く。
[この世に存在しない命を助けることは出来ないが、しかしそれを知って頼んだ……つまり私に魂を捧げたいだけだった。うむ、問題はないぞテオドール]
そうジョーカーが宣言をすると、テオドールは白目をむいて顔から床に倒れ、鼻と口から血を流し始めてそのまま動かなくなる。
たちまち人々はパニックに陥り、部屋から逃げ出そうとして出入り口に殺到するが、そこには不可視の壁があり、外に出ることは出来なかった。
[幸福と言う甘露で心をブクブク太らせた者たちから発せられる恐怖は格別だな。さて、この邪魔なジョワユーズを運ぶ人間は誰に……ん!? この剣は!?]
ジョーカーは足元に転がる剣を見るや否や、血相を変えた様子で周囲に感知の魔術を実行する。
そして玉座の後ろに巧妙に隠された扉があることに気づいた彼は拳を握りしめ、無念のほぞを噛んだ。
(王自身を囮にしてジョワユーズを運び出すとは、流石人間と言った所か。あれを外に出してしまっては、後々我々にとっての禍となってしまう)
[貴様等はここでおとなしくしていれば特に害は与えん。モートと言う男が来るまで待っているがいい]
ジョーカーはそう言い残すやいなや、玉座の後ろに造られた隠し通路の扉に飛び込んでいった。
退魔装備とは、精霊力を付与して術の対抗力を強めたり、魔物への物理攻撃や、魔術の効果を高める事のできる装備の事で、これと魔物や魔術の力を弱める結界などの力を合わせ、人は魔物達への対抗措置としています。
退魔装備の製造に関わるノウハウは秘匿されており、もし紛失や盗難などで魔物や他の国の手に渡ると問題になるので、輸送時は厳重に封印をする事が決まりとなっています。
人と人との戦争では条約で使用を禁止されているので、戦争で他国に渡ることはありません。
尚、これらは貴重なものなので、基本的に王都で集中管理されており、主人公の住んでるフォルセールには数着しかありません。