第22-1話 王都陥落
王都テイレシアの郊外の丘に布陣する魔物たち。
その先頭に、金属鎧で全身を覆った一人の女性が立っている。
元々は豊穣神だった彼女は、鎧の隙間から見える白い肌とは対照的な、頭頂部で結ばれた長く黒い髪を持ち。
今は仲間であるはずの魔族からも畏敬の念をもって、闇の土アナトと呼ばれているその存在は、眼前に突き立てた大剣の柄を押さえつけ。
美しい顔の中央で王都と言う獲物を狙う、鷹を連想させる鋭いその目は、不快感を隠そうともしていない。
アナトが不機嫌な理由は、先ほど人間たちに行われた宣戦布告。
それは彼女たちを率いる者にとっては予定されていた行動の中の一つにすぎなかったのだが、アナトにはその意義がまるで理解できないものだった。
彼女にとって、敵の準備が整っていない内に攻めいるのは戦術として当然であり。
また奇襲された側の不備を嘲笑することは、攻める側にとっては当たり前の権利と感じる物だった。
それにも関わらず、人間たちにわざわざ宣戦布告を行ってから、その本拠地である王都テイレシアに攻め入った、現在魔物をまとめている闇の炎モートの思惑は。
[解せんな]
薄く紅を差した唇から、誰に言うでもないアナトの独り言が発せられる。
だがそれを聞いた途端、彼女を囲む魔物たちは一斉に騒めき始めていた。
そんな中、隣にいる巨大な黒狼に跨っている魔神だけは平然としており。
[何がですかな? アナト殿]
恐れげもなく彼女に問いかけていた。
[わざわざ宣戦布告をして、敵にこちらへ応戦する猶予を与える意味だ]
[意味が無いなら、意味を持たせれば良いだけかと]
[意味を持たせるだと? 面白い、どんな意味を持たせると言うのだアンドラス]
アナトは隣にいる、人間の体に鳥の頭と羽根を持つ異形の者、アンドラスを睨む。
その体は決して大きくは無いが、周囲を圧する瘴気を絶えず発していた。
(ふん……下賎な魔神めが)
アナトはアンドラスの跨っている黒狼の足元、そこに生えていたはずの草が黒く腐敗した姿を見て眉をひそめた。
だがアンドラスはそのアナトの顔を見てもまるで怯む様子もなく、それどころか得意気な調子で説明を始める。
[我らと違い、人と言うものは不便なものでしてな。体の大きさを自由に変えることも出来なければ、他次元を経由して移動することも出来ませぬ]
[ふむ]
[故に最初は少数で現れるはずの我々が、これほどの数が揃っているはずの無い我々が、だが遠くに居て動こうとしない我らを見れば奴らは慌て、応戦するべき手勢もすべてこちらに対応する為の準備に向けるでしょう]
[それで?]
[さすればそこには必ずや混乱が産まれ、応戦する準備をするどころか、パニックを起こして自滅、自壊することも考えられます。モート殿はそこを突くおつもりでは]
その意見を聞いても、アナトは納得しようとしなかった。
[ふん、そんなことはこちらから仕掛けても同じ結果を得られるのではないか? 日の光でしか物を見れぬ奴等には、夜襲をするだけで今以上の混乱を得られよう]
アナトは綺麗な輪郭をした胸の装甲部の下で腕を組み、アンドラスを問い詰める。
その美しい姿を見るだけでは分からないが、彼女にまつわる話は苛烈極まりないものばかりである。
倒した敵軍から流れた血で自分の腰まで浸かった、戦いで切り刻んだ敵の体の一部を自分の体に飾り付けた等。
それらの逸話によって、味方にすら恐れられるアナトの様子を見たアンドラスは、彼らを率いる将アナトが暴発し、王都へ攻め込まないように更なる諫言をする。
[ジョーカー殿の仰せです。敵に夜陰に乗じて逃亡されて、援軍を呼ばれては困る、と。何としても彼らには、まとめて降伏してもらわねばならないと]
[あやつのような得体の知れぬ者が居るとは私は聞いていなかった。後でモートには十分に説明してもらわねばな]
だがアナトにとって、その諫言は逆効果にしかならなかった。
アンドラスは首を振り、すぐにジョーカーの擁護を始める。
[いやいや、ジョーカー殿は天魔大戦における生き字引のような方ですぞ。裏方の役目が多いゆえに、アナト殿は御存知なかったかもしれませぬが]
[このアナトを愚弄するか? 確かにこの体になってからは二百余年しか経っておらぬ、貴様らから見れば新参の身かも知れん。だがまさか、軍歴の長短だけで実力を判断するような愚かな真似はすまいな]
しかし今度はアナトの自尊心に傷をつける結果となり、アンドラスは内心で扱いにくい彼女を唾棄する。
[アナトの名を継いでからの功績、このアンドラスも十分承知しております。しかし相手があの知恵の実を宿した者の末裔たちでは、ジョーカー殿の助力無しでは苦戦は必死。今回の行動も、人間の産み出した"策"と言う術を用いた結果でありますれば]
[だから不快なのだ! この我が意思を知って尚言うのであれば、眼前の人間共を滅ぼす前に貴様を消すぞ!]
自らが非力と断じる人間と、不快な存在であるジョーカー。
その二つを説得の材料とされたアナトは、とうとう我慢できなくなって声を荒げ、アンドラスに怒りをぶつける。
[……その物言いには、流石に私も抗議せざるを得ませんな]
だが、我慢できなくなったのはアナトだけではない。
[この魔神アンドラス。貴女の副将についたのは、天魔大戦で天使や奴らに与する人間どもを討つことが、我らが悲願ルシフェル様の復活と道を同じくするが故]
[む……]
[我らは対等ではあっても主従ではありませぬ。我が言、確かに耳障りではありましょうが、ここで我らが仲違いをしても敵を利するだけですぞ]
[ふん、腹立たしいが確かにそなたの言う通りだ。アンドラス、我らの出番はまだか]
ようやく落ち着いたかに見えるアナトへ、アンドラスは彼女の機嫌をとるために如何にも自分の方が非礼であったかのごとく、言い過ぎた、と詫びをいれ。
[とりあえず我らはここで待機し、人間どもに城内に入り込んだ我々の仲間以外にもまだ後詰めがあるように見せかけること]
それから戦術の説明を始める。
[つまり実際の人数とはかけ離れた、相当数が奴らの城に侵入しているように思わせることが第一で、我々の出番は戦いが膠着しはじめた時。そこで一気に攻め込み敵のまとめ役、編成の核となる人物を討ち取ることと聞いております]
[その人物は?]
[現在は一人しかおりませぬ。聖テイレシア王国の全軍を取り仕切る大将軍フェルナン。聞けば六十を越える老人だとか]
その年齢を聞き、アナトは鼻で笑った。
[哀れよな。人はせいぜい五十余年が寿命と聞く。それなのに軍に籍を置いておきながら齢六十を越えるとは、死にぞこないもいいところではないか]
[その稀に見る高齢に、幸運を絡めて崇拝する輩が居ること。また私心なく公人として恥じない言動と行動に周囲の人望厚く、それ故に軍を率いてこられたとの由]
[その幸運、我が剣にも通用するか試してみたいものだ]
アナトの口から、獲物を前にした猛獣を思わせる舌がチラリと覗く。
その舌の向いた先では、王城や城下町のあちこちから火の手があがっていた。
[ほう、見事な物でございますな……流石はモート殿]
アンドラスは、それらの炎が更なる混乱を町と城の者に与えたことを確信する。
[ふん、こそこそと忍び込み、火を放つとはまるでコソ泥のやり口だな。火をつけた後は何を盗むつもりだ]
[敵の平常心でしょうな。ジョーカー殿と私の同胞たちが、幻影と流言飛語を用いて同士討ち、あるいは膠着をさせているはずです]
[道化か……その名に合わず、この場に待機している我らを道化たらしめ、自らが扇動役に回るか?]
[仕方ないかと。我らが下手に動けば、今王都に忍び込んでいる者が少人数とバレてしまいます。我らが役目は整然と待ち、敵の注意を引きつけるのみ……おや、そうでもないようですな]
城門を開け、こちらに向かってくる敵を見ながらアンドラスがアナトに伝える。
[フェルナンでは無いようですが、留守居を務める神殿騎士団の連中がこちらに向かってくるようです]
[神殿騎士団……フェリクスか。デュランダルの使い手の実力、兼ねてより確かめてみたいと思っていたぞ]
[いや、あの男は今フォルセールと言う城塞都市に行っているはずです。今こちらに向かってくる神殿騎士団を率いているのは……]
[よい]
[よろしいのですかな?]
目の前に突き立てた大剣を引き抜き、アナトは答える。
[悪ければお主が引き留めるだけのこと。そうであろう]
[左様]
アナトは大剣を前方に突き出し、迎撃の号令をかける。
彼女の左右後方に控える魔物たちがそれに応え、更に数を少なめに見せかけるために姿を隠していた魔物たちも、次々と姿を現して数々の咆哮を上げた。
[行くぞ!]
飛行術を発動させ、突撃するアナトと魔物たちを見つめるアンドラスは、既にこの戦闘が自分たちの勝利に終わることを確信していた。