第21-2話 天魔大戦
頼りなく、この地上にあって魔物のみならず獣にすら怯え、飢えに悩み、暑さに苦しみ、寒さに凍えるような矮小な存在である人間。
それが神の子だと言う事実を知り、アルバトールは絶句していた。
「大地から生まれた最初の人間の男性アダムは、土を元にして生まれた存在であるために非常に安定しては居ましたが、同時に進取の気が殆どありませんでした」
「じゃあどうしたんですか?」
「次に主は、アダムに刺激を与えるためにその一部から最初の女性イブを作り、その二人を箱庭に住まわせました。しかし二人は、いつまで経っても神に言われるままに動くだけの人形に過ぎず……」
エルザはそこまで話すと、一つ溜息をついて間を取る。
「そこでルシフェルが、ある計画を立案して実行します。その計画と術は、天使の角笛と命名されました」
「人を天使にする……あれですか?」
だが、アルバトールが見たのは首を横に振るエルザだった。
「正確には対象となるものに天使の一部を擦り込み、天使の属性とある一定の力を持たせる術です。擦り込んだ量によって天使化する事もありますが」
「僕の時は蘇生させる必要があった、つまり擦り込む比率が高かったから天使に?」
「ええ。天使の角笛はもちろんのこと、人間に戻すにもかなりの聖霊力を消費しますので、貴方を人に戻すことは出来ませんでした」
「僕を天使にすることも目的の一つだったのでは?」
「有力候補の一人であった、と言うだけですわ。他の候補者が同じ目に遭えば、同じことをしたでしょう」
「他の候補は今いずこに?」
「秘密ですわ。ただ最有力候補と目していた一人は、随分と前に行方不明になっています。私も手を尽くして探してはいるのですが」
「そうですか」
そこでアルバトールは、話の途中で質問をしたことに気付き、エルザに頭を下げる。
「あらあら、構いませんわ。それでは先ほどの続きを」
エルザは頬に手を当て、少し考え込む。
「ええと、ルシフェルは完成して間もない天使の角笛をアダムとイブに使い、知恵を与えました。人の間では魂の力"火"と、魂に方向性を与える"風"の二つの色を兼ね備えた果実、リンゴとして認識されているようですが」
「赤と緑からなるリンゴ、ですか……」
考え込むアルバトールを見て、エルザは涼やかな笑みを浮かべる。
「ベルトラムにパイを作ってもらうなら、同席させていただきますわよ」
「いいい、いや、そんなこと考えてませんよっ!? あ、えっと、知恵の実を人が食したのは、自由な意思を与えるために敢えて主が黙認したのだと思っておりました!」
そして慌てるアルバトールを見て、エルザはくすくすと笑い始める。
「さて、知恵を与えられた二人は、期待通りに魂を成長させていきます。しかしそれは必ずしも、彼の期待に沿ったものでは有りませんでした」
「と言うと?」
「喜び、希望、楽しみなどの正の感情だけではなく、負の感情である憎悪、自棄、破壊衝動なども同時に成長させてしまったのです。それだけではなく、それらの負の感情は、彼らに天使の角笛を行ったルシフェルにも影響を与えてしまったのです」
沈痛な面持ちとなったエルザに、アルバトールは心配そうな視線を送る。
「負の感情が芽生えた人を見続けた主は悲しみ、人を箱庭から追放して、その後に病に伏します。そしてその隙を狙うようにルシフェルは主への反逆を企て、自分に心酔している天使と、追放された人間を使って主に戦いを挑みました」
「なんと……」
「その戦で、多くの者が死んでいきました。しかし主が病から立ち直り、それからすぐに長く続いた戦は私たちの勝利に終わります。ルシフェルは捕まり、他の世界に通じる奈落と言う場所からこちらに来る魔物を、その身を挺して封じ込める罰を受けます」
「ルシフェルに味方した天使や人間たちは?」
「ルシフェルと同じく、その身を以って魔物を封じ込め続けています。これが後に天魔大戦と呼ばれることとなる、最初の戦いです」
最初の戦い。
では未だ続いている天魔大戦とは何なのか?
大戦の首謀者たるルシフェルは、奈落で魔物を封じているのではないのか?
「いい質問ですわね」
アルバトールが疑問をぶつけた所、エルザは想定内とばかりに即座に答え始める。
「ルシフェルたちは、他世界からの魔物を封じている間にその魂に汚染されていき、同時にその力を吸収します。そして彼らが魂を穢されきった時に、彼らは主の命を無視して再び地上へと降り立ち、天魔大戦は起こるのです」
「そのような仕組みとなっていたのですか」
「つまり上級魔物が現れ始めるのは、ルシフェルたちが任務を放棄し、他世界からの魔物たちを引き連れて戦いを挑んでくる前触れ、と言う事になりますわね。それに加えて、旧神と呼ばれる存在も無視できません」
アルバトールたちがジョーカーと戦っていた時にいきなり現れ、エルザを吹き飛ばした剃髪の大男モート。
確か闇の炎とか呼ばれていたと思うが……。
「旧神とは一体どんな存在なのです?」
何となくエルザを吹き飛ばしたモートの名を出さずに質問するアルバトール。
「旧い神、つまり我々と争い衰退した、または人々に忘れ去られようとしている、またはこの世界にあまり干渉をしなくなった神々。元々は他の次元の存在ですわ」
「他の次元の神……主とはまた別の存在なのでしょうか?」
「そうですわね。まずこの世界は幾つかの階層に分かれていますが、大まかに分けると今私たちがいる、はっきりと形が定まっている物質界と、はっきりとした形が定まっていない、天界や精霊界などが含まれる精神界の、二種類があります」
「ふむふむ」
「そして精神界は住人によって幾つかの領域に分かれており、その分かれている多くの精神界と、この物質界は、多重に重なってすべて同じ場所に存在しています。その精神界の一つに彼らに属する物があり、そこからこの物質界に来ているわけです」
「つまり旧神と呼ばれる存在は、天界や精霊界とは別の精神界に住まう存在と。では何のために物質界に?」
「色即是空、空即是色。精神界である空と、物質界である色は、お互いに影響しあっています。ルシフェルと言う空の存在が、アダムとイブと言う土から作られた色の根幹を成す存在に影響されてしまったように」
「はぁ」
「つまり物質界での力関係が精神界にも影響を及ぼすので、旧神は自らの勢力を伸ばそうとしてルシフェルたちに協力している……と思われます。実際に聞いた訳ではないので正鵠を射ているかわかりませんが、ほぼ間違いないでしょう」
「では、天魔大戦における僕の役割とは?」
アルバトールの真摯な目。
それを見たエルザもまた、彼の目を真っ直ぐに見返して伝える。
「貴方には神となって頂きます。天魔大戦で経験を積み、天使の格を上げ、最終的には主に一番近い天使と言われたルシフェルを打ち倒してもらい、我々を率いる存在に」
「……なれるのでしょうか?」
エルザに力が無いと称されたジョーカーにすら苦戦した。
そんな自分を顧みて、アルバトールは不安げに呟いた。
「なって頂きますわ。だからこそ私たちがいるのです」
エルザの力強い答えを聞いた時、アルバトールは気づく。
エルザの正体が未だ不明なことに。
「そうですね……。とりあえず今日の所は館に戻り、ベルトラムにアップルパイを作ってもらいましょうか」
「まぁお待ちなさい。とりあえず手伝う側の正体を知らないと安心出来ないでしょう」
そして自己主張が激しい彼女が、ようやく自分の正体を話せると言わんばかりにニコニコと笑っていることに。
「ハハハ、幼少より見てきた限りでは、エルザ司祭のどこにも安心できる要素が見当たりませんので聞かなくてもよろしいと思われますが」
よって彼はエルザの発言を封じる為に話を切り上げ、その場を離れる選択をしたのだが、即座にエルザに呼び止められてしまい。
「あらあら、戦いになった時に一番怖いのは、味方に背中から撃たれることですわよ」
「私の役目はいつから的に……」
あまつさえ婉曲な脅迫まで受けてしまう。
「とりあえず自己紹介を致しましょう。私の真の名は大天使ミカエル。四大天使の筆頭であり、現在に於ける天使の頂点に立つものです」
そしてそれでも足りなかったのか、とうとうエルザは自分から正体を明かしていた。
「そうなんですか。では館に行きましょう」
「驚いてもいいですわよ」
溜息をつくアルバトールに、エルザはにっこりと笑いながら告げる。
「いえ、この前のジョーカーとのやりとり以来何を聞いても信じられないと言うか何と言うか……狼少年?」
「あらあら」
エルザの自慢話に付き合うほど暇ではない。
「もうこれは日頃の行いと言うしかいだだだだだだだ!」
「驚いてもいいですわよ?」
との考えが表に出ていたのか、アルバトールはエルザに頭を掴まれる。
「この異常な握力に驚きです! 頭が割れる!」
「あらあら、か弱き女性に向かって異常な握力とか傷つきますわ。天使の叙階で弱きものを守れと言われたでしょうに」
もしこの場を見る者が居れば、アルバトールの頭を掴み、片手で吊り上げたエルザの姿を見て、ああまたか、と呟いたことであろう。
「エルザ司祭が大天使ミカエル様だったとは知りませんでした凄く驚きぎぎぎ!」
「あらあら、そんなに驚いてもらえるとは思っていませんでしたわ」
直後に何やら照れ隠しをするように一際力を籠め、エルザはその手を離した。
「あー死ぬかと思った。でもいきなり正体はミカエルとか言われても信じられませんよ。それにエルザ司祭は女性ではありませんか。いつミカエルが女性になったのです」
アルバトールの問いに少し首をかしげるエルザ。
「そう言えばそうですわね……とりあえずは変装。それに天使には性別がありませんから、今は女性形、と言ったところでしょうか」
「何でまた女性に……」
「教会絡みで色々とあったのと、後は多少私事の理由がありまして」
「私事?」
「実は私は菓子職人の守護聖人もしておりまして」
「はい」
「男性形だと食しているときに少々周囲の視線が痛く感じられまして」
「そですね」
「そのような理由もあって女性形をとっているわけですわ」
「とても信徒の皆さんには話せない姿と理由ですね。主は何と?」
「ほどほどに、とは言われております。先ほども申し上げたとおり、私は空に近い存在ですが、地上の食べ物を口にしすぎると物質面に偏ってしまうので、あまり食べ過ぎるのは存在にとって良く有りませんから」
思ってもみなかったエルザの秘密を次々と聞く羽目になってしまったアルバトールは、少々精神的ダメージを受けながらある一つの疑問を抱く。
「まさか天使になってまで信仰心を試される試練があるとは思いませんでした。物質面に偏るって、まさか太るってことですか?」
「えい」
呆れ半分でアルバトールが疑問を口にすると、エルザは表情を変えないまま的確な目潰しを実行する。
「人の文化を調べることも私の仕事の内です」
「なるほど……いてて。ん? 何やら東方……王都の方角で聖霊の乱れが感じられますがこれは?」
「ああ、天魔大戦が始まる前に、未熟な術者に法術の訓練をさせているのでしょう。この時期にはよくある事ですわ」
「そうなんですか」
「ええ、未熟な者が多いと聖霊力の無駄遣いになりますからね。そうなると満足に回復も出来なくなるばかりか、味方同士の連絡もつきにくくなります」
「なるほど」
そしてそれから数日経った後、フォルセールに急報が入る。
"王都陥落"
駆けこんできた伝令の騎士は不自然なほどに無傷であり、その姿は魔族が既に万全の体制を敷いて待っているとの挑戦状にも見えるものだった。