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第2-2話 天使の角笛

「ふむ、天魔大戦のきざし、でございますか若様」


 アルバトールの告げた内容に重々しくエンツォが唸り、その隣ではエレーヌがギスギスした表情でにこやかに笑うエルザを睨み付けている。


 国家の一大事かもしれない大事な話をしているというのに、なぜこんな見苦しい内輪もめをしているのか?


 一番大きな原因はエルザが膝の上にアルバトールの頭を乗せている、つまり膝枕にあるのだが、どうやらそれ以外にも理由はありそうだった。


「いい加減にせんかエレーヌ。若様が困っているであろう」


「……コホン。エルザ司祭、話は村に戻ってからゆっくりと」


 どうやら一度振り上げた拳を降ろすこと、つまりエルザに食ってかかった後のことまで考えていなかっただけのようで、先ほどから誰かの仲裁を待っていたのだろう。


 エンツォの仲裁にあっさりとエレーヌは応じ、エルザに抱えられたアルバトールの顔を見つめる。


「年齢を重ねても精神的にはまだまだ子供など、ワシャあ義兄として恥ずかしいわい。姉のエステルを見習って少しは丸くならんか」


「お前に言われたくはない。夫婦喧嘩の原因……その殆どが貴様にあることを忘れるな……」


 即座に新たな火種がくべられるも、それはエレーヌが顔にうっすらと笑みを浮かべるだけに留められた。


「……なんだか冷えてきましたね。それでエレーヌ殿はどう思いますか」


 なぜか寒気を感じたアルバトールはそう感想を述べると、エレーヌに意見を求める。


「力量、戦術、その二つとも通常の魔物ではあり得ないものか。確かに上級魔物として判断する条件にその二つがあるが、それだけで判断することはできんぞアルバトール」


「しかしエレーヌ様、その判断は私たちの下すところではありませんわ。まずは上に報告、そして上の判断を待ってその指示に従う。それが私たちの役割でしょう」


「……そうだな」


 そしてエレーヌが否定的な意見を述べるも、すぐにエルザが口にしたもっともな指摘に反論できず、不服気に口を尖らせてしまっていた。


「好きの反対は無関心とは申しますが、そんなツンツンした態度をとって気を引こうとしても……」


「うるさいッ!」


 顔を真っ赤にして立ち上がったエレーヌをエルザが楽し気に見つめ、コロコロと笑う姿を見たエンツォは呆れた顔となり、諦めたようにアルバトールへと話しかけた。


「さて若様、上級魔物に関してですが、事が事だけに慎重にならねばなりませんな。天魔大戦が起こるぞ、実は違いました。では民の感情は悪化し、支援をした周辺国もテイレシアに失望することとなりましょう」


「確かに」



 天魔大戦、それは国中に強力な魔族が現れるということである。


 必然的に民には安全な場所に避難(といっても村や町の中に閉じこもるだけ)してもらうが、民とて食っていくには仕事をしなくてはならない。


 まだまだ農作業が主な生計手段であるこの時代では、村に閉じこもることはそのまま死ねと言われたも同然であり、さらには国の基礎である民の飢えは、ドミノ倒しのように王侯貴族や教会なども含めた国全体に波及するのだ。



「好きなものを好きなだけ作れる魔術があれば、そんなことを心配せずに済むんですけどね。支援も受けずに済むし、逆にこちらが恩を売ることだってできる」


「それはいいですな。何もせずに何でも得る……はて、では何をするために生きていけばいいのやら」


「女性を口説く時間ができますよエンツォ殿」


「ハッハハ! 若様も手厳しいですな!」


 重い雰囲気は、意見を言うための口も重くする。


 そう考えているアルバトールが、場を軽くするために発した軽口をエンツォが豪快に笑い飛ばすと、今度はエルザとエレーヌが呆れた顔でそれを見つめた。


「まったくエンツォ様には困ったものですわね。それでどうしますのアルバトール卿」


「僕の意見としては打てる手を事前に打つです。なぜなら民の困窮や周辺国の悪意は生きていれば解決できます。ですがそれらを解決するのに必要な人々の命は、失ってしまえば二度と戻りませんから」


 エルザの質問にアルバトールは即座に答える。


 人、金、物の流れといった現実を無視した、理想そのものといった意見を聞いたエルザは正体の見えぬ微笑みだけを浮かべ、返答することを避けた。


「それでエルザ司祭はどう思われているのかな? 長くこの地に住まい、天魔大戦を何度も経験している貴女なら一家言あるのではないか?」


 しかしエレーヌに挑発的な口ぶりで発言を求められると、エルザはアルバトールの頭を愛おしそうに撫でることで返礼し、怒りに顔を歪めたエレーヌの顔を満足そうに見た後で口を開いた。


「状況から見れば天魔大戦の始まり。ですが様子見でよろしいかと」


「ふむう、してその心はいかに?」


 エンツォが先を促すと、エルザは一瞬だけぽわぽわしたアルバトールの頭部を見た後で答える。


「理由は二つ。一つはここ以外に上級魔物が出たと判明していないこと。もう一つは上級魔物が何体も現れたとしても、組織だった行動が始まるまでに三か月以上はかかることです」


 そのエルザの意見を聞いた全員が同意をする。


 この村だけであればともかく、国や周辺国をすべて巻き込むような大事を、おいそれと簡単に意見具申はできなかった。


「うむ、流石は年の功。いやはやこのエンツォ感服いたしましたぞ」


「あらあら」


「ハッハハ……ハ……」


 エルザの無言の笑みにエンツォが固まる。


「まったくエンツォ殿は……え?」


 そして同時にアルバトールも固まった。



 なぜならこの場で聞こえるはずが無い音、つまり赤ん坊の泣き声が聞こえたからだった。



「何でこんな所に赤ん坊が?」


 疲労による空耳とも思ったが、未だに聞こえ続けていることと、エレーヌが赤ん坊をあやす声が聞こえることから違うことが分かる。


 ではどうして、と考えようとするも、赤ん坊の泣き声によってか、それとも他に思考を乱す原因があるのか、アルバトールの考えは一向にまとまる様子を見せなかった。


「魔物が消えた後に、近くの地面にいきなり湧いてきましたの。ですので先ほどからエレーヌ様に子守をしていただいていたのですわ」


「なるほど……しかしいきなり地面から湧いて出たなどと、そのような得体の知れない存在に心を許されたのですか?」


「ちゃんと人間の赤ん坊だと確かめてからですわ。そんなに私が後先考えずに行動するように見えますの?」


 この場にいる誰よりも年長者であろう(はっきりとした年齢を聞かされていないエレーヌを除く)エルザがそのように苦情を述べ、年端のゆかぬ少女のように拗ねる姿を見てアルバトールは苦笑する。


「とりあえず放置するわけにもいきませんわ。できれば私が直接に面倒を見たい所ですが、教会を一つ預かる身ではそうもいきませんし、それにエレーヌ様が……」


 エルザが非難がましい目でエレーヌを見ると、先ほどのお返しとばかりにエレーヌは得意気な表情でふふんと笑う。


「赤ん坊の将来のためにも教会の孤児院で見てもらった方がいいだろう。あらゆる意味で、な」


 直後にアルバトールの頭は外的要因による激しい頭痛に襲われ、彼は声にならない悲鳴を上げてしまうが、ようやく首を動かすことができるようになった彼は、激しく抵抗をしてその要因から逃れることに成功する。


「まったくもう……あぎぇ!?」


「まだ治療は終わっておりませんわ。大人しくしてくださいまし」


 しかし即座に首根っこをへし折られるかと思わんばかりの握力で引き戻されたアルバトールは、その途中で赤ん坊を懸命にあやそうとするエレーヌの姿を目に入れ、そして決意をした。


(……強くなろう。そして守らなければならない……この平和を……ん? 治療中? さっき治療を頼んだ時には断られたのに?)


「エルザ司祭? 治療とは?」


 ついでにある事実に気が付いたアルバトールは、エルザに何の治療をしているのか聞いてみる。


「ヒミツですわ」


「それツッコミ入れろって前振りですかね……あ、エンツォ殿」


 どうも正攻法では情報を聞き出せないようである。


 よってアルバトールは領主の息子と言う立場を使い、逆らえない立場にあるエンツォに質問をすることにした。


「ええ……と……それはです……な……」


 珍しくエンツォが言いよどむ。


 忠義の男エンツォ。


 騎士団の中で最も古参であり、アルバトールの剣の師匠であり、ちょっと男女関係に緩い所はあるものの、その忠誠心に疑う所はない。


 その彼をして説明しあぐねる事態とは一体。


「……仕方ありませんわね」


「はいどうぞエルザ司祭」


 そして先ほどから泣き止まぬ赤ん坊の泣き声に押し出されたように、エルザの喉から観念した声が絞り出された。


「貴方は先ほどの戦闘で、一時的に仮死状態……ええと正直に申し上げますと、お亡くなりになりまして」


「はい?」


「私としても手を尽くしたのですがどうにもならず、最後の手段として天使の角笛を使用し、蘇生いたしました。先ほど貴方の身体が動かなかったのはその後遺症。治療はそれを治すためのものです」


「なるほど……ってええええええ!?」



 天使の角笛。


 人を天使に転生させることであらゆる傷、病、死者すら蘇生させる、法術体系の頂点に立つとされる中央教会の人間でも、特殊な神器を使ってようやく扱える秘奥の中の秘奥とされている。


 使用に必要な法力が膨大なため、高位の法術者の中でも一握りしか扱えず、それですら落命の危険性があるとも。


 人を人ならざる存在に昇華させるその効果、また使用にあたっての危険性から、天使の角笛の使用に関しては教会が定めた禁止事項の中でも最高レベルに値するものだった。


「……申し訳ありません。僕の力が及ばなかったばかりに」


「あらあら、すなおに謝罪をされるとは、アルバトール卿はこの私のことを未熟あつかいされるおつもりですか?」


 アルバトールの謝罪に対し、気にするなと言わんばかりにエルザは減らず口で答える。


 しかしその顔には、いつも揺らがぬ彼女には珍しく陰りがあった。


 天使の角笛を使用したことによる法力の使い過ぎか、それとも別に理由があるのか。


 原因となったアルバトールは何と声をかければいいのか迷い、その微妙な雰囲気を読み取ったエンツォがまず声を発した。


「若様が落ち込むのも無理はありますまい。何でも天使の角笛の使用にはかなり厳しい条件が求められるとか。さらにそれだけではなく、教皇様にお伺いをたて、直々に許可を得る必要があるとも」


「いくらエルザ司祭とは言っても、独断で使用したことは問題になるのではないか? と言っても神器である角笛らしきものがそもそも見当たらんのが不思議ではあるが……」


 そして続けて発せられたエレーヌの言葉にエルザは目を伏せる……かに見えたが、意外にもエルザはきょとんとした表情で目を丸くした。


「天使の角笛に関しては、何も気にする必要はありませんわ。神器と言うのも、使用に際して教皇様の許可を得なければならないと言うのも、私の流したデマですから」


 あまりに意外なことに、アルバトールも目を丸くする。


「……は?」


「そもそも大怪我や大病を患っているのに、わざわざ遠方に居る教皇に伺いをたてて許可を得るなど悠長なことをしていては、その間に施術する者が死んでしまいますわ」


「あ、そうですよね~」


 しかし続けてエルザから説明を受けたアルバトールは納得……


「……って何でそんな紛らわしい噂を流して許されてるんですか貴女は! そもそもそんな噂を流すくらいなら最初から無いことにしておけばいいでしょう!」


 するわけもなかった。


「何にせよ!」


 しかしエルザはアルバトールの抗議を振り切り、右手を握りしめて力説を始める。


「天使の角笛が人を天使化することだけは確かです。貴方はこの先、人と共に生きてはいけても、最終的にその道は人と決して交わらぬ、特別なものとなるでしょう」


「特別……ですか」


 エルザの告げた事実を聞いたアルバトールは、動かせるようになった全身をぼんやりと見つめた。


 何一つ変わった所はない。


 身体中にみなぎる、今までに感じたことのない力を除けば。


「エルザ司祭」


 アルバトールはエルザを呼ぶ。


 治療を終えたエルザは彼の元より離れており、加えて辺りはすでに夕闇に包まれていたから。


「何か痛むところでも?」


「いえ、やはりこのような事態に陥ったのは僕の未熟さによるところと思い、いくら幼少の頃より見知った貴女と言えど、謝罪の一つでもしておくのが筋かと」


 そう語るアルバトールの口調と内容は心中に重く食い込むもので、羽毛のように表面を軽く撫でるだけのいつものものとはまるで違うもの。


「……優しいですね貴方は。いつでも、どこでも、誰に対しても」


 それでも、それゆえか、エルザは夕闇に隠れて見えぬ距離に離れたままそう答えを返していた。


 先ほど上級魔物に吹き飛ばされた、細かな仕上げから作り手の真心が感じ取れる、木製の髪留めを大事そうにつけながら。


「誰に対してもとは、まるで私の未来まで見通しているような発言ですね。この先もずっとそうであるとは限りませんよ」


 予想よりしんみりとしたことにアルバトールは苦笑を浮かべつつ、感謝の言葉で締めくくった。



「それにこれで、いつ天魔大戦が起きても皆を守ることが出来ます」



「……そうですわね」


 アルバトールの決意にエルザは少し苦しそうに答え、それを見たエンツォが辺りを見渡した後に提案をする。


「……しかし冷えてまいりましたな。赤ん坊にこの寒さはちと酷でございますし、そろそろ村に戻りますかな」


 赤ん坊の身を案じるように見せ、その実はエルザのプライドを尊重したと思われる提案に全員が同意し、赤ん坊の泣き声とともにその場から遠ざかっていった。


 すでに辺りは闇で覆われ、足元は見えにくくなっている。


 だがアルバトールの踏み出す足に迷いはなく、その一歩は真っ直ぐに前を向いたものだった。



 今のところは。

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