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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
王都争奪編

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第245話 混沌

(ククククク……)


 謁見の間で始まった、悲劇にして転機。


 広間の外に居た気配はそれを確認すると、その成り行きを最後まで見ることなく閲兵場へと向かった。




「お、おい……なにか嫌な予感がしないか? 団長や副団長はいつこちらに来るんだ?」


 先刻、王都中に響くほどの巨大なジョーカーの声によって、閲兵場に集められた当初から先の見えぬ不安に包まれていた自警団の団員たち。


 それに加えて肥大化していくアルバトールのダークマターを感じでもしたのか、彼らは会話を止められていたにも関わらず、そこかしこでどよめきを見せ始めていた。



[親愛なる被支配者たち。民衆を守る自警団の者たちよ]



 そこにバルコニーから声を掛けたのは、つい先ほどまで影も形も見えなかったはずのジョーカー。


「……あんたか。今日は何を企んでるんだ?」


 その姿を見た団員たちは不安を消そうと次々と声を上げ、質問をしていく。


 だがジョーカーが、ついにそれらへ答えることは無かった。


[フェルナンの保身のために売られてしまった哀れな諸君たちには、これから苦痛の限りを尽くして死んでもらい、我々の糧、力となってもらう]


 いや、ジョーカーは一つだけ質問に答えていた。


「ふざけるな! 団長が我々を売るなどあるはずがない!」


 それは彼らを何のために集めたのか、今からどうなるかの解答。


[ではなぜ、未だにフェルナンはこの場に姿を現さないのかな]


 ジョーカーは朗々と口ずさむ。


[なぜ君たちは、市民の避難と言う重要な仕事の途中でここに集められたのかな?]


 彼らを絶望へ誘導する牧歌……いや、葬送曲を。


[なぜ君たちは一度家に帰され、我々に抗する力である退魔装備を自警団の詰所に置いてくる羽目になったのかな?]


 最初こそ抗弁していた自警団の団員たち。


 しかしジョーカーの一言ごとに、彼らはみるみる静かになっていった。


[諦めろとは言わぬよ。せいぜい足掻いて、我らを楽しませてくれたまえ]


 王都が魔族に占領されてより、幾度となく繰り返されてきた閲兵場の虐殺。


 最後の、そして最大のものは、こうして行われることとなる。


 血煙る閲兵場の大気、血泥にぬかるむ閲兵場の地面。


 そう言った無粋なものは、この虐殺には縁がない。



 彼らはただ緑色に変色した血に従い、その体色と属性を変更しただけだった。



[……うーん、ちょっと出来に不満は残るけどこんなものかな]


[これで十分だろう。むしろ今の段階でも殆ど時間をかけずに数百体のリビングデッドを作り出せる、お前の方が驚きだ]


[救いの手を差し伸べるのは大好きだからね]


[生死を問わず……か?]


 ジョーカーは腰に手を当て、うんざりしたように首を左右に振る。


[好き好んでやってる訳じゃない。それをよく覚えておくんだねジョーカー]


 だが隣に居た女性――いつの間にか王城に戻っていたアスタロトが暗い笑みを浮かべると同時に彼は動きを止め、そして目の前にずらりと並んだ生ける死体を見つめた。


[良く馴染んでいる。これだけの数を精霊界に移送させ、生命力を消失させるのは無理かと思っていたが、どうやら八雲の食事が効いたようだな……さて]


 ジョーカーは元自警団の者たちへ、一歩踏み出す。


[貴様らに移動の指示を出すとしよう。そこへの道順について心配する必要は無い]


 そして王都の中心部へ顔を向け、彼らが移動する場所を告げた。



 市民が避難した――彼らが避難させた。


 王城にほど近い街の中心部へと。




 その時、その避難場所とは反対側、いわゆる高級住宅街の一角では。


「あなた、もうお出かけになるのですか?」


「うむ……今の魔神の声が気になる。それに招集の刻限にもそれほど余裕がある訳では無いとあっては仕方があるまい。呼び掛けた本人が間に合わぬとあっては、先に集められた者たちがどんな目に遭うか判らぬからな」


 ベリアルの叫びを聞いたフェルナンは、招集によって動きが取れなくなる前に城壁の様子を見ようとしていた。


 城塞都市であるが故、手狭ではあるが少しの庭を持つ家が立ち並ぶ閑静な住宅街。


 そこにある彼の家は、今現在王都を包む混乱とは縁遠い物だった。


 よって混乱に巻き込まれて集合時間に遅れることを恐れ、先に城に集まっていた他の団員より、フェルナンは随分と余裕を持って行動することが出来ていた。

 

「……今日のお帰りは、何時くらいになりそうですか?」


「判らん。これほどの混乱は……そうじゃな、三年前に自警団を立ち上げて以来か」



 王都陥落。


 通常であれば国が消え去ってもおかしくない大事件。


 だが聖テイレシア王国は、その名を歴史に初めて刻んだ始祖の血を引く者をフォルセールへと逃しており、かろうじてその命脈を保つ。


 それに伴って発足することになった、王都テイレシアの民衆と治安を守る自警団。


 三年と言う歳月は、設立当時の多忙を極めた生活すら懐かしい記憶として思い出せるようになるには、十分の長さであった。


 例えそれが、フェルナンが今まで歩んできた人生に比べれば極わずかな物であったとしても。



 時には協力し。


 時には憎みあい。


 時には食卓を共にし。


 時には相談を受け。


 人のように落ち込み、笑い、気遣ってくる魔族たち。


 その彼らと共に過ごした三年間は、いつの間にか彼の人生の中でも指折りに大切な――言うなれば、まだ彼の息子たちが生きていた頃と同じくらい大切なものへ変化しつつあったのだ。


 そう、つい昨日までは。



「結婚記念日」


「……む」


 ふと発された呟きにフェルナンが我に返ると、傍らには長年連れ添ったエリザベートが、いつもの優しい笑顔を浮かべて立っていた。


「憶えておいででしたか?」


 フェルナンは顔を赤くし、慌てたように何度も咳払いをする。


「う、うむ。もちろん覚えておる。去年はなかなか盛大に祝ってもらったからな」


「もうすぐですね」


「うむ」


「去年は賑やか過ぎましたから、今年は二人きりで祝うとしましょうか」


「うむ」


「では、なるべく早くお帰りになってくださいね。あなたの好物をすべてお出ししたい所ですけれど、二人きりでは食べきれませんから何を作るかお聞きしたいですから」


「……うむ。では行ってくるエリザベート」


「いってらっしゃいませ」



 エリザベートは頭を下げ、フェルナンを見送る。


 彼が身に着けた鎧が奏でる音が聞こえなくなっても、彼女は頭を下げ続けた。


 もし頭を上げた時、もしも愛する夫がまだ見えるところに居れば。



 行かないで欲しい、一緒に居て欲しい、一人で待ち続けるのはもう嫌だ。



 その場にくずおれ、そう泣き叫んでしまうかもしれなかったから。


 だが、武門の家に嫁いだ彼女にそれは許されぬこと。


 だから彼女は頭を下げ続けた。


 後事を託される妻として。


 出かける夫の心がほんの一部でも家に残り、戦いに後れを取ることがないように。


 出来ては消える、小さな染みをいくつも地面に作り上げながら。


 エリザベートは頭を下げ続けた。



 一方フェルナンは。


「エリザベートはいつも難しい課題をワシに突き付けてくるのう」


 少々の愚痴をこぼしながら、言い知れぬ不安を胸に抱えて城壁への道を走っていた。


――君たちが信じていた物はすべてまやかし――


 先ほど聞こえてきたベリアルの叫び。


 それがフェルナンの足を、必要以上に速める原因となっていた。


(戦いに犠牲はつきもの。それは兵士は勿論、街の皆も十分に承知しているはず……じゃがそれは、実際に戦場の凄惨さを眼にしたことがない者に限ってのこと)


 場所がら馬車が行きかうことが多く、下町などに比べてやや広めに作られている道をフェルナンはひたすらに突き進む。


(ここしばらくは王都まで攻め込んでくるような敵国は無かったこともあって、人同士の戦いを眼にした者は殆どおらぬ。増してやその刃を身内に向けたことがある者など、皆無と言ってよかろう)


 人っ子一人いないテイレシアの市街を、フェルナンは駆け抜ける。


 そこにいきなり声を掛け、走り寄ってきた者がいた。


「団長!」


「ブライアンか。市民の避難はどうなった」


「はぐれた者が居ないか、今セファール殿が確認しております。団長はどちらへ?」


「ちと城壁に様子を見にのう」


「私もです」


 笑顔のままそう言ったブライアンの顔を見て、フェルナンは溜息をつく。


「死ぬかもしれんのじゃぞ?」


「ですから死ぬ前に行くのですよ」


「そうか」


 おかしそうに笑いだすフェルナンを見て、ブライアンは微笑んだ。


「それでは団長、お手を拝借。私の手を握っている間は、おそらく魔族に見つかることは無いはずです」


 気配を薄めた二人は、急いで城壁に向かう。


 いくつかの曲がり角を抜け、いくつかの窓から不安そうに外を覗き見る人々の視線に頷きながら。


 そしてとうとう城壁の上に登る階段が前方に見えた時。


 王城から数々の悲鳴、そして怨嗟の声があがった。


「な……まさかこれは……」


 フェルナンは茫然とし、王城の方を見つめる。



 それは閲兵場に集まった自警団の者たちが上げる悲鳴。


 そしてモートがアルバトールを非難する声だった。



――団長! 副団長! 助けて下さい!――


――どこですかブライアン隊長!――


――本当に我々を魔族に――


――自らの保身のみを――



――なぜエレオノールを殺した! 我々を倒すためなら、人の命など顧みる必要は無いとでも言うのか! 何とか言えアルバトール!――



 それらの叫びは、先ほどのベリアルの叫びのように王都すべてを包み込み。


 重く、黒く、だが人に見えない悪夢が、叫びを追いかけるようにして包み込む。


 それが表の王都だけではなく、裏の王都や人の心にまで忍び込んで充満した時。



――うおおオオオああアアああアぁぁァァ――



 王城から天に向かって闇の柱が立ち昇り、すべての黒を晶析、析出させた。



[クク、クククク……ハハハ、ハハハハハハ! やったぞ! とうとうやった! この世にダークマターを引き込んでやったのだ! 見ているか天主よ! 聖霊がダークマターに汚され、苦しむ姿を! これで人や天使のみが遇される、不平等な世界は終わるのだ!]



 人が住まう世界、セテルニウス。


 その世界を守る天空と姿を転じた存在を通さずに、フィルターでろ過されずに直接現れた本来のダークマターにより、セテルニウスを満たす聖霊は濁っていく。



 城壁の上で哄笑を上げるジョーカーと、それを憎々し気に睨み付けるエルザ。


 運命の岐路は、まさに今ここで分かたれようとしていた。

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