第20-2話 天使の叙階
荒れた雰囲気は去り、代わって荒れた部屋が到来する。
そんな中、アルバトールは元気なく頭を垂れ、他二名の男性と共に腕組みをしたエレーヌから説教を受けていた。
(ああ、そう言えば二人ともこうも言ってたなぁ……視界の死角はもちろんの事、精神的な死角が戦闘や戦略、戦術において重要なんだって……)
エレーヌに眼を向ける余り、他の二名がリボンを捨てた時にどんな反応をするか、まるで考えに入れていなかったアルバトールの頭を、エレーヌの説教が揺さぶる。
「で、貴様等は騎士と言う身分も忘れ、飲んだくれていたと言う訳か。いや、飲むこと自体は構わん。私とて多少は嗜むゆえな」
その言葉に、アルバトールは任務で行った村でのエレーヌの醜態を思い出す。
「ん? ンンォッフォン!」
思い出すまでは良かっただろうが、少し声に出したのは失策であっただろう。
慌てて咳ばらいをするアルバトールに、エレーヌは妙に優しい声を掛ける。
「んん? 何か言いたいことでもあるのかなアルバトール」
「いえ何も」
「よろしい。だが騎士の本分を忘れ、酒に溺れ、尚且つ取り締まり対象の店の娘にはまるとは……いかに寛容をもって団員の処遇にあたる私をもっても庇いきれん事態だ」
「取り締まり対象?」
エレーヌが話した後半部分を切り捨て、アルバトールは思わずエレーヌに聞き返す。
昨日飲んでいた限りでは、おさわり禁止で明朗会計と別段変わった所は無かったが。
「役所に届出をしていない娘を雇っているらしい。そこで一昨日あたりから監視をしていたら、何人か見知った顔が入って行くのでな。ブライアンを紛れ込ませた」
「……すると、私がその店に入ったのもご存じで?」
エレーヌはニヤリと笑い、アルバトールの耳に顔を近づける。
「ん? 君もいたのか? 生憎私は気づいていなかったのだが、わざわざ自己申告をするとは殊勝な心がけだ……おやおや、えらく動揺しているなアルバトール」
「ちょ、ちょ~っとエステル夫人を送り届けた後にエンツォ殿に誘われまして! あれ? そう言えばエンツォ殿はどうされたのでしょう? 姿が見えませんが」
接近してきたエレーヌの顔にたじろぎ、後ろに下がりながら話すアルバトール。
逃げた彼を見るエレーヌの顔は何やら楽しそうで、口の端が吊り上がっていた。
「奴は処分済みだ」
「そうですかでは叙階の前にお見舞いに行ってきますのでこれで失礼します」
昨日の夜、エステルは黙認したように見えたのだが、エンツォはどこまで行き、どこまでやったのだか。
とにかく強引にでも詰所を出るべきと考え、アルバトールは一礼をしたのだが。
「まぁ待て、今行っても会えないかもしれんぞ。何しろ姉上と私で看病? をしたが、回復の見込みが無い程度まで痛めつけて……痛めつけられていたようだから、今頃は教会で治療をしているかもしれん」
「まさか治療を通り越して葬式まで行ってないでしょうね。どちらにしろ私は叙階で教会まで行きますからこれで失礼しま……す……おい、ブライアン手を離してくれ。アラン殿? ちょっとしがみつかないで下さいよ!」
「行かないで下さい隊長! もうこの雰囲気の中で仕事をするのは嫌です!」
「困っている人間に手を差し伸べるのが卿の生き様ではなかったのか!」
「アルバトール、教会に行くのではなかったのか? それとも辿りつきたいのか?」
(あー……あー…………ああああッ!)
アルバトールの頭の中は、三人が話す言葉でどんどん埋まっていく。
叫びたい気持ちを押さえつけ、彼がぼんやりと天井を見上げた時。
(あ……れは!)
視界の端に入った、廊下を通りかかる人影に、彼は慌てて声をかける。
「ベルナール団長少しご相談が! ……ってあれ? そのリボンは?」
アルバトールの視線の先、廊下を歩いていたフォルセール騎士団の団長ベルナールは、珍しく後ろ髪を赤いリボンで留めていた。
「可哀想な身の上の女性の相談を受けていた時に、これを貰えば女性の手助けになると聞いてな。ノブレス・オブリージュ。財産、権力、社会的地位を持つ者にはある一定の責任がついてまわるものだし、騎士団長として受け取ってきた」
「ですか」
少々口を開けた、間の抜けた顔でアルバトールが返事をすると、ベルナールは急に厳しい顔つきとなる。
「こんな所で油を売っていていいのか? 私も叙階に立ち会うからそろそろ教会に行くが、君は当事者だから私と違って色々と準備もあるだろう」
「色々とありまして……今から向かうところです」
「急いだほうがいいぞ。王女や教会のお歴々を待たせれば、不敬とのそしりは免れん。そしてそこの三人。何やら呆けた顔をしているが、仕事の引継ぎは終わったのか?」
「い、いえ……何と言うか」「取り締まり対象が……ええと、何だったか」
「すまないな団長、今からこいつらの体にしっかり叩き込んでおく」
「エレーヌ、言伝では齟齬が生じる。目に見える形で残り、変化せぬ文書に纏めねば、正確な内容が全員に行き渡らないと日頃から言っているはずだ。では後は頼んだぞ」
「……承知した」
そしてアルバトールは、ようやく教会に向かえることとなった。
(どうなる事かと思ったけど、この時間なら叙階にはゆっくり間に合いそうだな。しかし先ほどのベルナール団長……)
道中、アルバトールは先ほどの場面を思い出す。
(あれではさすがに、エレーヌ殿も二人に何もできないだろうな)
女性を指名する時に使うリボンは、店によって細かく決まっている。
またベルナールが酒を飲む時は、決まって上流階層向けの店である。
よってアルバトールたちが行った店で、リボンを貰うはずは無い。
違う店で貰ったリボンが、偶然同じ色だったこともないだろう。
つまり、あの場を収める為にわざわざ同じ色のリボンを付けた、と言う事になる。
(自分より地位が上の人に、社会的弱者救済のためと言われれば反論できないよね)
エレーヌの苦々しい顔を思い出し、アルバトールは思い出し笑いをした。
(でも取り締まる側の人間が、取り締まられる側の人間を救済した、と言うのは問題ないのかな? まぁまだ調査の段階だし、疑わしきは罰せず、に従えば正しいか)
考え事をしているアルバトールは気づいていない。
前方に露店の支柱があり、その支柱がぐらついている事に。
彼は果物の汁にまみれた姿で、遅刻ギリギリの時間に教会へ到着した。
それから三十分ほどが経過した時、彼の姿は教会内の礼拝堂の前にあった。
「天使アルバトール、中へ」
尼僧が開いた扉へ、アルバトールは歩んでいく。
その中は叙階の会場に相応しい、荘厳な雰囲気に包まれていた。
正面の巨大なステンドグラスの前には、白いドレスに身を包んだアデライード。
両手を前で組んでいる彼女の頭上には、色とりどりの宝石を随所に装飾した聖銀のティアラが燦然と輝いている。
眼前に据えられた祭壇を見れば、抜き身の剣、鎧、盾が置かれ、左側にはエルザとラファエラ、王都教会の司祭を勤めるダリウス。
反対側にはフォルセール領主のフィリップ、騎士団の団長ベルナール、そして神殿騎士団の団長フェリクスが立ち、アルバトールを見つめていた。
聖テイレシアにおける頂点とも言うべき人々の視線の中を、恐れげもなく進むアルバトールは、祭壇に置いてある武具を見て目を見開く。
(……! この装備は……そうか、ドワーフの夫妻が居なかった理由はこれか)
アルバトールが驚いたのも無理はない。
祭壇の上に彼が見慣れた鎧と盾は無く、代わりにミスリル製であることを示す、白銀の光を放つものが置かれていたのだから。
(ドワーフ夫妻に祝福を……そう言えば名前を聞いてなかった)
そんなアルバトールの考えを余所に、儀式は始まった。
(果物の汁を落とすことも兼ねた)簡易的な沐浴のあと、厚手の綿が入った肌着に着替えたアルバトールはゆっくりと通路を歩き、祭壇の前で膝を着くと祈りを捧げる。
その祈りにエルザ、ラファエラ、ダリウスが唱和し、たちまち礼拝堂の中は、木霊する祈りで満たされていく。
祝福の中、祭壇に近づいたアデライードが若干よろめきながら剣を手に持ち、祈りを込め始めた。
「聖なる道を切り開く剣よ。教会、また弱きものを守るべき手が届かぬ所にも、その威を示す道標と成らん事を。また魔物達の邪知暴虐に抗い、主に身を捧げるすべての者たちの保護者かつ守護者とならんことを」
アデライードは祈りを終えると剣を祭壇に戻し、続いてアルバトールに言葉を贈る。
「新しき神の子よ、神威を守るべし。教会、弱きもの、主を奉じ、つましく働く人々すべてを守護すべし」
その言葉が終わるとエルザが歩を進め、祭壇に供えられた抜き身の剣を取り、祈りを籠めながらアルバトールに手渡すと、彼は剣を左手に取り、右手の鞘に収める。
そして鞘に収まった剣をアデライードが受け取ると、彼女はそれを再びアルバトールの腰の帯に付けた。
(エルザ司祭が真面目に仕事をしている……これは雪が降るかもしれないな)
余計な事を考えつつ、彼は三度剣を抜き、三度とも抜いた剣を鞘に収める。
それを確認した後、アデライードは若干顔を赤らめ、緊張した面持ちでアルバトールへと近づいていく。
そしてアルバトールの顔へ唇を近づけ。
硬直した。
「王女殿下。儀式の接吻ですから緊張される事はありませんわ。ガバッと行っておしまいなさい、ガバッと」
(よし、いつものエルザ司祭だな)
エルザの言葉に後押しされたアデライードは、硬く眼をつぶって勢い良く額に接吻をした後、真っ赤な顔でアルバトールの首をそっと掌で触り、元の位置に戻っていく。
戻ったアデライードが鎧と盾を掌で指し示すと、ベルナールとフェリクスが歩み寄り、アルバトールに鎧を着け始める。
「主よ、今ここに新しき天使が生まれたことを感謝いたします。天使アルバトールよ、汝の進む道に幸多からんことを」
最後にエルザが主に感謝の言葉を捧げ、叙階の儀式は終了した。
叙階が終わって一時間ほど。
二人の姿は、教会の裏手にある畑を潤す、井戸の傍に在った。
儀式が終わった後、ここの水を使って剣を清めるのが慣わしと説明されたのだが、以前は王都で叙階を行っていたのだから、ここの水では儀式までに腐ってしまうだろう。
(つまり、何かしらの話をするために人払いをしたのかな?)
そんな推論を立てていたアルバトールに、エルザが周囲を見渡した後に口を開く。
「アルバトール卿、叙階の最中に何か良からぬ事を考えていませんでしたか?」
「いえ? ……何も」
唐突に発せられたエルザの質問に、アルバトールは動揺する。
(何で判るんだろう?)
「あらあら、何で判るんだろう、と今お考えになりましたね?」
「何で判るんですかっ!」
心が読まれ、動揺するアルバトールを見て、エルザは得意気な表情となる。
「天使の叙階を受けたことで、貴方は聖霊に正式な天使と認定されました。よって自動的に聖霊と接続されるようになったのですわ」
「つまり?」
「聖霊を通じて、貴方が考えていることが他の者にも伝わるようになります。内容はおぼろげな物ですけどね。もちろん自発的に接続を切ることも出来ますが、何か企んでいると判断されるかもしれませんので気をつけるように」
あっさりと告げられたにしては随分と重要な内容に、アルバトールは不平を漏らす。
「プライベートが無くなりますね」
「仕方がありませんわ。天魔大戦に限らず、戦乱中は各地で法術が使われますので、それに伴って聖霊力が偏在しやすくなります」
「はい」
「法術として使用され、拡散してしまった聖霊力を再びその身に集め、返還して聖霊の偏在が起きないようにするのも天使の仕事の一つなので、常時接続する事によって返還作業を絶え間なく行えるようにしているのですわ」
「天使にそのような役割が……」
全身の細胞が活性化しているような高揚感。
アルバトールは先ほどから感じていたものの正体を聞いて納得する。
「差し当たり、他者の考えがすべて流入して貴方が発狂してしまわないように、念話に制限をかける方法だけ教えておきます。方法は法術を使う時と似ていて、じっくりと聖霊との繋がりを搾っていく感じです……そうそう、そんなものでしょう」
人払いをしたのは、流れ込む思考を制限するためでもあったのだろうか。
アルバトールはそんなことを考えながら、エルザへと質問をした。
「ちなみに、エルザ司祭の考えていることも判るのですか?」
「当然判りますわ。ちなみに熟練すると、誰が、どの辺りに居て、何を考えているか、まで判ります。また、聖霊力が均一な時に限りますが、相手との力関係によっては逆探知も可能ですわ。……言いたい事は判りますわね?」
「とっても」
「よろしい。では天使になった貴方に、問うべきことがございます」
いきなり真面目な顔をするエルザに多少驚きながらも、アルバトールは頷いてエルザの質問の先を促す。
「貴方は神を信じますか?」
「……は?」
あまりと言えばあまりな発言に、アルバトールは顔をしかめて答える。
「それはまぁ、天使が実在して聖天術や法術が存在する以上、神も存在するでしょう」
「どのような存在として?」
「……なぜそのようなことを聖職者たる貴女が問うのですか。場合によっては異端認定されますよエルザ司祭」
「怖いのですか?」
エルザの顔は真剣そのものであった。
アルバトールがその顔を真正面から見る事が出来なくなるほどに。
「世界の成り立ちを知る。それが天使になった貴方の最初の仕事です」
エルザが発したその言葉、それがアルバトールが受けることになる数々の試練の最初のものであった。
今回、出てくるリボンのお話ですが、無理にお姉ちゃんのお店の制度を導入しようとした結果で、本当にこんなものが中世にあったわけではありません。多分。
ちなみに中世では1階が酒場で、酒場に勤めている従業員が2階でお客様と行為に及ぶ店はあったそうです。お姉ちゃんと飲むだけのお店がなかったのか、色々と調べたのですが途中で断念しました。