第235話 発露
それは去年の今頃のこと。
「森の修復?」
「うむ」
王都テイレシアに住む人々を魔族の悪しき手から守る組織、テイレシア自警団。
その本拠地である詰所の一室で。
「つい最近、フォルセール候の御子息とエルザ司祭が森で暴れ回ったじゃろう? その修復をこちらに頼みたいとの要請がジョーカーからあっての」
自警団を統率する団長フェルナンが、彼を補佐する副団長の八雲へ、ある指示を出していた。
「何故そのようなことを自警団がやる必要があるのだ? 森の環境破壊をしたのはフォルセールの二人と、王城にいるあやつらなのだろう?」
「そう言うな、八雲よ」
フェルナンはつるつるになって久しい頭に手をやり、多少は残っている産毛の感触を楽しむように撫でまわす。
「ほれ、最近は領境の森でやたら騒ぎが多いじゃろ? 奴らも手が足りんらしいのだ。それにジョーカーに、別に我々は森が修復されなくても構わぬが、生活する術に乏しい孤児たちは困窮するであろうな、と言われては修復せざるを得まい」
「ふむ……なるほど」
八雲はフェルナンの顔をじっと見つめ、過去の栄光を誇るかのような頭部の輝きに感嘆の呻きを漏らして頷いた。
「……どこを見とるんじゃ?」
「植林が必要なのではないかと思ってな」
「いくらハゲ山だからと言っても、山火事が起こらんとは限らんぞ八雲。さっさと森に行って修復してこい」
「分かったすぐに行ってこよう」
このような経緯を経て、修復された領境に広がる森の一部。
そこに起きた変化に気付いたのは今年になり、森に生えたキノコを採りに来たアスタロトとアナト、セファール。
[涼しい季節だと言うのにそんなに汗をかいて……どうしたのですか? 八雲様]
そして去年から――と言うか修復した直後から――気付いていた、その変化を引き起こした張本人である八雲であった。
それから少し時は過ぎ、シルヴェールによって聖戦の開始が決定された次の日。
表向きは交渉のためにアルストリアへ戻るジルベールと、その補佐につくフィリップの見送り兼、ヴェイラーグへの示威行為のための出陣が決定し(未だその真の目的を知るものは一部に限られている)フォルセールはその最終準備で慌てふためいていた。
だがその一角である馬屋の中で、今回の主役であるアルバトールは一人の女性に顔を近づけて内緒話をしている。
「陽動の件、承りました。ガビー、ベルトラムの二人と協力し、見事勤めを果たしてみせましょう」
「頼んだよバヤール」
勿論その女性は、筋骨たくましいバヤールであったが。
「主のために動くは配下にとっての喜び。いつでも何なりとお命じ下さい」
そう言って頭を下げる目の前の女性、バヤールに笑顔を向けた後、アルバトールはふと気が抜けたように寂し気な表情となる。
「ヴェイラーグとの交渉に臨むにあたり、奴らを威圧すると見せかけて王都へ攻め込む……自分で言いだしたことではあるけど、アルストリアからヴェイラーグへ連れ去られた人たちのことを思うと、やはり申し訳なくなるな。テスタ村の皆は無事だろうか」
「テスタ村にはスタニック、そしてアルノーとエミリアンがおります。村の者たちを助けることは出来ずとも、助けが来るまでの支えとなることは十分に出来るでしょう」
「そうだね、それに今回は、スタニスラス殿も一緒にいる……」
アルバトールは彼と年齢がそう変わらぬ、しかも平民の出でありながら、既に騎士団の小隊を率いていたアルストリアの小柄な騎士を思い出す。
「奴らの目的がカブなら、その世話や栽培方法について彼らに教えを乞うはずだし、それに今度の交渉次第では無事にアルストリアに戻る可能性だってある。父上とジルベール殿にテスタ村の皆のことは任せて、僕たちは僕たちの役目を果たそう」
そう言い切ると、アルバトールはバヤールに手を振って馬屋を出て行く。
作戦の発案者である彼は、シルヴェールと共にベイルギュンティ領へと赴き、そこに駐在しているアルストリアの兵を束ねて一気に王都へと攻め込む手筈となっていた。
この時までは。
「わざわざ館までおいでいただけるとは思っておりませんでしたぞ。エルザ司祭」
「ジュリエンヌ様に呼ばれたついでですわ陛下。ところでご相談とは? まさか幼少の頃に私へ結婚を申し出たことですか? 確かに戦いに臨むにあたり、意中の人に想いを告げるのは良くある展開ですが、あまりよろしくない結末になるかも知れませんわね」
その頃、シルヴェールはある相談をするために館へエルザを招いていた。
「かないませんな、司祭には。そちらはまだ何も知らなかった頃の子どものたわ言と聞き流して頂きたい。実はアルバトールの件についてです」
「この前お話ししただけでは足りないと?」
「実は昨日、王都へ攻め込むことが決定されました。つまり聖戦が発動されることとなります。その指揮を執るのは今回の天魔大戦における天使であり、王都奪還を提案したアルバトールの予定です」
「……なるほど」
エルザは執務室に置かれた、客人用のカウチに座ったまま短く相槌を打つ。
しかしシルヴェールにはその返答が、十の言葉よりも意味深く聞こえた。
「兵に暗示をかけ、人に人以上の力と高揚を与える聖戦……魔族が相手なら、確かにダークマターに蝕まれた今の天使アルバトールでも大丈夫でしょう」
「ですがエルザ司祭、今回攻め込む場所は王都。つまり魔族だけでは無く、人もそこにいるのです。しかも敵兵では無く、味方の兵でもない。善良なる一般市民たちが」
シルヴェールは以前エルザに聞いた話を思い出して顔を歪める。
テスタ村でサンダルフォンに流し込まれたダークマター。
すべて浄化されたとアルバトールが思っているそれは、一部が魂の隙間に入り込んだままで、その影響によって彼は不要なまでに好戦的な性格、つまり魔へと傾いたものとなっている。
しかしその事実を本人に話せば、それを契機に一気に魔に傾いて堕天する可能性があり、さりとて話さないままに聖戦を発動させれば暴走して一般市民を巻き込んだ戦闘が展開される可能性があり。
よってシルヴェールはアルバトールをどうやって先陣から外すか、昨日からそればかりを考えていた。
「それでは天使アルバトールを留守居役にお回しなさい。私であれば兵たちが狂戦士になる手前、理性を持ったまま聖戦を発動できますから、天使アルバトールをフォルセールの防衛に回しても問題ないですわ」
「しかし結界を張れるお一人、エルザ司祭をそう簡単にフォルセールから離すわけにもまいりません。竜の素材を使った封魔装備の作成をエルフに依頼しに行った時は、こちらに十分な数の兵を残すことも出来ましたが……」
シルヴェールは苦悩の表情で答える。
アルバトールが言った通り、今回の出兵準備に関して今まで他国や魔族の目立った動きは無かったし、出兵してもそれは交渉の一部、駆け引きのための見せかけのものと判断され、まさかヴェイラーグとの交渉中に王都へ攻め込むとは思っていないだろう。
だが、王都テイレシアは堅牢な城塞都市。
それに加えて、中には容易に人質と成り得る市民が居るのだ。
とっくの昔に王都奪還のための作戦は立案されており、それを遂行させるための訓練も今までに何度も行っている。
しかし出来得る限り迅速な進軍を行ったとしても、力ある存在に比べて察知されにくい人が行軍すると言っても、絶対に魔族に発見されないと言う保証は無いのだ。
「戦いに犠牲は付き物ですわ陛下。そして今の貴方様の悩みを解決できるのは、貴方様ご自身の決断のみでございます」
慈愛溢れる天使の笑み。
あるいは逆らいがたい悪魔の誘惑か。
「絶え間なく流れ出る血を止めるために、傷口を焼いて新たな痛みを加えるか、それとも包帯を巻いて、それでもじわじわと流れ出る血の止血を試みるか……」
「天に祈り、主の助けを乞うことも出来ますわ」
「それはすべての知と力を尽くし、尚及ばざる時のみ、ですな」
シルヴェールは笑顔を作り、ガラスのように透明で美しく、それでいて硬質な笑顔を浮かべているエルザへ出兵の要請をする。
「不完全なる停滞の解除……こちらを天使アルバトールに任せましょう。大丈夫ですわ。元メタトロンの器であり、更に彼の知識を受け継ぐ天使アルバトールなら、見事に神気の制御をこなし、不完全なる停滞の解除、隠し通路の解放を成し遂げるでしょう」
約一週間後、未だ冬の寒さがすべてを覆う前。
ヴェイラーグ帝国からの使者がフォルセールを訪れ、アルストリア城で講和について交渉をする提案を持ち掛ける。
「承知した。現在のミュール家の当主はこのジルベールだがまだ成人しておらず、また経験も浅いと言うことで、後見人としてフィリップ=トール=フォルセールを着けることをイヴァン皇帝に伝えてくれ」
三日後、フォルセールから三千の兵が出陣する。
王都奪還作戦、ウォール・トゥルゥー。
一部の者にしかその出兵目的を告げられていない作戦は、こうして始まった。
そしてフォルセールと王都テイレシアの領境に広がる森では。
[……なるほど、こりゃひでぇな。まるで王城みたいに捻じくれ曲がってんじゃねぇか]
[道理で僕たちがキノコ採りに行くって言った途端に、執拗に俺もついていくって言った訳だよ。まったく困ったちゃんだね八雲は]
[こちらの手が足りなかったから自警団に頼んだのだが、まさかこんな結果になるとは私も思っていなかった。まさに八雲様様だな]
[どうするのだジョーカー。王城もそうだが、こんな状態の物に下手に手を加えようとすると余計に時空が捻じ曲がってしまうぞ]
森の一部で発生した異常。
つまり八雲が行った修復と、王城からの隠し通路を構成する聖霊が干渉しあった結果である時空の捻じれの前に、二人の旧神と二人の堕天使が立っていた。




