第233話 不可解
フォルセール城を構成する、幾重にも連なる城壁の上。
そこで二人の男性が、住民退避用の広大な空き地を見下ろし、ほぼ完了した出陣の準備を見守りながら話をしている。
「しかし陛下、どうしてまた急に方針を変更されたのですか。僕がアギルス領より戻ってきた時は、出兵はしないと仰られていたような」
「実は王都に潜入しているブライアンからまた連絡があってな。何やら王都で不穏な動きがあったので、それに乗じてかなりの情報を送ってくれたようだ」
「不穏な動き?」
常人から見れば、すべてが不穏な動きと感じられるであろう、青色の髪を持つ旧神のにやけた顔を思い出したアルバトールは、ほんのちょっぴり不愉快となる。
「うむ。ブライアンによれば、アルバがこの前話してくれた得体のしれぬ自警団の副団長が関わっているそうだぞ。書面によるとだな……」
この時、ジルダの帰還をまだ知らないフォルセールでは、パーヴェルが帰国したという情報を受け、アルストリア奪還に向けての出陣の準備が着々と進められていた。
「……と、言う訳だ」
「八雲殿がアルストリアの傭兵として働いていた時期があったとは……」
「どうやらアギルス領に行ったアルバたちが後ろから討たれなかったのも、その八雲殿とやらが動いた結果らしい」
「そうでしたか。妙に魔族たちが大人しいと思っていたら、裏でそんなことが」
「うむ。つまり今の魔族は、大規模な出兵ができない状況ということだ」
実は、魔族が動かなかったのはそれだけでは無い。
このような時に動くはずのアナトが、少し前からセファールと共に礼儀作法だ何だと色々やらされており、それに辟易したアナトが拗ねてしまって、ジョーカーやモートが幾ら脅そうがなだめすかそうが出陣しようとしなかったのである。
仕方なくバアル=ゼブルに頼もうとするも、彼はガスパールの御霊に対する弔いだと言う八雲に将棋に付き合わされており、それを止めようとすると八雲がたちまち不機嫌となるため、ついに兵を出せなかったのだった。
「それに加えてフェストリアの目を誤魔化すために、ジルダがヴェイラーグに里帰りしたのは婿探しが目的だと対外的に発表し、実際に向こうで要職に就いている人物の息子と会っていたことも幸いした。離間の工作にかける期間が大幅に短縮できたからな」
「不幸中の、ですね。それにしてもジルダ殿とスタニスラス殿は大丈夫なのでしょうか。二人を脱出させる手はずを整えてモスクラースに行ってみれば、まさかその先手を取って逃げ出しているとは」
「スタニスラスを信じるしかあるまい。アルバも会ったことがあるなら判るだろうが、彼は年齢に見合わぬ実力を持った優秀な男だ」
「そうですね……所在が知れぬ以上、今の我々には無事を祈ることしか出来ません」
寂しそうに言うアルバトールに無言で頷くと、シルヴェールは再び下の空き地へと視線を向け、荷馬車の端で巨大な漆黒の剣を背負った偉丈夫を見つめる。
「エンツォも出陣か」
「ええ、あの方は天使ではありませんから」
「だがヘプルクロシアでカラドボルグを手に入れてから、その持てる力は既に天使や旧神クラスだ。人の戦いに参加しても良いのか?」
「エルザ司祭には、カラドボルグを置いていくように言われたそうです」
「主人と認めた者に、カラドボルグを振るってきたフィル・ボルグ族の代々の達人の技、知識、力を受け継がせるか……確かに同じ人間に振るうべきモノでは無いな」
シルヴェールは腰に結い付けたジョワユーズに目をやり、そして踵を返して城壁を降りる階段へと足を向ける。
「少しエンツォと話を……なんだ?」
その時、階段の下から駆けあがってくる人物、ベルナールの顔を見てシルヴェールは顔に緊張を走らせた。
そして彼の嫌な予感は、きっちり三秒後に現実のものとなる。
「それは本当か! ベルナール!」
ベルナールの白い頭が無言で垂れ下がると同時に、シルヴェールの口が堅く引き結ばれる。
テスタ村の住民、そしてスタニスラスがヴェイラーグ帝国へと連れ去られる。
再び急展開を告げた状況に、シルヴェールは拳を固く握りしめた。
「……ジルダだな?」
「お久しぶりでございます……陛下」
シルヴェールが目の前の女人に対し、名前を確認したのは問い詰める為ではない。
まるで別人かと思うほどに、いや性別を違えたのかと思うほどに、ジルダの様子は一変していたのだ。
顔はやつれ、そんな中でも目だけはギラギラと光り、そして豊かだった金色の髪はバッサリと切り落とされ、男性のように短く刈り上げている。
更に全身鎧を着たその姿は、ここが戦場に変わってしまったのかと思わせるほどに殺気立ったものだった。
「父の仇、そして我が領民を助け出すため、出兵をお願いしに参りました」
「そうか」
シルヴェールは一言、それだけを返して黙り込む。
沈む部屋の雰囲気、床に積もり上がっていく息苦しさ。
傍らで二人を見守るアルバトール、ベルナール、フィリップは、その二人の間に軽々しく入り込めぬ無言の駆け引きを感じ、下手に口出しをしないことを決める。
「姉上。突如現れた身の上でありながら、陛下に謁見を許して頂けただけでもありがたいものを、いきなり出兵を懇願するはさすがに無礼。例え実の姉と言えども、見過ごせるものではありませんが」
よってその重苦しい雰囲気を払ったのは、ジルダの弟であり、ミュール家の現当主であるジルベール。
「ジルダ殿、まず先に話しておくべきことがあるのではないか? いきなり来て、現当主のジルベール殿の頭越しに陛下に出兵を頼んだのでは筋が通らぬ。まずは出兵の要請に至った過程をジルベール殿に説明するべきだろう」
そしてクレメンスであった。
「それは……」
その理に逆らう言葉を持ち合わせていなかったのか、すぐにジルダは口を開いた。
「父の仇……そして此度のいくさで犠牲となった領民を弔うため……に」
「ジルダ」
「はい、陛下」
「お前の決意はその髪を見れば判る。だがその決断をする元となった者の名が、お前の説明に無い」
「……私情は挟みたくありません」
シルヴェールは溜息をつく。
「十年ほど前だったか、着飾ったお前をガスパールが紹介した時のことを、私は今でも覚えているぞ。その時のお前の仏頂面もな」
「あの時は何も知らぬ小娘でございました故に」
「今も何も知らぬ小娘であろう」
断言するシルヴェールを見てジルダは目を見開き、息を呑んだ。
「お前が何を目的として出兵要請したかを言わぬうちは、お前をアルストリアに向かわせるわけにはいかん。何を原因として、どのような衝動がお前を突き動かしたかを知らねば、戦場でお前が一人で先走って死ぬかも知れぬゆえにな」
「……」
ジルダは床に視線を落とし、その張り詰めた顔の内に満ちていた物を、その目より一筋の涙としてこぼした。
「私を逃がすために……盾となってくれたスタニスラスと……テスタ村の皆を……助けとうございます陛下……どうか兵を……お貸しくださいませ……」
そしてジルダは、ぽつり、ぽつりと彼女一人で逃げることとなった経緯を話し始めたのだった。
「……奇遇、という言葉では済ませられないほど恐ろしい巡り合わせだな。我々が皇帝と皇太子を弑逆しようとしている名家として噂を流したペトロヴィッチ家の者が、まさか新テスタ村を襲った軍を率いる将だったとは」
「まったくですな。しかしテスタ村の者たちを連れ去るとは……トウモロコシは大丈夫なのでしょうか陛下。あの作物がヴェイラーグ帝国で栽培されてしまえば、かの国の食糧難は一気に解決してしまうのでは」
ベルナールの放った一言により、たちまち執務室の中に緊張が走る。
「それに関しては問題ないと思われます、ベルナール殿」
しかしその緊張の糸は、すぐにアルバトールによって断ち切られる。
「なぜかね。あのトウモロコシとやらは今までの作物の欠点を埋めるような、素晴らしいものだ。あの作物があれば、ヴェイラーグ帝国の労働力をもってすれば、たちまちにして豊かな穀倉地帯を作り上げるだろう」
「あの植物は元々温暖な気候の土地で育ってきた作物だと、以前ノエルが来た時に説明しておりました。よってヴェイラーグ帝国のような寒冷な地域では育たないでしょう」
「なるほどな」
部屋にいる全員がほっとする中。
「陛下、少し申し上げたいことがございます」
「なんだジルベール。お前もテスタ村に知り合いがいたのか?」
一人だけ表情を硬いものとしていた人物が、シルヴェールに発言を求める。
「実は、テスタ村には……」
だがジルベールの発言は、そこでいったん中断されることとなった。
何故なら。
「大変でございます陛下! なんとアルストリア城を不当に占拠していたヴェイラーグ帝国の者どもが、全員忽然と姿を消したと連絡が入りましたぞ!」
部屋に入ってくるなり、全員の度胆を抜く声量で、全員が即座に理解できぬ内容の情報を口にしたエンツォの顔を見て。
しばらくの沈黙の後、執務室は全員が上げたそれぞれの驚愕の叫びに支配された。




