第232話 方針
宴の次の日、フォルセール城の広間には男性四人、女性一人と言ういつもの割合を崩す一人、ジルベールを加えてヴェイラーグへの対応を話し合う為の場がもたれていた。
「さて、アルストリア奪還だが……ベルナール、今フォルセールで遠征に出せる兵はどのくらいになる?」
「およそ三千、と言いたい所ですが」
そこまで行ったところで、ベルナールはちらりとジルベールの様子を伺う。
「アギルス領の救援に向かわせたことで、兵糧が足りなくなったのですね」
「うむ。だがそれは、フォルセールの内だけに目を向けた場合だ。ジルベール殿」
「外に目を向ければ、見えてくるのはベイルギュンティですか」
引け目を見せず、堂々とした態度で答えるジルベールを見て、ベルナールは満足そうに頷くと長机の上に開かれた地図、執務室の机にはとうてい収まり切れぬほど大きいものの数か所を指し示す。
その地図には聖テイレシア全土、そしてヴェイラーグ帝国との間にぽつぽつと広がる国とは呼べぬ小さい集落の集まり、つまりは緩衝地帯が描かれていた。
「今フォルセールが出せる兵は約二千。しかしベイルギュンティ領まで行けば収穫したばかりの麦などが大量に蓄えられており、またアルストリアから派遣した兵も五千人ほどがいるということだったな、ジルベール殿」
「はい。それに加えて、我がアルストリア領の各地にはまだ兵が残っております。それらと力を合わせれば、ヴェイラーグの奴らを追い出すことなど容易いことです陛下」
「いや、これからもっと容易くしていくのだジルベール。こちらの犠牲を最小限に、奴らの消耗を最大限のものにするためにな」
シルヴェールは外を見ると、厳寒の冬へ向かって時を進めるフォルセールの街並みを見つめる。
「これからは冬。よって軍を以って攻めるには少々向かぬ時期だ。だがそれゆえに敵も油断していることだろう。そこに我々が出陣の準備を進めていると知れば、敵は慌てて迎撃の準備を進め、我々の軍の到着に備えるだろうな」
「冬も近いことですし、敵の目がこちらに向いている間に工作員を送って、敵の食料を焼かせますか陛下」
アルバトールが口にした提案を聞いたシルヴェールは、あごに手を当てる。
「それも有効だな。奴らが現地調達を旨とするのは国土が痩せており、長期遠征を可能とするほどの食料を確保できないからだ。せいぜいが寒冷地でも出来るカブ程度だろうが、とても人間の食べ物では無い。よって売買も出来ぬ……どうしたジルベール」
「いえ、何でもありません陛下」
少し考え込む様子を見せたジルベールを見て、シルヴェールは何か言いたいことでもあるのかと問いかけてみるが、あっさりと拒否されてしまったことで、昨日の宴で少々食事を待たせすぎたのかと妙な反省をしてしまう。
しかし今の彼に落ち込んでいる時間は無く、よってシルヴェールはすぐさま立ち直って話を進めた。
「だが、おそらく食料を焼くのは無理だ。ヴェイラーグがアルストリアを攻め落とした戦術を見れば判るように、奴らは食料と輸送の重要性を知っている。よって私は、それ以外の方法で工作を進めようと思っている」
「それ以外?」
不思議そうな顔をするアルバトールに対し、なぜかシルヴェールは苦笑いを浮かべてクレメンスの方を向いた。
「継承権の問題は、どこにでもある話さアルバトール」
成り行きとは言え、かつてヘプルクロシア王国で兄と王位を争ったクレメンス。
「昨夜ジルベール殿に聞いた話によると、ガスパール伯の長女ジルダ殿が、婚姻相手を探すとの名目でヴェイラーグ帝国に行っていたらしくてね……」
彼女はそう前置きをすると、ヴェイラーグ帝国の皇位継承者たちについて説明を始めたのだった。
「なるほどね、今アルストリアに来ているのは現皇帝イヴァン二世の長男パーヴェルで、この遠征で手柄を立てて皇太子の座を不動のものとしたいってことか」
「どこぞで聞いたような話だな、まったく」
苦笑いを浮かべたままに感想を述べるシルヴェールに、周囲の人々はどう反応して良いか分からぬような困った表情を浮かべる。
「いえ、ヴェイラーグ帝国の場合は我々テイレシアより余程深刻、かつ複雑な様相を見せております陛下。特に各地を支配する有力氏族からの不満を逸らすために、彼らの子弟にも皇位継承権を与えているのは一考の価値がございます」
そんな中、ベルナール一人だけは時を無駄にしてはならぬとばかりに口を開き。
「さもありなん。その成り立ち、国民の出自。国として纏まっているのが不思議なほどだ。各氏族から差し出される女子との婚姻によって何とか凌いでいるが、今回のアルストリア侵攻によって、奴らは自ら血縁など関係ないと証明してしまった」
シルヴェールは率直なベルナールの指摘に答えると、地図上のヴェイラーグ帝国を指で指し示した。
「広大な国土の大半を森林が占める奴らの領土は、未だにその全容が掴めていない。旅商人が使う街道は一部に制限され、勝手に経路を変えた者には死罪。首都へと至る経路は未だに秘密のベールに包まれており、まさに天然の要害だ。忌々しい……おっと」
そこでシルヴェールは頭を掻き、今回の話には関係なかったなと謝罪をしてから、地図上の一点を指し示す。
「ガスパールの仇を討ちたいジルベールには不満かも知れぬが、一戦交える前に邪魔なパーヴェル皇太子殿には御退場いただこう」
そう言うシルヴェールに、ジルベールは涼し気な笑顔を浮かべて答えた。
「いえ、父の仇はいつでも討てます」
「ほう?」
「と言えるような人物になるのだと、ジュリエンヌ様と約束しましたので」
「……なるほどな」
そしてシルヴェールは不敵に笑うと、手の平を地図に叩きつけた。
「ジルダが接触した有力氏族の子弟のうち、皇帝が住んでいる首都からなるべく離れており、それでいながら名家である中の一つ。悪いが利用させてもらおう」
そして一か月後、ヴェイラーグ帝国の首都モスクラースである噂が流れ始める。
曰く、復讐心に駆られたジルダ姫と、皇帝の継承権を持つある氏族が結託し、皇帝と皇太子の弑逆を謀っている。
また別の者は、いや、ジルダ姫を利用しているのは皇太子の方で、彼は他の目障りな継承権を持つ者たちを一気に粛清、処刑しようとしているのだと噂をした。
「何? 本国でそのような噂が? 父上もそのような戯言に耳を貸すとは、年をとって弱気になっているのではなかろうな。……仕方あるまい、お前たちは俺が戻ってくるまでこのアルストリア城を死守せよ。良いか、何があっても討って出るなよ」
そしてヴェイラーグ帝国の皇位継承権第一位、パーヴェルは帰還を決意する。
一方、その噂のもう片方の重要人物ジルダと言えば。
「スタニスラス、別に貴方が女装しなくても良いと思うのだけれど」
「この方が相手が油断してくれますから」
噂が流れる前、アルストリア城が陥落する前に首都モスクラースを脱出していた彼女たちは、とうとう路銀が尽き、仕方なく付近に巣食うと言われる盗賊を襲って路銀を調達しようとしていた。
そして五時間後、ジルダたちの姿は盗賊の根城からほど近いところにある集落にあり、そこの全員から頭を下げて見送られながら集落を離れていく。
「ついでに近くの村から攫われた女子供を助けることが出来たのは幸運でしたね」
「でもスタニスラス、集落にまで行ったのは不用心じゃなかった? あの村の者たちから、いつ私たちの足取りが知れてしまうか」
「盗賊たちを襲った時点で手遅れですよ、ジルダ様。首都モスクラースからアルストリアへと向かう道の途上に盗賊たちの根城があった以上、我々の仕業と知れるのは時間の問題です。今の季節が秋でなければ、真反対方向に向かっても良かったのですが……」
スタニスラスは道なき道である森の中を、まるで我が家の庭のように進んでいく。
森の中には恐ろしい狼や熊、更にはそれ以上に恐ろしい相手である魔物も生息しているのだが、彼の足取りにはまったく迷う様子は無い。
だが、考えてみればそれも当然かもしれなかった。
こうしている間にも、それらよりもっと恐ろしい相手、つまりヴェイラーグ帝国の兵が自分たちを追ってこちらに向かっているかも知れないのだから。
(一騎当千……か)
それでも不思議なことに、今のジルダは幸せだった。
二人きりで過ごせる時間など、ヴェイラーグ帝国に来てから今の今まで皆無であったのだから。
城内の不穏な空気を感じ取ったスタニスラスが、衛兵に変装してアルストリア侵攻の情報を聞きだし、二人でモスクラースから脱出して十日ほど。
アルストリア城に帰るには少々遠回りだったが、まずジルダの身の安全を確保するために国境の戦場を避け、安全であるバヤール馬の神域を通るルートをスタニスラスが提唱し、ジルダはそれに従っていた。
父ガスパールのことが心配ではあったが、アルストリアはそうそう簡単に攻め落とされはしない。
この時、ジルダたちはそう思っていた。
「テスタ村の皆に会うのも久しぶりね。ジョルジュやスタニックは元気かしら」
「間違いなく元気でしょう」
何も知らず、ジルダとスタニスラスは新しいテスタ村へと近づいていく。
いや、この時テスタ村の住民たちも、何も知らずにいつもの日常を送っていた。
ジルダたちを追っているヴェイラーグ帝国の存在を知らずに。
アルストリアの中でも未だ一部の人しか知ることの無い、このテスタ村に他国の兵が迫っていることを知らずに。
そしてしばらく時は経ち、アルストリアとベイルギュンティの領境で、兄ジルベールの帰りを待つエクトルの下に一人の兵士が駆け寄ってくる。
「……姉上が!? 無事で良かった! ……一人で?」
そして彼は姉の無事と、スタニスラス、そしてテスタ村の人々がヴェイラーグ帝国へと連れ去られたことを知ってしまう。




