第19-2話 壁を隔てた向こうでは
一方その頃、庭と壁を隔てた建物の中では、エステルとアルバトール、そしてアデライードが輪になって談笑していた。
もっともそれに至るまでは、少々の経緯があったのだが。
余った食事がもったいない、と言うだけで宴に出席させられたエステルは、礼儀と場の雰囲気を知る女性であった。
よってアデライードの護衛についてきた騎士たちから口説かれてもハッキリと断れずに、曖昧な返答だけに徹していたのである。
そこにアルバトールが話があると言って、エステルを救い出したのだ。
エレーヌがこの場にいればそれもせずに済んだのだろうが、生憎と彼女は今宵の市中警備、見回りをする泊まり込みの勤務であった。
もし彼女がこの場にいれば、姉共々口説かれたであろうことは間違いない。
そしてエステルと違い、己が感情に素直なエレーヌがどんな行動に出るか。
エレーヌにとっても、護衛の騎士たちにとっても、それは幸運以外の何物でも無かっただろう。
「では、その時もエンツォ殿に押し切られたのですか?」
「ええ、まぁ……押し切られたと言うよりは~、押し倒されまして~……」
「えーと、割とあっけらかんと言ってますけど、姫も隣にいますので表現をソフトにして頂けると幸いです」
そのアルバトールの発言に、不思議そうな顔をするアデライード。
「何か今の話の中でソフトにするものがあったのですか? アルバトール様」
「いえ、今も昔もエンツォ殿とエステル夫人は情熱的であった、と言う事ですね」
自分の目をじっと見つめ、今の会話に何か不審な点があったのか聞いてくるアデライードに対し、会話の要点を掏りかえて誤魔化すアルバトール。
そんな彼に助け舟を出すが如く、エステルも含み笑いをして話題を切り替える。
「結局~私たちも役目を終えたと感じておりましたので~、渡りに船とばかりにエルザ様の勧告に従って~魔術を受け入れたのです~。あの時は恐ろしいほど滑らかに気を失ったので~、恐怖心を感じる間もありませんでした~」
「役目?」
エステルが発した言葉に、敏感に反応するアルバトール。
「そう言えば、お二人とも山賊の首領だったとか?」
「ええ~、料理長のアドリアンさんに頼まれたんです~。この近くに巣くう山賊たちをとりまとめて~、城の人たちとの間に余計な軋轢が~生まれないようにして欲しい~、無駄な死人を出さないようにしてほしい~、と」
「え? それは本当ですか?」
「ええ~、まぁ結局は~、ベルナール団長さんが討伐する~、と言った形で終わってしまいましたけど~」
クスクスと笑うエステル。
「もう少し詳しく教えていただいても?」
「ええと~、元々アドリアンさんが山賊さんたちの仲間に先に入っていて~、料理で山賊さんたちの~、胃袋を支配していたんです~。そこへ私たちが現れて~」
「ふむふむ」
「おそらくアドリアンさんは~、私たちに山賊さんたちを統一させて~、横の連携をとらせようとしたのかと~。私たちも旅の途中で路銀が尽き~、途方に暮れていましたので~、二つ返事で~仲間に入れてもらいました~」
「ああ、確かに美味い食事と美人には勝てませんね」
「ウフフ~美人なんて照れます~。あの人に~、少し感化されてしまったんじゃありませんかアルバトール様~?」
「い、いや、決してそんな事は……」
エステルに見つめられ、顔が赤くなったアルバトールに微笑み、エステルは話を続ける。
「先ほどの続きですが~、残った山賊さんたちをとりまとめた所へ~、タイミング良く領主様からお達しが来ましたので~、皆を説得するのにそう時間は~かかりませんでした~」
「なるほど」
「でも~、イヤならお前たちを見殺しにして~、我らは別の土地に行くのみ~、ってエレーヌは脅迫してましたけどね~」
「怖いなぁ……もう赤鬼って改名した方がいいんじゃないだろうか。あ、実の妹さんに向かって失礼なことを言って申し訳ありません」
「いえいえ~、実際あの子は~怖いですから~」
のんびりとした口調で場を取り成すと、エステルは軽やかに笑って手を振り。
アルバトールは釣られて左右に揺れるエステルの胸元を見て、健康的な青年らしく視線を左右に動かしてしまう。
いつもの彼女の服と違い、胸元の開いたドレスを着たエステルの姿は実に扇情的で、エンツォと結婚しているとは判っていても思わずハッとさせられてしまう。
そんなアルバトールを見て頬を膨らませ、自分の胸元を見てしょんぼりとするアデライードの背後にこっそり近づく人影が一つ。
言わずと知れたジュリエンヌである。
「ねーねー、自分のおっぱい見てたのしい?」
「きゃっ!? い、いえ、あの、ちょっとドレスが着崩れた気がしましたので……ちょ、ちょっと直してきます!」
「あ、アリアちゃんお手伝いしてあげてー」
「かしこまりました、ジュリエンヌ様」
顔を赤らめて奥へ消えるアデライードを追いかけ、アリアも広間から姿を消す。
人数が減れば当然それに伴って周囲も静かになる……はずなのだが、なぜかジュリエンヌが三人分ほど騒ぎ始めたため、彼らは逆に衆目を集めてしまう。
そして不味いことに。
「赤鬼にしたいの?」
「え」
「さっきエレーヌちゃんのこと赤鬼って言ってたから」
ジュリエンヌは先ほどのアルバトールの呟きを聞いていた。
「ああ~、エンツォ殿の戦いにおける働きぶりを、東方の伝説にある鬼に例えただけではありませんでしたかね母上~?」
「エレーヌちゃんの話してたのに?」
(ぐっ……! 何と言う地獄耳……これは誤魔化しきれないかッ!)
特に鋭くもないジュリエンヌの問いに、あっさり追い詰められるアルバトール。
しかし議題が議題だけにここは強引にでも押し切らなければ、彼の明日からの生活は針のむしろの上で過ごすような物になる事は間違いない。
それも出来るだけ早く。
(……そうか)
程なく、彼は一つの解決法を思いついていた。
「母上、やっぱりエンツォ殿とエレーヌ殿を聞き間違えただけですよ」
「そんなことないよ、だってエレーヌってエステルちゃんが言ってたし」
「そんな事はありません。だって母上、デザートのエクレアを先ほど所望しておりましたよね」
「う? うん」
「エクレアって十回言ってみて下さい」
「エクレアエクレアエク……」
そしてきっちり十回言ったジュリエンヌの涎を見て、アルバトールは頷く。
「ベルトラム、母上にエクレアを持ってきてくれないか」
「承知しましたアルバ様」
同時にアルバトールは軽やかに指を鳴らし、ベルトラムを呼んだ。
すぐにベルトラムは厨房へ追加のエクレアを取りに向かい、その間にアルバトールは重ねてジュリエンヌを説得する。
「母上、この前の任務でのエンツォ殿の働きはまさに人間離れしたもの。その後の酒宴でワインを浴びるように飲む姿は、赤鬼と言うに相応しいものでした」
「あ、そうだったんだ。凄いねエクレア君!」
エクレアの事で頭が一杯になったジュリエンヌの元へ、タイミングよくベルトラムが追加のエクレアを持ってくる。
かくして、赤鬼問題には終止符が打たれたのだった。
エクレアを頬張るジュリエンヌを見て、クスクスと笑うエステルと冷や汗をかくアルバトール。
御満悦な表情のジュリエンヌの頬をナプキンで拭くベルトラム。
酒宴はまだまだ終わりそうにはなかった。
数時間後。
「今宵は身分に過ぎる宴に参加させていただき、ありがとうございました。では失礼いたします」
間延びした口調を改め、エステルが宴を辞そうとしていた。
「エステルちゃんおやすみー」
「こちらこそ旅先での話を聞かせていただき感謝します。王宮の吟遊詩人の語りより、余程楽しかったです。あの、機会があれば、またお話をしてもらってもよろしいでしょうか?」
「喜んで」
アデライードの願いを快諾したエステルが、いつもの服でお辞儀をする。
賑やかな宴も終わり、参加者が各々の宿舎や宿、あるいは他の場所に向かう中、エステルは女性と言う事もあり、アルバトールが家まで送ることになっていた。
「では行って参ります母上」
「アル君、途中でエステルちゃん押し倒しちゃダメだよ」
「しません。と言うかどこから聞いてたんですか母上」
「わざわざ~、申し訳有りませんアルバトール様~。夜間も飛行術が使えれば~問題ないのですが~」
「それは禁止されているのでダメです。エンツォ殿に叱られますよエステル夫人」
「ウフフ~、それでは家までお願いします~」
本来であれば街中での精霊魔術の使用自体、非常時以外は禁じられている。
つまり夫婦喧嘩でエステルが精霊魔術を使用するのも厳禁なのだが、以前ストレスが溜まったエステル夫人が暴発した事があり、それから黙認されていた。
それに比べれば飛行術の黙認は可愛いものであっただろうが、それでも決まりは決まりであった。
「ではジュリエンヌ様~、アデライード様~、今宵はこれにて失礼します~」
見送る人々にエステルはもう一度礼をして、そして二人は歩き出す。
夜の闇は濃いものであったが、城壁の第一壁を抜けるまでのメインストリートには街灯がついており、足元に困る事はない。
城門を守る衛兵に手続きを取り、城門の脇にある通用口より外に出ると、そこにはエンツォがエステルを迎えに来ていた。
「お久しぶりですな若様。わざわざエステルを送って頂けるとはかたじけない」
「お久しぶりですエンツォ殿。この前は大怪我をさせてしまい、本当に申し訳有りませんでした」
エンツォは頭を上げ、答えるアルバトールの顔を見て、満足そうに頷いてから気にしていない旨を伝えると、アルバトールの隣に並んで歩き始める。
「しかし、ここ一週間ほどで情勢が一気に変わってしまいましたな」
「ええ。僕も自分が天使になるなんて思ってもみませんでした」
「ふむ、天使になって何か変わった事がございましたか」
「食事を一々聖別しなくてはいけなくなりました。今のところ変わったと思えるのは……それくらいですかね」
「なるほど」
笑いながら答えるアルバトールの横顔を、意味深に見つめるエンツォ。
「ん? えっと、何か僕の顔についてますか? エンツォ殿」
「ついておりますな。誇りの類が」
エンツォの返答を聞き、アルバトールは呆れたように溜息をついた。
「やれやれ、ついに男性まで口説かれるようになりましたか?」
「ハッハハ! 天使になって皮肉の度合いまで成長されましたかの!」
その後は他愛もない世間話を続けたアルバトールは、やがて夫妻の家につく。
そこで彼は帰ろうとしたのだが。
「若様、ちと話がございます。エステル、すまぬが先に家に入っていてくれ。ワシは若様と少し出かけねばならんのでな。遅くなった時は先に休んでいて良いぞ」
「あら~。アルバトール様は明日叙階ですし~、貴方も明日の仕事がありますから~、……あまり遅くならない方がよろしいですよ」
何かを察したエステルが家の中に入ると、エンツォはこちらへ、とアルバトールを手招きし、繁華街へ通じる第二壁へ歩き出す。
「エンツォ殿、どちらへ?」
「うんむ決まっております。天使になった若様が食事以外に変わった点がないか確かめに参ろうかと」
「そうですか夜も遅いですし僕はこれで」
「ハッハハ! むしろ夜はこれからですぞ若様!」
こうしてアルバトールはエンツォに引きずられ、夜の繁華街に吸い込まれていったのだった。