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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
王都争奪編

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第218話 狩猟の刻

 迫りくる重低音、床を揺らす地響き。


 しかし意外にも大広間の扉は、礼儀正しく静かに鼻で押し開かれた。


「カリストーちゃんやないか! ワシと久しぶりにどや?」


 そこに居たのは、神殿サイズに身体を縮めたカリストー。


「ヘーラーが見ているぞ父上。カリストー、アルテミスはどうした」


 途端にご機嫌になったゼウスにヘルメースは釘を刺すと、到着が遅れている一人の女神の名をカリストーに問うた。


「背中に」


 その問いを聞いたカリストーは、ゼウスから逃げようと一歩退いた体を踏み留め、自らの背中を爪で指し示す。


 と、そこには彼女より一回りも二回りも小さな、小刻みに震える毛玉のようなものが乗っていた。


 その毛玉と顔見知りなのか、アポローンはポヤポヤの毛玉に近づくと、呆れた声で話しかける。


「アルテミス、高いところが怖いならその登場の仕方はやめてはどうだろう?」


 すると毛玉はもぞもぞと動いて人の子供程度の大きさになり、そして床に這いつくばったカリストーの背中から懸命に降りようとの試みを始めていた。



「……手伝いましょうか?」


 なかなか降りてこない毛玉。


 心配になったアルバトールは、カリストーの傍に行って毛玉を受け止めようとする。


「余計な心配をするなぁ! いいか受け止めるなよ? 絶対に受け止めるなよ!!」


 だがそれは、毛玉のプライドを著しく傷つける行為のようだった。



「あれがアルテミスか? ヘルメース」


「そうだ。狩りの時には熊の毛皮を被るのが彼女の日常らしい」


「狩りねぇ……話の流れで行くと、狩られる獲物は僕なのかな」


 アルバトールはヘルメースにボヤくと、なかなか降りてこない毛玉がどうなったのか気になってカリストーの方へ視線を戻す。



 いいタイミングだった。


 何故なら彼が見た時、ちょうど毛玉はポトリと床に落ちたところだったのだ。



「アルテミスって飛べないの?」


「彼女は野山を走り回る狩猟の女神だから飛べないな。決して高いところが怖いからではないと、本人が言っていたから間違いない」


「なるほど本人が言ってたのなら間違いないな。それじゃあ後は頼んだよヘルメース。僕はゼウスとさっきの話の続きをしてくるから」


 頭を押さえ、床をのたうち回るアルテミスを見てアルバトールは後ろを向く。


 話の流れで行けば彼はアルテミスの獲物だったが、場の流れで行けば彼女は放置していても問題ない存在とアルバトールは判断したからだが。



 それは早計のようだった。



「待てえ! 貴様が姉上をかどわかしている天使アルバトールか!」


 さすがは女神と言ったところか。


 頭を強打したはずのアルテミスは、それほど時間をおかずに復活してアルバトールを指差して呼び止める。


「違います」


 しかしアルバトールは即座にアルテミスの問いを否定すると、彼女を顧みることなくゼウスの元へ歩いていき、後には呆気にとられたアルテミスだけが取り残される。


「……え?」


 完全放置。


 アルバトールのあまりにひどい仕打ちに対応できなかったアルテミスは、うろたえながら隣のアポローンの顔を見上げた。


「奴はアルバトールじゃないの?」


「彼はアルバトールじゃないよ」


「本当に?」


「勿論だよ。私が世の中のあまねく万象に対し、節度を守って控えるようにしているのはアルテミスも知っているだろう? つまり『ウソを控えること』も、節度を守って控えるようにしているんだ」


「ふみ」


 アポローンの返事を聞いたアルテミスは、首を傾げたままヘルメースの元へ向かう。


「奴はアルバトールじゃないの?」


「ああ、彼はアルバトールじゃないぞアルテミス」


「本当に?」


「本当だとも。僕が今までにウソをついたことがあるか?」


「ふみ」


 首をほぼ直角に曲げ、そのまま固まってしまったアルテミス。


「あーそうだ。ヘルメース、今回の報酬の件だけど」


 難解な質疑は後回し。


 とりあえず分かりやすい問題から解決しようと考えたのか、アルテミスはヘルメースに近づいてボソボソと密談を始めたのだった。



「ボンも大概しつこいのう。そんなことよりネクタールで一杯やらんかい」


「それだけ必死なんだよ。フェストリアと魔族が同盟を組んだと言うことは、ヴェイラーグ帝国と魔族が同盟を組むこともありうる……」


 必死にゼウスに食い下がるアルバトール。


 だがそこに彼の言を遮る叫びが上がり、大広間はその声の持ち主の怒りに震えた。



「なぁんだってえ! どういうことよヘルメース!」



 先ほどまで高さの恐怖に震えていた毛玉が、今度は怒りに震えている。


 いきなり騒ぎ出したアルテミスが叫ぶ内容を聞いた限りでは、どうやらその怒りの原因はヘルメースにあるようだった。


 よって周囲の者たちは良くある日常の一幕として処理すると、そのまま平然として会話、あるいは食事を再開していく。


 ただ一人、アルバトールだけを除いて。


「あの二人、大丈夫なのかゼウス」


「ああ、気にせんほうがええで。ボンにはちょっと刺激が強いからの」


 そう言われると、余計に気になってしまうのがサガと言うものだろう。


 ゼウスから手渡しされた酒杯に注がれるネクタールを見つめながら、アルバトールはヘルメースとアルテミスの方へ意識を向けた。



「だって来るって言ってたじゃないの! それに今日の宴に参加したら、お姉様のハンカチ盗ってきてくれるって……!」



 どうやら二人は何やら密約を交わしていたようである。


 しかも聞こえてきた内容からするに、かなり危ない橋を渡っているようだ。



「気にしない気にしない。さて、ネクタールでも飲んで一休み……」


 アルバトールは君子危うきに近寄らずとばかりに、アルテミスの発言を聞かなかったことにしてネクタールを飲もうとする。


 しかし、危うきが向こうから近寄ってくるのもまた彼の運命だった。



「……変わった形の酒杯だな」


 アルバトールが飲もうとする贅を凝らした酒杯には、新たな装飾品として一本の矢が突き刺さっていた。



「ゼウス。十二神は招いた客人に対し、矢を撃ちこむのが作法なのか?」


 酒杯から溢れ出してきたネクタールで濡れた手を見ながら、アルバトールはゼウスに困った顔を見せる。


「まぁその場のノリやな。そろそろボンも判って来てもええ頃やで? というかボンのとこのエルザなんかワシらよりひどいやろ」


「そうなんだよなぁ」


 向こうでアルテミスが何やら口上を述べているようだが、先ほどの発言を聞いた後では道ならぬ恋を何とかして誤魔化そうとしているようにしか聞こえない。


 アルバトールの目の前ではゼウスが豪快に笑い始め、彼はまた厄介なことになるのかと溜息をつきながら、濡れた手を拭くべく懐から一枚のハンカチを取り出す。


「くんくん。この感じ……まさかッ!」


 それを見た刹那、アルテミスの目の色が変わった。


「何ッ!?」


 アルバトールの目前を何者かの影が通り過ぎ、彼の持っていたハンカチが姿を消す。


「すおおおおおおッ!!」


 直後に聞こえてきた、荒ぶる声の方へアルバトールが顔を向けると、そこには彼の持っていたハンカチで顔面を覆い、猛烈な勢いで吸い込むアルテミスがいた。


 出発前にヘルメースが渡してきたハンカチを。 


「どうやら君の荷物に紛れ込んでいたようだな。アルテミスに約束していたブツが手元になくてあせっていたところだ……何をする」


「頭部に強烈なショックを与えると、失われた記憶が戻ると聞いたことがあったからやった。今では反省している」


 アルバトールはヘルメースの頭を殴りつけ、アルテミスの様子を伺う。


「いきなり矢を撃ちこんできたかと思えば今度はハンカチを取るだなんて、アルテミスの行動が読めないな」


「野山に住む獣の中でも最強と呼ばれ、神格化すらされる熊。アルテミスはその熊と縁が深い女神だ。つまりハンカチを自らの獲物と認識した結果なのだろう」


「矢を撃ってきたのは?」


「熊の嗅覚は犬の数倍以上と言われる。君から姉上の匂い、つまりアテーナーの残り香を感じたと言うや否や撃っていた。止める暇も無くて済まないな」


 表情を変えずに謝罪するヘルメースと、アルテミスも相変わらずだなと笑うアポローンに、類は友を呼ぶって本当なんだなとの感想を抱いたアルバトールが濡れた手を見つめた途端。


「はあああああッ!? お久しぶりのこの……この匂い! ああ……お姉様……アルテミスは、アルテミスはもうッ!」


 ハンカチーフ一枚で絶叫をあげ、絶頂に達した毛玉がポトリと床に倒れてヒクヒクと痙攣を始める。



「……帰るか」



 その一部始終。


 アルテミスのしっとりと、且つまったりとしたくどさのみが、目撃者の胸の真ん中にどっしりと覆いかぶさってくる愛情表現。


 それをカラカラに乾いた笑みを浮かべながら見届けたアルバトールは、帰る前に同盟についてゼウスにもう一度だけ頼み込むべく背中を向ける。


 その時だった。


 アルバトールの背後に殺気が膨れ上がったのは。



「危ないアルバトール!」



 そして飛んできた殺気の塊を避けようとして横に飛んだアルバトールが、ヘルメースに突き飛ばされて再び殺気の真正面に戻される。


 慌ててアルバトールは飛んできた殺気、つまりアルテミスが放った矢を光の剣で斬り落とそうと腰に手をやるが、そこに剣は無い。


(しまった、広間に入る時に……!)


 剣を外の従者に預けたことを思い出したのは、矢が彼の目前に迫った時だった。



 しかし。



「邪魔しないでよヘーラー!」


「アルテミス、客人に対して矢を放つのはどうかと思うわ。大人しくなさいな」


 傍らから放られたリンゴがアルバトールの代わりに射抜かれ、そのまま床に転がる。


 悔しがるアルテミスの直後に、場を支配したのはヘーラーの優雅な声だった。


「さすがに他人の夫を寝取るような卑しい女神の娘だけあって、粗暴なことこの上なしと言ったところかしら。見苦しいところをお見せしてごめんなさいねアルバさん」


「いえ、助かりました。アルテミスよ、どうしていきなり矢を射かけてきたのです?」


 自分を狙っていた矢から守ってくれたヘーラーに礼を言うと、アルバトールは全身を怒りに震わせるアルテミスに優しい声で問いかける。


 正面から見た彼女は青年姿のアポローンより更に若く見え、姉であるアテーナーへの遠慮からか、その姿は少女くらいの年齢に見えた。



 例えて言うなら。


「何よアルバさっきからあたしの方をじろじろと見て……ハッ! まさかネクタールに酔った勢いであたしを押し倒そうとしてるんじゃないでしょうね!」


「するかあああああ!」


 容姿は似ていないが、纏う雰囲気はガビーにそっくりである。


 何はともあれ、アルバトールは全身を怒りに震わせながらガビーを叱り飛ばし、彼をズビシと指差してきたアルテミスへ注意を戻す。



「さっきのハンカチからは、最近のお前の匂いだけではなくて、もっと以前の匂いが染みついていた! しかもよりによって、だ、だ、だ……唾液の!」



 するとアルテミスは、少し洒落にならないことを口走っていた。


「へ? 唾液?」


 アルバトールは首を傾げ、アルテミスの持っているハンカチを見る。


 あの見覚えのある刺繍は……。


「ひょっとして、カラドボルグが落としたハンカチか? 確か綺麗に洗った後にエレーヌ殿に返したはずなのに」


 その時の残念そうなエレーヌの顔を、アルバトールは今でも覚えていた。


 だがあれは既に去年の話であり、王都で噴き出したコーヒーの匂いが今でも残っているはずがない……が。


(それを嗅ぎ取ったと言うのか……何という妄執)


 アルバトールの背筋を嫌な汗が流れる。


 いくら狩猟の女神とは言っても、間違った方向へと特化した能力に恐れを成さずにはいられなかったのだ。


「ちなみに、それは何年前の匂いなのです? あまり記憶にないのですが」


 よって彼は穏便に済ませるべく、対策案をたてるために情報の欠片を繋ぎ合わせ、その断片を集める作業にかかる。


「あー、えーと、詳しくは判らない……だが結構前だ!」


「なるほど」


 どうやら長き時を生きる神にとって、多少の年月は誤差の範囲に入るようだった。


「私は赤ん坊の頃によくエレーヌ殿に面倒を見てもらったそうです。なので多分それは、私が乳を吐き出すか何かしてそれをエレーヌ殿が拭いた名残では?」


「お姉様の……乳……」


「いや『の』じゃなくて。と言うかなぜ弓を構える」


「お姉様を穢した罪。お前を殺して私も死ぬ」


 弓に矢をつがえるアルテミスを見て、アルバトールは捨て鉢になったのか。



「だああああっ! そんなに疑うなら本人に聞けばいいでしょう!」


 彼はこの類の神の前で、言ってはいけない一言を口にしていた。



「判った! そこまで私をフォルセールに招待したいなら仕方が無い行ってやる!」


「別に招待した訳では……」(しまったあああああああああ!)



 売り言葉に買い言葉。



「ほな達者でなアルテミス」


「引き留めないのか……それはそれとして同盟の件、本当に頼むよゼウス」


「気が向いたらの」


 アルバトールはゼウスの見送りを受けながら、オリュンポスに来た時より人数を増やした随員を見て途方にくれつつ帰途に就く。


「なぜ君は自分から揉め事に首を突っ込んでいくのか。理解に苦しむな」


「好き好んでやってるわけじゃないんだけどな……」


 その道中。


 呆れた声で責めてくるヘルメースにアルバトールは言い訳をする。


 横を見れば、先ほどまで角突き合わせていたガビーとアルテミスが、仲良く手を繋いで歩いていた。


 アルバトールはそれを見て、これからの展開に頭を悩ませながらシルヴェールを迎えに行くのだった。

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