第211話 妖精の観測
「ただいま戻りました、エルザ司祭」
「あらあら、随分と長い散歩でしたわね」
「申し訳ありません。しかしなかなか実りある散歩となりましたよ」
特に減らず口を叩くことも無く、軽く謝罪をしたアルバトールを見てエルザは黙り込み、少し後に口を開く。
「……こちらは少々不味いことになりました」
そう切り出したエルザの顔は、アルバトールが戻ってきた時より少し悲しげなものに見えた。
「なるほど、速くて半年後。つまりこちらが出向けない冬に完成ですか。てっきりヴァルプルギスの夜にすべて完成するものと思っていましたが、加工に必要な精霊を素材に降ろすだけなんですね」
「してやられました。エレーヌ様とお母上の仲直りを口実にヴェルンドをたらしこみ、私たちをブロトーヌに向かわせている間に自分たちの武具の約束を取り付けるとは」
爪を噛むエルザにエレーヌが頭を下げ、エルザはエレーヌを慰めて首を振る。
そのやりとりはあくまで形式と言う感じで、まるで心が籠っていないものであったが、実際に誰が悪いわけでもなかった。
強いて言えば、誰もが悪かったのだろう。
二人の女性を見てそんな感想を抱いたアルバトール。
しかし彼はそのまま視線を外さずにいたため、エルザが慰めの言葉を口にした後に、何が嬉しいのかその唇を得意気に歪ませていくところも見てしまう。
「とりあえず嫌がらせはしておきましたので、あちらの武具も完成は年末以降になるでしょう。しばらくの間は真っ向から魔族と戦いになることは無いと思いますわ」
「嫌がらせ?」
強いて言わずとも、その顔は息子の嫁に嫌がらせをして喜ぶ鬼姑。
悪い予感に包まれたアルバトールは、思わず嫌がらせの内容をエルザに聞いていた。
「先ほどヴェルンドが席を外しましたので、その間に私たちの持ち込んだ素材の一部と、クソバエ野郎の持ってきた素材をごちゃ混ぜにしましたの」
得意気に胸を逸らすエルザを見て、アルバトールは冷や汗を流す。
「それ、もしかしてごちゃ混ぜにしなければ、我々が頼んだ武具も秋には完成していたとか言うんじゃ?」
「しません」
「本当に?」
「本当に……ちょっとどちらに行かれるのですか天使アルバトール」
「お気になさらず。すぐに戻ります」
速足で部屋を出るアルバトール。
【ん? まだ居たのかエルザ。目障りじゃから早く出て行けと言ったじゃろうが】
衝立の影から小さい光の玉をいくつも纏ったヴェルンドが姿を現したのは、アルバトールが部屋から出て行った直後だった。
そのしばらく後。
「まだむくれていますの? 人の話も聞かずに出て行ったのはそちらでしょうに」
「怒ってませんよ? そんなに怒ってることにしたいんですか? 僕は絶対に怒ってませんからね?」
平然とした様子を装って部屋に戻ってきたアルバトールは、竜の素材に受肉をして魔力を馴染ませ、ヴァルプルギスの夜に備えるヴェルンドから説明を受けていた。
「では念話で確かめますので、絞っている聖霊への接続を解放してくださいまし」
当然のごとく、彼は満面の笑みを浮かべたエルザから追及を受けることとなり。
「それよりどうするのですかこれから。まさか手ぶらで帰る訳にはいかないでしょう」
彼はその魔の手から逃れようと、自分の勘違いをうやむやにしようとしていた。
それを承知しているエルザは、アルバトールの誤魔化しに対し、殊更にきょとんとした顔で対応する。
「今回は依頼に来たのだから、帰りは手ぶらになるのが当たり前ですわ。それとも何か手土産を持ち帰るご予定でもお有りでしたの?」
「え? えー……うーん……そう言われてみれば、既にエレーヌ殿がご母堂と仲直りされた、手土産と言うには勿体ない土産話もありましたね……」
「あまり欲張ってはいけませんわよ、天使アルバトール」
「う、まぁそうですね」
話の内容が自分への小言へと変わり、そのままなし崩しに終わりそうな雰囲気に、内心で胸を撫で下ろすアルバトール。
「では聖霊への接続を」
「だああああっ! いい加減にしてくださいエルザ司祭! そろそろ僕も怒りますよ!」
「とっくに怒っておいでの癖に」
だがそうは問屋が卸さないようだった。
手を口に当て、ほくそ笑むエルザを見たアルバトールは、反論する元気も無くしてしまう。
それを見かねたのか、棚から一本の小さい瓶を取り出したヴェルンドが、呆れたように横から口を差しはさんだ。
【なかなか面白い見世物じゃの。もう少し見ておきたいが、もう終わりか? さてエルザ、つまらんものを作ったのだが、見世物の続きを見れぬとあればこれを手土産に持たせるわけにはいかんな】
【何ですの? ……あらあら、リキュールですか?】
ヴェルンドは頷き、陶器と見られる瓶の蓋をキュポンと開ける。
すぐに周囲には薬草特有の鼻と喉にへばりつくような青臭さが漂い始め、それを嗅いだ途端にセイは部屋の外に飛び出してしまっていた。
【名はアプサント。ちょっと変わった素材が入っていてな、香りと味はあまりよろしくはないが、まぁお前たち程度の口には合うじゃろう。持って行っても構わんぞ】
【……あらあら、存在しないとは変わった名前ですこと……せっかくですが、そんな怪しいものを受け取る訳にはいきませんわね。突き返して差し上げますわ】
愛想よくアプサントを受け取るエルザを見たアルバトールは、先ほど逃げ出したセイを思い出して不安に駆られる。
「……エレーヌ殿、あれ大丈夫なんですか?」
「大丈夫。と答えてやりたい所だが……あのような名の酒はまったく聞いた覚えが無い。どうやら私が里を出た後で作られたもののようだな」
エレーヌなら何か知っているかと思って質問してみたものの、どうやら昔からヴェルンドと親交のある彼女も知らないようであった。
「私も不安ではあるが……まぁヴェルンドが作った物なら間違いはあるまい」
そう答えるエレーヌの顔は、若干青ざめているようにアルバトールには見えたが、きっと勘違いなのだろう。
【うむ、百年以上前にフェストリア王国の旧神エーギルに渡したのだが、すぐに宴に使ったほどだ。おまけにそれを飲んだ旧神ロキが何やら面白いことを喋って、宴は大いに盛り上がったそうだぞ】
勘違いでは無かった。
しかしエルザはヴェルンドの告げた内容を気にすることなく、そのままセイのリュックに小瓶を入れてお辞儀をする。
【あらあら、そんなことは知ったことではありませんわ。すぐにでも放り投げてしまいましょう】
【久しぶりに故郷に帰ってやれば、随分と余所余所しい態度をとるようになったものだなヴェルンド。もう二度と貴様のような薄情な奴には会いに来んからな】
とても別れを惜しむ内容には聞こえない挨拶をするエルザとエレーヌ。
そしてエルフ語の挨拶を良く知らないアルバトールとセイは軽く頭を下げ。
怪しい酒を持たされた彼らは、ヴェルンドたちに見送られながらトーレ・モレヴリエールを後にした。
「……でも何か引っかかるんだよなぁ」
「何がですの?」
エルフの里から帰る途中の森の中。
釈然としない様子のアルバトールが発した独り言に、エルザが素早く反応した。
「何でエルフの里でセイが喋ってはダメだったんですか? そりゃまぁ独特な言語ではありますが、禁じるほどでは無かった気がするんですが」
その質問を聞いたエルザは、はたと手を打つ。
「貴方はセイの歌を聞くと、どんな気持ちになりますか?」
「まぁ……感動したり楽しくなったり? 良い感情が芽生えてきますね。それが何か?」
[あう……]
アルバトールの率直な答えを聞いたセイは顔を赤らめ、体をもじもじとしてエレーヌの影に隠れてしまう。
恥ずかしがるセイを見たエルザはころころと笑い、そのままエレーヌへ質問をした。
「エレーヌ様はどうでしょう?」
「アルバトールと似たようなものだな。ただ里に居た頃に聞いたなら、また別の感想が生まれたことだろう」
「別の感想ですか?」
アルバトールの発した疑問に、エレーヌは苦笑を返す。
「恥ずかしい、照れ臭いなどの羞恥心だな。それも耐えられないほどの、だ」
「へ? なんで……ってエルフ語からしてみればそんな感じになるのか。じゃあセイに喋るなって言ったのはもしかして?」
「いざと言う時は、円満な交渉の手助けをしてもらう予定でしたわ」
それ脅迫ですよね、と喉まで出かけた言葉をかろうじて飲み込み、アルバトールは半眼でエルザを見つめた。
「まぁ、エルフとはそんな種族なのですわ。美しく、プライドが高い妖精という設定で観測される彼らは、いつの時代でもそのような存在として確立されます」
「……と言うと?」
「竜族がこの大地に君臨していた時は、エルフは今のような形をしておりませんでした。竜族に似てはいるものの、その姿は華奢で美しく、性格は傲慢。人間とエルフの関係を、そのまま竜族に当てはめたものと考えていただければ結構ですわ」
「つまり我々を観測する機会が多い種族へと、私たちの姿は千変万化する。また姉上や私のように、人と交わって産まれたものは人の姿に固定され、竜と交われば竜となる。これはドワーフも一緒だな」
エルザとエレーヌの説明を聞いたアルバトールは、意外な事実に目を丸くした。
「エルフやドワーフは、決まった姿を持たない妖精ですか」
「よって彼らは、現在において最も栄えている種族を示す指標にもなっております」
「なるほど」
自分の歌を羞恥心と評され、不安がるセイを慰めるエレーヌを見つめた後。
「それでは少しアギルス領の視察をしながら帰りましょうか」
そう提案し、アルバトールは歩き出した。




