第19-1話 夜道を照らす月明かり
その場を見る者がいれば、夜露ではない別の物で背中を冷やした事であっただろう。
月明りの元、堂々とした立ち姿の王都騎士団の団長フェリクス。
ベンチに座り、それを涼しげに見上げるフォルセール騎士団の団長ベルナール。
二人の間には、明らかに冷たく張り詰めた空気が漂っていたのだから。
「なぜ、とは心外ですね。フォルセールに旅立つアデライード姫の身を心配された王の要請により、我々は護衛にあたったのです」
ベルナールの耳に、多少硬さが感じられるフェリクスの説明が入ってくる。
「現に姫は魔物に襲われ、危ういところでした。あのエルザ司祭と、此度の叙階を受けられるアルバトール殿が駆けつけてくれなければ、今頃……」
「私は君達が護衛にあたった"結果"を聞いているのではないよ、フェリクス。今聞いているのは君が護衛にいる"理由"だ」
「ですからそれは今申し上げたとおり」
ベルナールはすっと片手を上げ、フェリクスの発言を遮る。
「天魔大戦が始まろうとし、不穏な空気が漂う今」
「ええ、我々も多少気が緩んでいたことは……」
「逆に言えば天魔大戦がまだ始まっていない、魔物が本格的に現れていない今、神殿騎士団の団長に就いている君が、王都の盾となるべき君が、デュランダルの使い手である君が、王や王都を守ると言う役目をおき、なぜ姫の護衛にあたっているのだ?」
「それは、姫の……」
「それとも、姫が魔物に襲われる予定でもあったのかね?」
ベルナールの指摘に息を呑み、表情を硬くして視線を落とすフェリクスに対し、ベルナールは軽口を叩いて場を紛らわせようとする。
「表情が変わってしまったな。後で私とポーカーでもするかね? あれは駆け引きを覚えるにはなかなかにいいゲームだよ。フェリクス」
「御冗談を……」
だが軽口を受け取った当人には、重圧でしかなかったようだった。
「そうだな。冗談を言って時間を無駄にしてもいいのは若者の特権だ。実に羨ましい」
その指摘もまた冗談であることには言及せず、ベルナールは黙り込んだフェリクスに淡々と語っていった。
「君ほどの力を持つものが、強力な魔物が往来する天魔大戦の最中であればともかく、この時期に王都の守りを他人に任せてまで、姫の護衛にあたるのはいかにも不自然だ」
ベルナールは目の前に立つ、逞しい体躯を持つ後輩を見上げて微笑む。
「結果だけを見れば、確かに堕天使や旧神など人の手に負えぬ存在が姫の命を狙ってきたとは言え、出発前にそれが予見できたはずがない」
「まさか」
「そうだ。内通者がいるか、それとも姫の身に魔族に見つかりやすい何かの秘密が隠されているかだろう。しかし今の私の情報では、その二つとも確証が持てない」
フェリクスは俯いていた顔をあげ、ベルナールの顔を正面から見据える。
「貴方は何が言いたいのですか?ベルナール卿」
「私は以前から考えていた事があってね」
話すベルナールの声が、深みを帯びた。
「天魔大戦の流れは決まっている。まず上級魔物が各地に現れ始める。強大だが絶対数が少ない彼らは、テイレシア各地で騒ぎを起こして我々の戦力を分散させ、伸びた補給線を断ち、こちらを疲弊させてから戦力を集結、王都に向かう」
ベルナールはそこで呆れたように両手を上げる。
「残念ながら、なぜ彼らがそうまでして王都に迫るのかは知らんがね。人間であれば領地や財宝と相場は決まっているが、魔物たちが何を考えているのかは分からない」
「王都の地下には、彼らが信仰する魔王が封印されている、との噂ですが」
そのフェリクスの発言にあっさりと首を振るベルナール。
「子供に話すおとぎ話レベルの噂話だ。もっともらしい理由ではあるがね。さて、話を続けよう。数ヶ月をかけて散発的に各地に現れる上級魔物たち。だがそんな彼らを、それほど期間をかけずに集結させる方法があるとしたら?」
「……!」
月夜の明かりの元でさえ、明らかに見て取れる変化を顔色と表情に与えるフェリクスと、それを静かに見つめるベルナール。
話はいよいよ佳境に入ろうとしていた。
「最初は分散し、最後は終結する魔物たち。ならばそれに付き合う愚を避け、あらかじめ主力を各地に移動させて王都をわざと明け渡し、奴等に拠点を持たせれば、こちらは戦力を温存できる上に、奴等は十分な戦力を整えないまま集結するのではないか」
ベルナールは足を組み、その上に頬杖をついて皮肉気な笑みを浮かべる。
「東方の大国で生み出された戦術、戦略に関して記した書物の中で、それに似た物を見たことがある。君ほどの男が王都を離れたのは、敵をおびき寄せるためかな?」
からかうような口調にも反応しないフェリクス。
ベルナールはそこで一旦上体を逸らし、虚空に目を躍らせた。
「だが問題が一つ。それは間違いなく王都の民衆に犠牲が出ることだ。さて、この戯言が本当であるなら、と言う条件付きだが、君が先ほど私に言った王都の騎士団団長になれとの要請と、今の戯言には関係があるかな?フェリクス」
その問いに咄嗟にフェリクスが返せたのは、深い溜息のみ。
そして彼は発する言葉を反芻するかのように口を引き絞り、かすれる声で答えた。
「……誠に貴方は優秀です。それだけに貴方が王都を離れ、こんな所に着任したことが悔やまれます」
「やれやれ。ここは陸路の要所で、王国にとっては喉笛と言うべき領地だ。こんな所呼ばわりは心外だね」
そのベルナールの軽口には答えず、フェリクスは話し始める。
「貴方の予想は当たっています。私が今から話す事によって、その予想は補完され、我々が気付かなかった点まで見通すかもしれません」
そう前置きをし、フェリクスは真っ直ぐにベルナールを見つめた。
「この国は安定しているように見えますが、その裏ではやはりいくつかの病巣を抱えています。その中で一番の問題が王の御年で、齢六十を越えた今となっては、いつ崩御されてもおかしくはありません」
「うむ」
「そこで浮かび上がってくるのがお世継ぎの問題です。現在は長男のシルヴェール様が王位継承権第一位ですが、それに異を唱える勢力があるのです」
「それは?」
「第一王妃リディアーヌ様の父であり、この国きっての権力を持つテオドール公爵」
「なるほど」
「理由はシルヴェール様が、元は庶民で、尚且つ第二王妃であったセシリア様がお産みになった子供であることです」
「しかもまだ若い。確か二十代の半ばを少々過ぎたばかりのはずだな」
フェリクスは頷き、話を続けた。
「よって血筋正しきアデライード様を女王に据えた方が臣下も納得するだろうし、他国の王族から婿を迎えて血縁関係とすれば同盟も結べて国の安定につながる、と」
「馬鹿げている。そもそもこのような馬鹿げた争いで国が二つに分かれることを未然に防ぐため、嫡男が王に即位するのが代々の決まりではないか。国家体制の礎である法を守らずして、どうして国が守れようか」
鋭い口調で言い放ったベルナールの指摘を聞き、フェリクスは拳を握りしめる。
「おっしゃる通りです。しかしこの国随一の力を持つテオドール様の考えでは、無視する訳にもまいりません。特にシルヴェール様は、その血筋ゆえに強力な後ろ盾を持っていないのです」
「……そうか」
寂し気に呟くベルナールを見て、フェリクスも項垂れながら状況の説明をした。
「セシリア様は出産後の経過が思わしくなく、そのままお亡くなりに。フェルナン将軍はシルヴェール様を推していますが、あの方も軍に属するものが政治に加担するのは好ましくないとの考えをお持ちのため、それほど表立った行動はされておりません」
「そこで今回の策か。シルヴェール様の献策で恒久的な平和を勝ち取ったとなれば、その功績は比類ない。流石のテオドール公も表立った反対はできまい。しかし……」
「……この献策を用いれば、王都から逃げ遅れた民衆は魔族に蹂躙されるでしょう。ですが天魔大戦で国が疲弊し、それに続く後継者争いで国家を二つに割るような戦いが起きれば、国としての体制を保つことすらおぼつかなくなります」
ベルナールはそこで短く息をつき、躊躇うフェリクスの先を促した。
「この聖テイレシアは他国に蹂躙されるでしょう。そしてその被害は間違いなく、王都の民衆のみが害されるものとは比較にならない規模となります」
ベルナールは無言のまま、夜空に浮かぶ月を見上げる。
既に満月よりやや欠けているものの、それでも夜道を歩くには十分な明るさの月を。
(他国の侵攻に備え、戦力の消耗を抑えるには、敵の戦術に付き合ってはならない。その上で国を二つに割る戦いを未然に防ぐには……)
ベルナールはそのまま口を開いた。
「夜道を歩くに必要な月明りは常に満月を必要とはしない。多少欠けても夜道は歩ける。国を、そして民を守るには、人命が欠けることを、犠牲にすることを覚悟せねばならない、か……」
そのベルナールの決意を聞いた時。
フェリクスは聞こえるか、聞こえないか程度の声しか出せなかった。
「私には判りません。判ってしまえば振り上げた剣を、再び振り下ろすことが出来なくなってしまうかもしれませぬ」
「……やはり、君はデュランダルを振るうに相応しい人間だよ。既に策に乗る覚悟を決めてしまった私とは違ってね」
「乗って頂けるのですか!」
「乗るしかあるまい。私がこうしてのんびりしていられるのも、この国あってこそなのだからな」
「ありがとうございますベルナール卿! フェルナン将軍もきっとお喜びに……モガ」
ベルナールは素早くフェリクスの口に手を当てると、周囲に視線を飛ばす。
「しっ! 声が高い! 君はひとかどの武人だが、政治に関してはまだまだ未熟だな」
「も、申し訳有りません……」
鋭い口調に、平謝りに謝罪するフェリクス。
ベルナールはそんなフェリクスの姿を見て、苦笑しながら再び月を見上げた。