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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
王都争奪編

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第208話 エレーヌの過去

「で、どうしますの?」


「……どうもこうもない。やるしかないだろう」


 竜族の素材を武具に加工してもらうため、エルフの里の一つであり、族長ヴェルンドの住まうトーレ・モレヴリエールを訪れたアルバトールたち。


【安心するのはまだ早い。甘く見ればお主ら、五体満足では帰れんぞ】


 だがようやく会えたヴェルンドは、こちらが出した条件を満たすまで素材加工は引き受けないと言い放ち、仕方なく彼らは不機嫌そうなエレーヌを先頭に押し上げて、ヴェルンドの家を後にしていた。



「では行きましょうか。エレーヌ殿とご両親に仲直りしてもらうために」


 アルバトールは手っ取り早くエレーヌの真意を知るために、ヴェルンドに出された条件を再び口にして出発の号令をかける。


 こういう場合、下手に慰めの言葉をかけてもそれは心の奥底までは届かず、表面を滑り落ちるのみ、と思ったからだが。



「う、うむ……あ、でもちょっと待ってまだ心の準備が」


 号令を聞いた途端にエレーヌは、年端もいかぬ少女のような言い訳を始めていた。



「着くまでにお願いしますわね。天使アルバトール、そちらの脇を抱えて下さい」


 そしてなかなか歩きだそうとしないエレーヌの両脇を抱えて持ち上げると、彼らはエレーヌの生まれ故郷、ブロトーヌへと向かったのだった。



 その途中。


 もう子供ではないのだから自分で歩く、と喚き散らすエレーヌを地面におろしたアルバトールは、むっすりとした顔の彼女を気遣って口を開いていた。


「それにしても昔なにがあったのですか? 話したくないことは誰にでもあることを承知の上で言いますが、共に向かう仲間……いてっ」


 そして話の途中で後頭部を襲った軽い衝撃、小石を放った人物の顔を見て、彼は素早く言い直す。


「僕はエレーヌ殿のことが心配なのです。如何に人の血も引いているハーフエルフとは言え、無理をして僕たちに力を貸しているのではないかと。よければ少しでも貴女の背負った重荷、苦楽を共にさせていただけませんか?」


「アルバトール……」



 何かを選ぶ時は、いつも果断即決であったエレーヌ。


 まぁ彼女の場合はたんなる短気と言うことだが、それで知られるエレーヌの気弱な表情、意外な一面を見たアルバトールは、少々動悸を早めてしまう。


 そして隣でコソコソと内緒話を始めるエルザとセイの横で、エレーヌは里を追放された経緯を話し始めたのだった。



「……なるほど、本当は無理に強いられたのではなく、自分でも神降ろしに自信があった。儀式の失敗もその傲慢さによって引き際を誤った可能性があると」


「ああ、だから私を追放した里の者たちや、無理に神降ろしを頼み込んだアガートラームにそれほど恨みがある訳では無い。ただ暴走した私の出した被害が甚大過ぎて、姉上や里の者たちに真実を告げられずにいたのだ」


 アルバトールへの説明を終えたエレーヌは、膝を抱えたままぽつりと呟く。


「それに半身とは言え、先にアテーナーを降臨させた姉上への嫉妬もあった。結果は御覧の通り。降ろすことは出来たが、降りた力の巨大さによって私は召喚術の力を失い、暴走で里を壊滅させ、そして二百年の追放を受けることとなった」


 自分が言った言葉に、更に落ち込むエレーヌ。


 そこに白い影が近づき、彼女を励ますように力強くその名前を呼んだ。


「エレーヌ様」


「……何だエルザ司祭」


「ヴェルンドは既に追放の期間は終わっていると言っていました。ブロトーヌの里を治めているお母さまも、表には出さぬが貴女たちの帰りをずっと待っていると」


 少しの間。


 少しの吐息。


「そうだな。そうかも知れんな」


 少しの思いをエレーヌが吐き出すのに、かかった時間は二百年だった。


 のろのろと立ち上がり、ブロトーヌの方角を見つめ、それでも一歩を踏み出せないエレーヌのそばに、セイが近づいていく。


[エレーヌ様、ご両親と会いたくない?]


「ん? いや……会いたい、のだろう。だが、うむ、里の者たちに会わせる顔が」


 セイの問いを聞いたエレーヌは、母親やブロトーヌの者たちに会わなくても済む理由を必死に考えているように見えた。


 そんなエレーヌを、セイは真っ直ぐに見つめ。


[セイには判らない。セイはずっと姉様たちを探して、ずっと一人だったから。でも姉様と会えた時、セイはすごく嬉しかった。だからエレーヌ様も会えば判るよ!]


 明るい笑顔と声をエレーヌに向けた。


「……そうだな、きっとそうだ。私もそう思うよ、セイ」


 頷き、空を見上げたエレーヌはきゅっとセイを抱きしめ。


「行くぞ皆。私はきっと両親に会ってみせる」


 幾分か軽くなった足取りで、ブロトーヌへと歩き始めたのだった。



 が。



「足が震えていますわよエレーヌ様」


「ばッ、馬鹿を言うなッ! 里帰りするくらいでこの私が動揺なんてする訳が!」


「どっちでもいいですけど、僕に抱きつくのはやめてくれませんかね」


 里の入り口、つまり木のうろの手前で、エレーヌはアルバトールにしがみついて体を震わせていた。


「あらあら、まるで生まれたての仔馬のようですわ。では仕方ありませんわね」


 動けそうもないエレーヌを見て、エルザは溜息と共に洞に近づき。


「よいしょ」


 ノックでもするかのように、木を軽く叩く。


「あ」


 アルバトールの短い声と共に、差し渡し五十メートルはありそうな大木が揺れ。


【なななな、何者だ名を名乗れッ!?】


 上の方の空間が歪み、誰何すいかの声が彼らに掛けられたのだった。



 それから。



「あ、初めまして。天使のアルバトールと申します。さっきの振動はこっちの人がやったことですので取り調べはこちらに」


 当然ながらアルバトールたちは、大勢のエルフに囲まれることとなっていた。


 だがエルザの顔を見た途端、彼らは恐慌状態に陥って距離を取り。


【……お前、エレーヌではないのか? いや、否定しても無駄だ。……今更何をしに帰って来たのだ! この……愚か者!】


 やがてその中の一人がエレーヌの姿を認めると、今度は一斉に押し寄せてくる。


【皆ずっとお前が帰ってこなければ良いと思っていたのだぞ……い、いや、本当は話もしたくないのだが、里長がお前から逃げる前に案内してやらなくもない!】


 案ずるより産むが易し、とはこのことであろうか。


 アルバトールの眼には、ブロトーヌに住む全員が歓迎しているように見えた。


 そしてまた二人、エルフの女性がその場に姿を現す。


「あ……あ……」


【エレーヌ!?】



 だがその姿を目に入れた瞬間、エレーヌはその場から逃げ出していた。



「天使アルバトール、エレーヌ様を追いなさい。私はこの方たちと少しお話をしてから、セイと一緒に後を追います」


 エレーヌの予想外の逃亡を見て、呆然としていたアルバトールはエルザの指示を聞くやいなや、素早くエレーヌの後を追う。


 だが途中で脇道にでも入ったのか、彼はエレーヌをあっさりと見失っていた。



「仕方ない、飛行術で上から……って、これだけ密集した森だと見えないか」


 上を見上げれば、そこには入り組んだ枝と葉が視界を塞いでいる。 

 

「では耳を強化してエレーヌ殿の足音だけを……ッ!? 誰だ!」


 眼ではなく、耳でエレーヌを追おうとしたアルバトールが術を発動させようとした時、彼は近くに力を持つ二つの存在を認めて叫ぶ。



[誰だたぁつれねえ返事じゃねえか。言っただろ? 次に会う時は殺し合いだってよ]


[やぁ、こんな所で会うとは奇遇だねアルバたん。久しぶりー、元気してた?]



 旧神バアル=ゼブルと堕天使アスタロト。


 危険と不穏を極めた二人が、木の影から姿を現していた。



[なーんつっ……うおおっ!? あぶねえいきなり何しやがんだ!]


 バアル=ゼブルが口を開くと同時に、幾多のフラム・ラシーヌが大地を貫いて光と熱を撒き散らす。


 それらを間一髪で避けるバアル=ゼブルとは対照的に、アスタロトは一本のフラム・ラシーヌの先端に優雅に乗ってかわしていた。


[なんかガッついてるね。今回の旅は見目麗しい姫君たちに囲まれてるって言うのに欲求不満かい? 良ければボクがお相手しアッチッチッアチッ!?]


 太陽の光を受けて煌く衣装を、アスタロトがはだけようとした瞬間。


 アスタロトは後ろからフラム・フォイユに焼かれ、叫びを上げる。


「殺し合いと言ったのはそちらだが。それと少し急いでて、君たちと遊ぶ暇は無い。何よりここはエルフの里に近いし、戦いは君たちにとってもまずいんじゃないか?」


 その間にアルバトールは光の剣を抜き、剣と言葉の切っ先を突き付ける。


[ああ心配すんな。今回の目的はお前さんと戦うことじゃねえし、それも達成したって言やぁ達成した……あ?]


 その姿に自らの失策を認めたバアル=ゼブルは、いつものように気軽に話しかけようとした時、動きを止める。


 何かを目にしたと思われる、バアル=ゼブルが発した間の抜けた声を聞いたアルバトールは、その瞬間に後ろを振り向こうとしていた。


「プロミネンス」


 だが、それは未遂に終わった。


 なぜかと言えば、自分の背後から放たれた閃光によって、彼の目の前にいた旧神バアル=ゼブルと堕天使アスタロトが何も出来ずに吹き飛ばされた。


 その信じられない光景に、彼の目が釘付けとなったからであり。



「天使アルバトール。その者たちから離れなさい」



 幼い頃より聞きなれていた声の変容に、その余りの冷たさに体を凍り付かせてしまったからであった。



[や、やぁ……エルザ。何だか凄く怖い顔だね]


「その下衆を連れて去れ。堕天使アスタロト」


[え、いや……あの、大丈夫かい? もし争いの被害がエルフの里に及べば……]


 アスタロトは躊躇した。


 エルザの剣幕に。


「……」


 そして一向に去ろうとしないアスタロトを見たエルザは、無言で右手をアスタロトとバアル=ゼブルの方へ差し伸べて告げる。


「去れ」


 凍てついた声を、凍てついた視線が追いかけ、最後に凍てつく笑みが、常になく緊張を面に出したアスタロトを包んだ。


[う、判った。行くよ! バアル=ゼブル! ……あれ? バアル=ゼブル!?]



 アスタロトが発した声に、いつもの軽い反応は無い。


 その時バアル=ゼブルの反応はアスタロトではなく。


[エ、エル……ザ……]


 彼を吹き飛ばした相手、エルザの顔に集中していた。



[ちょっと待ってくれエルザ! おいバアル=ゼブル!? 気をしっかり持つんだ!]


 アスタロトはバアル=ゼブルの肩を掴んで前後に揺さぶる。


 だがその目は焦点をどこかに置き去りにしたかのように、眼前のアスタロトを映し出してはいなかった。


「待ってください! エルザ司祭!」


 そのバアル=ゼブルのただならぬ様子と、アスタロトの必死な声を聞き、アルバトールは我に返ってエルザの肩に両手を置いた。


「落ち着いてください! 今の彼らに戦いを挑んでくる気配はありません! それに貴女自身が言っていたのではありませんか! エルフの里では如何に天使と魔族と言えども刃傷沙汰はご法度だと!」


 だがエルザはアルバトールを無視するかのように押しのけ、歩を進める。


 このままなし崩しに魔族と戦いになるか、そう思われた瞬間。



[……あの時のことが、これほど後を引くだなんてね……]



 ぽつりとアスタロトが呟き、同時にエルザは歩みを止め、そして間に割って入ったアルバトールは座り込んでいる旧神の顔を覗き込んだ。


「バアル=ゼブルは大丈夫なのか? この様子は尋常じゃないぞ」


 いまだ心ここにあらず、といったバアル=ゼブルの様子を見てアルバトールは問いかけるが、アスタロトは何も答えずに目の前の愛しい弟を肩に担ぎ。


[また会おうエルザ。そしてアルバたん……天使アルバトール。エルザを止めてくれてありがとう。だけどその優しさは、いつかきっと君の命取りとなる。そのことをよく覚えておくんだね]


 アルバトールへ忠告を残すと、東の方角へ飛んでいったのだった。



「……ブロトーヌに戻りますよ、天使アルバトール。エレーヌ様、セイ」


「気付いていたのか」


 魔族の気配が消えた後、エルザは木陰に声をかけてフードを目深に被る。


「あの騒ぎで気付かない貴女ではないでしょう。では」


 そして姿を現したエレーヌにも、アルバトールにも、彼女の背後に居たセイにすら顔を見せようとせず、エルザは踵を返してブロトーヌに歩き出していた。


「待ってくださいエルザ司祭」


 しかしそれを押し留めようと、彼女の前に立ちはだかる者が居た。


「待ちません」


 短く答えるエルザの顔を、アルバトールは真正面から見つめる。


 彼が見つめる先の表情には、先ほどのバアル=ゼブル同様に余裕が無かった。


「その顔でどなたに会うというのですか。いつでも、誰に対しても、その余裕の表情を崩すことの無かった貴女が」


 言葉を聞き、エルザは立ち尽くす。


 信じられないことに、彼女は立ち尽くしていたのだ。


「聞かせて下さい。ただ一人の旧神の顔を見ただけで我を忘れた理由を」


 思いを露わにして、揺れるエルザの瞳。


「嫌とは言わせません。この先の戦いで貴女が我を忘れるようなことがあれば、それは僕にとっても生死に関わる問題となるのですから」


 固い決意を秘めた、アルバトールの瞳。


 その対照的な瞳同士の間に、しばらくの時は流れ。


「仕方……ありませんわね……」



 いつになく弱々しいエルザの声で、その悲劇は語られることとなった。

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