第207話 動いたら負けだと思っている
フォルセール領と王領テイレシアの領境一帯に広がる、なぜか巨大なクレーターが存在する森の中。
ある日、そこでちょっとした騒ぎが起こっていた。
「行きますよエルザ司祭。下手な手出しは火傷の元です」
「あらあら。では火元を消し飛ばせば……あン」
その騒ぎの原因であるエルザが未練がましい目をしつつ、アルバトールとセイに引きずられて魔物の気配から遠ざかっていく。
「まったく、あちこちに火を点けて騒ぎを起こさねば気が済まんのか? 頼むからエルフの里で騒ぎを起こすのだけはやめてくれよエルザ司祭」
そして二人に加勢を始めた黒い肌、黒い髪のハーフエルフの女性が、渋い表情でぶつぶつと文句を言い始めると、エルザは心外とばかりに目を見開いて口に手を当てた後、反論を始めていた。
「分かっておりますわエレーヌ様。エルフの里での刃傷沙汰は、例え魔族と天使という仇敵同士でも禁止。それが太古よりの決まり事ですわ」
穢れの無い瞳でにっこりと笑い、淀みなくスラスラと。
「ウソだな」
「嘘ですね、絶対わかってない顔ですよこれは」
だがそれは、当然のように即座に二人から否定されていた。
[ピュイ?]
と言うわけでエルザは、事情が呑み込めていないセイの顔をじっと見つめる。
[司祭さま、いい人だよ? ご主人]
「あらあら、セイは本当にいい子ですね。いつの間にか悪い子になってしまった目の前の天使とはえらい違いですわ」
意を得たエルザは朗らかに笑い、それに釣られてセイも楽しそうに笑い始め、アルバトールがそんな二人に溜息をついた時、彼は魔族の気配を近くに感じ取る。
「逃げますよ」
そして即座に安全な退路を探し当て、真っ先に走り始めていた。
「悪い子なので謝罪はしませんね。それより急ぎましょう、無用な戦いになれば、セイも巻き込まれるかも知れません」
背後の不満を無視しながら、魔族の少ない方へ、少ない方へと迷いなく突き進む。
(いつもながら困ったお人だな。それにしても、これだけで本当に王都の子供たちは助かるのだろうか)
それでも避けられない魔物を確認した彼は、腰の剣をいつでも抜けるように構え、やや前傾姿勢となりながら走った。
王都に噂を流し、決められた日時に領境付近の森を通ってエルフの里へ向かう。
アルバトールがシルヴェールから命じられたのは、その二つだけである。
(だけど陛下やベルナール殿がこれでいいと言ったのだから、信じるしかないか!)
いきなり飛び出てきた魔物を一合も交えることなく切り捨て、彼は突き進む。
そして追跡を振り切った彼らは、北西へ、北西へと向かったのだった。
一週間後、彼らの姿はアギルス領の中央近くを占める森の中にあった。
「もうそろそろトーレ・モレヴリエールですか?」
「ああ、五~六時間も歩けば着くだろう。そこは私がエルフ族を追放された時に反対してくれた数少ない里だから、助力を頼むならそこが一番のはずだ」
アルバトールの問いに、森の中に入ってから元気が増したように見える、だが発する声に徐々に張りが無くなってきたエレーヌが答える。
「ここは相変わらず変わらないな……まるで変化を拒絶しているかのようだ」
里に近づくごとに目に入ってくる、見覚えのある景色。
里を追放された時のことを思い出したのか、エレーヌの顔は時々翳りを見せるようになっていた。
「そう言えば、今回エルフたちに加工を頼む手筈になっている、竜族の素材とは何なのでしょうか? 見たところ何も持ってきていないように見えますが」
アルバトールはそんなエレーヌの気分転換をさせようと、今回の旅の目的である竜族の素材、ひいては竜族についてエルザに尋ねる。
「竜族の素材なら、そこにありますわ」
「そこ?」
するとエルザは、セイが背負っている小さいリュックを指差して答えていた。
「この中に入っているのですか? 竜ってかなり大きいイメージがあるんですが」
「大きいですわね。個体によっては山と化した者もいたくらいですから」
「山ですか」
かつてはこの世界、セテルニウスの支配者だった竜族。
なんらかの異変によってその数を激減させ、今は人の間に入り混じり、問題を起こさないようにひっそりと暮らしている、と言うのが出発前にエルザに聞いた情報である。
「必要なら要点をまとめた情報をアーカイブ術で送りますわよ。貴方の持っている情報量では膨大過ぎて、なかなか要領を得ないでしょう」
「それではエレーヌ殿やセイが情報から置き去りになるだけだと思いますが。少しリュックの中を見てもよろしいですか?」
「ダメですわ。開けるのはエルフの里についてから、とエステル夫人から厳命されております。何かあった時に責任が取れますか? 取れるなら私が……」
「やめましょう。エステル夫人と聞いて、何となく想像はつきましたから」
「えー」
アルバトールはリュックに複雑な結界――郊外の礼拝堂と酷似した――が張り巡らされているのを見てとった後、少し休憩する旨を伝え、ついでに竜族についての説明をエルザに頼んだ。
「まぁ、話してほしいと言えば話さないでもありませんが……」
気が引ける出来事があったのか、エルザはなかなか話そうとしない。
[なになに! セイ聞きたい!]
だが隣で目を輝かせるセイの顔を見た途端に苦笑を浮かべ、エルザはその重い口を開いたのだった。
「竜族は人間がこの世界に生まれる前、この大地を支配していました。その外見はぶっちゃけ、コウモリの羽根が生えたデカいトカゲや蛇ですわね」
[トカゲ? 蛇? 竜族おいしいの?]
「ええ」
途端にぼたぼたと涎を垂らすセイを温かい目で見つめ、エルザは話を続けた。
「彼らは肉体的な強さに加え、炎や毒などの色々な物を体内で生成し、吐き出すブレスなどを武器にしていました。ですがその最大の特徴は、魔術に恐ろしく秀でていたことです」
「そう言えば、魔力の残滓が未だに素材に残ってましたね……しかも異常なほど」
強大な魔力の干渉を受けた物は、数週間に渡ってその残滓が残る。
だが彼が見た竜の素材には、数千万年と言う時を経ても未だに残っていたのだ。
「彼らはその魔術を使い、この世界を自分たちの住みよいように変えていきました。その力は天候をも操り、病気や怪我はおろか、天寿すら改変したのです」
「それは凄い」
「……いや、それは少しおかしくないか、エルザ司祭」
黙って二人の会話を聞いていたエレーヌだが、そこで疑問が生まれたのだろうか、彼女はエルザの話を遮るように口を挟む。
「なぜそんなに繁栄した種族が滅びたのだ? なぜその種族が残したものが、体の一部だけなのだ? しかるべき栄華の痕跡が存在してもおかしくないのに、なぜそれらを我らが目にすることは無いのだ?」
声に覇気が戻ったエレーヌの顔を見てエルザは微笑み、答えた。
「彼らはすべてを術に頼り過ぎてしまったのですよ」
エルザは少々の後悔を表情に浮かべる。
「道具や財産、住居などの文明の枠組みに入るすべてを、彼らは術によって成し得ました。光や空気を捻じ曲げて服の代用をし、また術で外的刺激を遮ることが常識だった彼らには、住居すら必要ありませんでした」
エルザは法衣の袖を撫でながら、寂しげに呟いた。
「移動、情報の伝達、食事。強壮な肉体の維持すら、その場から体を動かすことなく術によって代用したのです。その結果、彼らは彼ら自身の体以外、何も残すことは出来ませんでした」
「……それって、生きてるって言えるんですかね」
アルバトールの問いに、エルザは軽く首を振った。
「言えませんわ。呼吸や排泄すら術で代用するそれは、もはや血が流れているだけの置物。生物として停滞したそれに、この世界を任せる訳にはいきませんでした」
「ただそこに在るだけの存在……」
そのアルバトールの独り言に反応するかのように、悪戯っぽくエルザが答える。
「なのでちょっとルシフェルが刺激を与えまして」
「天魔大戦ですか?」
「いえ、その頃はまだ人は産まれておらず、天使の角笛すら編み出されていない頃ですから、ルシフェルはまだ主の隣にて忙しい毎日を送っておりましたわ」
「なるほど」
エルザは天を見上げ、落ちてくる何かを支えるように手をかざす。
「術の名はアプサント。天空の際にある巨大な星屑を召喚するもの。圧倒的なルシフェルの力は、ほぼ休眠状態となっていた竜たちには防げませんでした」
「そして滅びた、ですか」
「いえ、直撃したのに何故か普通に生き延びた上、流石にカチンと来たのか急に活発に動き始めて私たちに戦争を仕掛けてきまして」
「……」
「それから不倶戴天の敵とばかりにしばらく戦いは続いたのですが、ルシフェルが落とした星屑が原因でセテルニウスにおける四大精霊の活動が鈍りまして。火は熱を弱め、風は循環を弱め、水は清廉さを失い、大地は腐り……世界が濁り始めたのです」
「大変じゃないですか。後先考えないやり方って天使に共通の……いだだッ!?」
こめかみに拳をグリグリされたアルバトールが叫びを上げ、沈黙する。
「我々は天界に退避できるのですが、竜族は物質界に根差している上に所詮は変温動物。下がった気温によって冬眠に入ったものたちからどんどん封印していって、そこで戦いは終了です」
[司祭さま、残ったトカゲどこいったの? 人に紛れたって言ってたトカゲ]
「さぁ……とにかく和平は結ばれましたし、そもそも彼らは怠惰そのものの生活を送れればそれで良いと考える種族ですから、どこかで寝ているかも知れませんね。で、反省した我々が生み出したのが人間たちですわ」
残念そうな顔をするセイの頭に、エルザがぽんと手を置く。
「大丈夫ですわ。私が見たところ、先ほどの竜の素材にはこの春先に剥がれ落ちた鱗が混じっていましたから、また星屑を落とせば……」
「この場でしょっぴかれてフォルセールに送還されたいか? エルザ司祭」
「冗談ですわ」
睨み付けてくるエレーヌにニコリと笑顔を返し、エルザは頭を抑えながら復活したアルバトールへ出発の提案をした。
「そうしますか。しかし春先に剥がれ落ちた鱗とは?」
アルバトールはエルザの提案を聞いて立ち上がり、最後の質問をした。
「彼らはネコや犬みたいに冬と夏で鱗が違うのですわ。なので春と秋にそれぞれ鱗が生え変わるのです。ちなみに竜の牙は年がら年中生え変わってます」
もはや伝説と化した神秘の生命が、俗な生命であるネコや犬に例えられてしまう悲劇にアルバトールは頭を抱え、夢から現実へ引き戻された子供の顔をする。
「無知なる事は幸せかな。では行きますか」
そして彼らは、一本の巨大な木に向かって歩き出したのだった。
しばらく歩き、昼食を摂り、その後特有のアンニュイな午後。
彼らは巨大と言うも愚かしい、一本の木の洞の前に立っていた。
「ここですか?」
「ここだな。ちょっと待っててくれ」
エレーヌは首飾りを外して手に持つと、それを洞の中にかざす。
その間、手持ち無沙汰の三人は世間話に興じ始めていた。
「久しぶりですわね、エルフたちに会うのは」
「何か注意点とかあるんですか? プライドが高く、他種族を見下す傾向があると聞いたことはありますが」
「そうですわね、少々言語が特殊なので、慣れるのに時間がかかりますわね。その他はおいおい教えましょう。それからセイ、貴女は絶対に喋ってはいけませんよ」
「はぁ」[ピュイ]
程なく洞の中に淡い緑の光が満ち。
「入ってくれ皆」
その光に次々と入っていった彼らは、目を満たす光に思わずまぶたを閉じた。
「おお……」
次に彼らの眼に見えたのは果てしなく広がる青空、そして木の上から見おろしたアギルス領。
そして駆け寄ってくる美しい女性だった。
【エレーヌ!? エレーヌなの!?】
【ソフィー! 相変わらず吐き気を催す顔をしているな!】
(ん? んー……。えーと、とりあえず木の上に住んでるなんて凄いなー)
枝の分かれ目に建ちならぶ家々、その間を渡るために枝に打ち付けられた板。
あちこちには歩哨に立つ見張り台などもあり、それらすべてが樹上にあることにも驚くが、何よりもアルバトールが驚いた光景は。
【貴女も枯れ木みたいに貧相な体になって……思わず噴き出してしまいそうだわ!】
抱き合いながら再会の喜びを罵倒しあうエルフの女性たちだった。
「何ですか、これ」
何だか置きざりにされた気分になったアルバトールは、思わずそう呟く。
「何ですかも何も、エルフ語ですわ」
その問いに答えたのはエルザだった。
先ほど説明したでしょう、と露骨に見下す視線をアルバトールに送り、やれやれと言わんばかりに両手を上げ、ぷひーと息を吐きながら首を振る。
「いやだって、特殊な言語とは聞きましたけど……普通に理解できるから特殊どこいった、みたいな?」
「特殊な表現と言った方が正しかったかも知れませんわね。まぁこんな感じで人間やドワーフの言語とは反対の感情表現をしますから、多少プライドが高いように見えるかも知れませんわね」
「……どこから見ても罵り合っているようにしか見えませんが」
再会の喜びもひとしお、と言うべきだろうか言うべきなのだろう。
挨拶が終わったエレーヌが、ソフィーと呼ばれた女性を連れて戻ってくる。
【天使風情とクズな魔物が一緒にいるとは、呆れ果てて物も言えませんわ。本来ならここから叩きだすところですが、エレーヌの知り合いですから勘弁して差し上げましょう。こちらへ来なさい。長老が嫌々ながらお会いになるでしょう】
【あらあら、あまりおふざけになるとカチンと来て里ごと滅ぼしますわよ】
先に立って案内するソフィーにエルザはそう言うと、狼狽えるアルバトールとセイを連れ、エレーヌと並んで歩き始めたのだった。
【ほう、久しぶりじゃなエルザ。おめおめと良く顔を出せたものじゃ】
【お久しぶりですわねヴェルンド。貴方の顔を見る羽目になるとは、長生きはしたくないものですわね】
樹木の幹にあたる部分に開いた洞を利用し、建てられた大きな家。
そこへ入ったアルバトールたちは、エルフにしては珍しくアゴ髭を生やしたヴェルンドと言う男性の出迎えを受け、床の敷物に座って二人の話を聞いていた。
【で、今日は何用じゃ? と言っても、ヴァルプルギスの夜が近づいているこの時期にお前が来る用など一つしかないが】
【お察しの通りですわ。ただ今回は少し変わった素材を持ってきておりますが】
エルザはセイにリュックを開けるように言う。
【それは少し待ってもらおう。エルザ、ちと今回は喜んでやろうと思っておる】
【あらあら、それはまた……何かあったのですか?】
雲行きが怪しいのかそうでもないのか。
訳が分からなくなったアルバトールは、隣のエレーヌに事の成り行きを聞く。
「どうやら族長は、素材の加工をしたくないらしい」
「なっ……」
そのエレーヌの返答に、アルバトールは絶句する。
そして目の前のヴェルンドがニヤニヤと笑っているのを見て、笑っているのか申し訳なく思っているのか、判断に悩み始めるのであった。




