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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
王都争奪編

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第193話 女王ヘーラー

「あれか?」


「あれだと思う」


「スキュラと言うのは、人を食う魔物だと聞いていたのだが」


「僕もそう聞いてる」



 アルバトールとヘルメースが見つめる前方の岩場では、スキュラが犬の顔を水中に投げ込んでは引き上げている。


 そして運よく犬が魚を咥えていれば、それを取り合って喧嘩をしていた。



「ああ、あのスキュラは獲物をとれないスキュラのようでしてね。あっしらもあまりに不憫だから、近くを通るたびに食い物を投げつけてやってたくらいでさ」


「餌付けか」


「変な食べ物を与えると、下痢や嘔吐の症状が出るんじゃ?」


 アルバトールは船長にそう指摘をした後、横にいるヘルメースが何か丸いものを持っていることに気付く。


 ひょっとすると魚の争奪戦に負けた挙句、飼い犬ならぬ腹部の犬に手を噛まれたスキュラを憐れんだのだろうか。


 ヘルメースは丸々とした大きな玉ねぎを前方に放り投げ、綺麗な放物線を描くそれは、これまた綺麗に一匹の犬の口の中にするりと入り込んでいく。



「……あ、吐き出した」


「失礼な犬だな。このヘルメースが与えた食べ物を吐き出すとは」


「緑の旦那、犬に玉ねぎは毒ですぜ」


「だがスキュラ上半身は嬉しそうだ。今のうちに説得に移るとするか」


「あ、おい!」



 アルバトールが止める間もなく、ヘルメースはスキュラのもとへと飛び。


「御機嫌よう、美しい姫」


 全身を犬に噛まれながらも、優雅な笑顔をしたままスキュラの上半身に話しかける。



「何というタフガイ。不死身とは言え、犬の涎は臭いだろうに」


 そしてアルバトールや船員たちが見つめる中、ヘルメースはスキュラの手を取り、恥じらう彼女の顔を右手ですくいあげ。


「馬鹿な……女性の顔がついているとは言え、生魚を食したばかりの魔物とディープキスだと……」


 驚きの声を上げるアルバトールの周りからも、ヘルメースの慈悲深さ(多分)に対して称賛の声が次々と上がっていく。


 そして腰砕けになったスキュラを軽く抱擁した後、彼女を置いてヘルメースは飛び上がり、船に戻って来ようとするが。


「……まぁそうなるよね。ちょっと行ってくる」


 首を伸ばした犬にまたも全身を噛みつかれ、空中で止まってしまったヘルメースを助けにアルバトールもまた船を飛び立つのだった。



「どうだった?」


「鱗が歯に挟まってた」


「いやそうじゃなくて」


「股間のことか? 鍛冶の神へーパイストスに特注した、オリハルコン製のコッドピースでガードしているから傷一つついていないぞ」


「そっちでもない! なんでスキュラがここにいるのかってことを聞きたいんだよ!」



 ちなみにコッドピースとは過去に実在したもので、股間をガード、あるいは盛り立てる男性用の装飾具のことである。


 その昔やんごとなき身分の者たちが、自らの魅力を競い合うために飾り立て、中には宝石を埋め込んだものすらあったという。


 なお今放たれているヘルメースの股間の光が、その宝石に由来する物かどうかは定かではない。



「そっちか。ええとだな、元々彼女はセイレーンだったらしい。それがヘーラーの怒りをかって、スキュラに変えられてしまったようだ」


「やはりそうか……美しい女性の姿をしていながらも、その背中には鳥の羽根を生やし。美しい歌声を持っていながらも、その歌を船乗りの魅了に使う。海の魔女と呼ばれし者たちセイレーン」


 アルバトールは天を見上げ、うめくように呟き、足元から注意を逸らした時にちょうど大波で船が揺られたため、ちょっとバランスを崩してコケそうになる。


「しかしヘルメース、それでは少しおかしくないか? 確かゼウスは女神や人間たちとの間に子供は作ったが、魔物との間に子供は作っていなかったような」


「君は時として回りくどい言い方をするな。結合なり性交なり性行為なり言えばいいではないか。まぁいい。たしかセイレーンは元々ニュンペーと呼ばれる、妖精と女神の中間のような存在だから、その時にゼウスが手を出したのかもしれん」


 そのヘルメースの説明を聞き、アルバトールが首をかしげる。


「んー、つまり? ゼウスの浮気が後になってバレたってこと?」


「もしくはゼウスと浮気相手との間にできた子供が、セイレーンに言い寄ったのかもしれん。とにかくヘーラーのヒステリーは、稀によく我々にも予想がつかないほうへ向かう傾向があるからな」


「稀にあるのか良くあるのかはっきりしろ」


「そんな些細なことを気にするうちは、君もまだまだ童貞だな」



 アルバトールは溜息をつき、岩場の上でとろけているスキュラを見つめた。



「魔物とは言え、あのような不憫な身の上の者を放置するわけにはいかない……か」


「旦那、足元でヘルメースの旦那が不憫な姿になっていますがどうしますかい」


「そうだね……ヘルメースしっかりしろ! 今治療してやるからな!」


 アルバトールはスキュラを迂回しなかったために増えた見たくもない物、つまり黒焦げのヘルメースを励ましながら、法術による治療を行い始めるのだった。



「では行くぞアルバトール! あのスキュラもしくはセイレーンのちニュンペーになる予定を救い、呪いを解いて僕の嫁にするために!」


「でもアーカイブの情報によると、ニュンペーは人間に興味はあっても、神々にあまり興味は無いってあるけど」


「大丈夫だ。いざとなれば動物に化けたりすればいいとゼウスも言っている」


「ホント君たちは女性を抱くために全力を尽くすよね……頭脳と股間が直結してるんじゃないの?」



 だが盛り上がる二人というか一人だけで盛り上がっているヘルメースを見て、船長は冷たい声でぽつりと呟く。


「旦那、私掠船のお勤めを忘れてもらっちゃ困りますぜ」


 と言うことで今度は一週間ほど海をさまようが、やはり商船を見つけられずに彼らは港に戻ったのだった。



「そんじゃ旦那、船員たちが久しぶりの陸を楽しんでる間に頼みますぜ。まぁこうも獲物を見つけられないんじゃあ普通に商品を運ばなきゃやってられないんで、ちょっくらそっちの手続きもしてくることも考えると、一週間ほどは余裕があるでしょう」


「分かった。しかしこれほど他の国の商船が見つからないなんて有り得るのか? 船が安全に航行できる海路は数本に限られているし、新しいものを見つけると言っても、そうたやすくは見つからないだろうに」


「まぁ会わない時はこんなもんでさ。そんじゃあっしはこれで」


 そう言うと船長は無精ヒゲを触りつつ、港湾の管理局へと向かった。


「では僕たちも行こうかヘルメース……おい何で目先の女性に釣られてるんだ」


 港に戻って来た船乗りたちに近寄り、ネズミ鳴きをする女性たちのところへ向かおうとするヘルメースの首根っこをがっしり捕まえると、アルバトールは東へと飛んだ。




「キタイロ山? ヘーラーも十二神の一人なのに、オリュンポス山に居ないのか?」


「ゼウスと喧嘩した後は大体そこで拗ねている」


「まるで子供だな」


 ヘルメースは苦笑し、一つの昔話をアルバトールにして見せる。


「昔なかなか帰ってこなかった時があって、その時ゼウスは再婚すると嘘をついて木製の人形に花嫁衣裳を着せ、キタイロ山を練り歩いたらしい」


「結果は?」


「再使用できないほどに、人形は破壊されたそうだ」


 それを聞き、アルバトールは噴き出しかけるが、すぐにその顔を凍り付かせる。


「それ、人形じゃなかったらどうするつもりだったの?」


「だから人形を用意したんだろうさ」


 ヘルメースの返答にアルバトールが一筋の冷や汗を流し、それが乾ききる頃。


 彼らはキタイロ山にある、ヘーラーの隠れ家へと到着していた。



「何者だ貴様! ここは神々の女王ヘーラー様の離宮であるぞ!」


 だがアルバトールが中に入ろうとした時、トーガを纏った一人の女性が彼の前に立ちはだかる。


「天使アルバトールですどうぞよろしく。これは手土産のネクタールです」


 怒鳴ってくる彼女に、アルバトールは事前にヘルメースから手渡されていた十二神たちの飲み物ネクタールを渡し、自己紹介をしてヘーラーへの面会を求めるが。


「あ、はい。これはご丁寧にどうも……って違う! この虹の女神イーリスが手土産などに惑わされ、不審な輩をヘーラー様の御前にそのまま通すと思ったのか!」


 イーリスはなかなか首を縦に振ろうとしない。


「アルバトール? そんな名前の天使がいるなど私は聞いたことが無いぞ。まぁいい、ヘーラー様は寛大なお方であるからな。もしお前がヘーラー様に用事があり、会いたいというなら、これから私が出す三つの条件を満たすのだ」


「こちらも時間がそれほどあるわけではない。なんとか会わせてくれないか」


 アルバトールの頼みに、イーリスは耳を貸さずに条件を突き付けてくる。


「一つ、神の食物アンブロシアを持ってくること。二つ、地下を流れるステュクス河の水を汲んでくること。三つ、ええとネクタールはあるから……」


 ほとほとアルバトールが困り果てた頃、その場に一人の男が現れた。



「フッ、そのへんにしておくんだなイーリスよ」


「あ、あなたは……」


 キタイロ山の一部が、後から姿を現した緑色の男によってその色を変える。


 その男の顔を見ると同時に、イーリスは驚愕の叫びを上げた。


「ヘルメース……! オリュンボス十二神の一人! ヘルメース!」


「久しぶりだなイーリス」


「ば、馬鹿な……どうして十二神の一人がここに……」


 イーリスはそう言ってよろめき、数歩ほど後ろに下がる。


 その様子を見るに、どうやら彼女はヘルメースに対して苦手意識があるようだった。


(なんでこんな回りくどい事をする必要があるのかなぁ)



 そんなアルバトールの愚痴を余所に、ヘルメースとイーリスの二人はどんどんテンションを上げていく。



「フッ、知れたこと。僕はここにトイレを借りに来たのだ!」


「それならあちらに客人用のものがあるのでどうぞ」



 ヘルメースが現れた理由を聞いたイーリスは、脇の茅葺かやぶき、土壁の臭そうな小屋を指さし、ヘルメースを案内しようとする。


「待て、あれは……汲み取り式ではないのか?」


 だが小屋に水が入っている様子がないのを見たヘルメースは、途端にイーリスに冷え切った視線を送りつけていた。


「そ、それは……」


「イーリスよ、君はこの十二神の一人にしてゼウス直属の部下、ヘルメースに対して汲み取り式のトイレを使わせるつもりか?」


 ヘルメースは激怒した。


 必ずやこの無礼千万な女神を許さぬと決意し、叱りつけてビシリと指差し、アルバトールはこの三文芝居がいつ終わるのかと生ぬるい視線を送りつけた。


「もしもおつりが来て僕の全身がウンコまみれになり、次の神へ伝令に向かうことが出来なくなったら君はその責任を取れるのか!」



 しかし。



「あ、その場合は私が代理で参りますので」


 ゼウスの伝令役であるヘルメースのように、ヘーラーの伝令を務めるイーリスはあっさりとそう言ってのける。



 だが。



「そうか。では今からハーデースのところに行ってきてくれ」


「え」


 まさか今からとは思っていなかったイーリスは、ヘルメースを見て固まる。


「実は最近、僕の役目の一つでもある亡者の案内をする暇が無くてね。二千人ほど頼むよイーリス」


 目を丸くして茫然とした後、イーリスはポンと手を打ってヘルメースへ明るい笑顔を浮かべ。


「ヘーラー様にお伺いを立てて参りますので、少々お待ちくださいませヘルメース様、アルバトール様」


 そうしてイーリスは建物の中へと消え、ヘルメースは隣のアルバトールへ軽く目をつぶって見せる。


「さて、いよいよヘーラーと御対面だ。頼んだぞアルバトール」



 そして再び現れたイーリスの案内で、ヘルメースとアルバトールは建物の中に入って行ったのだった。



「最初に申し上げておくことがございます、アルバトール様」


「はい」


「ヘーラー様は大変高貴で誇り高いお方。人間の王族に仕える身である貴方様であれば、おそらく礼儀作法については大丈夫であろうとは思いますが、くれぐれもお気をつけくださいませ」


 アルバトールはゼウスの知り合いであるとヘルメースから説明され、途端に態度を変えたイーリスは、歩きながら幾つかの注意事項を告げる。


 アルバトールはそれに頷くと、本当にトイレに消えたヘルメースに心の中で、初対面の相手に一人で会わせるなよ、と愚痴をこぼしていた。


「ではこちらにヘーラー様はいらっしゃいます。それでは私はこれで」


「あ……はい」


 一瞬で遠ざかっていくイーリスに奇異の目を送った後、アルバトールは部屋の扉を開けて閉め、直後に再び中から開けられた扉の中にひょいと連れ込まれる。



「いやあああああ酒臭いいいいいいいいいッ!?」


「ゼウスの馬鹿ああああああうえええええええんんんぉおろえ”え”え”え”…………」



 その悲鳴を聞き、両膝をついた姿勢のまま廊下の曲がり角で手を合わせるイーリスの肩を、彼女の背後から音もなく近づいてきたヘルメースが優しく叩く。



「……お役目ご苦労。ヘーラーが愚痴を吐き出し、純潔を取り戻したら呼んでくれ」


「任務に私情を挟まないその冷酷さ。相変わらずですねヘルメース」


「黙って案内した君に言われたくはないな。それではまた後で会おうイーリス」



 軽く身をひるがえし、外へ向かって歩き出すヘルメースを見て、イーリスは何かを思い出したように素早く立ち上がって叫ぶ。



「あ、ちょっと! きちんと手を洗ったんですかヘルメース!?」



 だが、その時すでにヘルメースは姿を消していた。

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