第190話 ゼウスへの報酬
空から響く戦いの轟音に紛れ、ドワーフたちが違法採掘を行う。
最近そんな風景が日常になっているここは、フォルセール郊外にあるいつもの礼拝堂の近くに広がる、いつもの丘陵地帯。
空から絶え間なく響きわたっていた、大地を震わせるほどの激しい音が止み、その音源となっていた二人が会話を始めた頃。
礼拝堂の地下に広がる坑道では、ある人物を見たドワーフたちが数々の悲鳴を上げていたが、それはまた別のお話。
「ま、こんなもんやろ。ボンなかなかお上手になってきたで」
「それはどうも」
「なんやその素っ気ない返事は。このワシに稽古の相手になってもろた光栄を、ありがたく噛みしめんかい」
「無報酬で引き受けて頂けたなら、僕なんかの頭をいくら下げてお礼をしても追いつかなかったんだけど、申し訳ないことに今回貴方に差し上げるお礼の中に、僕の敬意は入っていないんだよね」
その答えを聞き、むすっとするゼウスにアルバトールは軽く笑いかける。
「それと教会に居る女性は皆敬虔な信徒だから、恋の逢瀬を楽しむのは無理だと思うよゼウス」
「そこは心配せんでええ。ワシの恋愛は、既に結果より経過よ。駆け引きを楽しんで、その後に成就するかどうかはオマケみたいなもんや。男と女の関係っちゅうよりは、口説く相手の人間味を楽しむっちゅう感じやな」
ゼウスは満足げに言うと、下から立ち昇って来た気配、おそらくはエルザが発する怒気を感じ取り、面前で苦笑を浮かべる若者と互いに笑い始め。
なまなかな術では、地上にそよ風すら吹かせられない高さに浮かぶ二つの人影は、先ほどまでの戦いの余波である精霊力の残滓を周囲に残したまま会話を再開する。
「アイギスの術もほぼ完璧に近い形になっとったし、まぁ合格にしといたろ。それにしても、ボンと初めて会った時とはえらい違いやな」
アルバトールは苦笑いを浮かべ、ゼウスに及第点を貰ったアイギスを発動させてその感触を確かめる。
「最初に会った時は、まさかヘルメースを巻き込んでまで撃ってくるとは思っていなかったし、それにルーやアスタロトと連戦してからまだそれほど時が経っていなかったからね。十分に力が戻っていなかったんだよ」
「なるほどのう」
しみじみと頷くゼウスを、アルバトールはじっと見つめて口を開く。
「それではゼウス、僕も少し貴方に聞きたいことがある。先ほど撃ってきた雷霆の威力は、どのくらい手加減しているんだ?」
その問いを聞いたゼウスは、意味が分からないとばかりに目をしばたかせ、数秒ほど時間が経った後にようやく答える。
「まぁ本気っちゃ本気やな。一口に雷霆っちゅうても、用途によって数種類のモンがあるさかいな。さっきまでボンにつことったんは、アテーナーやヘーラーに貸すこともある初心者用の奴や」
「と言うことは、中級者や上級者向けのものもある……?」
「中級は広範囲の無差別型やな。ヘルメースやアテーナーから聞いとるかもしれんが、昔ワシがテューポーンっちゅう、おもろない奴と戦った時に世界のことごとくを焼き尽くしたんがこれや」
「へ? 中級が?」
口をポカンと開けたアルバトールを見てゼウスは眉を寄せ、呆れた口調で返答する。
「制御も操作もせんと、力任せに放つモンのどこが凄いんや? 何も考えんと、まっすぐの道に沿って全力で馬を走らせるのと、曲がりくねった道を、馬を操って速度をなるべく落とさんで走るのとどっちが難しいかは、子供でも分かることやで」
「まぁ、そうだけど……」
「世界を焼き尽くせても、戦こうとる相手に通用せんのやったら役立たずや。オマケに今となってはそれすらでけん。ま、雷霆の威力だけが封じ込められたわけや無いからどうでもエエけどな」
ゼウスは腰に手を当て、ゆっくりと溜息をついた後に再び説明を始める。
「で、上級者向けがほぼすべての防御を無効化する、威力と貫通力に優れた雷霆やな。これになると、完璧な状態のアイギスですら防ぐんは難しい」
アルバトールはゼウスが口にした説明に聖天術に似た印象を受け、そのことを伝えると、オリュンポス十二神の長はあっさりと白状した。
「そらそやろ。聖天術クラウ・ソラスを見て、ワシが雷霆を改良したんやからな。曲がりくねった道、つまり敵の防御を貫き掻い潜り、本体にぶち当てるためにの」
「へ? 一体どこで……」
「旧神のワシより、下にいるおっかない姉ちゃんに聞いた方がええんちゃうか? 別にワシは気にせえへんけど、何もかんもワシから話したら困ることがあるかもしれん。それにしても……串刺か。その術、誰から盗んだモンや?」
ゼウスが何気なく放った質問は、思ったよりアルバトールに真剣に受け止められる。
そしてしばらく時間が経った後、アルバトールは言葉を選びながらゆっくりと、慎重に答え始めた。
「まず最初に、なんで串刺の術を盗んだと思ったのか答えてくれないか?」
「そんなもん、ボンがメタトロンを宿しとったからに決まっとるやないけ。あんのボケカス、人から勝手に雷霆の術を盗んで人間への仕置きに使いおったんやで」
その告白を聞いたアルバトールは、憤慨しながら言うゼウスを余所に、何となくエルザからガビーに送られた電撃が走るサークレットを思い出し、心に若干のかゆみを感じるような生ぬるい気分になってしまう。
「けったくそ悪い真似しおってからに、今度会ったらあのスカしたツラ、一万回は張り倒してやらな気がすまんと思いよったら、転生なんぞしてまいおって……」
「ひょっとして落ち込んでる?」
「アホか! そんなわけあるかい! そんなことより、はよ串刺について説明せんかい!」
しかしそんな時、つい先ほどまで豪放そのものだったゼウスが打って変わって肩を落とし、口調までいつもの切れが無くなってしまった姿を見たアルバトールは、そこで軽口を叩き、重くなった雰囲気を軽くしてからゼウスに串刺についての説明をした。
「経緯は判ったが……ボン、その串刺を使った時に術を暴走させたことないけ?」
「暴走? いや、まるで無いけど?」
「さっきテイレシア城の形が変わった言うとったやろ。もしワシの予想が正しかったら、それはその八雲っちゅう奴の術と法術の相乗効果で、城の復元が暴走した結果や。つまりその串刺ちゅう術も、なんらかの術と合わさったら暴走するかもしれん」
ゼウスの指摘に、アルバトールは息を呑む。
言われてみればもっともであった。
だが串刺と相乗効果があると考えられる術に、彼は一つしか心当たりはない。
それは今の彼には逆立ちしても使えない術。
「……曼荼羅、か」
「なんや言うたか? ボン」
ゼウスの問いに、アルバトールはゆっくりと首を振るが、尚もしつこく聞いてくるゼウスを見た彼は、自分が考えていたこととは別の答えを返した。
「貴方が聖天術からヒントを得て雷霆を改良したように、メタトロンも雷霆を盗んだのではなくヒントを得ただけなんじゃないか、と思っただけだよ」
途端に不機嫌な顔になるゼウスを何とかなだめすかし、地上へと降りていくと。
「あらあら、海上での戦いに目途はついたんですの?」
満悦といった感じのエルザが、彼らを待ち受けていたのだった。
「その様子だと、またドワーフたちをタダ働きさせることに成功したようですね」
礼拝堂の扉からこちらの様子をこっそり伺っているドワーフたちを見て、同情するようにアルバトールが言い放つ。
「あらあら、女性を食い物にするようなお方が人を悪しざまに……」
「それもういいですから」
興味深そうに自分を見つめてくるゼウスへ背を向け、アルバトールはエルザへ修行が上手くいった事を報告する。
だがゼウスはその報告を聞き、少しの訂正を加えた。
「串刺の使用が前提やで。それをよう覚えておきいや、ボン」
「ああ。先ほどの話も含め、覚えておくよ」
「それでも天空の支配者たる、旧神ゼウスからお墨付きを頂けたのですから大したものですわ。天使アルバトール」
滅多に聞くことの出来ないエルザの賞讃。
しかしそれを聞いたゼウスは、途端に苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
「なんやえらい嫌味言われた気がするわい。ま、確かに空中の戦いでワシ相手に互角まで持って行けたんやから、例え炎と相性の悪い海で戦うことになっても、よっぽどの敵やない限り何とか戦えるやろ」
「よっぽどの敵しか知らないんですが」
無責任に言い放つゼウスを、アルバトールは半眼で見つめる。
「ええがなええがな。さて、さしあたっての用も済んだことやし、ワシはちょっとお出かけさせてもらうで。さっきの謝礼の件、忘れんようにの、ボン」
「話はしておくよ。それにしても今からとは、そんなに急ぐ用事なのかい?」
「一つ目巨人のキュクロープスのトコに研ぎに出した、アダマスの鎌を受け取りに行かなアカンねん」
「この前、エルザ司祭が光の衣の手本を見せてくれた時に、刃が欠けたアレ?」
苦々しい表情で頷くゼウスに、エルザはけろっとした表情で話しかける。
「まさかドワーフでも直せない武器があるとは、さすがの私も知りませんでしたわ。さすが貴方たちの始祖、ウラーノスのチ○コを切り取った業物ですわね」
「ワシもあれほどあっさり鎌が欠けるとは思っとらんやったわ。修理のほうも、ドウェルグに暇があればわざわざキュクロープスの手を借りんでも良かったんやけどな。まぁそう言うこっちゃ、ほんならな」
そう言い残すと、ゼウスは東の方角へ飛んでいく。
着ているトーガの中から、何かをぶらんぶらんとさせながら。
「チ○コで始まり、チ○コで終わる、か……帰ってきたら、せめて股間くらいは隠して飛ぶように言おうかな。あ、エルザ司祭、少しお話が」
しばらく後、ゼウスへの報酬は決定された。




