第185話 静かな運河の堤防の上で
青白い光を発し、その中で成人の姿へと変わっていくガビー。
いきなりの出来事に、その場に居た者がまぶたを閉じる暇もなく閃光に目を貫かれて身動きできなくなったその時。
最初に動いたのは目が見えず、常にまぶたを閉じた状態のティアマトだった。
[この光はまさしく、わらわに子作りをしろと世界が囁いている証! ゆくぞヤッくん! 世界が祝福するこの時に、二人の愛でスカイラブタイフーンじゃ!]
激しい光でティアマト以外の全員(含むガビー)が怯む中、彼女は他の者の様子に目もくれず、目を抑えたままのヤム=ナハルに襲い掛かっていく。
[ちょっと待つんじゃティアちゃん! そもそもワシがティアちゃんから離れたのは、仕事が忙しいからだけではなく……! おっふぉ!?]
「おーい」
[ええいもどかしい! 焦らしプレイはもう沢山じゃ!]
[待て待て! 最近メンテナンスしとらんかったから……では無い! セファール一人ならまだ御目こぼしも……ふひぃぃ!?]
「もしもーし」
[っふぅ……精……霊力の貯蔵は十分か? 龍帝よ]
[ワシの言うことを聞かんかティアちゃん! まったく昔から人の……ろぉぉぉ……]
「……向こうは何だか忙しいみたいだし、こっちはこっちでイベントを進めるか」
騒ぐ河川の化身と海原の化身を余所に、光による幻惑から回復したアルバトールは、腰に下げた剣の鞘から軽い金属音を立てつつ、地面に倒れているガビーを見つめる。
自らの発した光に驚いたのか、地面に倒れたガビーは目を回しており、更に体が成長して小さくなった服に首回りをガッチリ極められ、口から泡を噴き出していた。
服は全体的に破れてしまい、公然わいせつに問われない程度には残っているものの、体を保護、あるいは隠す役割はまるで果たせておらず、またその体も四肢がだらしなく伸びており、その痛々しい姿はまるで潰れたカエルのようだった。
「おかしいな。妙齢、かつ麗しく、そこそこ豊満な肉体を持っている女性が半裸になっているのにまるで興奮しない。それどころか指をさして嘲笑したくなってきた」
とりあえず笑うなら、相手が起きてからじゃないと効率よくダメージを与えられないとアルバトールは判断し、今度は目の前の無様な姿のガビーを観察し始め、何故このような状況になったのかを考える。
「君はどう思う? ヘルメース」
「そうだな……考えられるのは一つ。この場における力場の偏りがもたらした歪み、それに起因するガビーの精神と肉体の乖離……暴走だ」
「なるほど」
アルバトールは考え込む様子を見せた後、周囲の精霊力に探りを入れ始める。
「これまでは火属性の君、風属性の僕、そして地属性のアテーナー、水属性のティアマトとガビーの五人だったから、ある程度バランスが取れていた。だがそこに強い水属性を持つヤム=ナハルが加わったために、一気に天秤が傾いたのだろう」
ヘルメースの言う通り、確かに周囲の力場は、単に運河の近くと言うだけでは説明がつかない、強い水の精霊力に満ちていた。
「と言う訳で、そろそろ僕の首筋に突き当てている炎の剣を引っ込めた方がいい。このままでは、いくら水の精霊力が強いと言っても僕の身体が焼けてしまうぞ」
「それは心配しなくていいよ。その為の炎の剣だから」
「なるほど、それでは少し体を消火してくるとしよう」
そう言うとヘルメースはガビーへわきわきと伸ばしていた両手を引っ込め、火だるまになった体を運河へと向けると、慌てる様子もなく頭から飛び込んで消火する。
「ふう、炎天下とは良く言ったものだ。まるで炎に包まれたように暑かったぞ」
「包まれたというか、君の身体が炎になってたんだけどね」
運河に飛び込んだついでとばかりに、泳ぎ始めたヘルメースをアルバトールは放置すると、ガビーの様子を見ているエレーヌの隣に座り込む。
「まったく、何が何やらさっぱり判らん。とりあえず公道に裸の女性を晒しておくわけにもいかんし、私のマントでもかけておくか……ん?」
狐につままれたような顔で、エレーヌが日除けのマントをガビーにかけようとした瞬間、再びガビーの体は淡い光に包まれ始めていた。
[ふむ、もう大丈夫のようじゃな]
「ティアちゃんか。ヤム=ナハルはどうしたんだい?」
[あっちで伸びとる。精……霊力を少々発散してやったから、これでガビーの体も少しは安定するじゃろ]
彼女の背後に横たわり、ピクリともしないヤム=ナハルを見たアルバトールが冷や汗をかきながら礼を言うと、ティアマトは高笑いして手を振る。
[仔細無い。先ほども言った通り、基本的にわらわは中立の立場じゃし、久しぶりにヤッくんと塩分交換することも出来たしの]
逞しく胸を張るティアマトにアルバトールが愛想笑いを浮かべた時、下から呻き声が聞こえることに気づいて下を見れば、そこには子供の姿に戻ったガビーが眼を開けつつあった。
「起きたかガビー、一体なにがあったんだ?」
心配そうに声をかけるアルバトール。
だが目を覚ましたガビーは、自分の体を包むマントを見て顔を赤らめ、その表情に嫌そうな表情を隠そうともしないアルバトールに向かっておずおずと口を開く。
「もう、あたしに欲情したなら素直にそう言えばいいのに……」
「エレーヌ殿、ガビーを頼みます」
「私は問題児を預かる託児所では無いのだが」
そう言いながらもエレーヌは騒ぐガビーをなだめ、その間にアルバトールは何となく干からびたように見えるヤム=ナハルと二言、三言ほど言葉を交わし。
「ティアちゃん、そろそろ出発するからヘルメースを連れ戻してきてくれないか?」
ティアちゃんを遠ざけ、その間にヤム=ナハルを放流し。
「ガビー。君は発光して餌を引き寄せるって設定になったから、誰かに聞かれたらそう答えてくれ」
「あんたナニ勝手に人を謎生物に仕立て上げてんのよ!?」
何とかその場を収めて、フォルセールに帰って行った。
そして城に戻ったアルバトールは、ある少女と再会する。
「久しぶりだね、バヤール、ラビカン……あれ?」
城の執務室に呼ばれたアルバトールは、ほぼその部屋に常在しているシルヴェールとクレメンス以外に、バヤール、ラビカン、そして意外な人物の姿を認めていた。
「そんな不思議な顔をなされないでください。お久しぶりです天使アルバトール様」
背中に一本の三つ編みで纏められていた長い銀髪が揺れると共に、一人の少女が彼の方へ振り返り、優しげだが強い意志を感じさせる、大きめの緑の瞳が命の恩人であるアルバトールを見て輝きを見せる。
そこに居たのはテスタ村の住人であり、かつて吸血鬼の集団エカルラートコミュヌの大元となっていた女性。
見た目はか弱き少女なれど、数十年を吸血鬼として過ごしていた為にアルバトールより余程年長者であるノエルだった。
「ええと、どうしてここに……じゃなくて、陛下に任務の報告をしたいので、少し席を外して貰ってもいいかい? ノエル」
「報告は後で構わん。それにどちらかと言えば、これからノエルにしてもらう報告の方が重要になるかもしれん」
シルヴェールの取り成しを聞いてアルバトールは口を閉じるが、その顔には一体何ごとなのかという疑問がありありと浮かんでおり、それを見たクレメンスが苦笑する。
「分かりやすいな君は。感情が表情に筒抜けだぞアルバトール。それだけこの城の中が安全なのだと言えなくもないが、部外者が居る時は表情を隠すようにした方がいい」
「……それだけこの部屋の中に、信用のおける人物しか居ないってことだよ」
クレメンスの指摘に少しだけ口を尖らせ、横で朗らかに笑うノエルに恨めしそうな視線を送り、シルヴェールの咳払いに応じてそちらに胸を張り、そして執務室の机の上に置かれた作物らしき緑色をした一本の物体に、アルバトールは注意を向けた。
「これがそのトウモロコシです」
「ふむ、これがな……随分と変わった形をしているな。房の形がラビカンやバヤールの尻尾にそっくりだ。この皮を剥けば中に実が入っているのか?」
ノエルが頷くのを見たシルヴェールは何枚かの皮をむき、その中にびっしりと詰まった薄い黄色の種子、食用部分を見るとアルバトールに近くに寄るように言う。
「何か怪しいところが無いか、解析してくれ」
言われるままに、アルバトールは解析を始める。
何故ノエルがここに居て、初めて見るこの作物が何なのか、どうやって手に入れたのか、などの疑問はあったが、それらは後で説明があるのだろうと思い、彼は法術のサイクルの一つを応用してトウモロコシに手をかざし、すぐに終了する。
「そうですね……特に怪しい所は見当たりません。毒性も無いようですし、精霊力の異常も見当たりません。食しても問題ないでしょう」
不安げな表情でアルバトールの手の平を見つめていたノエルは、その結果を聞いて顔を輝かせ、歓声を上げながらラビカンに抱きつく。
「良かったですね、ノエル」
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません我が主。我らのつたない法術では、解析結果に責任を持つことが叶わなかった物で」
謝罪するバヤールに気にしないように言うと、アルバトールはラビカンに頭を撫でられているノエルを見てここに来た経緯を質問する。
しかしノエルが口を開こうとするも、実際に声を発したのはシルヴェールだった。
「そう焦るなアルバトール。遠路はるばる来てくれたこの友人のために、今夜は酒宴を用意してある。エドゥアールの件についての報告もあることだし、積もる話があるならそこで話せば良かろう」
それを聞いたノエルは、慌てて身分の違いを理由に酒宴の出席を断ろうとするが、主賓が辞退しては酒宴の意味が無くなると諭され、仕方なく出席を承諾する。
「じゃ、ドレスだね!」
「ええええええええ!?」
直後にどこからともなく姿を現したジュリエンヌが、全員が呆気にとられる中ノエルの手を引き、ドアからどたばたと慌ただしく出ていく。
「……アルバトール。君の母上はいったい何者なんだ?」
「僕が知りたい」
クレメンスがぽつりと呟いた疑問に誰も答えられず、まるでその場に沈殿していく沈黙に耐えかねてしょうがなく、と言わんばかりにアルバトールの報告は始まった。
そしてほぼ時を同じくして王都に戻っていたヤム=ナハルは、城の謁見の間でアスタロトの出迎えを受けていた。
[どうしたんだいお爺ちゃん。何だかひどくお疲れのようだけど]
[マロールセリユに偵察を兼ねて布教活動に行ったら、偶然にも天使の小僧と一緒におったティアちゃんに出会ってのう……まぁ色々あったわい。なんか光って餌をおびき寄せる不憫な少女も仲間になっておった]
[何それ]
意味が分からないとばかりに首を傾げるアスタロトを見て、ヤム=ナハルは簡単な説明をし、最後にブーケ制作魔術の伝授について礼を言うとその場を去って行った。
[……ホントに何やってんだろうね……今回の天使はボクにも理解不能だ]
[お前さんが世間から浮きすぎてて、他人を理解できないだけじゃねえか?]
謁見の間の入り口から聞こえてきた弟の罵声を聞いたアスタロトは、何故か欲情したように顔を赤らめ、鼻息を荒くして入口の人影に飛びかかって行き、そして王城テイレシアは今日も爆発したのだった。




