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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
王都争奪編

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第181話 復興を見守る眼

≪ふふふ、年貢の納め時だな玉よ。実はこっそりと、所属陣営を変えていたのさ!≫


≪おのれ、と金! 貴様が歩の時から目をかけた恩義を忘れおって!≫



 ここは戦場……ではなく、テイレシア自警団の執務室の中。


 その副団長である八雲が睨み付けている将棋盤の上から、まるで動揺を誘うような甲高い声があがり、直後に対面に座って彼と将棋を指していたバアル=ゼブルが半眼で、盤上に視線を落としたままである八雲の艶やかな黒髪のつむじの当たりを見つめる。



[……おい、まさかまた付喪神が暴走とか言い出すつもりじゃねえだろうな]


「心配するな、今日はきちんと俺自身の力でこいつらにけじめをとらせよう」


 滑らかに天叢雲剣の柄に右手をやる八雲を見て盤上の駒が次々に悲鳴を上げ、バアル=ゼブルは目の前の黒髪に手刀を落とす。


[もっと性質たちが悪いじゃねえか! 俺より将棋を先に始めただけっていう、形だけの師匠っぽいアレだが、弟子に対して堂々と不正行為をして恥ずかしくねえのかよ!]


 そしてバアル=ゼブルが叫ぶと、八雲は平然とした様子で顔を上げ、鼻で笑った後に顔を少しそらし、目の前の相手を見下しながら説教を始めた。



「女々しいな。いつまでも小さいことにこだわっていると男の価値が下がるぞ」


[いや、お前今男の価値どころか、神としての存在価値が暴落してるからね?]



 その言葉が引き金となって二人は口論を始め、それを幸いに八雲は足で将棋盤をひっくり返して駒を散乱させ、その隙にバアル=ゼブルは八雲との勝負の直前に所属陣営を変えさせ、こっそり持ち駒として隠していた数枚の歩を予備の駒入れに戻す。


 騒動が起きる契機と、内容はその都度変わってはいるものの、八雲がバアル=ゼブルに将棋を教えてから、何度目になるか判らないそのてんやわんやの騒ぎを、優雅に紅茶を飲みながら微笑んで見つめる二人の女性が居た。



[平和ですね、アナト様]


[そうだな。今日はあの口うるさい死にぞこないは不在か? セファール]


[団長様は二人がこうなることが目に見えていたようで、将棋を始める前に巡回にお出かけになりました]


 両手で持ったカップを膝に置き、少し首を傾げたセファールが微笑むと、大声で争う二人の男のせいで殺伐となっていた部屋の空気が少し和らぐ。


 アナトと呼ばれた女性が部屋の雰囲気をそう感じたのは、セファールの明るく素直な性格ばかりではなく、ふわりと動くお下げの白く長い髪と、猫のようにくるくると大きさが変わる黄色い瞳の効果もあっただろう。


[この前えらく気に入っていた、かんざしとやらは今日は着けていないのか?]


[はい。これから市中に出かける用事がありますので、何かのはずみで無くしてしまっては大変ですから]


[お前が出かけるのなら私も付き合おう。どうせ兄上はしばらくここにいるだろうからな。いや、お前が謝ることではないぞセファール]



 そして二人の女性は、どうせ聞いていないだろうがそれでも一応は礼儀として、争っている二人の男性に出かけてくると言い残し、激しい音がする執務室を後にする。


 外の日差しは強かったが、セファールの周囲だけはひんやりとした涼し気な物であり、必然、涼気を求めてアナトはセファールに寄り添うように歩いたため、周囲から見た彼女たちは道ならぬ恋に落ちていると見えなくも無いものだった。 



[城に働きに出ている子供たちを、バアル=ゼブル様だけではなくアナト様も見守ってくださっておられるとか。本当にありがとうございます]


[なに、好きでやっていることだ。誰かに命令され、否応なくやっている訳では無いのだから気にするな]


 頭を下げて礼を言うセファールに対し、アナトは手を上げて軽く左右に振ると、気さくな表情と口調で答える。


 八雲に勝るとも劣らぬ黒く艶やかな髪を、頭頂のあたりで結い上げて余った部分を背中に流しているアナトは、豊満な肉体を古代ギリシャの人々が着ていた、薄衣を巻きつけたような衣装である白いキトンと、左肩で留めた上衣で覆っている。


 肌のきわどい部分が見えそうなその衣装は、薄く紅をさしているように見える煽情的な唇と相まって、彼女の恐ろしさをこの上なく知っているはずの民衆でさえ、こっそりと視線を送るほどにアナトのあでやかな美しさを引き立てていた。


[好きでやっていること……そうですね]


 バアル=ゼブルと連れ添っているわけではなく、それどころか遠く離れているというのに、珍しく機嫌がいいアナトの横顔を見てセファールはぽつりと呟く。


[いつまでこの仮初かりそめの平和が続くかは、世間に疎い私などには判りませんが……少しでも長く続いてほしい物です]


 王都が陥落した後、魔族であるセファールがテイレシア自警団の副官に任ぜられてから、それなりの歳月が過ぎている。


 人と交わって生きるようになったと言うことで、率先して人や周囲の物を注意深く見るようになったセファールは、詰所の外に出るたびに街の中に新しい発見をするようになっており、そしてそれは今日も変わらなかった。


 変化したものを見つけるたびに彼女は足を止め、眩しそうにそれを見つめる。


 それはつまりテイレシアの街の復興が順調に、しかも異例なまでの速さで進んでいることを意味していた。



 魔族の彼女が、敵対している人間の復興を喜ぶ。



 その複雑なセファールの内心を計り知ることは出来ないまでも、アナトには今の彼女にかけるべき言葉が何なのか、自然に思い浮かべることが出来ていた。 


[テイレシア自警団の副官にしては覇気のない言葉だな。街の平和を守るのが今のお前の役目ではないのか?]


 自分の立場を再確認させるそのアナトの指摘に、セファールは口を押さえて目を丸くし、慌てて頭を何回も下げる。


 それを見たアナトは苦笑いを浮かべ、そんなに恐縮しなくても良いとセファールに伝えるが。


(仮初めの平和か……)


 その頭の中では、以前ジョーカーに聞いた情報について考えていた。




 時は、アルバトールたちが王都を脱出した直後の謁見の間。


 ジョーカーの不手際でフォルセールの民を逃したと思い込んでいたアナトは、城に帰って来たジョーカーに詰め寄り、何故かクシャミが止まらぬ彼に話を聞いていた。



[なるほど。町の住民に一度は希望を持たせ、絶望に叩き落し、そこから得られる負の感情をダークマターに転換する、か……だが、そう上手くいくのか?]


[だからこそ無理を押して王都を手に入れたのだ。ちまちまと少量のダークマターを集めるだけでは成し得ぬことがあるのでな]


 黒と白の道化師、堕天使ジョーカー。


 魔族の参謀役である彼が、今更そんなことを聞くのかと言わんばかりの口調で、呆れたように答えると、アナトは溜息をついて首を振る。


[同じ量の水でも、長い時間をかけ、緩慢な流れで堤にぶつかった方は決壊せず、短時間に、一気に集中してぶつけたほうは決壊する……確かに理に適っている]


 そこでアナトは鋭い目となり、氷のような表情となって口を開く。


[だが、私が気にしているのはそんなことでは無い。人の絶望より生じたダークマターを貴様がどう扱うか、だ]


[ふむ、なかなかにもったいつけた言い方をするようになったではないか。少しは考えて行動するようになったか? それとも未だに自分で思いついた頭の中の考えをはっきりした言葉で表現できず、曖昧な表現で濁すだけの知性しか持ち合わせていないだけか?]



 そのジョーカーの挑発に、アナトは乗ってこなかった。



[憶測を拠り所にした議論は無意味、と学んだだけかもしれんな]


 アナトの体から発せられる気が怒気では無く、威圧であったのを見たジョーカーは軽く唸り、そして内に生まれた敬意を隠そうともせずにアナトに接する。


[腹の探り合いでは無く本音で語れ、と言うことか。しかし先ほどの私の挑発に乗らないとは、よくもそこまで成長したものだ。王都を落としてから今までの短期間に、一体何があったのだアナト]


[成長する時期に、成長する機会を与えられ、成長を促す刺激を、成長を遂げた他者から受けただけの話]


[ほう]


[だが成長する、しないを決めるのは、つまるところ自分自身の意欲だ。実に簡単なことだが、ただそれだけのことを理解、実行するのにえらく時間がかかったものだな]


 しみじみと言うアナトを見て、ジョーカーは目を細め、口を開く。


[なるほど、今のお前であれば話しても良さそうだな……一応口留めはしておくが、どうせお前が喋る気になれば私には到底止められぬし、もし喋った時は……などと下らない脅しはせぬ]



 そしてジョーカーは、王都でダークマターを発生させる意味とその活用方法をアナトに囁いた。



[バアル=ゼブルとモート、ヤム=ナハルには絶対に言うな。奴らは人に惹きつけられ過ぎる。人間に対して余計な温情と同情を抱き、私の計画に支障をきたしかねん]


[ふん。まるで私が、残忍で酷薄な邪神のように言うではないか]


[目的のためであれば情けに惑わされたりしない、と信用しただけだ。他に話は?]


 首を振るアナトを見てジョーカーは盛大に鼻をすすると、謁見の間を出ていった。


 そしてその場に残ったアナトは、ジョーカーから聞いたことを反芻し、そしてその後に何故かフォルセールの民の顔を思い出す。


(力なくとも、意志の力のみでこの私に抗い、譲歩させ、勝利を収めた、戦士の魂を持つ者たちよ……お前たちのような誇り高い人間が王都にも居るとしたら、私は……)


 そして先ほどのジョーカーの説明を、アナトは口中で呟く。 



(ダークマターの力を注ぎ込み、ルシフェル様復活の基とする。その為に出来得る限りの非道を……いや、"趣向"を凝らして彼らには苦しんでもらおう。当然その中には、死と言う人間にとっては耐えがたい苦痛もあるだろうな、か)



[ふん、戦いの女神でもあるこのアナトとしたことが。虫けらのような人間どもに情を移すとでも思ったか、小汚い道化師が]


 そう呟いた後に、アナトの脳裏に浮かんだのは。


 下位魔神の前に徒手空拳で立ちはだかった、幼い子供の姿だった。




(どうする? 口留めはするが、私があのことを口外しても何もできないとジョーカーは自分で言っていた。つまり私が今セファールに喋ろうが、何の問題も無い……いや、私が喋った相手の安全までは保障していなかったか。奴はそう言う男だ)


 黙り込んでしまったアナトを見てセファールは不安げな表情になるが、良くあることと言えば良くあることではあった。


 そんな時はアナトから漏れ出る独り言――バアル=ゼブルがアナト以外に関心を向けた者への、恨みつらみ――を、監視するのが彼女の役目であった。


 稀によく殺害予告へと昇華するそれを、右から左へ聞き流し、ついでに周囲の人々に聞かれないようにするのが、アナトと出かけた時のセファールの日課になっていた。



 そして、そんなことをされているとは露知らず、物思いに耽っていたアナトは彼女たちが歩く前方から感じられた、灼熱の気に中てられて我に返って顔を上げる。

 


[あの白い髪と、黒い肌の男は……]


 アナトの視線の先には、一風変わった気配を持ち、激しく燃え盛る炎の如くその髪を逆立たせ、八雲が着ている服そっくりの長袖、長ズボンを着用し、更に上半身から一枚布の真ん中に頭を通す穴を開けた布で、全身を覆っている男がいた。


「おや、セファールと……アナ……グマだっけ?」


[血の詰まった袋と化したいか? 迦具土よ]


「私の肉体は、とうの昔に滅びたと君にも言ったと思うんだけどね。それでも納得しないなら好きにすればいい。さてセファール、団長を見なかったかい?」


 アナトに迦具土と呼ばれ、大剣を喉元に突き付けられた男は、困った顔でアナトを見つめると、そのまま首を左右に振るセファールに目をやり、少し考えてから浅黒い肌を持つ身体をふわりと揺らめかせ、周囲を見渡して自警団の団長フェルナンを探す。


「参ったな。最近ブライアンが一人で動くことが多いようだから、さっき団長から見守って欲しいと頼まれたんだけど、すぐに見失ってしまってね」


[一時間もすれば、詰所の方へお戻りになると思いますが]


「我々と違って探知しにくいとは言え、私の監視を潜り抜けて姿をくらますとはね。ひょっとして人間じゃないんじゃないか? ブライアンは」


 まったく人の話を聞いていない返答をすると、迦具土は腰に手を当て、落ち込むように項垂れてから再び周囲を見渡し、そしてセファールに話しかける。


「とりあえずもう少し探してみるから、後で君からも団長によろしく言っておいてくれ。私のような自由人は監視には向かないと」


 そう迦具土がセファールに伝言を頼むと、頼まれた当人は絞り出すような溜息をついた後にその頼みを承諾した。


[向かないのであれば、承諾しなければよろしいでしょうに。言伝は確かに承りましたが、団長様に迦具土様をこっぴどく叱るように付け加えておきますね]


[弟に似て、性格がきつくなってきたんじゃないかい? セファール]


[対処法を学ぶには、十分な時間を頂きましたから]


 それを聞き、肩を落とした迦具土に別れを告げると、セファールとアナトは再び歩き始めた。



[そう言えば、どこに向かっているのだ? セファール]


 二人が詰所を出てから既にかなりの距離を歩いており、目の前には南側の城壁沿いの、ほとんど日の当たらない貧民街が広がっている。


[疫病の元になる汚物をうまく処理できるように、この辺りで父様が工事をしているもので少し差し入れを。まぁ我らの布教のために、ここの川に移動してきたら汚物まみれになったこともあるのでしょうが]


[……ヤム=ナハルも大変だな。この前の騒ぎの時も、ジョーカーに奴らの脱出経路と目された下水に配置されていたらしいではないか]


 苦笑を浮かべるアナトに、セファールは困ったような笑顔を浮かべると辺りを見回し、ヤム=ナハルを探し求めて歩き出す。


 しばらく歩いては足を止め、周囲に探すような視線を送り、通りがかった人間に質問をする。


 それを何度も繰り返すセファールを見て、アナトも何かが起こったことを理解した。



[ヤム=ナハルが、ここ数日ほど姿を見せない……?]


 セファールが無言で頷き、それが真実であることをアナトに伝える。


 ヤム=ナハルが忽然と姿を消すことは珍しくない。



 だが今回の彼の失踪に、いつもと違う何かを二人は感じていた……。

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