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天使が織り成す世界 ~マジメな天使とヘンな魔族が争う日々~  作者: ストレーナー
王都争奪編

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第175話 ある一人の指揮官の思い

 王城から飛び立ち、そのまま上空を飛び回って街の様子を見ていたバアル=ゼブルは、見知った顔が自警団の詰所の庭で団員を指導している姿を目に入れ、何かを思いついたように地に降り立ち、その知り合いの男に話しかける。



[へっ、やってるじゃねえか、無駄な努力を]


「無駄で出来ている存在が良く言ったものだ」


[うっせえよ八雲。言っておくが、以前の俺と今の俺を一緒にすると痛い目に遭うぜ]


「以前と今で別々のお前が出来るとうるさくてかなわん。一緒にするしかあるまい」


[ぬがっ!?]



 バアル=ゼブルは近づいていった男、八雲の指摘に目を白黒させた後、口を尖らせながら横で剣を振るテイレシア自警団の男たちへ視線を移す。


 バアル=ゼブルと同じような長髪をした男の八雲は、軽薄さをまったく感じさせない艶やかな黒髪、鋭い眼光の黒目をしており、口から放つ声音もやや重々しい物であるものの、どこか浮世離れた雰囲気は旧神であるバアル=ゼブルと似ていた。


「どうした? またアスタロトかアナトに迫られて、城を逃げ出してきたか?」


[ああ……いや、今日はちょっとばかし事情が違う]


 ばつが悪そうに頭を掻くと、バアル=ゼブルは誤魔化すように団員たちへ視線を逸らし、一般的な人間の能力内に収まる程度の彼らの剣さばきを見た後に、呆れた口調で感想を述べた。


[退魔装備があっても所詮は人間。俺が少し本気を出せば消し飛ぶ人間が、こんな修練を積んで何になるんだ?]


「別にお前と戦うわけではないだろう。そうだな……」


 八雲はあごに手を当て、団員たちが修練する姿を見つめる。


「やれることが増える。やれることが増えれば視界が拡がり、それに連れて思考が広がる。思考が広がれば今まで気付かなかったものに気付き、更にやれることが増える。何もしなければ何も変わらん。と言ったところか」


[そして才の差に気付くってか?]


「気付けばそこからやれることが増える。実に良いことだ」


[良いこと探しか。まったく脳天気なこって]


「どうした? 今日はやけに突っかかってくるな」


 悪態をつくバアル=ゼブルの顔を、興味津々と言った様子で覗き込み、意味ありげな笑顔を浮かべる八雲を見て、バアル=ゼブルは再び頭を掻く。


[……言われてみりゃそうだな]


 バアル=ゼブルは溜息をついて少しだけためらった後、思い切ったように口を開く。


[実は最近、自分たちの働きによらない、いわば他人のおこぼれをもらう形で力が回復してな。そいつを見てたら、人間たちに入り混じって、俺たちに対する信仰心を掻き集めようとしてたヤム=ナハル爺の努力は、一体何だったんだって思っちまってな]


「……いや、ヤム=ナハルの目的と、その努力を知っていたならお前も手伝うのが普通だろう。何を遊び回ってるんだお前は」


[そっちかよ! 普通なら世の無常を嘆いて俺に同情するだろ!? それに俺は俺で妙な雑用をジョーカーから言い付けられることがあるし、アナトが暴走する可能性もあるからお前が思っているほど好き勝手に出歩けねえんだよ!]



 普通ならヤム=ナハルに同情するところであろうが、この二人にとってはそうではないようだった。



 自警団の建物の庭で、世間一般における普通の定義が危ぶまれ始めたその時、建物の中から一人の老人が渋面で姿を現し、高齢な見た目の割には達者な足取りでバアル=ゼブルの傍まで来ると、ジロリと睨みつける。


「邪魔じゃ」


[お、おう。すまねえな爺さん]


 一人の老人の眼力に負けた訳でも無いだろうが、バアル=ゼブルはその言葉に従うように大人しく引き下がってそのまま八雲を盾にするように影に隠れ、盾にされた側の八雲も諦めたようにその老人、自警団団長フェルナンに声をかける。


「どうした団長。今日は団長が市井の見回りをする順番だったはずだが」


「ブライアンがどうしても行きたいと言うから、代わりに行って貰った」


「ほう、よく言って昼行燈ひるあんどんと言った感じだったが、最近やけに見回りに出る回数が増えたな。あの男とうとう帰郷を諦めて、ここで身を固める決心でもしたのか?」


「固い決意は持っているようじゃが、身の回りまで固める様子は無いように見えるがの。何を考えているのやら」


 そう言いながらフェルナンは剣を振る団員たちの中に入っていき、その内の何人かに軽い助言を与え、更に最近の家族の様子はどうか、安心して暮らせているか、私生活で困窮していないかなどを聞き、時に笑い、時に真剣な顔をして団員たちの話を聴く。


[随分と団員たちと仲がいいんだな]


「そのようだ」


 簡潔に答える八雲を見たバアル=ゼブルは、一気に彼との距離を詰めて先ほどのお返しとばかりに唇をゆがめて茶化し始める。


「なんだ? 一気に口数が少なくなったじゃねえか八雲。爺さんと喧嘩でもしたか?」


「そちらの方が、指揮官とその部下としてはいいのかもしれんな」


 寂し気な口調で答える八雲を見たバアル=ゼブルは、それ以上内に踏み込むことを遠慮するかのように口を閉じ、そこでしばらく会話は途切れて聞こえてくるのは団員たちの掛け声のみとなる。



 口数が少なくなるのは話したくないことがあるからだ。



 それを知ってか知らずか、それとも自分とフェルナンの仲を心配しての先ほどの問いかけか。


 目の前の旧神の性格を少なからず知っている八雲は、自分の発言に返事が無いことを深くは追及せず、少し城に働きに出している孤児たちの様子を見てくる、とバアル=ゼブルに言い残し、その姿を消した。




「なんじゃ? 喧嘩か? まったくお前たちと来たら、仲がいいのか悪いのかさっぱり判らんのう」


 そして団員への助言が終わったのか、八雲が姿を消して数分後にフェルナンが再びバアル=ゼブルの前に姿を現し、先ほどの剣呑な態度とは打って変わった柔らかな物腰で話しかけてくる。


[俺たちが本当に喧嘩になったら、あのボロい城ごと王都が吹っ飛んじまうぜ?]



 もっとも、その余計な一言で即座に渋面に戻ってしまったが。



「せっかく八雲が直した城を、どこぞの阿呆があんな風に変えてしまったとジョーカーが言っておったぞ。修繕しようにも妙な次元と連結してしまって、直すに直せんとな」


[あー、それでモートが必死になって抜け道を探してんのか。どうも城の抜け道が聖霊の力による物らしくてな、そこに八雲が法術以外の術で城を直しちまったから、城の周辺の力場が暴走状態になったんじゃないか、ってのがジョーカーの見立てだ]


「そこに考えなしに穴を塞ごうとした大馬鹿のせいで、城がああなったわけか」


[そうとも言う]


 まったく悪びれずに説明をするバアル=ゼブル。


 そんな彼を見ても、溜息をついただけで済ませるフェルナンを見たバアル=ゼブルは余計な不安に駆られ、しわに包まれた、頭部と額の区別がつかない目の前の老人の顔を見ながら口を開いた。


[どうしたんだ? さっきの八雲と言い、爺さんと言い、どうも今日のお前さんたちは妙な感じだな。本当に喧嘩でもしたのか?]


「何の話じゃ?」


 バアル=ゼブルは八雲との会話の内容を説明して反応を待つが、フェルナンは無言で視線を地に落とし、そのままの姿で数秒程を過ごす。


 思い当たることが無いのか、それとも彼も話したくないことなのか、それとも。


「ふむ、茶でも飲むかバアル=ゼブル」


[何……ッ!? 爺さんが俺に茶を出す……だと……]


 身構える彼を見てフェルナンはヒゲをつまみ、何も言わずに先に立って歩き出す。


 そしておっかなびっくりと言った感じで老人についていく旧神を、恐ろしい敵であるはずのバアル=ゼブルを、団員たちは笑いながら見送るのだった。




「セファール、あの茶器で茶を頼む。こいつにもな」


 この頃、特に日差しが強くなってきたと感じる外に比べ、自警団の詰所の中は薄暗く涼し気に感じられる。


 その中にある執務室に入ると同時に、フェルナンは中で書類にペンを落としていた、どことなくティアマトに面影が似ている修道服の美しい女性に声をかけ、自分は執務机の向こうにある椅子へ腰を落として一息をついた。


「差し当たっての心当たりが無い訳では無い。この前、ワシが今日のように団員たちに稽古をつけていたら八雲が忠告をしてきてのう。あまり団員と仲良くすると、戦いになった時に戦況の見極めを誤ることになるぞ、とな」


[まぁそんなもんかもしれねえな]


 カウチに踏ん反り返り、明らかに話を真面目に聞いていない様子のバアル=ゼブルだが、フェルナンはそれに構わず話を続けた。


「で、ワシはそれにこう返したんじゃ。要らぬ心配は無用じゃ。ワシはそれで息子と、息子のように思っていた兵士たちを無駄死にさせた。もう二度と同じ間違いは繰り返さぬとな。それからじゃ、少し八雲の様子がおかしくなったのは」


 フェルナンが息子のことを口にするとほぼ同時に、いい香りを立てる茶器を乗せたトレイから甲高い音が発せられ、若干顔を強張らせたセファールがバアル=ゼブルへ謝罪をし、再びキッチンの方へと姿を消す。


「お前はワシの息子に関して、誰かに聞いたことはあるか?」


[いいや。だが爺さんの家に邪魔した時に男の肖像画が二枚、広間に掛けられていたことは覚えているぜ]


 バアル=ゼブルは鋭い目つきになり、口の前で手を組んで、頭から紅茶を流しつつ重々しい口調で答えた。


「目ざとい奴じゃの。まぁ戦いの中ではよくある話じゃ。今は跡目争いでこちらに侵攻してくることは無いが、今より三十年ほど前に遥か東にある騎馬民族の国が、遠路はるばるこちらまで攻めてきてのう」


[なんて国だ?]


「イァーハ=ディルス皇国。ワシらが経験したことのない速さで攻めてきた奴らに、ワシらはまるで対応できず、奴らが略奪した後の街に救援に駆け付ける有様じゃった。もし奴らの皇帝が死ななければ、テイレシアはこの世に存在していなかったじゃろう」


[ふん、天使どもは俺たち魔族などの超常的な存在が居ない人間同士の戦いの時は、専守防衛などと抜かして自分たちが殴られない限りは天罰を下せないからな。信徒が殺されていても助けねえたあ腰抜けもいいところだ]


 新しくセファールが煎れなおした紅茶をすすり、バアル=ゼブルは悪態をつく。


「そんな中、ワシらは移動している途中の奴らと偶然戦う機会を得た。結果は惨憺さんたんたるもので、奴らの機動にワシらはかき回され、あっと言う間に陣形は乱され、各個撃破の憂き目にあった。そこでワシは引き際を誤ったのじゃ」



[それがさっき八雲が言ったことに繋がるのか?]



 フェルナンは頷き、ティーカップに注がれた紅茶を見るのではなく、覗き込む。


「隊には多くの兵士が居た。ワシは兵士の考えを知ること無くして兵は動かせぬ、との持論に基づき、彼らの色々な話を聞いていた」


 その紅茶の水面に、フェルナンは明らかに何かを見ていた。


「国に身重の妻が居る者、兵士になることを止める病弱な母親を振り切り故郷を出てきた者、恋人と所帯を持つために手っ取り早く金を稼げる兵士になった者など、な。ワシは一人でも多く彼らを助けたかった。手勢を率いて、助けようとした」


[だが、その望みは叶わなかった、か。馬鹿なことをしたな爺さん]


「まったくじゃ」


 フェルナンは紅茶から目を離すことなく答えた。


「その結果、彼らを助けることは叶わず、そればかりか生き残れるはずの者たちすら死地に追い込み、能無しのワシを助けるために息子二人は死んだ。兵士たちを無事に戻すには支柱となる者が必要なのだと言ってな。それが最後の親子喧嘩じゃ」


[息子が死に、爺さんだけが生き残ったとあっちゃあ、あの気の強い婆さんのことだ、さぞかし怒ったことだろう]


「武門の家に嫁いだものが、息子が死んだくらいで騒ぐはずがなかろう」


[じゃあどうしたってんだよ]


 不服そうに言うバアル=ゼブルを見ないまま、フェルナンは声を絞り出した。


「息子たちは立派な最期でしたか、じゃ。怒るより、責められるより余程その言葉はワシに効いた。息子の死に際すら看取ることも出来ず、息子の死体を盾として生き残り、おめおめと一人だけ家に帰ったのだからな」


[そりゃ災難だったな]


 そのバアル=ゼブルの声を聞き、フェルナンは下を向いたまま首を振った。


「その災難を二度と兵士たちに降りかからせぬのが、息子たちや無駄死にした兵士たちに対する供養だと思っておる。話はこれまでじゃ」


[そうか。邪魔したな爺さん。美味い茶をありがとうよ。ああ、気にすんなセファール。紅茶なんぞ、アルバトールの術に比べたら屁でもねえよ]


 話が終わったことを聞き、いつもの陽気な声を上げながら、バアル=ゼブルは部屋を出ていく。


 そしてフェルナンは、バアル=ゼブルが部屋を出ていく気配を感じ取った後にようやく顔を上げ、そのまま天井を見上げた。


[ひどい顔をしておいででしたよ]


「ワシの安息の場所に、どかどかと土足で入ってくるような輩にはいい薬じゃ」


[……滅多に出さぬ茶器を出されるような相手とお茶を飲んだにしては、ひどい顔をしておいでですよ団長]



 フェルナンがまだ将軍職にあった時に、国王から拝領した高価な磁器。


 それらが奏でる音を聞きながら、フェルナンとセファールは様々な思いに身を浸し。



[ああクソ! なんだってんだよ一体!]


 自らの胸を覆う想いにイラだちを覚えながら、バアル=ゼブルは王都の空を舞った。

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