第171話 議題
抜け殻から復帰したアルバトールは、いつもより二割増しの勇ましさでラィ・ロシェールに降り立ち、わらわを一人にするのかというティアマトの苦情をカマエルに押し付け、自らは報告のために先にテイレシアへと帰還していた。
「なるほど、見事にルーに踊らされたな……いや、そんな顔をしなくてもいいぞ。私もその状況にあれば、おそらく君と同じようにルーの罠にはまっただろう。答えが判明している設問に対し、答えを知っている者が解答の正誤に言及するのは愚の骨頂だ」
「……本当ですか? ベルナール殿」
疑わし気な顔をするアルバトールを見て、ベルナールは苦笑しながら卓上に置いた図面に視線を落とし、上に置いた駒を移動させる。
「貴族が主に味方したリチャード王と、平民が主に味方したクラレンス王が戦うなら、そのような対照的な編成になるのは自然。ルーが交通の要であるウォルヴァーン村に布陣するのも自然。だが、騎兵に有利な平野を戦場に選んだ点は不自然だったな」
ウォルヴァーン近郊の地図を模した図面の上を、アルバトールの証言に基づいて配置された数々の駒が、静かに、かつ心地よい音を立てながら戦いを再現する。
「そして離れた距離から移動しつつ遠隔攻撃をする騎兵の基本戦術を逆手に取り、動きの鈍い歩兵を前に押し出し、君たちが自ら進んで落とし穴の方角へと向かうように仕向けたわけだ。こうなると、相手の陣列が乱れたのも故意と見るべきであろうな」
アルバトールはその瞬間にダグザが浮かべたであろう笑みを想像して拳を握りしめ、歯を食いしばると図面の上の駒へと視線を走らせた。
「なるほどな。魔力の残滓で罠が見つかるなら、残滓が残らぬほどの期間を設ければいい。あらかじめ罠が設置している場所を戦場に選定させればいい、か」
「しかし、これほどまでに周到な物は聞いたことがありませんな陛下。もしもクー・フーリンが一戦することを選ばず、迂回して王都へ直行する選択をすれば、ルー軍の多くを占める歩兵たちが追いつくことは叶いませんぞ」
「慧眼だけで済ませられるものでもなさそうだな、フィリップよ」
シルヴェールの感嘆にフィリップが同調し、そしてお互いに頷くと、アルバトールと同じように二人も再び図面へと視線を向け、それに合わせてベルナールが更なる私見を口にする。
「互いに王を名乗る、国を真っ二つに割った内乱ですからな。一戦し、これを撃破すれば自軍の正当性を容易に確立できますが、もし迂回を選んで戦わずして本拠地を落とせば、卑怯者に国を治める資格があるのかとの、そしりを受けかねない状況だったことがこの罠を成立させた要因と言えるでしょう」
「だが、判らないのはアスタロトの動きだ。なぜ奴はウォルヴァーン村で姿を現し、広範囲に殲滅魔術を撃ったのだ? 姿を隠し、影から内乱を画策していたのなら、その場面で姿を現すのは如何にも不自然だ」
「ダグザによれば、そちらの方が面白いから、と言っていたそうですが……」
シルヴェールの問いにアルバトールは答えるが、確かにその時点でアスタロトが動き、更に力を無駄に消費する広範囲を殲滅する魔術を放ったのは、表に立つことを好まぬ彼女にしては不自然だった。
「魔族の考えていることは判らん……と言いたいが、その魔族を相手に戦わねばならんのだから、奴らの思考の原理を知っておかねばならん。ベルナール、王都に何人か偵察を送り込んでくれ。奴らが基盤を持っているうちに、その生態を知っておきたい」
「承知しました。此度の誘拐に関し、それなりの賠償金をヘプルクロシアに請求できるはずですから、偵察に必要な資金くらいは楽に捻出できるでしょう」
(……え)
賠償金と聞いたアルバトールは、ある一つの情報を思い出し、陽が沈みかけた城の外のように、その顔を昏くする。
「あ……その……」
「どうしたアルバトール。なにか報告し忘れたことでもあるのか?」
ベルナールの不思議そうな顔を見てアルバトールは言葉に詰まるが、それでも報告をしなければならない情報があった。
「えーと……その、ルーの神殿に押し入った際に、彼の所持していた花瓶を幾つかアデライードと、いやアデライード様とアリアが、ちょっぴり割ってしまいまして」
「……ほう?」
ピクリと跳ねるベルナールの眉。
それを見たアルバトールは喉をごくりと鳴らすが、事ここに至っては隠しごとで済ませるのは不可能であった。
「それで、その額が小さい城なら建てられる程度だそうです」
言い終えると同時に重い雰囲気が執務室を包み、次第に外と同じような暗闇が、部屋の中を覆っていく。
「……判った、後のことは任せて、君はゆっくり休んで連戦の疲れをとってくれ」
「はい……」
ここでベルナールが怒鳴らないのは、上に立つ者としての矜持であっただろうか。
それとも一向に好転しないテイレシアの財政に、絶望してしまったからであろうか。
自分でやった蛮行ではないが、ヘプルクロシアでリーダー的立場であったアルバトールは、いっそ怒鳴ってくれたほうが楽だ、との気持ちと、叱責されずに済んだか、との気持ちが入り乱れた複雑な心境になり、重い足を引きずりながら部屋を出ていった。
そして部屋に残った三人は。
「本当にあれで良かったのか? フィリップよ。罪人ゆえに、ルーにはすべての財産を放棄させると、ヘプルクロシアから通達してきたのに」
眉根に少ししわを寄せ、シルヴェールがフィリップに問いかける。
「よろしいかと。そろそろ自発的に問題点の解決策を模索し、それを成し遂げるための許可を求めてきても良い時期。むしろ遅すぎるくらいです。人に言われた仕事しかしないようでは、このフォルセールを背負って立つことなど到底おぼつきません」
「まぁ実父のお主が言うなら、私も異存はないが……」
母の身分が低かったゆえに、幼い頃から世継ぎとしての証を立てるべく奔走し、アルバトールの年齢の頃には、既に国政を動かせるほどに成長していたシルヴェールは、昔の苦労を思い出してアルバトールを気遣う様子を見せる。
「手間暇かけて優しくするだけでは、人は曲がってしまいます。時には放置し、自然にさらして厳しく鍛え上げ、偏りを是正してやらねば。それより東のヴィネットゥーリア共和国に使いに出したフェリクスたちより何か報せは?」
何かの未練を断ち切るかのように、若干厳しめの口調で話すフィリップをシルヴェールは珍しそうな目で見た後、ヘルメースの助力を得て交渉は無事終了したと告げる。
「老獪なヴィネットゥーリアの商人どもも、交渉相手が商人の神でもあるヘルメースとあっては誤魔化しきれなかったようだ。アルバトールのヘプルクロシアでの活躍もあって、存外あっさりと借金……コホン、支援の約束を取り付けられたようだな」
「ですが陛下、むしろ気になるのは中央教会の意思かと」
「枯れ木に遠慮し、若木が枝葉を伸ばせぬような森は人が手を入れてやらねばな。そうではないか? フィリップ、ベルナール」
「御意」
不敵な笑みを浮かべたシルヴェールの意見に、腹心である二人は即座に同意する。
「奴らには奴らの言い分があろうが、我らには我らの生きる権利と言うものがある。もしも奴らがテイレシア以外の国を手足と選ぶと言うなら、その時は裏工作も辞さぬ。無論そうならぬように、こちらも最大限の譲歩はせねばならんがな」
天使たちは自分たちの姿を隠し、正体を明かさぬようにしてその神秘性を高め、同時に魔族たちに情報が不用意に流れないようにしている。
その天使たちに代わり、人々の信仰心を取りまとめている中央教会は、誰にとっても無視できぬ存在であった。
「とりあえずヘルメースたちの帰還を待ち、当面はヘルマの破壊を進める。同時にラビカンの献策に従って諸侯に関所の通過手続きの簡素化、そして諸税金の減額への協力を求めよう……ん? 何か言いたいことがあるようだなフィリップ」
「陛下、商人の往来が盛んになれば、機密情報が漏洩する危険もまた増えますが」
フィリップの疑問に対し、シルヴェールは割符による身分確認の徹底、情報の漏洩に対する法の厳罰化を指示する。
「できれば魔術による人の検査も行いたい所だが、最初からやると自尊心の高い商人たちが反発することも考えられる。よって今は人材を育てあげることだけに努め、テイレシアでの商いの旨みを商人たちが実感してきたころに実施する。他に何か」
二人が首を振ると、シルヴェールは椅子に深く腰掛け、天井を見上げる。
「良かろう。ところで先ほど、アルバトールがアデライードを呼び捨てにした件のことだが……」
ピクリと眉を跳ね上げ、ニタリと笑みを浮かべた三人が真面目な顔で顔を寄せ、密談を始める。
それは一人の来客が来るまで、真剣に続けられたのだった。
「あら、久しいですわね天使アルバトール」
「お久しぶりです。今日はまた城に何の用で御座いますか? エルザ司祭」
アルバトールが廊下を歩いていると、その前方から金色の巻き毛の内に毒の胞子を備え付けていたとしても少しも不自然ではない歩く危険物、美しくもロクな言動と行動をとらない女司祭エルザが、いつものように純白の法衣を着て歩いてきていた。
「貴方が城に戻ったと聞きまして、ヘプルクロシアのお土産を頂戴しに参りました。ついでに少しベルトラムとガビーにアルフォリアン島の状況を聞こうかと」
「ヴエェッ!? ……ルトラムとガビー……ですか?」
「どうしたのですか? 何やら顔色がお悪いご様子……それにいつもでしたら皮肉たっぷりに、お土産が最優先なんですね、と意地悪を私に言うはずなのに」
「そそそそそ、そーですかねっ?」
「あらあら、そのように狼狽しては二人に何かあったと言っているようなものですわ」
あらゆる表情に見えると言われる能面のような、それでいてロクでもないことを考えているとすぐに判る笑みを浮かべ、エルザはアルバトールへ近づく。
「実は」
「実は?」
「お金が欲しいんですけど無いんです」
「何ですかその喋り方は。リュファスやロザリーでももう少し解りやすい説明の仕方をいたしますわよ」
(リュファスとロザリー……これだ!)
エンツォとエステルの子供、幼いながらも討伐隊に身を置くリュファスとロザリーの名前を聞き、アルバトールは咄嗟に頭の中に閃いた考えを口にする。
「そ、そうなんですよ! 実は私も討伐隊に加わり、魔物を討伐したり宝物を見つけたりなどして、国庫を潤そうかと考えていたところでして!」
「無駄ですわ。今そんなことをしても素材を売るルートが確保できておりませんし、宝物もむやみに市場に流せば価値が暴落するのみ。それに討伐隊が見つけてくる宝物は、ドワーフたちに作らせた物を私たち天使が隠しているだけですから」
「へ? そうなんですか?」
表向きには素っ頓狂な返事を返しつつも、その内心では話題のすり替えに成功してほくそ笑むアルバトール。
「そうして危険に満ちた迷宮を探索させることによって、貴方たちの成長を促しているのです。そもそも迷宮のあちこちに宝物が点在する時点でおかしいでしょう。貴重な道具は、使用する時に備えて一箇所にまとめておくのが普通です」
「それもそうですね。点在しているのは、点在させる理由があるからと言う訳ですか」
「最近は何やら魔族の意識にも変化があるようで、金銭に関わるものを勝手に持ち去る傾向もあるようですけどね。それでベルトラムとガビーはどこにいるのです?」
「う……」
話題のすり替えに失敗し、内心溜息をつきながら、アルバトールはヘプルクロシアでの成り行きをエルザに説明する。
「あらあら、そうでしたか……まぁ知っていましたけれど」
「知ってたんなら先に言って下さいよ!」
が、既にエルザにはバレていたようだった。
「そう言われましても、貴方は天使でもあるのです。上司であるこのミカエルに報告なしどころか、更に誤魔化そうとするその性根は頂けませんわね」
「申し訳ありません。ガビーもベルトラムの容態が落ち着くまでは傍にいると言って聞かなかった物で、ヘプルクロシアに逗留しております」
素直に謝罪するアルバトールを見たエルザは悪戯っぽく笑い、アーカイブ術のプレートを目の前の純朴な天使に送り込む。
「……これは」
「メタトロンの件は、私の方からダリウスに言っておきますわ。私たちの許可を得ずに、貴方を熾天使に昇格させたことも不問にしておきます。ただ、メタトロンが勝手に貴方を昇格させたのは越権だったことは覚えておいて下さい」
「はい」
「それでは失礼いたしますわ。そうそう、暇を見て教会に、アデライード姫とアリアを連れて遊びにいらしてください。ラファエラと、おそらくクレイも貴方たちに会いたがっているでしょうから」
先ほど口にしたお土産のことをすっかり忘れたように、執務室の方へしずしずと向かって行くエルザを見送ると、アルバトールは財源のことをぼんやりと考え始める。
「天使の働き口か……そう言えばラファエラ侍祭はともかく、あの傲岸不遜なエルザ司祭ですら教会への寄進や敷地内の畑で、自分たちの食事や身の回りの物を賄っているところを見ると、ひょっとして天使って私事の労働に力を使ってはいけないのか!?」
アルバトールは慌ててエルザを追うが、既に彼女の姿は廊下にはなく、仕方なく彼は外に出て、ラファエラに話を聞くべく飛行術で教会へ向かう。
そしてエレーヌに夜間に飛行術を使った罪で捕縛され、嬉しそうな彼女に夜遅くまで取り調べを受けた後に、項垂れながら城に戻って行ったのであった。




