第15話 ジョーカーと言う役割
アルバトールは考える。
何故なら落ち着いて考え、分析しなければならない異常事態が起きたからだ。
その結果、彼は一連の流れを三つの要点にまとめ上げていた。
1.つい先ほどまで堕天使と思われる魔物との戦闘が始まろうとしていた。
2.気づけばその戦う相手は地面にめり込んでいる。
3.魔物をめり込ませた人物は女性である。
「一番の問題は三番目か。女性の箇所を人間ではないと置換すれば解決するかな」
空を飛んでいく鳥を見つめながら、アルバトールは呟いた。
あれは南から渡ってきた渡り鳥だろうか。
小さい身体で、遠い地から産卵の為にわざわざこの地まで飛んでくる鳥達。
アルバトールは彼らに尊敬の念を抱き、先ほどから心にわだかまる気持ちを託すように、飛び去る鳥たちを見送る。
そして先ほどから傍らにたたずむ白いドレスを着た黒髪の女性、アデライードに声をかけ、その場に膝をついた。
「御無事で何よりです」
「ありがとうございます。アルバトール様とエルザ様のおかげです」
「……そうですね。実在するんですよね。見えないのに」
微妙な言い回しをするアルバトール。
と言うのも、つい先ほどまで、少し離れた所に見えていたエルザと堕天使。
その二人はいつの間にか、すり鉢状に陥没した地面の底に移動していたのだ。
エルザが触れた対象の重さを変える術を使用したのだろうか。
地面にへばりついた堕天使は、すぐにその身体を支えきれなくなって潰れていく。
硬い大地がまるで泥沼と化したかのように、圧縮されたそれは見る見るうちに沈んでいった。
大地に穿たれた穴。
その中心には地面に染み込んだ黒い何かが残ったのみ。
出会わないことを祈れ、とまで言われる堕天使をエルザが簡単に屠る光景を見た彼は、空を飛ぶ鳥に現実を連れ去って貰うことで無かったことにしようとしていた――
――のだが、それもアデライードによって帳消しになってしまっていた。
何はともあれ、見なければならない現実はまだそこに居る。
よってこれから執るべき行動を、彼はアデライードに提案した。
「とりあえずお供の神官殿と、護衛の騎士たちを探す事にしましょう」
そして自分に対し、これは探索であり、現実逃避ではない、と言い訳もしておく。
「それは良いのですが……先ほどの魔物は放置していても大丈夫なのでしょうか?」
だが、先ほどまで堕天使に追いかけられていた恐怖が残っているのだろうか。
既に見えなくなった堕天使の代わりに、穴の淵を見ながらアデライードは不安がる。
アルバトールはその王女の姿を見て、まず心配ないだろう、と告げた。
「魔物より怖い人が見張ってるから大丈夫ですよ」
「……そうですね。こちらにエルザ様が向かってきておりますから、もう倒されてしまわれたのでしょう。流石です」
「え」
危険な場所を離れ、護衛と合流することのみを考えていたアルバトールは、すぐ近くの危険な人物に気づかぬまま憎まれ口を叩いていた事に気づき、冷や汗を流す。
しかしその危険人物はアルバトールの様子に気づいていないのか、それともアデライードの前であることを配慮してか、常のような非道な対応をすることは無かった。
アデライードはアルバトールの狼狽ぶりを見て首を傾げ、不思議そうな目をするが、不意に口を手で押さえ、エルザにお辞儀をする。
「御無沙汰しております、エルザ様。アルバトール様や貴女が来て下さらなかったら、今頃私はどうなっていた事か……感謝の言葉もございません」
「王女様が御無事で良かったですわ。ところでアルバトール卿、この辺りに先ほどの魔物以外の気配はありませんか?」
どうやら本当に悪口を言われていたことに気付いていないらしい。
それに気付いたアルバトールは驚愕するが、すぐにその感情を押し殺す。
(それだけ強敵だった? いや、その割にはあっさりやられたように見えたが)
そして彼は感覚を研ぎ澄まし、ネズミ一匹逃さぬように辺りの気配を探った。
身体の強化魔法も使い、念入りに探索を行った結果、周囲に不審な気配を感じなかった彼は、エルザにその旨を告げ、先ほどから気になっていた点を質問した。
「エルザ司祭、先ほどの魔物は何者なのでしょう?」
「アレですか……口にするのもはばかられる程に卑しい魔物ではありますが、天魔大戦に必ず着いて回る存在である以上、説明しない訳にはいきませんわね」
エルザがここまで存在を忌み嫌う相手と言うのも珍しかった。
何か不満なことがあれば自分の思い通りに捻じ曲げてしまうし、相手が正しければある程度素直に従うのがエルザなのだ。
(僕を含め、減らず口や憎まれ口を叩く相手はそこら中にいるけど、決して嫌われているわけでは無い。それにアリアや……えーと、ラファエラ侍祭か? 感情ではなく、理論づくめで接してくる相手にはそこそこ素直に従ってるみたいだしね)
そこまで考えた彼は、アリアやラファエラの言うことに渋々従うエルザの姿を想像し、思わず噴き出してしまう。
「変な人ですわね……まぁいいですわ。ええと、先ほどの魔物はジョーカーと言って、変な格好と性格と発言をする、要は変なもので出来上がっている堕天使です」
そんなアルバトールを奇異の眼で見ながら、エルザは説明を始めた。
「元の名前は分かりませんが、かなり高位の天使、おそらく熾天使だったと思われますわ」
「熾天使……天使の位階の中でも最高位の?」
「ええ。そして魔族の中でもおそらく一番の古株ですわ。他の魔族が戦死したり、寿命で死んで転生する中で、大した力も持っていないのになかなか滅びないものですから、天魔大戦初期からの数少ない生き残りの一人になっています」
エルザは穴の方を睨み付けた後、再びアルバトールへ視線を戻す。
「その性格は一言で言えば品性下劣。昔は天使だったとは思えない下品なものです」
「そうですか」
良く似てますよ、と喉まで出ている言葉を飲み込み、アルバトールは話を聞く。
「その良く回る舌で流言卑語を流し、人間たちの間に疑心暗鬼の種を蒔いたり、舌先三寸で劣勢の戦況をひっくり返したりなど、八つ裂きにしても憎み足りない相手ですわ」
拳を握り、ぷるぷると震わせるエルザ。
その時、聞き覚えのある声がアルバトールたちに掛けられた。
[私にとっては最高の誉め言葉だな。だが憎み足りないのはこちらにとっても同じこと。貴様の手にかかり、どれだけの同胞が滅ぼされたと思っている]
頭上から響いてきたその声に驚いて見上げれば、そこには先ほど地面の底に埋まったはずのジョーカーが胡坐をかき、頭を下にした格好で浮かんでいた。
「あらあら、やはり復活しましたか」
その姿を見たエルザが、嬉しそうに口の端を吊り上げる。
「それでは貴方を滅ぼす他の方法を試さなければなりませんわね。永遠に苦痛を与え続けた堕天使がどうなるか、一度試してみたかった所ですわ」
「……どっちが悪役か分かりませんね。その堕天使に聞きたい事があるので、少し待って頂けませんかエルザ司祭」
「……あらあら、何かおっしゃいまして? アルバトール卿」
「……!」
その普段と変わらぬエルザの口調に、アルバトールは全身が粟立つのを感じた。
物静かなエルザから漂う雰囲気は、先ほどから変わらず穏やかなものだったはず。
それなのにいつの間にかそれは、エルザを見知っているアルバトールの魂すら凍りつかせるものに変化していた。
消去。
対象を消し去ること、それのみが今のエルザの考え。
それは穏やかと言うよりは、無関心と言った方が正しかっただろう。
対象の命だけではなく、彼女の周りにいる命すべてに対して。
付き合いが長いアルバトールでさえ、このようなエルザの姿は今までに一度も……。
いや、一度だけ見た事があった。
あれはまだ、アルバトールが司祭付きだった子供の頃。
エルザと城の外に出た時に、はぐれた彼が魔物に襲われた時。
――上級魔物数十体が、一気に消え去ったあの時――
しかし今の彼は、周囲の環境に抗う術を持っていなかった子供ではなく、更に言えば非力な人間でも無い。
先ほど堕天使ジョーカーから聞いた、エルザの遍歴。
その真偽を確かめなければ、この先の戦いにこの身を捧げることなど不可能。
そう思った彼は勇気を振り絞り、口を開く。
「この堕天使を倒す前に聞きたい事があります。先ほどこの堕天使から、貴女が不老不死になった理由と……天使の角笛の詳細を聞きました」
「あらあら、何を聞いたかは知りませんが、この堕天使のたわ言を信じる義務は貴方たちにはありませんわよ?」
答えるエルザの目は、闇夜に出会った狼のように爛々と輝いているように見える。
それにも怯まず、アルバトールはエルザに詰め寄った。
「あの者はこう言いました。エルザ司祭の力を削ぐために、ルシフェルは貴女に不老不死の呪いをかけた。そして力を失った貴女が、自らの魂を主に捧げて天使の角笛と言う祭器に変えたと。」
そして喋るごとに先ほどの衝撃が胸の中に蘇り。
ついに彼は、エルザに向かって叫んでいた。
「魔王を倒す天使を生み出すだけの祭器に、その身を変えたと聞いたのです!」
「……!」
一瞬、エルザの動きが止まる。
そしてアルバトールを見つめるその顔には、疑問符しか浮かんでいなかった。
「……あらあら、今回はそう言う話をしていたのですね、この詐欺師は」
「え」
「嘘に決まっているじゃありませんか。私が祭器なのであれば、どうしてここで魔物と戦う事ができるのですか」
「いや、今の貴女は祭器となった肉体が投影した幻影……と…………」
「幻影なら食事は致しません。ましてやワインを飲んだり、スウィーツを嗜んだりしませんわ。偽装の為の食事と言うのであれば、パンやシチューだけで十分です」
「……あー、えーと」
しばらく首をかしげた後、アルバトールは急にその身を怒りに震わせたような仕草をとり、魔物を指差して叫んだ。
「おのれ! よくも僕を騙そうとしたなこの卑劣な魔物め! ジョーカーと言ったか! 貴様の非道な行い、絶対に許さんぞ!」
そしてエルザは鷹揚に頷き、アルバトールの両肩に手を置いた。
「嬉しいですわ。ようやくジョーカーの本性が理解できたようですわね。あること無いことを人に吹き込み、惑う姿を見て楽しむ。そう言った下劣な趣味があるから、この上なく嫌なのですわこの堕天使は。それでは一緒にこの汚物を磨り潰しましょうか」
さり気なく物騒なことを言うエルザを見て、ジョーカーは胡坐をかいたままくるりと回転する。
[おやおや、そんな事を言っていいのかな?]
ジョーカーのその言葉に、エルザは不機嫌そうに片方の眉をあげる。
「あらあら、どう言う意味ですの?」
冷たいエルザの声にアルバトールは再び身をすくませ、対照的にジョーカーは余裕たっぷりの態度でエルザに応えた。
[嘘と言う料理の味に深みを出す為に、真実と言うスパイスを一つまみ]
「本当に困った存在ですね貴方は。矛盾に満ちた存在である人間を惑わすには、意味を持たぬ言葉一つで十分と言った所でしょうか」
[先ほどの例えに意味がないかどうかは、貴様が一番良く知っているのではないか?]
「貴方を滅ぼすと言う意味を持たないなら、私にとっては無意味ですわね」
エルザがジョーカーにそう答えた瞬間、二人の間の空間が軋みをあげ、草木はざわめき、空は雲を手繰り寄せ、その恐怖を遮ろうとする。
エルザとアルバトール。
二対一と言う絶望的な状況でも、ジョーカーはその余裕を崩そうとはしない。
道化師と言う名前の通り、恐怖と言う感情を見せないようにしているのか、もしくは切り札と言う名前の通り、切り札としての力を持っており、その余裕が成せるのか。
そうアルバトールが考えた時、ジョーカーが忠告をする。
[動かなくて良いのかね?]
同時にエルザの周囲に閃光が走る。
そして轟音と共に爆発し、吹き飛ばされた。
「なっ……!?」
アルバトールは茫然とした。
先ほど一方的に堕天使を叩きのめしたエルザ。
それが何も出来ずに吹き飛ばされたと言うことは……。
[王女がまだ生きているようだが、任務はどうしたのだジョーカー]
背後から聞こえた声にアルバトールは振り向く。
そこには赤い顔に剃髪した頭、体格はエンツォと同等、あるいはそれ以上と見られる大男がいた。
重装備である板金鎧を装備しながらも、悠々とした歩調でこちらに歩いてくる男。
アルバトールはそれを見ると同時に、本能的な恐怖で体を震わせた。
エルザ以上の力を持つかもしれない、その存在に。