第159話 繰り返される羽ばたき
光に満ちた門を見上げながら、アルバトールは迷っていた。
何故ならルーの指摘は正しくなく、実際にはまだアルバトールに打てる手は残っていたからだった。
ただそれが使えるかどうか、また今の状況に相応しい術かと言えばまったく別の話であり、それが彼にその術を使わせるかどうかを躊躇わせていたのだ。
(さて参ったな。この状況に何か打つ手立てはあるかい? メタトロン)
自分が追い込まれていることをアルバトールは素直に認め、迷いなく彼の内部世界に在るメタトロンへ相談を投げかける。
するとあらかじめ用意されていたかのように、答えは即時に返ってきていた。
(君が思う所を為せ。君は既に気付いている。後はそれを君が実行するかどうかだ)
(僕にアポカリプスが使えると? ルーに撃ち込むことが出来ると?)
(君は既に光の衣を会得したはずだ。神気を纏い、身に迫るすべての脅威を消し去るが光の衣の極意。つまり君は既に神気を操る資格を……)
(まだ会得してないんだけど)
(なん……だと……)
少しの間メタトロンは凍結し、そして少しだけ怒ったような口調で意思を発する。
(……我は確か、ミカエルに君に光の衣を身につけさせておくように、と言っておいたはずなのだが。いや、この際それは置いておこう。少し君の記憶を覗かせてもらうぞ。何、この件に関係ない君の人生の恥部について興味は無いから安心したまえ)
(人生の恥部とか言ってる時点で、覗いたことがあると自白しているようなものだね)
(あっ、こら! 今の我に串刺を撃つのはやめたまえ!)
そして許可も得ずにメタトロンは勝手にアルバトールの記憶を覗き始め、一つの助言をアルバトールに告げた。
(これは……仕方ない、アポカリプスに至る遥か手前ではあるが、今の君にとってはこれが一番の解決策だろう。手短に言うぞ、神気を体内循環させて体に馴染ませずに、神気を暴走させ、その反動をすべて羽根から放出して敵にぶつけるのだ)
(その説明を聞く限り、物凄く危なさそうな聖天術なんだけど)
(喰らった相手は死ぬ。ついでに放った術者も死ぬ。……だから串刺はやめろと言っているのに! 半分は冗談だ)
(話の前半と後半で区切る半分なのか、それとも話した内容の程度が半分なのかはっきりしろ)
(内容の程度だ。詳細はアーカイブで君に送る……と、そういえば君に言うのを忘れていたが、君は熾天使ではなくまだ智天使だ。つまり羽根が四枚なので、ルーの門から放たれる五つの光を一つ打ち消せないことになる。後は気合で何とかしてくれ)
それを聞いたアルバトールは溜息をつくが、今の彼にメタトロンへ恨み言を言う資格は無かった。
(判った。全力は尽くす。だがそれでもダメだった時は……君の目的が中途で終わることを許してくれ)
静かに言うアルバトールを見てメタトロンは苦笑し、静かに口を開いた。
(だが、この場で君を熾天使に昇格させてもよい。我の名はメタトロン。天使の王であるからな。だがそれには一つ、君に答えてもらわなければならない質問がある)
エルザやダリウスたちの許可を得ずに、独断で位階を昇格することが出来る。
その驚くべき内容をあっさりと告げられ、少なからず動揺するアルバトールに、メタトロンから質問が成される。
(君は何のためにルーと戦っているのだ? 何故ルーを倒さなければならないのだ? 目的であるアデライードの身柄は既にこちらに在り、我の力を引き出した後も、我の干渉を弾き返して意識を保ったままだ。何の為に君はこれ以上の戦果を求めるのだ)
アルバトールは返答に詰まった。
確かに当初の彼の目的は、それ以上の成果を得たうえで達せられている。
目的を達成したということは、ここに留まる理由が無いということだ。
(アスタロトのことが気にかかるか? 彼女は君が目的だ。君がテイレシアに戻れば、彼女も自ずとテイレシアへ戻るだろう。ここにいることで君が不利益を被ることはあっても、利益を得ることは無いぞ?)
アルバトールはその意見を聞き、納得し、そして答えた。
(残されたヘプルクロシアはどうなる? 残された民は? テイレシアとの同盟に重大な亀裂を生じさせたルーの身柄は? リチャード王とクラレンスの仲の修復はどうなる)
(それはこの国の問題だ。我が聞いているのは君の問題であり、君の興味が向いた先ではないぞ)
メタトロンは冷たく言い放つ。
それを聞いたアルバトールは最後に残しておいた、いや不遜であるために残さざるを得なかった答えを解き放った。
(……神となって主の手助けをするべく、強敵であるルーを倒し、彼を神への踏み台とする為に僕は力を得たい)
(正解だ。我は君を、新しき熾天使と認めよう)
メタトロンは満足げに頷き、そして一枚のプレートをアルバトールへ埋め込む。
(申請、承認、受命、任命。すべては整った。行きたまえ、新しき熾天使よ)
「……ふう」
流れ込んでくる情報量の多さゆえに、永劫に終わらないかと思われたメタトロンとのやりとりは、実は一瞬にして済んでいたようだった。
アルバトールが目を開ければ、そこにはルーが彼を見守っており、闘技場の上段にある部屋からは見覚えのある顔の面々が悲痛な顔をして叫びを上げ、いつもの少女が首を絞められて悲鳴を上げている。
「平穏無事、世はなべてこともなしか。先ほどまでの喧騒が嘘のようだ」
目の前の若者がそう呟くのを見て、ルーは戦慄を覚えた。
見た目には、何が変わったと言うわけでは無い。
だがつい先ほどまで見つめていた天使とは、まるで在りようが違っている。
「そう思うのは、君がすべてを諦めてしまったからではないのか?」
そう言ってから、ルーは内心で舌打ちをした。
自分が眼のまえの若者を恐れ、その様子を探るべく無駄口を叩いたことに気が付いてしまったのだ。
「そうかも知れない。そちらの準備は整ったのかな?」
ルーの背後にそびえる、巨大な五つの門に満ちた光を見て、アルバトールは静かにルーを問いただす。
「追い込まれていながらも、私の体勢が整うのを待つその余裕。虚勢でないことを祈っているぞアルバトール! イヴァル!」
巨大な五つの石門が巨大な光の塊と転じ、今度はすべての門からアルバトールへ五色の光の奔流が集中していく。
「降臨」
それとほぼ同時に、アルバトールは聖天術を展開していた。
「疾走」
天使の輪と同時に発現する、六枚の巨大な天使の羽根。
「まさか……あれは!」
その光景を見たベルトラムは、思わずアルバトールに向かって叫びを上げていた。
「いけませんアルバ様! それは下手をすれば貴方の体すべてが吹き飛び、散華することになります!」
届かない距離、窓という障害。
それらの存在を忘れ、ベルトラムはアルバトールへ向かって必死に手を伸ばす。
「励起」
しかしベルトラムの叫びを無視するかのように、六枚の天使の羽根はより一層の力を得て光り輝き、アルバトールの背後には巨大な天使の輪が浮かび上がる。
そして羽根を頂点とした六芒星が少し傾いた形で描かれ。
複雑な紋様が内側を満たしていき。
「解放」
やがて時が満ちる。
「レペテ・エルス」
アルバトールの天使の羽根から発せられた純白の六つの光は音もたてず、周囲に被害も及ぼさず、ただ真っ直ぐにルーの背後にそびえる門と、ルーの身体に集光する。
ストーンヘンジから発せられた光は、既に聖天術レペテ・エルスに吸い込まれるようにして消えており、残るは石門とルー自身であり。
「まさかストーンヘンジに真っ向から立ち向かい、打ち砕くまでに成長するとは思っていなかったぞアルバトール。私は君という男を、全面的に信用すると誓おう」
その言葉を最後に、石門が破壊された後もレペテ・エルスに耐えていたルーは、光に飲み込まれ消えていった。