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第156話 魂振りて

「アデライード様! アルバ様が!」


「落ち着いてアリア!」


 青ざめて見つめてくるアリアの顔を、同じように血の気の引いた真っ白な顔でアデライードは見つめ返す。


 そんな彼女たちの狼狽ぶりを楽しむかのような口調で、バアル=ゼブルはアルバトールが置かれた現状の説明を始めた。


[あー、ありゃもうダメだな。見たところ太ももの腱が切れて、左腕は折れてる。右腕はなんとかくっついてるが、手首がひどく腫れ上がってるな。精神界じゃ聖霊による自己治癒能力は期待できねぇし、法術による回復も微々たるもんだから結構ヤベェ状況だ]


(ま、暗黒魔術による回復が出来りゃいいだけだが、今のアイツにゃ無理か)


 楽し気に話すバアル=ゼブルを見た二人は、そちらへ向けていた視線を憎悪を籠めた物に変え、そしてすぐに窓に張り付いて血まみれになって倒れたアルバトールを見守るが、ルーがフラガラッハを構えて歩き出す姿を見た彼女たちは短く悲鳴を上げる。


[お? そろそろトドメを刺す気になったか? それとも物質界に戻ってアスタロトに引き渡すつもりか? まったく律儀なことだ……おい、どこに行くつもりだ、姫さんよ]


 面白そうに状況を説明していたバアル=ゼブルは、窓から離れてドアへ速足で向かうアデライードを見てすぐさま声をかけ、制止を求める。


 それでもアデライードが止まらないのを見た彼は、その手を掴んで無理矢理に引き留めたが、振り返ったその眼には既に不退転の意志が宿っていた。


「外に出てアルバトール様を励まします。今あの方は死神に魅入られ、その魂を黄泉に引きずり込まれようとしている。それを防ぐには衰弱した魂を力づけ、再び生きようとする強い意志を宿らせることが必要。昔お爺様にそう聞いたことがあります」


 はっきりと言い切るアデライードの眼を見て、バアル=ゼブルは呆れた顔をした。


[あのな、ここはお前さんが住んでる物質界じゃなくて精神界だ。なのにお前さんたちが無事でいられるのは、俺が"館"の術を使って守ってやってるからなんだぜ? もし生身で外に出てみろ、強風に飛ばされる虫ケラみてえに死……おっと]


 花瓶を頭に叩きつけようとするアデライードから素早く身をかわすと、バアル=ゼブルはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ、嘲笑した。


[同じ手は二度と食わねえよ。まぁ大人しく喰らってやっても良かったんだが、物質界の花瓶と違って精神界の花瓶は、流石の俺も喰らったらタダじゃ済まねえからな。勘弁してくれやお嬢ちゃん]


 何もできないアデライードの苦しむ姿を楽しむかのように、バアル=ゼブルは薄笑みを浮かべる。



 しかしその笑みは、その目の前の何もできない女性によって、すぐに凍り付かせられることとなる。



「そこを退きなさい」


[あん?]


「そこを退くように言ったのです。下郎」


[あ? お前さん誰に向かってモノを言ってると思って……]


「下がれ下郎! このアデライード=デスティン=ヴォロンテ=テイレシアの行く手を阻むとは、一体何様のつもりか!」


 つい先ほどまで、何もできない自分の無力に嘆いていたように見えたアデライード。


 しかしその彼女から突き付けられた言葉に、それに秘められた意志に一瞬だけ怯まされたバアル=ゼブルは、旧神である彼を下郎呼ばわりした発言もあってプライドを少なからず傷つけられるも、その怒りを我慢して無言で彼女を押し留めようとする。


 しかし、それでもアデライードは一向に引き下がる様子は無かった。


「もしアルバトール様が死ぬようなことがあれば私も死ぬ! ならば今ここで外に出ようと出まいと、何の変わりがあろうか! 私のこのヴォロンテ――意志――の名と誇りに懸けて、私は決して引き下がらぬ! 判ったら……」


 その時。


 けたたましい音と共にアデライードの言葉が中断され、同時にバアル=ゼブルが乱れ飛ぶ破片と共に床に倒れる。


「アリア……」


 そして彼の背後には物凄く大きい花瓶だった物の、一際大きい破片の口部分を握りしめたアリアが笑顔で立っていた。


「注意を引きつけてくれてありがとうございますアデライード様。それではこの無礼者を排除した功に免じ、このアリアが姫様にお供仕りますことをお許しくださいますよう願い奉ります」


「いいえ、貴女はここに残っていてください。行くのは私一人だけです」


 きっぱりと言い切るアデライードにアリアは微笑む。


 一年に何度も笑うことのない、おそらくトール家の殆どの者が見たことが無いであろう笑顔を浮かべて。


「姫様が誘拐されて後、私は暇があればデュランダルを振る毎日を送っておりました。人の生命力を刃と変えて、すべてを切り裂くデュランダルを」


 アリアは豊かな胸に手を当て、膝をつき、空いた手でアデライードの手を取る。


「お陰で生命力は随分と鍛えられ、その制御にも長けるようになりました。ですから一人より二人の方が、生き残れる可能性がきっと高うございますわ」


 そう言った後。


 アリアは自分が握りしめていた手の、微かな震えが止まるのを感じた。


「判りました。それでは行きますよアリア! 我らが想い人を助けるために!」


「はい! アデライード様!」



 そして彼女たちは、館のドアを開けた。


 その先に待ち受けていた、全身を引き裂く痛みに怯むことなく、また悲鳴を上げることもせず。


 ただ歯を食いしばり、一歩を力強く踏み出し。


 つい先ほどまで、窓一枚を隔てるだけで普通に見ることが出来たアルバトールの姿を求め、彼女たちは闘技場の壁へと近づいていった。




(ルーが近づいてくるか。さて、この瀕死の僕を見て、どれだけ油断してくれていることやら)


 アルバトールはまだ諦めてはいなかった。


 ルーが近づいたのを見て、最後の一撃を繰り出すつもりだったのだ。


 しかし彼の標的であるルーは少し離れた所に留まり、それ以上近づいてくる気配がまったく見られない。



「すまないが、君にトドメを刺すつもりは無い。このまま物質界に戻り、アスタロトに引き渡させてもらう」



(なる、ほど……な……では……どうする……)


 今の自分に残された力では、離れた所にいるルーに炎の剣を投げつけても当たりはしないだろう。


 無謀な賭けに出ることをやめたアルバトールは、必死に他の手立てを考えるがどうにも考えがまとまらず、その意識は闇から伸びる手に弄ばれるばかりだった。


(乾坤一擲はダメでしたね、エンツォ殿……最後まで、諦めずに……)


 体から熱が退き、冷たくなり、重くなった瞼をこじ開けるにも手が上がらない。


 耳に入ってくる声も霞のように定かでは無くなってきた時――



「その無様な醜態、フォルセールで其方を待つ者たちにも見せられるか!」



 彼の耳をつんざくような大音声が発せられた。


 いや、声の大小どころの話では無い。


 精神界のすべて、世界を構築するすべての存在を震わせるほどの意志を込められたものが、女性の声の形をとって発せられたのだ。



「立ちなさい、アルバ=トール=フォルセール。人の身でありながら天使に転生し、智天使に上り詰めた者よ。そのような体たらくで、この聖テイレシア王国の第一王女であるアデライードを娶ろうなどと大それたことを望むとは、思いあがるでないぞ」


(アデライード姫……? それに後ろにいるのは……アリア……か?)


 心の臓の方向から発せられる意思を感じ取った彼は、霞む目に力を籠め、ゆっくりと顔をそちらに向け、そしてルーが今までにないほどに動揺しているのを目にした。


「馬鹿な! この精神界に物質界の者が生身で出るなど……死にたいのかアデライード! アリア! すぐにバアル=ゼブルの館の中に戻らねば、精神界の大氣に肉体を分解され、吹き飛ばされ、身体の内なる生命力を四散させて死んでしまうぞ!」


(……!)


 同時にアルバトールは、自らの魂が振るえているのを感じとっていた。


 だがそれは、今のルーの言葉を聞いたからではない。



「私を娶りたいのであれば! この手を取り、共に歩みたいのであれば! 今すぐに立ち上がり! そして天に向けてその手を上げなさいアルバトール! 我が運命を! 我が意思を! 我が一生をその手に掴み取るために!」



 魂の叫び。


 アデライードの発した意志がアルバトールの魂を震わせ、活性化させ、ついには彼の身体へと伝わった震え、振動が内なる力を目覚めさせていく。



「そう言われて……」


 アルバトールの眼が赤く染まり。


「立ち上がらない訳には、いかないな……! 聖テイレシア王国の男としては!」


 次いで髪が赤に染まり、巻き起こる炎の如く力強く、彼はその場に立ちあがる。


「もう少しご教授願っても構わないかな、ルーよ」



 だがその口調を自らの物から変えること無く、しかしその身から発される圧倒的な力で周囲を塗りつぶしたアルバトールは、目の前のルーに先ほどの勝負の続きを申し出たのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] クソ。茶番。言われて起きれんならさっさと起きろやゴミが
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