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第153話 異界へ

「え、なんで君まで」


 無機質で乾いた声が冷えた廊下に反響し、何度も何度も繰り返されながら遠ざかる。


 その声を発したアルバトールも、声と共に意識まで遠ざかって行ったのか。


 どんな態度をとり、どんな表情をしたらいいのか分からないと言った様子で、まるで秋風に揺れるススキのように、ゆらり、ゆらりとしながら呆けてしまう。


[お、おい? アルバトール?]


 つい先ほどまで自分と切りあっていたアルバトールが、まるで魂が抜けてしまったようになったのを見てバアル=ゼブルは冷や汗を垂らし、顔の前で手を振って反応を確かめるが、まるで無反応のアルバトールを見た彼はゆっくりと首を振った。


[手遅れだな。いい奴ほど早死にするとはよく言ったモンだ……短い付き合いだったが、お前さんのことは忘れねえ。このお嬢ちゃんは俺がしっかり幸せにしてやるから、キッチリ成仏するんだぜ、アルバトール]


 そこまで言うと、再びバアル=ゼブルはチラリとアルバトールの方を見るが、それでも彼の眼は濁ったままであり、その体はピクリともしない。


[おい乳の嬢ちゃん]


「その呼び方はやめてください!」


[んじゃおっぱいちゃん]


「刺しますよ」


[冗談だ。まったく何で俺の周りはこう気の強い女ばかりなんだか……]


 アリアに軽口をたたいたバアル=ゼブルは、殺気どころか気配すら曖昧な横の天使に目をやるが、相変わらずアルバトールは固まったまま動かない。


[重症だな。おい、アリアとか言ったか。さっきの話はどういう意味だ? あれを聞いてから、アルバトールが全然動かねえんだが]


「トール家のメイドを止めて、アデライード様と一緒にルー神の巫女になるんです」


 まるで説明になっていないアリアの答えを聞いて、呆れたようにバアル=ゼブルは頭をくしゃくしゃと掻き、咳ばらいを一つして彼女の方へ向き直る。


[さっきと一緒の内容を繰り返してもしょうがねえだろ。お前さんたちの目的が最初から巫女になることで、自分からこの神殿に来たっつーならまだしもよ、お前さんたちはそこのルーに連れ去られてきたんだろ? と言うことは、ここで巫女になると決意する何らかの原因が出来たわけだ]


 アリアはその言葉に隠された、ぶっきらぼうな口調の底にあるバアル=ゼブルの優しさを感じたのか、少し迷った様子を見せた後に口を開く。


「エンツォ様とエレーヌ様が、先ほどひどい傷を負って私たちの部屋に運び込まれた時に、手当をして欲しければ巫女となり、ここで暮らしていくことだと言われて……」


[だってよアルバトール。……あれ? 動かねえな。こいつはちょっと計算外だ。俺の経験則によると、大抵はここでそうだったのか! とか言ってお手軽に復活するんだが]


 そのバアル=ゼブルの言葉を聞き、アルバトールの復活を警戒して距離をとっていたルーが再び近づいてくる。


「ふむ、予想以上に効いたな……まぁ、これはこれでアスタロトからの要請どおりになったと喜ぶべきなのか」


 そしてアルバトールのうろんな表情を覗き込むと、ルーは何かを納得したように大きく頷き、バアル=ゼブルに顔を向けて意見を言うように促す。


[なんだ、これが狙いだったのか? なんとなく後でなぜか俺が怒られそうな気もするんだが、まぁ物事は経過じゃなく結果を見て判断しろって言うし問題ねえか]


「せっかく助けた命だ。少々有効活用させてもらってもバチは当たるまいよ」


 そしてバアル=ゼブルの同意を得たルーは鎧に包まれた右手をあげ、何かの模様を描くように忙しく動かし始める。


[と言うこった。タダでさえ今のアルバトールがアスタロトに勝つ確率なんてゼロに等しいのによ、こんな呆けたままじゃあ、万が一にも助からねえだろうな。と言うわけでだ、巫女になるってんなら新しく衣装を作らねえといけねえよな、ケッケケケ]


 そのゲスい言葉と共に。


 何かを期待させる両手の動きと共に。


 バアル=ゼブルはアリアへ迫って行く。


「け、結構です! 採寸なら自分で何度もやったことがありますから!」


 怯えて逃げ出そうとするアリアをバアル=ゼブルが追い詰め、伸ばした舌と手が彼女に届こうとした瞬間。


「アリアに何をするんですかこの変態!」


 驚くことに、先ほどアリアが出てきた所からアデライードが飛び出し、ドレスを振り乱しながら凄まじい勢いでバアル=ゼブルの脳天に花瓶の底を叩きつけ、その勢いで花瓶は粉々に砕け散る。


[おい]


「何ですかこの女性の敵!」


 アデライードに叩きつけられ、粉砕した花瓶の破片をびしょ濡れになった頭に乗せたまま、バアル=ゼブルは半眼でアデライードを見つめた。


[俺は今、アルバトールの野郎に正気を取り戻させるために、わざとこの嬢ちゃんに詰め寄っただけだ。決して、これっぽっちも、いやらし~い考えなんか持っちゃいねえ。そこんとこを踏まえてだな、これからお前さんは俺に謝罪するべきだ。判ったか?]


「貴方の眼に嘘って書いてありますけど。自らの犯した罪がばれても、その事実を認めない卑怯な輩がする目ですね」


[バッカヤロウ本当だよ何言ってんだよバカヤロウ]


「馬鹿は君だ。宿り主が寝所に落ちてきたから、何かと思って出てくればこれか」


[お? 復活したかアルバ……チッ、テメエかよ]


「久しいな、旧友よ。そして初めまして、旧神ルー。我の名は――」


「知っている、天使の王メタトロン。非情なる裁きの天使よ」


 いつの間にか赤毛、赤眼になったアルバトール――メタトロン――を見て、一人は苦々しげに、一人は憎々しげに反応を返す。


「ひどい言われようだ。我は当然あるべき報いを下してきただけだと言うのに」


 彼らの反応を見たメタトロンは自嘲し、しかる後に尊大な態度で居並ぶ面々を面白そうに見つめ、その姿を見て歯噛みをしたルーが、アリアとアデライードに若干の焦りを含んだ警告を飛ばす。


「アリア、アデライードを連れて戻りなさい」


「待ちたまえ」


 しかしルーの言葉を理解できないままに、それでもその場の雰囲気に恐れをなした二人が戻ろうとした瞬間、アルバトールの声とはまったく違う、重々しいメタトロンの声が響き渡り、アリアとアデライードの体は硬直してその場に立ちすくんでしまう。


 だが。


[ってことだ。わりぃなメタトロン。ほれほれ、アスタロトに東方の最新の服装を教わった俺が、巫女の衣装の採寸もしてやっからよ、戻るぞ二人とも]


 何かを察したようにバアル=ゼブルが両者の間に入り、ガラスの小片のように煌く次元の切れ目に二人を連れて消えた。


「嫌われたものだ。それにしてもルー神よ、あの二人の娘を早々に我の前より隠したのは、何か君に不都合なことでもあるからかね」


 三人が消えた空間を目で追った後、そう言いながらメタトロンは腰に在った炎の剣を抜くが、彼はそれをルーに向けるでもなく、ゆっくりと地面に向けて垂れ下げた。


 アルバトールが抜いた時に見せる紅蓮の炎とは違う、白い炎。


 限りない希薄さ、あるいは冷酷さをルーに感じさせるそれは、炎と言うよりは裁きの光に見えた。


 メタトロンにその意が無いにせよ、ルーにとって炎の剣――光の剣が発する光は、今の彼にとって明確な恫喝を意味する物であった。


「不都合なことなど、世に在り続ければ無数に存在しよう。その中の一つがあの娘に宿ったとしても、私は特に驚いたりはしない」


 光の剣より発せられる重圧を切り裂くべくフラガラッハを抜き、メタトロンを鋭い眼光で射抜いたルーが切りかかろうとした瞬間、メタトロンの赤い髪がわずかに揺れ動き、それを見たルーは何らかの攻撃が行われたのかと素早く間合いを取る。


「……八坂の勾玉よ、虚の海に消えしモノを従え、現世へ戻り候らへ……うむ、思ったより上手くいったな。ルー神よ、我が宿り主が行った非礼を詫びる印として、神殿を修復しておいた。後は二人で解決してくれ」


 だがそれだけを言い残し、赤い髪と眼を持つ天使の王は気配を消した。


「……なるほど。確かに見た目も、神殿の壁であり続けようという存在の裏付けたる意思も感じられる」


 先ほどアルバトールが破壊した壁を見て、感心するように呟いたルーは金髪の智天使の方を向き、そしてフラガラッハの剣先を上げた。


「君に恨みは無い。ただ周囲の状況と生きる者の意思。そして死せる者の願いが私をこうさせたのだ」


 遠い位置にいるアルバトールに向けてルーがフラガラッハを振り下ろすと、無形の剣閃がアルバトールを襲い、肉体を傷つけ、吹き飛ばす。


「化粧を直す時間が欲しい……か。馬鹿馬鹿しい。何のために、誰のせいで私がこんな目に遭っているのか、まったく考えていない傲慢な返事だ。そうは思わないか? 若き智天使、アルバトールよ」


 放心し、立ちすくんでいたはずのアルバトールに攻撃を加えたルーは、そのままその場に立ち、警戒しながら何かを待つ。


「何かを為すときに、何らかの見返りを求めるのも傲慢な証拠、と言うけどね」


 そして剣閃が通り過ぎた後に起こった爆炎の向こうから一人の青年が姿を現し、ルーに向かって減らず口を叩いた。


「ベッドから蹴り落とされた気分だよ。物凄く気持ちが悪い」


 そう言って、アルバトールは炎の剣を抜く。


 剣身から噴き出す炎は、つい先ほどバアル=ゼブルに切りかかった時とは違って黄色へと変化しており、またその幅もやや減少しており、力が垂れ流されているように見えていた今までとはうって違う、制御されたもののように感じられた。


「ルー神よ、良ければ神殿の外に出てやらないか? 君は神殿を傷つけられるのを異常に嫌っているようだし、このままここで戦って神殿を傷つけるには忍びない」


「心配はいらない。ここは私の聖域の中心、神殿だと言っただろう。この中では結界の働きは多少私に都合のいいものとなり、君にとっては不利なものとなる」


 ルーは憐みの眼でアルバトールを見つめると、フラガラッハを矢のように構え、気合の声と共に突き出す。


「うわっ!?」


 アルバトールは、自分に向かって放たれた光の数条を慌てて交わそうとするも、そのすべてを交わしきることはできず、右足の一部を巻き込まれる。


 だが足に走る激痛を堪えながらアイギスを発動させると、続いて迫りくる追撃のフラガラッハを弾き、態勢を立て直して笑みを浮かべた。


「ところがそうもいかないのが面白いところでね。天つ罪が一つ、串刺」


 そう言ってアルバトールが炎の剣を床に刺すと神殿が鳴動し、先ほどまで彼が感じていた冷気と違和感が途端に薄れていく。


「まだ解析は終わっていないが、結界の傾きを元に戻す程度の力はある。さて、まだこの中でやるかい?」


「いいや」


 少しは逆上するかと思われたルーは、あっさりと諦めたように首を振り、静かにフラガラッハを振り上げた。


「まだやるつもり……何ッ!?」


 ルーが振り下ろしたフラガラッハから、天井と床を繋ぐ光が放たれ、ルーとアルバトールはその光――次元の狭間へと吸い込まれていく。


「招待しよう。君を我らが本拠地たるティル・ナ・ノーグへと」


 光の柱が消え、次元の狭間が閉じ、ルーの発した言葉だけが物質界の廊下の向こう側へと響き渡ったが、それも最後には消える。



 そして何かがいた、という痕跡が一つも残らなくなった廊下に一粒の黒い雫が滴り落ち、それを見届けた何者かが踵を返してどこかに姿を消した。

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