第150話 誇りをかけて
「あっ! こ、こら待て小僧!」
ダグザがモリガンに追いかけまわされ、逃げるだけで手いっぱいになっているのを見たアルバトールは、すかさずその隙をついて神殿の中に続く階段を駆け上っていく。
それを見たダグザは慌てて引き留めようとしたのだが、そこに振り下ろされたモリガンの槍に行く手を阻まれてしまい、まんまとアルバトールを取り逃がしてしまった彼は歯ぎしりをし、しかる後に軽く溜息をついた。
「……ふー、仕方あるまい。あの小僧のことはルー殿に任せるとするか」
体の動きより少し遅れて揺れ動く自分の腹を軽く押さえながら、ダグザは苦い顔で独り言をいうと後ろにいる二人の女性、モリガンとバヤールの方へと振り返る。
「俺様はルー殿に誰もここを通すなと頼まれ、俺様はそれを引き受けた。だが結果は見ての通りだ。判るか? お前らは俺様の信用に傷をつけてくれたのだ。モリガンよ、お前はこの一件に対して、俺様にどんな詫びをいれるつもりだ」
「この私の槍だけでは足りないと?」
「まるで足りんな。もう忘れたか? 先に戦った時に、お前が俺様の言葉一つで地面にへたり込んでしまったことを」
「もちろん覚えていますが、いつまでも気に病むことでもありませんから」
モリガンは穏やかな笑みを浮かべると、左手にも槍を具現化させ、二本の槍を頭上で十字に交差させると、ダグザに向けて振り下ろす。
「むしろあの戦いがあったからこそ、私は貴方に立ち向かえることができ、貴方に一片の情けもかけずに挑めるのです」
決意を見せるモリガンに対し、ダグザは面白くなさそうに鼻を鳴らすとハエを追い払うように手を一振りし、モリガンの槍から発せられた衝撃波を打ち消す。
「……つまらん。おい! バヤールとか言ったか! お前も俺様に対して、何か含む所があるのではないか!?」
仏頂面になって問いかけてくるダグザに対し、腕組みをしたまま石像のように静かに立っていたバヤールは、片眉をピクリと動かして口を開く。
「確かに居るだけで私の五感すべてに不快感を与えてくる貴様の存在は、到底我慢ならんものだな」
「……テイレシアの奴らは一体どんな教育を受けているのだ。クラレンス王の口が悪いのも、まさかテイレシアに騎士修行に行ったからではあるまいな」
「お前が自分の醜悪さに気付いていないだけではないか?」
「見た目だけで人を判断するのは、人の心を思いやることが出来ず、人の考えを顧みない者のやること。つまり他人を理解する余裕が無い小人である証拠と言うぞ」
小馬鹿にした口調でダグザがバヤールを侮蔑し、手の平を天にかざす。
すると空から黒い物体が湧き上がり、渦を巻いてたちまち巨大な岩の形を成す。
「ダグザよ。外見は自分を知ってもらう上で一番最初に来る、いわば先制攻撃だ。それを人に誤解をされる姿形をとるのは、自分を理解してもらうのに他人に余計な負担を掛けているに他ならない。つまりお前は先制攻撃を疎かにする小人。だそうだ」
「お前が言うな。と言うか、だそうだって何だ」
何処から見ても立派な偉丈夫にしか見えないのに、アルメトラ大陸の内陸部に存在する、とある騎馬民族の国の女性の民族衣装を着ているバヤールを見たダグザは、うんざりとした顔で彼女に向かって巨岩を投げつける。
だがバヤールは、彼女の身丈の二倍はあろうかと言う岩に右拳を叩きつけて易々と粉砕すると、そのまま準備運動を始めたかのように節くれだった指を動かし、石をこすりつけるような音を立てながら興奮を隠そうともせずにニタリと笑みを浮かべた。
「森の守護者でもあるこのバヤールの前で木々を破壊し、尚且つ汚物を撒き散らすとは許しがたい罪だ。貴様の五体をバラバラに引き裂き、新しく生まれ来る若木の苗床としてやろう。モリガン! 今日だけは特別に私の背に乗ることを許してやるぞ! 来い!」
しかしバヤールの誘いを聞いたモリガンは躊躇し、協力してダグザを打倒すべきかどうかを考えているように見えた。
「来い。二人で力を合わせねばこいつには勝てんぞ」
そのモリガンの反応を予想していたのか、バヤールは口に手を当ててうつむく彼女に即座に再び誘いをかけるが、それを妨げるかのようなダグザの笑い声がその場に響き渡り、バヤールは不機嫌そうにモリガンに差し伸べた手を握りしめ、ダグザに向ける。
「ガッハハハハ! もしかして、力を合わせれば俺様に勝てると言っているのか!? 先だっての戦いで、小僧に厄介払いをされたことをもう忘れたようだな!」
「我が主は優しいお方だからな」
「厄介払いされて優しいだと? 妄信もここまで来れば大したもんだ!」
腹を抱えて笑い出すダグザに軽蔑のまなざしを向け、バヤールは答えた。
「あの時、我々が居た場所以外の戦場はどうなっていた?」
その途端にダグザは笑うことをぴたりと止め、口を引き結んでうなる。
「人は好む好まざるに関わらず、やりたくも無いことをやらねばならぬ時がある。我が主が私に人間どもの心の支えになって欲しいと望めばそれを承知し、遂行するのが配下の役目よ」
「ヒビどころか、かすり傷一つつかぬか。大した結束の強さだ」
ダグザと話している間に近くに寄って来たモリガンの顔を見たバヤールは、再び馬の姿に戻ってモリガンを背中に乗せ、ダグザはその二人の凛々しい姿を感心したように見つめると、短く息を吐いた。
「だが貴様たちの実力不足が変わるわけでは無い。そのことを忘れるな」
そのダグザの指摘を聞いたバヤールは、短く鼻息を吐いて念話で答える。
≪こちらも一つ、貴様に言うのを忘れていたことがある≫
バヤールはいななきを上げ、一歩だけ前脚を踏み出した。
≪私は槍を持つ騎士を背に乗せることを何よりも好む。我が身だけでは無く、背に乗った者の力すら倍増させるほどにな≫
同時に馬体は大きく震え、一回り大きくなり、蹄を支える大地までが脈動を始めたような錯覚を周囲に与えていた。
「つまりあの小僧と相性は良くないってことか。そりゃあお互いに遠ざけたくもなるってもんだな。ガッハハハハハ! さて、周りも騒がしくなってくる頃だ。さっさと決着をつけるぞ、モリガン、バヤールよ」
今までずっと人の好い笑みを浮かべていたダグザが、胸を逸らして一際大きな高笑いを上げる。
そして再び視線をバヤールとモリガンに戻した彼の顔は、バヤールはおろか、付き合いの長いモリガンですら今まで見た覚えが無いほどの怒りを宿していた。
「貴方がそのような顔も出来るとは知りませんでした」
モリガンは穏やかな口調でそう言うと、槍の先端と冷え切った視線をダグザに向け、挑戦を叩きつける。
「前回の言われなき侮辱、この場で返させて頂きます」
「ほう、さんざ自分で不幸だの周りを巻き込むだのと、いじけることしか出来なかった女がこの俺様に言われなき侮辱を返す……か」
ダグザは歯を剥き出しにして凄惨な笑みを浮かべると、大槌を持つ右手に力を籠め、大地をきしませながらゆっくりとモリガンとバヤールに向かって歩き出す。
「このダーナ神族の長老たるダグザに向かってその不遜な言動の数々! もはや見逃してやる訳にはいかんぞモリガン! 俺様が叩き潰しに行くまで、そこを動くな!」
ダグザの叫びを聞き、モリガンはバヤールの首筋にそっと左手を差し伸べる。
「ではバヤール、お願いしますね」
≪承知……≫
そしてモリガンたちもダグザの言葉を無視するように、いや、ダグザの発言に挑むようにゆっくりとダグザに向かって歩き出す。
二人の間に敷かれていた、距離と言う絶対の壁はなんなく打ち破られて行き、お互いから発せられていた気迫と言う緩衝材が、二人が近づく圧力によって次第に圧迫、反発、そして弾けることにより。
激しい閃光を生じさせながら、戦女神とダーナ神族長老の戦いは始まった。
「よくも二本の槍を軽々と扱えるものよ! その槍に籠められた力、決して軽々しい物ではなかろう!」
「数々の戦場を駆け巡り、数えきれぬ勇者の血を吸ったこの槍は、もはや私の分身とも言えるもの! それにこの槍の芯に宿しているのは単なる力では無く、折れぬ魂と挫けぬ意思ですからね!」
「ほう! なるほど!」
ダグザはモリガンの鋭い突きや柄による激しい打撃を軽々と受け、弾き返し、それらの防御を掻い潜って彼の身体に肉薄した槍を、鈍重に見える外見からは想像もできないほど身軽な体さばきの元に紙一重で交わしていく。
「だが足りんな」
そして飽きたと言わんばかりの感想を口から漏らすと、彼は大槌を軽く上に放り投げ、そちらへ気を取られた二人を右足で蹴り飛ばして体勢を崩させると、その反動で左手に持ちかえた大槌を振り下ろす。
「ぶふぉっ!? なんじゃこりゃあああぐぬほあぁっ!? 」
だがダグザが大槌を振り下ろす前に、突如として起きた暴風に吹き飛ばされた彼は、先ほどのモリガンたちと同じく体勢を崩してしまう。
更に駆け寄ってきたモリガンの追撃の打撃を脳天に食らった彼は、その痛みに堪えかねてか、頭の血管が切れるのではないかと思われるほどの怒声を上げた。
「ぽんぽんぽんぽんと、人の頭を鐘のように軽々しく叩くでないわ! 知に富む偉大なる者とも言われる俺様の頭脳を何だと思っておる!」
「……昔フォモール族に供された粥に釣られて偵察の任を失敗した、ダグザという旧神がいたそうですが」
「はて? まったく覚えておらんが? フォモールの王女を篭絡し、敵軍の到着を遅らせる策を成功させたのははっきりと覚えておるのだが」
≪ククク、知らないのではなく、覚えていないか。見苦しいことこの上なしよの。おまけにこのバヤールが戯れに起こした鼻息で、あれほど無様に吹き飛ばされるとは……醜悪な精神の持ち主には、劣悪な肉体を持つことしか出来ぬと見えるわ≫
「黙れい! 言われなき侮辱、如何にこの寛容を以って鳴るダグザと言えど、勘弁ならんぞこの駄馬めが!」
≪私が駄馬なら貴様はさしずめ肥え太った豚と言ったところだな。先ほどの粥を吐き出す技など、見るに堪えん醜悪さであったわ≫
「ならば貴様が醜悪と断じた技の恐ろしさ、その身で味わうがいい!」
と怒鳴りながらも、割と冷静にモリガンとバヤールへ注意を払いつつ、慎重な動きでダグザは再び大槌で地面を穿ち、粥を作って再びそれを吸い込んでいく。
そんな時に不意に横から嫌悪感を剥き出しにした声が発せられた為、ダグザは思わず横目でそちらを見てしまっていた。
「うっわ……マジ無いわー。恥知らずなのは外見だけかと思ってたら、なんなのアレ技って言えるの羞恥心持ってないの?」
「ほいほい。そうは言ってもの、あれも敵を倒すと言う目的だけを考えれば、強烈無比な技と言えんことも無いのじゃぞヴァハよ。まぁ儂なら別の技を編み出すが」
そのアガートラームとヴァハの無慈悲な評価を聞いたダグザは、思わず口から噴水のように粥を噴き出し、とても戦っている最中とは思えぬ隙を生じさせてしまう。
「たー」
そしてダグザはモリガンの一撃を再び脳天に喰らい、そのまま地に伏した。
「そういえば、貴方に言うのを忘れていましたね」
脳天に発生した激痛すらそのまま流れ出し、薄れていくような感触を感じながらダグザはモリガンの優しい声を耳にする。
「我ら戦女神が戦う時は、常に戦車と共にある。つまり我らは馬と共に戦って、初めてその真価を発揮できるのですよ」
「……」
「うっわ、これひどい出血だよ姉さん! こいつが吐き出した粥でくっつくかな……おおお!? なんか増えたっ!」
何かの量が増えたのだろうか。
ヴァハの言葉を聴いて怒り心頭の状態になった途端、ダーナ神族の長老ダグザは一気に意識を失ったのだった。