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第149話 ダグザの大釜

「ほほう、思ったより早い到着だな。小僧どもにしては上出来の部類だ」


 森に囲まれたルーの聖域内。


 その中心に建てられた神殿の入り口に座り込んだ大男が小さく呟くと、その男の持つ大槌が彼の独り言に返事をするように、細かい震えを生じる。


 いや、実際に返事をしているのかもしれない。


 その証拠に大男、ダグザは周りに誰もいないのに頷き、首を振り、そして吹き出物で覆われた、だが人の良さそうな顔に穏やかな笑みを浮かべ、無人の前方に向かって不敵な笑みを浮かべているのだから。


 決して現在の彼が一人ぼっち……、いや周囲と話す機会が無いゆえに独り言を言うクセがついてしまったとか、そういうモノではないのだ。



「さて、主神たるルー殿のためにひと働きするか相棒」



 そう呟く彼の周りには、相変わらず誰もいない。


 だがすぐにダグザが見つめる前方の森に変化が生じ、土煙を上げながら巨大な体躯を持つ赤毛の馬が現れ、その額に浮かぶ銀の星の模様が光を産む。


 そして馬上で金髪をたなびかせていた青年が、ダグザに向かって叫びを上げた。


「聖テイレシア王国はフォルセール領、トール家のアルバ=トール=フォルセールだ。久しぶりだなダグザ」


「久しぶりと言うほど時は経っておるまい。若いうちは時間が経つのが遅く感じると言うが、本当のようだな」


「単なる挨拶の形式の一つだよ。ルーに会いたい、そこを通してくれ」


「通してはならんとの仰せだ。すまんな小僧」


 ダグザは地面に下していた大槌を握り、肩に担いで謝罪をした。


「すまないなどと微塵も思っていないくせに、良く言うよ。まぁいい。ダグザ、君が別れ際に言っていた言葉を覚えているか?」


 まるで悪びれないダグザの謝罪を聞いたアルバトールは、呆れた顔で赤毛の馬バヤールから飛び降り、腰に下げてあった剣を抜くと右手で軽く構えてダグザに笑いかける。


「無論覚えておる。小僧と一度全力で手合わせをしてみたい、だ。気が向いたらルー殿の神殿を訪ねて来い、ともな」


 ダグザは高笑いをすると、城壁ですら一撃で粉砕しそうな大槌をまるで小枝のように右手一本で軽く振り回し、それに巻き込まれた周囲の大気は大槌から逃げようとして、突風へとその姿を変えた。


「じゃあ始めようか」


「かかってこい小僧、と言いたい所だが、そこの馬……バヤールだったか? お前はどうするのだ」


「私の存在が恐ろしいか? だが安心しろ、今回は結界に専念させてもらう」


「その根拠のない自信は確かに恐ろしい。まぁいい、行くぞ小僧!」


「かかって来いダグザ! 後でお前がその太鼓腹が敗因だったと言い訳できぬまでに、完膚なきまでに叩きのめしてやる!」


「口の悪さだけは一級品だな小僧! それとも天使とやらは、口が悪くなければなれないシロモノなのか!?」


「いいや! だが精神体を持つ我々にとって、相手の弱みに付け込んで自信を喪失させる精神攻撃や、自分を必要以上に飾り立てて正当化する精神高揚は、自分の優位を確立させるために必要と知った! ただそれだけの話だ!」


「なるほど。いつまでも成長せぬ小僧と思っていたが、それはどうやら俺様の過小評価だったようだ。ではそれがどれほどの効果を産んだか、俺様の大槌で確かめてやろう!」


 逃げ切れなかった大気を巻き込んで唸りをあげ、まるで天そのものが落ちてきたような錯覚をアルバトールに与えながら、ダグザの大槌が襲い掛かる。


 しかし、ダグザの大槌はアルバトールの体には届いていなかった。


「ほう! これが噂に名高いアイギスか!」


「少々時間はかかったが、微調整は先ほど終了した。エレーヌ殿、エステル殿をヘプルクロシアに遣わしてくれた、フォルセールの皆に感謝するばかりだよ」


 アルバトールの全身は光に包まれ、そしてその光は渦を巻きながら彼の左腕に集まって、何百、何千もの分厚い光の層を形作っており、ダグザの大槌はその光の渦に吸い込まれるように収まって、振り下ろした勢いを完全に削がれていたのだ。


「ガッハハハハ! まったく天使と言う奴らはどこまで楽しませてくれるのか!」


 だがダグザは焦る様子すら見せず、それどころか楽しそうに高笑いすら浮かべてアルバトールを称賛する。


「だが甘い! このダグザの大槌がその程度で止まるとでも思ったか!」


「くっ……! なんて圧力だ!」


 そしてそのまま気合の声を上げ、アイギスに受け止められていた大槌にダグザは膂力を籠め始めた。


 と同時にアルバトールの左腕に集まっていたアイギスの光に異常が発生し、つい先ほどまでダグザの大槌を易々と受け止めていた光の層が次々と砕け散り、周囲に光の雨を降らせ、その勢いはどんどん増していく。


「確かにアイギスの術は強力な防御手段だろう! だが術の要! 絶え間ない光の層の構成は小僧にはまだ難しいようだな!」


 そして程なくアイギスの光はすべて砕け散り、ダグザの大槌がアルバトールに向けて振り下ろされ、その衝撃で土砂が噴き上がる。


 だがそこに既にアルバトールの姿は無かった。


「受け止められないのであれば避ければいい。確かにその判断は正しいが、少し行動に移すのが遅かったようだな。だが俺様の大槌の一撃を喰らって、片腕一本で済んだのは幸運と思った方がいい」


 攻撃が空振りしたことを気にする様子も無く、ダグザは土煙の向こうにいる人影に話しかける。


 そこには左腕を垂らしたアルバトールが立っており、しかしアイギスの光が集っていた腕は見る見るうちに内出血による紫色へと変色し、腫れ上がっていく。


「せっかくだから俺様がレクチャーしてやろう。勝負は先に殴った方が勝ちだ。もちろん例外はあるが、あらゆる戦いに於いて先に攻撃を当て、相手の力を削ぎ落すことは最重要項目と言っていい」


 ダグザは大槌を肩に背負い、得意げな顔で講義を始める。


「お前は俺様の攻撃を耐え、その隙に反撃を加えるつもりだったのだろうが、お前は俺様の実力を見誤り、先制攻撃を喰らってしまった。戦力の分からない相手には、最大の力を以って先制攻撃を加えろと言うのは常道なんだが、そう習わなかったか?」


 ダグザが余裕の笑みを浮かべながら話している間に、アルバトールは法術で骨折を治し、治療箇所を軽く動かして異常の無いことを確かめた後、炎の剣を再びダグザに向けて構え、答えた。


「もちろん習っていたんだが、まさかこれほどの威力とは思っていなかったのさ」


 ダグザは呆れた顔をすると、再び大槌をアルバトールに向け、腰を落とした。


「それが油断、慢心という奴だ。一つお利口さんになったな小僧!」


 再び大槌を振りかぶり、ダグザが走り寄ってくる。


「では僕も一つ教えておこう。不意打ちは来ることが判っていれば、単なる隙だらけの攻撃だ」


 その忠告を聞いたダグザは踏み込む足に一瞬の迷いを生じさせ、それは同時にアルバトールの攻撃を喰らう原因となっていた。


「ぬおおっ!?」


「エデンに立ち入ろうとする、不届き者を成敗する炎の剣の一撃だ。お前の大槌に引けを取らない威力だろう」


 炎の剣により、大槌ごと吹き飛ばされるダグザ。


 だがそれでも彼の術は発動し、炎の剣を振り下ろした姿のアルバトールの周囲に精霊魔術で強化された岩が大量に転移され、襲い掛かっていく。


 アルバトールは追撃を諦め、炎の剣を人の眼には止まらぬ速度で振り回し、四方八方から迫りくる岩を片っ端から切り捨て、先ほど吹き飛ばしたダグザを見つめた。


「大槌の一撃を繰り出すための踏み込みをトリガーとして術を発動させ、そちらに僕の気が逸れた隙をついて間合いを詰め、必殺の一撃を加える、か。実戦形式のレクチャーとはありがたいが、僕にそこまで親切にする魂胆はなんだ?」


「もちろん強敵と戦うのが俺様の望みだからだ……と言いたいが、実は普通にやられただけだ。まったく王侯貴族というのは、揃いも揃って口が悪い」


 ダグザは閉口しながら立ち上がり、法術で火傷を負ったヘソを癒す。


「さて、小手調べはここまでだ小僧。そろそろ先のいくさで見せることの出来なかった、俺様の真の力を見せてやろう」


 そう言うとダグザは大槌を地面に叩きつけ、巨大な穴を大地に穿つ。


 するとその穴にあっと言う間に白い粥がたまり、ダグザの呼気と共に彼の体内に取り込まれていき。



「……うげっぷ。む、どうした小僧なんか顔が怖いぞ」


「いや、やり場のない怒りと言うものを、エルザ司祭やガビー以外に感じることになるとは思っていなかったものでね……」


「むむ? バアル=ゼブルと既知の仲ではなかったのか? 一度会ったことがあるが、あやつの面の皮の厚さもなかなかのものだったぞ。まぁ心配するな。細工は流々仕上げを御覧じろ、だ」


 怒りの感情に身を任せ、全身をわなわなと震わせるアルバトールにダグザは平然と答えると、たぷんたぷんになった腹を揺らしながら、もっそりと歩いてくる。


「ふざけるのも……いい加減にしろ!!」


 怒りを発散させる為か、アルバトールは炎の剣を一振りし、そこから火球の術を使おうとする。


 平常心を失ったその姿を見てダグザはにやりと笑うと、はち切れんばかりに膨れ上がった腹部を、手の平で軽く一叩きした。



 その瞬間に、アルバトールの顔は怒りから恐怖へと変化していた。



「な……っ!?」


「ガッハハハハ! 俺様の恐ろしさ、とくとその身で味わうがいいおぼぼげるるろええぅぉぇっ」



 ダグザの口から半固体の白いナニかが吐き出され、それを慌てて避けたアルバトールの背後に佇んでいた、聖域を形作る森の一部が綺麗さっぱり姿を消す。



「何という恐ろしい技だ……色々な意味で味わう気になれないぞ」


「俺様の恐ろしさに気付いた時には手遅れと言う奴よ! 観念するんだな小僧!」


 続いて発射されたダグザのブレス? らしきものを慌てて避けるとアルバトールは火球の術を放つが、ダグザが立て続けに吐いたブレス? に火球があっさりと打ち消されたのを見た彼は、飛行術で逃げの一手に徹し始める。


(くそ! 今すぐダグザに全力で駆け寄って、僕の全身全霊を以って顔面を殴りつけたいほど腹立たしい技なのに、まるで隙が無い!)


 手も足も出ず、空中に逃げたアルバトールをダグザは悠然と見上げ、彼を撃墜するべく再び粥ブレスを吐くが、何故かその直後に激しく咳込み始める。


(ダグザめ、鼻にゲ……ブレスを逆流させたな? チャンスだ!)


 アルバトールは急降下し、炎の剣に力を籠めて巨大化させると、鼻の下に粥をつけて涙ぐんだ顔のダグザに斬りかかっていく。


「甘いわ小僧!」


 だがその姿を見たダグザは、してやったとばかりの叫びをあげると即座に鼻の片方を指で塞ぎ、勢いよく鼻息と一緒に大量のナニかを噴き出していた。


「小僧、テッポウウオという魚を知っているか? 口から水を高速で噴き出し、水上にいる獲物を落として捕食する魚だ」


「うぎゃあああああああ!? きたないいいいい!!」


 ダグザはうっすらと勝者の笑みを浮かべると、苦悶の表情をし、叫びを上げながら粘液まみれで地面でもがくアルバトールを見下ろす。


「ふん、戦術や技というものは、失敗した後のことまで考えておくのが常よ。俺様の完成された技、ダグザの大釜を見た目で判断して甘く見たのがお前の敗因だ」


 鼻水を垂らしたまま、ダグザは重いお腹を抱えた妊婦のように胸を張ると、粥と粘液にまみれて動きが取れなくなり、地面に叩きつけられたアルバトールに勝ち誇った。


(く、くそっ……! 万事休すか!? ルーの神殿はすぐ目の前と言うのに! ここまで来ておきながら、僕はここで力尽きるのか!?)


 大槌を振りかぶり、ゆっくりと近づいてくるダグザ。


 しかしその顔には鼻水がぷらんぷらんしており、それを見てしまったアルバトールは不覚にも噴き出して、真面目にやれとダグザに怒られてしまう。


「我が主!」


 絶体絶命の主人を見たバヤールが間に入ろうとするも、その動きはダグザの一睨みによって止められ。


 だがその拍子にダグザのぷらんぷらんする鼻水が振り子のように勢いを増し、ダグザの右頬に張り付いたのを見たアルバトールは再び噴き出してダグザに怒られる。



 生死を賭けた緊迫した戦いに、ようやく決着がつこうとしている。



 とうとう鼻水が右から左の頬にくるりと回って張り付いたダグザの顔を見ると、到底そんな場面には見えないのだが、それでもダグザがアルバトールに向けて大槌を振り下ろした……ように見えたその時。



「ふん、思ったより早かったな。まさかお前がここに来るとは思っていなかったが、都合がいいと言えば都合がいい。久しいなモリガン」


「久しいと言うほど、貴方たちと別れて時は経っていないでしょう。そんな余所余所しい挨拶はやめて、今すぐアルバトールから離れなさいダグザ」



 ダグザの大槌は、彼に向けて飛んできた槍を弾き返すためにその軌道を変え、アルバトールの体では無く、空中でその動きを止めていた。


 そして現れたモリガンは、地面に倒れたアルバトールの様子を見る為、一目散に彼に駆け寄りビタっと立ち止まる。


「…………」


 そのひどい有様を見てモリガンは一歩足を引き、遠慮がちな小声でアルバトールへ大丈夫ですかと声をかけた後、彼女は更に数歩ほど遠ざかってその場にいる者たちの顔を見回して少し迷うような素振りをし、最終的にダグザを睨み付けて怒声を浴びせる。


「一体アルバトールに何をしたのですか! 事と次第によっては如何に我らの長老にあたる貴方でも許しませんよダグザ!」


「……いや、今のお前のほうがよほど許されないことをした気がするぞモリガン」


「も、問答無用! そそそこを通さないなら、力づくでも通してもらいますよ!?」


「なぜいきなり問答無用になる。最初の事と次第によってはどこに行った。理屈では無く、感情で動くからそうなるのだ。まったくこれだから女は……うおおっ!? 落ち着けモリガン!」


 手に持った槍を、いきなりやたらめったらに振り回し始めて迫ってきたモリガンを見てダグザは逃げ出し、それを遠目に見たアルバトールはそっとバヤールを手招きして呼び寄せる。


「……バヤール、今のうちに僕は神殿の中に入るからモリガンを頼む」


「承知しました我が主」



 ルーに連れ去られたアデライードとアリアを助けるため、王都を出発したアルバトールは、長い時と無駄に長く感じられた時を経て、ようやくルーの神殿へ辿りつくことに成功したのだった。



 なぜか肩を落とし、意気消沈した姿で。

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