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第146話 人生のスパイス

 無造作に振り回しているように見えるバロールの巨大な棍棒が、恐ろしいほどの速さでガビーを遠くに吹き飛ばす。


 それを見届けたバロールは左手を大地に突き立てると、十メートル以上の厚さで地盤をめくりあげ、無謀にも彼に立ち向かってきた少女を押しつぶした。


「ああん? なんじゃあ? おい、真面目にやらんかい。わざわざウリエルを押しのけてまで儂に挑んできた者の実力が、この程度のものであってたまるかい」


 胸のあたりをぼりぼりと掻こうとしたバロールは、そこで金属の鎧に全身が覆われていることを思い出したのか、代わりに左目を覆う眉毛を掻いてガビーが立ち上がってくるのを待つが、戦っている相手を押しつぶした地盤はうんともすんとも言わない。


「本当に終わりかい。おいウリエル、あの嬢ちゃんにお前との再戦に水を差された形になったが、まだ儂とやる気はあるんかい」


「あるようですよ、バロール」


「おう、そうか。それじゃやるかいの」


 ベルトラムは再びアラドヴァルを具現化し、大地に突き立てて意味ありげな表情をしながらガビーが吹き飛ばされた方向を見る。


 それを見たバロールもまた、自分が先ほど飛ばした巨大な地盤に目をやった。


「ふうむ、あの嬢ちゃんはあれかい。ガブリエルかい」


「私の口からはなんとも」


 二人の視線の先にある、先ほどまで小山のようにガビーの上にどっさりと積もっていた土はいつの間にか水気を帯びており、次第に緩み、流れだし、はじけ飛ぶ。


「まぁやってみれば判るかいの。別にあの嬢ちゃんの正体に興味は無い。儂の興をそそるのは純粋な強さのみよ」


「そんなことだから私に追討される羽目になったのですよ。次々と強者を求めては近隣を蹂躙し……おっと、無駄口を叩いている場合ではなかった」


 結界に更なる力を籠めたベルトラムに呼応するかのように、ゆっくりと土の下から浮かび上がってきたガビーの全身は青く光っており、その目はウィルオウィスプの如き、青白い光を発している。


「こりゃあいいわい。ウリエルよ、お前よりよっぽど……ごあっ!?」


 ガビーがまばたきをした。


 ただそれだけで、先ほどガビーを押しつぶしていた土の塊がバロールの周囲に転移し、先ほどのガビーのように吹き飛ばされる。


「痛いかしら」


 バロールはガビーの言った言葉を理解し、そして意味を理解しようとして立ちすくみ、その動きを止めた。


「そりゃあ痛いに決まっておるわい」


「そう」


 ガビーは手を振り、小さい泡で構成されたイルカの群れを出現させる。


「エキューム・ドーファン」


「可愛らしい術じゃのう! そりゃあ!」


 バロールは棍棒を振り回し、泡のイルカを潰していく。


「それじゃあ今度はこっちの番と行くかい! マイリー・スクウィーズ!」


 大地から土が吸い上げられ、粘りつく泥となり、バロールの棍棒に絡みつく。


「こいつはさっきのブレスや土塊とは訳が違う! 喰らった後で無事に立っていられるかいのう!」


 棍棒に絡みついた泥は巨大な手となり、ガビーが再度出現させたイルカを蹴散らすと、行く手にある小さな体を握りつぶさんと怒涛の勢いで迫っていく。


 そして光に包まれたままのガビーはその手に捕まり、小さな苦痛の声を上げた。


「ほうれどうしたい、さっきの威勢はどこに行った」


「……痛い」


「そりゃ儂の術を喰らっておるんじゃから痛かろう。それにしても先ほどから何やら他人事のような感想ばかり言っておるが、嬢ちゃんは自分自身が戦っている最中だと言う認識は持っとるんかい」


「持ってるに決まってるじゃない」


 ガビーは静かに答える。



 人里離れた所で、誰にも知られず湧き出でる泉のような清廉な声で。



「戦うと痛い、つらい、悲しい。心も肉体も。でも、死んでしまえばそれすら感じることが出来なくなる」


「まぁそうじゃわいな。まさか今までそんなことも知らずに生きてきたんかい」


「もう死んじゃった、あの大馬鹿野郎を治療しようとした時、確かにあたしはあいつの中にダークマター以外の物を感じた。それはとても切なく、つらく、それでいて温かさに満ちているもの」


「あん? あー、世間話なら戦いが終わってからにしてくれんかいのう。それともボケたんかい? そりゃ儂みたいな老いぼれの専売特許なんじゃが」


 泥の手に力が籠められ、ガビーの口からは苦痛の呻き声がとめどなく溢れる。


「あいつはもうその温かみはおろか、苦痛すら感じることが出来なくなったの。生きている証、感情と言うものをね。だから生きているあたしは、楽しいことだけじゃなく、ちゃんとつらいことも感じるんだって心に決めた」


「ほほう、つらいことから逃げてきたが、これからは逃げないと決めた、と言うことかい。殊勝な心がけじゃいのう」


「外から来る辛い原因から逃げないんじゃない。辛い感情が自分の内より湧き出でるものと認め、次に繋げることにしたのよ。今はつらくても、きっと楽しいことが未来には待っている。つらいことが無ければ、楽しいことが何なのか判らない」


 ガビーの全身を包む青い光が明るさを強め、泥の手を吹き飛ばし、青白い光は目から両手へその箇所を増やす。



「つらさや悲しみは、楽しさや喜びを理解し、感じる為の人生のスパイス! だったら生きてる限り、両方を楽しまなきゃ損ってもんよ! だからあたしはあんたとの戦いを悲しむし、勝とうが負けようが、それを楽しい結果に変えてやるわ!」



「何という無茶苦茶な理論じゃい……スレンとどっこいどっこいじゃわい」


「それでは今日からデザートの楽しみを倍化させる為に、オードブルとメインディッシュはガビーの嫌いなものを選りすぐって出すことに致しましょう」


「どうしてよ! それとこれとは別でしょ!? 二対一でデザートが不利じゃない!」


 鬼のようなことを言うベルトラムに、必死な形相になって苦情を言うガビーを見てバロールは呆れかえる。


「やれやれ、大人か子供か判らんわい。嬢ちゃん、そろそろ儂と真面目に戦ってくれんかいのう」


「いいけど、覚悟は出来てるの?」


「子供の面倒を見るのは、年長者の役目の一つじゃからの」


 不敵な笑みを浮かべるバロールを見て、ガビーはきょとんとした顔になり。


「じゃあ本気で行くわよ? ルルド・マレ……あ、範囲広げすぎちゃった」


「ぬぶぼぉっ!?」



 ガビーが地面に手をつき、術を展開すると、そこから巨大な青い沼が広がってバロールをすぽんと飲み込む。



「がぼぼぼぼっ!」


「ごめん、あんたがもう少し減衰してくれると思ったんだけど……えっと、この沼は水の精霊から生じる高密度の魔力で出来た底なし沼だから、たぶん身動き出来ずに沈むと思う。今のうちに降参しないと、魔の水で溺れて死んじゃうかも」


「ごぶぶぼほっぼ……!?」


 既に顔の半分まで沈んだバロールを見て、ベルトラムが困ったように首を振る。


「ガビー、一から十の間にも数字はあるのですよ。貴女はもう少し手加減と言うものを知るべきです」


「う……」


 隣に立つベルトラムと、沼に沈んでいくバロールの顔を交互に見比べたガビーは、うろたえてそのまま沼を消してしまう。


「……ガビー、降参を勧めるなら、せめて顔だけでも沼の上に出してから術を解除しなければ」


「えええ!? だ、だって解除しないと死んじゃう……あ、解除したから死ぬの!?」


 完全に地面の下に埋没したバロールの方を見て、力なく首を振るベルトラムの表情を見たガビーは、慌てて術の再発動にかかったのだった。




「まぁ今の儂が敵う相手じゃないと言うことは判った! 通って良いぞ貴様等!」


「良いのですか? アスタロトの機嫌を損ねることになっても知りませんよ?」


「機嫌が山の天気のようにコロコロ変わる上に快楽主義者じゃぞ。まともに考えて行動するだけこっちが損じゃい。それとこれで勝ったと思うなよ嬢ちゃん。魔力の供給源でもある、魔眼が無い状態の儂は……」


「あー、はいはい。万全の状態のあんたと戦えることを楽しみにしてるわ! これでいいかしら?」


「では失礼します、ご老人」


 二人を追い払うように手を振り、バロールはベルトラムとガビーを見送った。



「さて、報告するかい……なんじゃ、おったんかいアスタロト」


[魔眼の王と天使の戦い、見逃す方がおかしいと思うよ。それにようやく魔眼を捕まえることが出来たからね]


 地面から天へと立ち昇る光、全身を包む服から発されるキラキラと目障りな反射光。


 堕天使アスタロトが地面の中から浮かび上がり、妖艶な声を発してバロールに笑顔を向けると、彼女は何もない空間に手を突っ込んでそこから巨大な顔面を引きずり出し、脳天に一撃を加える。


[魔眼に戻しておいたよ。それにしても頑丈だねぇ。まさか聖天術に耐えるとは]


「こいつは儂の一部であって一部でないからの。どちらかと言えばダークマターに近い。こうして安定しているのが不思議なくらいじゃい」


 魔眼を元に戻しながら、バロールが説明する。


[へー、いいね。ちょっと欲しいかも]


「魔眼以上の存在が何を言う。自分で作らんかい……ゴォッ!?」


[より高みに昇るために欲しくなっちゃったのさ。くれなきゃ君、死ぬよ]


 そう言うと、アスタロトは羽織っているマントを何本もの黒く巨大な槍と化し、バロールへと次々突き刺さしていく。


「じゃから自分で作れと言ったじゃろ。魔眼が戻った儂に、こんなやわな攻撃が通用するかい」


 しかしバロールは何事も無かったように頭を掻くと、人差し指で軽くアスタロトを弾いて攻撃を止めさせた。


[ひどいよ! 乙女の柔肌を傷つけるなんてそれでも男の子かい!?]


 ちょっと鼻の頭を擦りむいてしまったアスタロトは、懐から取り出した鏡を宙に浮かべ、懸命に粉をはたいて傷を隠そうとする。


「いきなり儂に攻撃してきておいて何を言っとるんじゃい。それよりこんな所におっていいんかい」


[真打は最後に観客の前に登場するものだからね。最初から簡単に姿を見せては、その価値が落ちるってものさ]


 得意気に言うアスタロトを半眼で見つめ、バロールは左の眉毛を掻く。


「何人の観客が最後まで見てくれることやら。それじゃ儂は帰らせてもらうわい」


[無事に帰れるといいね]


 意味深な言葉を口にするアスタロトに、バロールは呆れた口調で答える。


「そりゃ帰れるわい。お前さんが先ほどの槍に仕込んだ術は、儂の身体に影響を及ぼす前になぜか綺麗さっぱり消え失せておったしな」


[えー、何それズルいよ]


「文句なら清浄な水を使うあの天使に言うことじゃいの」


 そしてバロールは先ほどまで変身していた黒竜に姿を変え、東へと姿を消した。


[さて、今度はスレン君か。あっちは面白みのない性格をしてるから行きたくないんだけどなぁ。ダインスレイフを貸してくれなんて言うから何かと思えば、アガートラームに渡すなんてね]



 愚痴をこぼしながら、アスタロトは現れた時のように地面にその姿を消し、その後に残った黒い渦も、水が蒸発するようにじわりと消えていった。

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