第13話 集中力の大切さ
修行三日目。
昨日は精霊界に住まう精霊の力を借りる修行とのことで、朝からエルザ司祭が張り切って何やら準備をしていた。
僕は修行が始まるまで精霊の探知を補助する舞――神楽と言うらしい――を練習していたのだが、その格好を気に入ったのだろうか。
僕を指差し、いい年をした女性にもなく笑い転げていた。
目じりに小じわができてますよ、と僕がちょっとした親切心から忠告した瞬間、その日の記憶は無くなり、激しい痛みと共に目覚めた時には次の日の朝だった。
不幸だ。
「アルバトール卿、お食事が……何をしてますの?」
「昨日の神楽に関して少しまとめておりました」
「あらあら、勉強熱心ですこと。学ぶ側が勤勉だと、教える側にも力が入りますわね」
「力が入るのはいいのですが、物理的な力を込めるのは勘弁して下さい。私が天使になってから、明らかに負傷の頻度が増えています」
「あらあら、何の事やらさっぱりですわね。ところでアルバトール卿、一罰百戒と言う言葉は御存知ですか?」
「初耳ですね」
「御存知ですわね?」
「……はい」
四日目の朝。
ドワーフの夫婦は出かけた後らしく、アルバトールが食事を終えた後に礼拝堂に居たのは、エルザと馬が変化した光の玉だけであった。
どう言う仕組みになっているものか、小さい光になっても馬につけていた手綱だけはそのまま頭部あたりに浮いており、光の玉が動くにつれて動いていく。
しかしその周囲には手ごたえも何もないのだ。
「う~ん……」
「何を唸っておいでですの? その馬なら外に出して、然るべき受肉の手続きを取れば元の姿に戻れますわ」
「あ、そうなんですね。……受肉?」
「精神のみの不安定な存在に、物質である肉体を付随させて安定させる事ですわ」
「不安定って大丈夫なんですか? この状態のまま三日は経っていますが」
「大丈夫ですわ。礼拝堂の中であれば結界がありますので、精神的存在と言えども安定させる事ができます。では精霊魔術の修行に入りますわよ」
「そ、そうですか……」
その説明に安心し、外に出ようとするアルバトール。
「ある程度の実践も済みましたし、今日は最初に次の段階の理論を説明しますわ」
だがエルザはそれを止め、建物の中から彼を手招きした後、礼拝で説法に使う壇上に移動して踏ん反り返る。
「今までも色々と習った気がしますが、まだ秘密が?」
そのエルザの子供じみた所作にアルバトールは嘆息しつつ、先生の発言にさも興味を持った生徒と言わんばかりの視線を彼女へ向けた。
「精霊魔術は他の術に比べて複雑な過程が必要なこともあり、使用している時は基本的に他の術は使えないのです。力の制御が難しい聖天術はもちろんの事、安定した力であるはずの法術ですら使えませんわ」
「確かに……精霊魔術の七つの過程に比べ、聖天術は降臨、制御、放出、返還の四つで、法術も同じく接続、解析、制御、放出の四つと、約半分ですね」
腕を組んで聞いていたエルザは、アルバトールの解答に満足げに頷く。
「ただし精霊魔術に対する理解が深まれば、人によっては同時行使することが出来るようになります。エステル夫人が空を飛びながら光の矢を撃ったり、氷の塊を投げつけたり、暴風を起こしたりしていたことは覚えていますね?」
エルザのその説明に、アルバトールはあの夜の光景を思い出す。
確かにエステルは飛びながらそれらの魔術を行使していたが、攻撃に使っていた術は一種類に限定されていた。
「つまり高速で空を飛び、敵からの攻撃を避けながら自分からも攻撃する真似などは、術に対してかなり習熟する必要があるのです。こればかりは術の過程が見える天使の眼も、あまり役に立ちません」
「なるほど……ではどのようにすれば身につくのでしょう」
「反復練習あるのみです」
「なるほど、昨日無駄になった一日が悔やまれますね」
「あれは貴方に休息をとってもらうための緊急措置ですわ」
急に目の焦点が合わなくなったエルザを見つめながら、アルバトールは大人しく説明の続きを待った。
「そうそう、実は貴方には、この同時行使に天賦の才と言うべき物が備わっているはずなのですよ。貴方が日頃考え事ばかりしている理由を知っていますか?」
「いいえ……と言うか注意力が散漫になるから、何かにつけて考え事をするのはやめておいた方がいい、とベルナール団長に注意されたばかりです」
そして少々待たされた挙句、突拍子もないことを言い出したエルザに、アルバトールは疑念の目を向ける。
だがエルザはその返答を聞き、待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「実は、トール家の男子は代々思考を同時進行する癖が有りまして」
「はぁ」
「それが術の同時行使に持って来いなのではと」
「……はぁ」
彼の背中に悪寒が走る。
それも並みの悪寒ではない。
これも天使に転生した身のなせる業なのか。
「貴方が幼い頃に荷馬車に轢かれたのを治療するついでに、ちょっと天使の角笛を受け入れる下地の術をかけましたの」
「ほう……」
「あらやだ怖い顔」
「いえ、助けていただいた御恩は御恩ですハッハハハハ。……ん? と言う事は、天使の角笛を私に使う事は織り込み済みだった、と言うわけですか?」
「使う機会は狙っておりましたわ」
「もしや、任務の時に私の注意を逸らしたのもわざとですか?」
「それは穿ちすぎた物の見方と言うものですわ。なるべく任務に着いていくようにして、機会を伺っていたのは事実ですが」
「申し訳ありません。命の恩人に対して嫌疑の目を向けた非礼をお詫びします」
エルザは微笑み、アルバトールの非礼を許す。
「更に言わせてもらえば、あの魔物はかなりの強さでしたから、先に飲み込まれたエンツォ様が中から弱らせて居なければ、貴方は一瞬にして絶命していたでしょう」
「……そうですか」
アルバトールは天を仰ぎ、心を落ち着けようとする。
今更何を言っても始まらない。
今の自分の体は、人では無くその殆どが天使となっているのだ。
人の身のまま魔物との戦闘に望み、何も戦果を残せないまま死んでいた可能性もあった事を思えば、むしろ望ましいと言えた。
「分かりましたエルザ司祭。何はともあれ、まずは精霊魔術の修行に入りましょう。そう言えば、幼い私に術をかけたことを父上や母上は御存知なので?」
「もちろん知っております。術を掛けたからこそ、フィリップ様に願い出て貴方を司祭付きに仕立て上げたのですわ。万が一、力が暴走しても対処できるように」
「万が一、ですか」
「身体が人と言う器に定まりきっていない子供の時期、つまり下地の術を受け入れやすい時期だったとは言っても、不安は残りましたからね」
「下地の術ですら、そのような危険があるのですか?」
エルザは黙って頷き、話を続けた。
「天使の角笛を使用した後に、何だかんだと理由をつけて貴方のそばに居たのも、暴走が起こったら抑えるためです。エンツォ様の時は、まさかあそこまで強い力を放つとは思っていませんでしたから、間に合いませんでしたが」
「そうでしたか……」
「さて、湿っぽい話はここまでですわ。そろそろ精霊魔術の同時行使に移りましょう」
二人は外に出て飛行術を使い、聖天術の練習に使った丘に飛んでいく。
途中で肌に感じる風は、初夏になろうとする季節に相応しく心地よいものだった。
下を向けば、この一両日でかなりの部分を収穫した小麦畑が見え、残った部分が風に揺れる姿はまるで、黄金色をした海原に見える。
エルザが呼ぶ声に反応して再び顔を上げれば、遠くに見える木々はその身を装う緑を春の柔らかい若葉から、成熟した濃い緑のものに着替えつつあり。
更にその向こう、遠くにそびえる山脈は稜線にまだ雪を残したままで、その標高を周囲に誇っているかのように見えた。
萌ゆる若葉、新緑の季節。
新しく芽生えてくる命の鼓動が、まるで人から天使に転生した自分自身に重なっているように感じられたアルバトールはその身を震わせ。
「……上空って、結構寒いんですね……」
そしてエルザに青ざめた顔を向ける。
「ああ、この季節には珍しいですが、あちらの山脈から強い風が吹く時がありますので、その影響もあるでしょう」
「へっくし!」
最後に大きくクシャミをした彼は、早く修行を始めようとエルザに告げた。
「では飛びながら暖を取る事から始めましょう。飛行術を安定させつつ、別の術を発動させて貴方の周囲の空気を暖めて下さい」
その説明を聞いた途端にアルバトールは、聖天術の習い始めのことを思い出す。
「その前に、一つ質問をしたいのですがよろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
「その制御に失敗するとどうなるのでしょう?」
「運が良ければ多少高度が落ちるか、火傷で済みますわ」
「運が悪かったときは?」
「場合によりますわ」
そして二人の間にしばしの時が流れる。
「なるほど。では落下しても差し支えない高度で練習しましょうそうしましょう」
「背水の陣と言う言い伝えが……」
「河に追い落とされて死ぬのは嫌です」
「ぶー」
早速下まで降り、高さ一メートルほどの高さに浮かびながら、精霊魔術の同時行使の練習に取り掛かるアルバトール。
精霊と交信し、その属性力を制御して周囲の空気を暖めようと試みた次の瞬間。
彼は足の裏から火を噴き出しながら一瞬にして数百メートルの高度まで上昇し、その衝撃で気を失った。
「あらあら、精霊力の演算と調整に失敗したようですわね……見たところ、打ち上げられた時の衝撃で気絶したようですし、とりあえず受け止めなければ」
天高く打ち上がったアルバトールを受け止めるため、エルザは両手を天に掲げて大気の密度を上げる術を展開する。
そしておっとりとした動きで、落下点の下に入ろうとはした。
「えーと、こちらかしら、それともこっち……あらあら」
だが、残念なことにその努力は実らなかった。
気づけば彼女の術の対象であるアルバトールは、エルザの後方数メートルの所に落下してしまっていたのだ。
「あらあら……まぁ努力はしましたし、仕方がありませんわね」
そう言いながらエルザはアルバトールだったもののそばにちょこんと座り、多少の悔みを述べながら蘇生の準備にかかっていった。
「失敗しても無事に済む修行方法を確立する事が先決だと思います」
アルバトールが目を覚ましてから、開口一番の発言はそれであり。
「そうですわねぇ。差し当たっては次の天魔大戦までに考える事にいたしますわ。今は何より時間が大切です」
それを聞いたエルザの反応は薄かった。
「それはまぁ……いやいや、蘇生もタダでは無いんですよ? される方の僕が言うセリフじゃないですけど」
アルバトールは必死でエルザに詰め寄るが、目の前の司祭は首を振るだけだった。
「言い争っている時間も無駄ですわね。一番いいのは同時行使の修行を止めることですが、それではいつまで経っても上級魔物とすら戦えませんわ。いくら天使の眼で力の流れを見極めても、防御の魔術を同時に紡げないのでは、ね」
そしてエルザの言葉に、アルバトールの頭は一気に冷却される。
「……つまり、同時行使はこれからの戦いに必須と。避けて通れぬ道ならば、確かに貴女の助力が得られる今のうちにやっておいた方がいいでしょうね」
「その通りですわ。しかし術が暴走したと言うことは、やはり貴方は素質がありますわ。常人ならどっちつかずになって、術の効果自体が失われてしまうところです」
「その言葉を信じて修行を続けますか……ふう」
数時間後。
「無理ですって言うか私のすぐ横で他の術の演算と調整するのを止めてください釣られてしまって術を安定させるどころの話ではありません」
アルバトールは前言を撤回し、エルザに文句を言っていた。
「あらあら、それは私も同じですわ」
それに答えるエルザは、寝ころんだ状態でふわふわと宙に浮いている。
そして涼しい顔をしたままティーカップをつまみ、先ほど術で沸かした湧水を使って煎れたハーブティーを飲んだ。
その優しい香りに鼻をくすぐられ、アルバトールは少し平常心を取り戻したのだが。
「あらあら、いやらしい風ですわね」
「……起こしたのは貴女ご自身でしょうに」
風になびいたエルザのスカートを見て、彼は再び平常心を失った。
「えーとですね、とりあえずこちらは二種類の同時行使ですら頭がおかしくなりそうなのに、そこにもう一種類加えられたら訳が判りませんよ」
「でも、これに慣れたら三種類の調整でもお茶の子さいさいですわ」
「表現が古いなぁ……」
「あらあら、どうやらアルバトール卿は実戦での修行がお好みと見えますわね」
「さ、演算と調整……と」
傷つき、地に倒れ伏し、それでもアルバトールは歯を食いしばり、再び立ち上がって修行に挑んでいく。
そうして修行に入って五日目の終わりには、成功の確率は四割ほどに上がっていた。
しかし一週間と言う期限まで後二日。
その間に同時行使が使えるようになるのか。
六日目の昼すぎ、焦りを感じつつアルバトールが術を行使していた時、急にエルザが緊張感に顔を引き締め、彼に告げた。
フォルセールに向かっていた王女が魔族に襲撃されている、と。
「状況はどんな感じなのです!?」
それを聞き、アルバトールは悲痛な叫びをあげる。
この二日で感情を抑え、冷静に修行をこなせるようになってはいたが、流石に王女が襲われているとなっては別だった。
「王女様のお供についている神官の話では、襲われたのはつい先ほど、場所はここより東へ飛行術で二十分ほどのところらしいですわ」
常に笑顔を浮かべているエルザもこの時ばかりは真剣な顔で答え、すぐに飛行術を発動させて飛び立とうとする。
それを見てアルバトールも慌てて飛行術を発動させようとするが、エルザはそれを即座に停止させた。
「貴方はここで修行を行っていてください。下手をすれば命を落とします」
「王女が襲われていると言うのに、落ち着いて修行を続けるなんて無理です!」
「……仕方がないですわね。私を見失ったら念話で連絡をとるように」
反論するアルバトールを見てエルザは嘆息し、短く指示を残して飛び去る。
「見失ったら……? 二十分程度の距離でですか?」
そう彼が問い直した時には、エルザの姿は既に手の平ほどのサイズとなっていた。
「……遠くから見る山の頂と、近くから見る山の頂は違う、か」
慌てて飛行術を発動させ、風の流れを感じながら。
アルバトールは遥かなる高み、エルザの後を追った。