第138話 珍道中の始まり
「つまりピサールの毒槍の探索を手伝ってほしい。そう言うことか」
薄着で村の復興作業の指揮をとっていたクー・フーリンは、目の前で頭を垂れている男、ベルトラムを見つめる。
「ベルトラムよ。俺は今ウォルヴァーン村の復興作業の指揮を執っている所だ。それでも貴様の槍の探索を優先させろと言うか? 陛下の勅命とは言うが、この度の戦いの結果を陛下は知っておられるのか?」
そのクー・フーリンの質問内容を聞き、ベルトラムの隣でむすっとした表情で突っ立っていた少女ガビーが途端に目くじらを立て、一歩前に踏み出ようとする。
しかしそれを素早く察したベルトラムの手に遮られると、彼女は再びおとなしくなって成り行きを見守り始めていた。
「陛下の命令は、戦いが硬直していればクー・フーリンに助けを乞い、槍を取り戻してから助力せよと言うものでした。おそらくこの場を見れば、槍の探索に助力せよと仰られるかと」
「……ふん、硬直どころか、戦いそのものが雲散霧消してしまったがな」
自らの無力を嘆き、苦笑するクー・フーリンの姿を見たベルトラムとガビーは、一体何があったのかと怪訝そうな表情を浮かべる。
しかしすぐにクー・フーリンが槍の探索を了承したのを聞いた彼らの表情は、今度はやや困惑したものとなっていた。
「だが、陛下から新しい命令があるまでの期間だけだ。それを忘れるな」
クー・フーリンはそんな二人の顔を気にする様子もなくそう告げると、身を翻して天幕の方へ着替えに向かい、そのままこれまでの情報交換を始めた。
「ふむ、コンラッドがこちらへ通じる街道を歩いていた姿が報告されたか」
「よって我々もこちらに向かった次第です。戦場は殺気立った兵士に否も応もなく殺される可能性が高いですが、それゆえに追跡を振り切りやすいもの。生身のまま突っ切る危険を承知で、敢えてこの街道を選んだかも知れません」
「なるほどな。だが既にコンラッドが戦いに巻き込まれており、死亡していた場合はどうする? もしくはこの付近をとっくに通り過ぎていた場合は?」
「クー・フーリン殿の警戒網、そして統率力を信じております」
抜け抜けと言うベルトラムの顔を見て、クー・フーリンは短く鼻から息を吐いた。
「仕方あるまい、少し術を使ってやろう。しかしどうやって槍を奪われたのだ? 確か貴様は、あの槍を肌身離さず持っていると言っていたはずだが」
「陛下の給仕の際に少し外しておりましたところ、そこに爆発による騒ぎが起きまして。それに乗じてコンラッドが脱走した時に奪われたようなのです。一応はこちらのガビーに見張りをお願いしていたのですが」
申し訳なさそうにうつむくガビーを見て、クー・フーリンは嘲るように薄い笑みを浮かべたが。
「爆発が起きた途端に頭を押さえてベッドに潜り込んでしまったらしく、犯人の顔はおろか、いつ槍を奪われたかすら判らないと」
そのベルトラムの台詞を聞いて、彼は不覚にも嘲笑を破顔へと変えてしまう。
「な、なによ! ベルトラムになら何を言われようがされようが文句は言えないけど、あんたにそこまで笑われる筋合いは無いわ!」
「すまんすまん、爆発音に怯えてベッドに潜り込むような奴が、わざわざテイレシアからヘプルクロシアくんだりまで一体何をしに来たのだと思ってな。さて、大体の事情は分かった。術でコンラッドを探してみるから、着いてきてくれ」
そう告げて楽し気に立ち上がるクー・フーリンへ、ガビーは歯を剥き出しにして唸り声をあげつつ睨み付けて威嚇する。
そんな彼女を見たクー・フーリンは軽く肩をすくめると、腰を曲げてガビーと視線を合わせ、軽口をたたいた。
「子供の頃からそう剣呑な顔をしていると、大人になったら眉間のしわが取れなくなって美人が台無しになるぞ。少しは笑ったらどうだ?」
「う、うるさいわね! 馬鹿にされて笑えるほどスカポンタンじゃないわよ!」
「隣の男はそうは思っていないようだがな。まぁ、感情を表に出せないほどに弱るよりは余程いい……か」
含みのある口調でそう言って速足で歩き出すクー・フーリンを見て、ベルトラムとガビーは互いに顔を見合わせた後、慌ててその後についていった。
「運河で何を?」
「人は水なしでは生きていけん。人の行方は水に聞くのが一番だ」
ベルトラムの問いに短く答えると、クー・フーリンは運河の中に飛び降りる。
「ふーん、なかなかやるじゃないの」
「この程度で感心されるとは思わなかった。本番はこれからだぞ小娘」
運河に飛び降りたはずのクー・フーリンは、水面に落ちた水鳥の羽根のように優雅に水上に立っていた。
その姿を見たガビーが先ほどの称賛の声を上げたのだが、クー・フーリンはこの程度のことは大道芸の内だと言わんばかりにそっけない返事を返す。
そしてゆっくりとゲイボルグの穂先を水中へと浸すと、運河の流れを無視して広がる波紋の数々へ視線を向けた。
「妙だな。奴の足取りが五日ほど前から辿れぬ……いや、そうか……なるほどな」
「どうしたのですかクー・フーリン」
何かに気付いたようにクー・フーリンは何度か頷くと、ゲイボルグを水から引き上げて飛び上がり、ベルトラムたちの所に戻ってくる。
「あの間抜けは、どうやらアスタロトの術に巻き込まれて死んだようだな。五日前と言えば、丁度このウォルヴァーン村がアスタロトによって壊滅させられた日だ」
「それは考えにくいかと」
「なぜだ?」
即座にベルトラムに否定されるクー・フーリンの予想。
だがクー・フーリンはそれに気を悪くした様子も見せず、ベルトラムに問いかける。
「あの槍は私の半身も同然の物。今も微弱ではありますが、移動している感触があります。しっかりとした距離や方向が判る訳ではありませんが」
「……カラスにでも持って行かれたのかも知れんな。奴らは光物を好む」
「お戯れを」
「あ、そうだ」
悩む、あるいは悩んでいるように見える二人に、ガビーがふと思いついたように意見を述べる。
「大量の水を確保できるようになったんじゃないの? もしくは水を必要としない存在になったとか、ね。クー・フーリン、あんたさっきアスタロトって言ったでしょ。あいつは暗黒魔術の腕なら、右に出る者はいないくらいの腕前よ」
「なるほど、死人にさせられた、ですか。貴女にしては上出来ですよガビー」
「褒められてるはずなのに全然嬉しくない!」
頬を膨らませるガビーに、ベルトラムは頭を下げることで視線を外すと、そのままガビーの方へ顔を上げずにクー・フーリンの方を向く。
「……? では我々はこれにて。不確かな情報で、クー・フーリン殿を連れまわす訳にはいきませんからな」
ベルトラムは怪訝そうな表情でクー・フーリンの顔を見つめる。
何故なら死人と言う情報が出てから、クー・フーリンがあからさまに顔を凍り付かせてしまっていたからだが、それでも別れを告げるベルトラムの挨拶に彼は機敏に反応し、俺も行こうと宣言をした。
「よろしいのですか?」
「貴様の槍がどうなろうと知ったことでは無いが、死人と聞いては放ってはおけまい。人里から離れた所で蠢いているだけなら見過ごしもしてやるが、どこに向かうか判らない以上、早めに滅さねば奴の腐った体を媒介に疫病が広がってしまう」
そう口にすると、クー・フーリンは村で働いていた内の主だった顔ぶれを集め、手早く指示を言い渡していく。
そして数時間が経過したころ。
「行くぞ。奴が人と交わらぬうちに暗黒魔術を解除して浄化するのだ。小娘、神職者のようだが浄化の術は使えるか」
「ガビーよガビー! 先に言っておくけど、あたしの術の冴えを見てあんた腰を抜かすんじゃないわよ!」
「行くぞベルトラム。子供の大言壮語に付き合っている暇は無いのでな」
そして、三人のつかの間の旅が始まったのだった。
ベルトラムとガビー、クー・フーリンが旅を始めた三日後。
「ここがヘプルクロシアの王都……」
アルバトールたちは、王都ベイキングダムへと到着していた。
「話は通してきたぞ小僧。というか断りを入れる暇があるくらいならその間にさっさと連れて来ぬかとクラレンス王に怒られて俺様しょんぼり」
「な、なんかすまない。僕もさすがにクラレンスがそこまで気にかけてくれているとは思っていなかった」
「気にするな、戦いが終われば敵も味方もあるものか」
そう言い残すとダグザは背中を向けながら右手を振り、郊外へと歩いていく。
「おう、そうだ」
だが途中で何かを思い出したようにそう呟くと、ダグザは再びアルバトールの方へ振り返り、割れ鐘のような声を響き渡らせた。
「色々と行き違いはあったが、小僧とは一度全力で手合わせをしてみたかったぞ! 気が向いたらルー殿の神殿を訪ねて来い! その時はヘプルクロシアの旧神の力、たっぷりと思い知らせてやるぞ! ガッハハハハ!」
そして今度は振り返らず、その巨体を揺らしながらダグザは去って行った。
「さて、じゃあクラレンスに会いに行こうか……と言いたい所だけど、モリガンはこれからどうするんだ? 君に着いてきてほしくないとかそういうことでは無くて、クー・フーリンの元を離れたままでいいのかどうか、と言うことなんだけど」
まだ元気のないモリガンの様子を見たアルバトールは、彼なりに言葉を選んで意見を聞いたつもりではあったが、それでも触れてはいけない部分に触れてしまった自分の愚鈍さに、彼は内心で舌打ちをする。
「戻ります。おそらく、彼は此度の敗戦の責任を取らされるはず。魔族の介入もありましたから、死を以って償うと言うことはないでしょうが、それでも彼の傍に……傍に……いて……」
喋るごとにダグザの言葉を思い出していくのか、モリガンの顔は見る見るうちに再び白くなっていくが、それでも彼女ははっきりと、クー・フーリンの元に戻るとアルバトールに告げ、自身が呼び出した戦車に乗ってその場を立ち去った。
「それじゃあ王宮へ行こうかバヤール。ベルトラムとガビーのことは少し気になるけど、あの二人なら僕が心配する必要もないだろう」
「さようですな。親友が久方ぶりに再会するのですから、他の者のことを考えていたとあっては無礼に当たりましょう」
「そうそう……って、なんでエンツォ殿がここに」
自然に会話に加わってきた大男、フォルセールで留守を守っているはずのエンツォの顔を見たアルバトールは呆気にとられ、口をしばらくぽかんと開けてしまう。
「クラレンス王に若様を迎えに行くように頼まれたからでございますな」
「いやその頼まれるようになった理由を聞いてるんだけど」
「うんむ、それは王宮に向かう道すがら話しても構わんでしょう」
久しぶりに会うエンツォのペースにすっかり乗せられ、アルバトールは首を傾げつつ訳も分からないままに王宮へと向かって行ったのだった。