第137話 クラレンスの願い
疲労する都度に人や馬を交代し、昼夜を問わずに情報を伝えるため走り続ける、急使を務める者たちが待機する休憩所。
彼らの任務は、大抵の場合が大臣などの職に就いている者の耳に入れれば終了なのだが、今回ばかりはそれだけでは済まなかった。
「こ、これは陛下! このようなむさ苦しい場所に何用でございますか!」
いきなり休憩所に訪ねてきた王、クラレンスを出迎えた急使のまとめ役と見られる男は、背後で慌ててカードやサイコロをしまう気配を感じて頭を抱えたくなるが、王であるクラレンスが見ている前ではそうもいかず、出来たのは冷や汗を流す程度だった。
「ポーカーにクラップスか。今は待機時間だし、私自身もテイレシアに留学していた時はよくやっていたからうるさく言わぬが、賭け金に関係する争いだけは避けるように。さて本題だ。先ほどルーからの情報を持って帰還した者はいるか?」
クラレンスは奥の方で一人の若者が立ち上がる気配を感じると、そちらに自室に来るように命じ、彼自身は休憩所から立ち去ろうと背中を向ける。
「エンツォ卿、またエステル婦人が泣いてしまうぞ」
しかし一人の大男が床に座り込んで部屋に居る者の一人と肩を組み、なにやら話し込み始めた気配も感じたクラレンスは、呆れた声でその大男であるエンツォへ警告を発し、私室へと戻って行った。
「なるほどな。下がって良いぞ」
急使を務めた者から事の仔細を聞くとクラレンスは若者を下がらせ、満足げに頷くフォルセール騎士団のエンツォに相談相手を務めさせる。
「ふむ、あのルーを相手にした初陣にしてはなかなかの戦果ですな。さすがは若様と言ったところですかの」
「良く言って相討ちのようだが?」
「悪く言っても相討ちですな。初陣で生きて帰れた、それ以上の戦果を求めるのは贅沢と言うもの」
「戦いに参加した半分以上が死んだ、確かにそれから考えれば十分か」
「然り」
何者にもはばかることのない笑みを浮かべたエンツォを見たクラレンスは、やや呆気とられた表情をした後に苦笑すると、短めで多少くせのある金色の頭髪を揺らしながら窓際に移動する。
温和なリチャードとは対照的な鋭く青い瞳、成長してしまったアルバトールよりは多少低いものの、十分に長身と言えるその身には、黒を基調としたブリオーと呼ばれるワンピース型の上着にズボンを履き、腰には豪奢な片手剣を下げていた。
「姫とアリア殿は?」
「エレーヌとエステルを連れてショッピングだそうで」
「テイレシアは財政難と聞いたが」
「どうもそちらのアガートラームに、エステルが多大な貸しを作っていたらしく」
「英雄、色を好むか」
意味ありげな視線を送ってくるクラレンスに、エンツォは何も気づかないと言った様子で豪快な笑いを放ちながら答える。
「むしろ色即是空の空が原因でしょうな。妻によればその昔、エルフきっての才を持っていたエステルの身に無理な召喚を強いて、その流れでエレーヌにもだとか。フォモールに敗れ、失地挽回をするためにかなりあせっていたようですな」
「そう言えば、そのアガートラームはどうした」
「荷物持ちだそうで」
そこまで聞いて、クラレンスは噴き出した。
それもそうだろう。
いくら今は人間とは言え、昔はヘプルクロシアの旧神を率いていた存在が、女性の荷物持ちに駆り出されていると言うのだから。
「……もうすぐアルバトールが来る。そうすればこの三文芝居も終了だ」
「クラレンス王、ちと話が」
「こちらは無い。もう決めたこと……いや、もう決まっていること、だな。これ以上お節介を焼くようであれば、内政干渉と言うことでアデライード姫だけを残し、君たちには全員国外退去を申し付けるぞ」
「先に姫様をさらったのはそちらの旧神ルーでございますがな」
「その頼みをしたのはそちらの国の者なのだから、内政干渉にはあたらぬよ。話は終わりだ。すまないが一人にしてくれ」
まだ何かを言いたそうな顔をしながらも、エンツォは素直にクラレンスの命令に従って部屋を出る。
部屋に残ったクラレンスは街を見つめ、城壁の向こうにあるはずの国土を心の中に浮かべ、最後に満足そうな顔で天を見上げると呟く。
「会うのは……本当に久しぶりだな」
それに反し、部屋を出たエンツォは思いつめた顔で廊下を歩いていた。
(若様……! もはやこの状況を打開できるのは貴方様だけでございます!)
フォルセールでは誰も見たことのない、苦渋の表情で顔を満たしながら。
そして会話の主題であるアルバトール本人は。
よんどころない事情により、つい数日前まで戦っていたルーたちと共に王都ベイキングダムへと向かっていた。
≪ダグザが穴に身を隠していたのか≫
≪さようです、我が主≫
囚われの身となったモリガン、バヤールの両方が解放されるかどうかを見届ける為にルーたちに着いていけ。
そうクー・フーリンに言われた物の、二人があっさりとルーに囚われたこと、そして解放の見届け人に自分が指名されたことが彼には納得いかなかった。
(どんどん疑り深い性格になっていくな)
アルバトールは心の中で苦笑しつつ、クー・フーリンが自分を遠ざけた理由について考え始める。
自分を解放の見届け人にすることで、つまりクー・フーリンの元から離れることで暗躍できる条件を整えることが狙いなのか。
(それとも……)
あるいはもう一つの理由。
こちらはあまり考えたくない、考えられないことだが。
アルバトールが処罰されないために、クー・フーリンが自分の元からアルバトールを引き離したのではないか、と言う考えである。
何にせよ、見届け人を命じられた以上は達成するまで勝手な行動が出来ない。
よってアルバトールは答えを出すことが容易な、もう一つの疑問について解答を出そうとし、そしてそれによって新たに浮上した問題にあたろうとしていた。
≪しかし、君たちが二人でかかれば……無理か≫
アルバトールは言いかけた言葉を飲み込み、背中を振り返る。
そこには彼にしがみつくことで、ようやくバヤールに乗れている状態のモリガンが青白い顔でうつむいていた。
その目はうつろなもので、最初に会った時にアルバトールたちに見せた、大人しく見えながらも芯の強さを感じさせた美しさは、どこかに消えてしまったようだった。
≪この戦いでお前たちが負けたのは、モリガンが持つ不幸のゆえだ。このまま共に戦っていれば、クー・フーリンは遠からず再び非業の死を迎えることになろう、か≫
≪ダグザにそれを指摘された途端モリガンは硬直し、その場に座り込んでしまって私がなんとなだめようが動かなくなってしまったのです≫
ダグザのとった手法は褒められたものでは無い。
しかし上手いやり方だ、とアルバトールは思った。
「ダグザ」
「なんだ小僧……ぐぬぁ!? いきなり何をする!」
だが腹の虫が治まらなかったアルバトールは、隣をどすどすと歩いていたダグザを呼びつけ、いきなり頭を殴りつける。
「女性を泣かした罰だ」
「誰も泣いておらんぞ」
「泣かせるより重い罪を犯した罰を受けたいか?」
「そいつは勘弁してもらおう。正直、俺様もモリガンがこれほどショックを受けるとは思っておらなんだ」
顔をしかめるダグザを見て、アルバトールは更なる苛立ちを覚える。
「ダグザ、人を愛したことはあるか?」
「愛してばかりだな」
「では一方的に愛を押し付けるだけのお前に、モリガンの気持ちは永遠に判らないだろう。話はこれまでだ」
抗議の声をあげるダグザを無視し、アルバトールは虚ろな顔をしたままのモリガンを再び見つめると、術を使って片手で彼女の身体を抱きかかえ、そのまま先程とは逆の姿勢、つまりアルバトールの前に彼女の体を据えた。
「モリガン、そのまま話を聞いてくれ。僕は以前、君に次々と不幸が降りかかる為、周囲の人々は必然的にそれに巻き込まれると聞いた。だが、それはあまりに人や神の意志、行動を無視した、失礼な話だとは思わないか?」
アルバトールはそこでモリガンの反応を待つが、彼女は動かないままだった。
「クー・フーリンやルーは自らの意思で戦いに臨み、最善の結果を得るために、自分に出来る最大限の努力をした。それを不幸の運命には逆らえないからこうなったと思い込むのは、彼らの努力を否定する君の傲慢だ」
「……」
モリガンはうなだれ、体を震えさせ始めるが、それでも彼女の口は開かれない。
「だから君は立ち直らなければならない。不幸と言う一つの結果を運命として君がこのまま落ち込んでいては、二人の努力を否定するだけでなく、君の周りに居るこれから努力をしようとする者たち、その行為すべてを否定することに繋がるのだから」
震えるモリガンの肩を抱き、アルバトールが優しく告げると、ようやくモリガンは小さく頷いたのだった。
「なんだ、小僧もモリガンを口説いているだけでは……ぐぬぉ!? ルー殿!?」
「口を慎めダグザ」
ダグザの減らず口に反応してアルバトールが振り向くと、そこには頭を抱えたダグザと、兜を外して顔を晒した姿のルーがいた。
人間で言えば三十代半ば、端正ではあるが、やや儚げな雰囲気を漂わせるその顔は、金色の髪とあご髭に縁取られ、ぼんやりと輝いているようにも見えた。
数瞬その顔に目を奪われたアルバトールは、すぐに正気に戻って自らがヘプルクロシアに来ることになった原因、ルーに直接疑問をぶつけようとする。
「ルーよ、幾つか聞きたいことがあるのだが」
だがルーはアルバトールの方をぞんざいに見つめただけで、すぐに目を逸らしてそのまま前方に馬を進めてしまう。
「お、おい!」
慌ててアルバトールはルーを呼び止めようとするが、すかさずそれを制する野太い声が発せられ、伸ばした手をそのままに横を向く。
「今はやめておけ小僧よ。将となって幾度の戦いに赴き、そのすべてに勝利してきたルー殿にとって、今回は初の敗戦とも言うべきものだ。例え魔族の不意の介入が原因としても、味方に多くの死者を出したこの戦い、心痛察するに余りある」
ダグザはルーの背中を見ながらアルバトールに答え、質問があるならもう少し時間を置くことだ、と助言をした。
「なんなら、王都にそのまま逗留すれば良い。おっと、王が許せば、の話だが」
そのダグザの言葉を聞き、アルバトールはチェレスタで留守役を務めているはずのベルトラム、ガビーの二人の顔を思い出す。
(そういえばコンラッドが脱走したんだっけ……あの二人に妙な嫌疑が掛からなければいいんだけど)
この時、アルバトールは二人の身の安全についてはまるで心配していない。
ガビーはともかく、ベルトラムの力は彼が智天使になった今でさえ、正直測りかねているほどだったからだ。
だが彼が受けた報告には、一番肝心な情報が抜けていた。
コンラッドが脱出する際に、一本の槍をその手にしていた、と言うことを。
「何? チェレスタからアルバトールの仲間たちが使者として来た? 一体何用だ」
丁度その頃、ウォルヴァーン村で復興の指示にあたっていたクー・フーリンの元に一組の男女が使者としてやってきていた。
それは、チェレスタで留守に残っているはずのベルトラムとガビーだった。