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第136話 魂の行き場

「一体なにがあったのか、説明してもらえないか」


 先ほどアルバトールが火急の用件があると伝えた相手、クー・フーリンはウォルヴァーン村を見据えたままであり、アルバトールの方を振り返ろうともしなかった。


 仕方なくアルバトールは、周囲にいる生き残った兵たちに事の成り行きを尋ね、するとそのうちの一人、全身が古びた銅のような緑青色に染まっている騎兵が、振り返らないクー・フーリンの背中を見た後に、迷いながらも口を開いた。



「我々と戦っていたルーがいきなり反転し、自陣に戻ることもせず、ウォルヴァーン村に引き上げて行ったことからすべては始まりました」




「斥候頭! “眼”を持つ者を一人、ルーの陣の様子を探らせて来い! 至急だ!」


 ルーが退却の気配を見せたことで、クー・フーリンはアルバトールたちのほうへ馬首を向けようとしたのだが、その度に反転して攻勢を仕掛けてくるルーの動きに不審なものを感じた彼は、ルーの思惑を見抜くために斥候に偵察の命を下していた。


 その命令に従い、馬に乗った若者が一人ルーが陣を敷いた方向へ向かうと、クー・フーリンは指示を出しながら斥候の報告を待つ。


「おそらくルーたちは民を戦いに巻き込まぬために、ウォルヴァーン村の手前で再び部隊を編成するはずだ! その間隙を狙ってこちらは一気に突撃する! やつらを油断させる為に、直前で進軍速度を下げることを忘れるな!」


 十分ほど経った後、斥候に出ていた若者が戻ってクー・フーリンに報告をして下がると、すぐに彼はその情報を吟味して手早く方針を立てていく。


(敵陣は数千の人影と無数の罠が設置、ただし馬の姿は殆ど無しか……移動に時間がかかる歩兵のみならば、挟み撃ちは無い。罠もおそらくは奇襲に備えてのものか、こちらの目を引き付け、退却を助ける為の偽装と見て間違いあるまい。よし)



「奴らは陣にいる味方を捨てて逃げ出した! 負傷者をここに残し、このまま追撃を開始する! 小山に伏兵がいる可能性を十分に考慮するように! また村に逃げ遅れた民が残っているかもしれん! 矢を射る際には、十分に気をつけるのだ!」



(まぁ間違えたふりをして、ウォルヴァーン村ごと吹き飛ばしてしまえばそんな指示も出さずに済むのだが、民がいる可能性を考えればそうはいくまい。第一、ルーがそれをさせんだろう)


 そう考えるクー・フーリンの頭に、不意に雑音が割り込んだ。



(あ、それ面白そうだね、そのアイデアいただき)



 その悪の囁きとも言える内容を、彼は頭を激しく振って追い払い、中に溜まった毒素を抜くとでも言うように、何度か大きく深呼吸をした後、号令をかける。



「進撃開始!」



 その号令と同時に、二千を超える騎馬隊が一斉に追撃を開始する。


 もしこの時にアルバトールと遠話が通じていれば、もしくはルーを追撃していなければ、彼らはもっと多くの者が故郷に戻れていただろう。


 そしてルーもまた、最後の策のためにウォルヴァーン村に向かわず、自陣に戻って守りを固めていれば、彼についてきてくれた者たちの殆どに家族の顔を再び見せることが出来たのだ。



「ルー様! ウォルヴァーン村が見えてきました!」


「判ったエスラス。皆の者! このまま村を突っ切った後に二手に分かれ、村を迂回してクー・フーリンたちを挟撃する! 奴らが崩れても、決して深追いはするな!」


 ルーたちが突っ切るウォルヴァーン村には、あちこちに不自然に土が掘り返された跡と、そこに隠れている歩兵らしき気配が感じられた。


 さらには道端に置いてある荷車には、引き手の反対側、つまり荷物を載せる部分に数本の槍と、敵の攻撃を防ぐ頑丈な木製の衝立を備え付けており、その上には重しの水樽も乗せていた為、一旦それが動き出せば十分に騎兵に対抗できる兵器となっていた。



 先程の戦いで、カカシで水増しさせていた歩兵の人数の残りは、すべてウォルヴァーン村に伏兵として配置されていたのだ。



(三方から攻められれば、総崩れになって退却せざるをえまい……後は奴が後備えに下がってくるのを待ち、捕える)



 そして先頭に立ったルーが村を抜けようとした時。


 伏兵に備えて軍の後方にいたクー・フーリンが、村の手前で再編成をせぬ敵を訝しみつつも、村に入ろうとした時。



 村の中心から眩いばかりの光が発せられ、すべてを平等に塵と化した。




「我らはクー・フーリン様の近くにいた故に、その加護にあずかることができましたが、離れていた者たちは……そしてその直後に我々と同じ光に焼かれたのか、その殆どを失ったルーの軍が怒りの声と共に突っ込んできて乱戦になり、この有様です」


「判った。つらい報告をさせてすまない」


 報告をしたことで緊張の糸が切れてしまったのか。


 説明をした後、その騎兵は一礼をしたまま顔を上げることが出来なくなり、そのまま目から涙を溢れさせた。



「クー・フーリン殿、これからどうするのだ」


 アルバトールは説明をしてくれた騎兵から離れると、返事をしないクー・フーリンの正面に回り、その目を真正面から睨み付けて再び同じ質問をするが、それでも返事をしないクー・フーリンに今度は声を荒げ、脅迫じみた提案をする。


「総大将! 貴殿が無事ならば、貴殿が指示を出さねば我々は動けない! 兵を退かせる! 死者を埋葬する! それとも姿が見えないルーを追うか!? やることは山積みだ! いい加減に現実に戻って来い! それも出来なければ指揮権を移譲しろ!」


 その叱咤を聞き、ようやくクー・フーリンはウォルヴァーン村から目前に居るアルバトールの瞳へと視線を移すと、歯噛みをして返答をした。


「俺が迷っていたのは、貴殿が率いていた右翼壊滅の責をこの場で問うかどうかだが、それでも良いのか?」


「それも結構。多くの兵の命を預からせて貰いながらあの失態。いくら客将の身分とは言え、その責を問われないわけにはいくまい。だが、それは貴殿とて同じことだろう。敗戦の責を問うのは、戦いが終わってからの方がいいのではないか?」


「その通りだ。この敗戦の責、すべては俺にある。だが先ほど生じた脅威の原因を突き止めるまでは、死ぬわけにはいかん」


 クー・フーリンがあっさりと敗戦の責任を認める発言をしたことに、アルバトールは多少なりとも驚くが、確かに彼は粗暴ではあっても、卑怯な男では無かった。



 少なくとも、今まで見た限りでは。



「まだ息のある者は出来るだけ助けるように。慈悲を求めた者はその通りにしてやれ。アルバトール殿は俺と共に死体の処理を。流行り病が発生してからでは遅いからな」


「ルーは放っておいていいのか?」


「気配は感じない。おそらく自陣に戻ったのだろう。星や月の光が得られぬこの曇り空では、いくらルーと言えども歩兵のみで我らが陣に辿りつくことは出来ん。それに襲ってくるのであれば、間違いなく俺やアルバトール殿がいるここだ」


 ようやく正気が戻ってきたか、クー・フーリンは不敵な笑みを浮かべてそう言った。


「つまり、我々は囮と」


「最初に会った時、テイレシアでの戦歴は聞いたと言っただろう」


「判った。せいぜい敵の耳目を引き付けるように振る舞おう」


 敵、味方の双方が、その手勢の殆どを失うと言う前代未聞の経験をしたショックからようやく立ち直ってきたのか、彼らは力ない笑みを浮かべ、それぞれの作業に取り掛かって行く。


 最初の内は味方の死体と思しき死体を集めていた彼らは、次第にすべての死体を集め始め、ほんの少し前までは村の広場だったであろうと思われる、比較的ガレキが散らばっていない場所に集めていく。



 それだけの感傷を引き起こすなにかが、その場に残った者たちにはあったのだ。



「フラム=フォレ」


 アルバトールの呟きと共に炎の竜巻が発生し、周囲に熱気とも、温かみとも感じられる熱が放射され、人だったものは、灰となって空高く飛んでいく。



(体が焼けてしまえば再生は叶わない、だが不死鳥と呼ばれる存在は、焼けて灰になった体から新しい体へと再生し、再び力強く羽ばたき始めるという)


 アルバトールは炎の竜巻に包まれた戦死者を見て、願わくば彼らが不死鳥の加護を得ることを――と望み、フラム=フォレの勢いを増していった。




 明くる朝、クー・フーリンは生き残った者たちに自陣への帰還を指示し、彼らは戦場となった草原を経由して戻っていく。


 その途中、クー・フーリンは幾つかの戦死者に目をやると、嬉しさによる微笑とも、まんまと出し抜かれた悔しさを誤魔化す苦笑とも受け取れる笑みを浮かべた。


「どうやらウォルヴァーン村の住民は、無事に退避できていたようだな。結構な人数の死体から、装備が持ち去られている」


 クー・フーリンは近くに居た騎兵を呼び、一足先に自陣に戻って、死者の装備の回収の準備をするように、と言伝をする。


「したたかなものだ。戦いで重要なのは、勝つことより生き延びること、か。確かに……の言う通りかも知れん。民衆は下手な自尊心に凝り固まった騎士や貴族より、よほど自由で生き延びる術に長けている」


 クー・フーリンの嬉しそうな顔を見て、アルバトールは誰から聞いたのかと尋ねようかと思ったが、何となくこの場で聞くのは気が引け、そのまま隣についていく。



 そして彼らは自陣に戻り、そこで二つの報告を受け取った。



 一つは、モリガンとバヤールが帰還していないこと。


 そしてもう一つは、コンラッドがチェレスタから逃げだしたことであった。



 その報せについて彼らが精査する前に今度は敵からの使者が、モリガンとバヤールの行方について重要な手がかりを持って訪ねてくる。


 使者の名はダグザ。


――モリガンとバヤールの身柄はこちらで預かっている。無事に返還してもらいたくば、我らの退却を見逃すこと――


 その場に居合わせた者たちは、ダグザの告げた内容に全身を凍り付かせた。


 ただ一人を除いて。



「ダグザよ、こちらも痛手を負っているゆえにそちらの退却を見逃すこと自体はやぶさかではない。だが、認めるにはこちらも一つ条件がある」


 クー・フーリンの申し出に、ダグザは鼻を鳴らし、その条件を聞こうとする。


「ふん、どうせ我々が退却する理由でも聞きたいのだろうが、それを素直に……」


「ウォルヴァーン村を壊滅させた理由を言え」


 ダグザは息を呑む。


 その巨大な体は誰の目にも明らかなほど縮こまり、現れてより周囲に放っていた威圧感は、すべて霧となって吹き飛ばされたかに見えた。



「そ、れ……は……」


「言え。さもなくば、モリガンとバヤールごと貴様らを踏み潰す」


 クー・フーリンはその端正な顔に怒りの表情を浮かべ、ダグザを詰問した。


「適材適所とは言え、民衆を戦いの場に引きずりだしたことすら我慢ならんと言うのに、更に村を壊滅させるとはな。この時期まだ気候は安定していない。だと言うのに寒さや雨露をしのぐ家を奪うとは何事か。返答次第では今すぐに貴様を殺す」



 ダグザは額に汗をにじませ、しばし無言を貫くが、幾つかの汗が地面を叩くとついに観念したのか、口を開いてポツリと答えた。



「理由など無い。面白そうだからやった、と言っておった」


「どういうことだ? あの破壊は、お前たちがやったわけではないのか?」


「やったのは堕天使アスタロトだ。我々は貴様らに注視するあまりに、魔族が介入していることに気付かなかったのだ」


 衆目に、ダグザは嘘を言っているようには見えなかった。


 だがアルバトールは更なる情報を引き出す為に、ダグザの自尊心をあえて傷つける発言を試みる。


「最初から魔族の手を借りていたのではないのか?」


「我らを愚弄するか! 天使の小僧ふぜいが!」


「僕が何者であろうが、君たちが魔族の手を借りた、借りていないの事実が変わるわけでは無い。誤魔化さずに正直に事実だけを答えて貰おうか」


 その指摘にダグザは一瞬怯むが、すぐに気を取り直して返答した。


「我々が魔族の手を借りる訳がなかろう! 今は小僧とこうやって敵対しておるが、元々我らは手を取り合って魔族と戦う間柄ぞ!」


「判った。詮無い事を申し上げたことを詫びよう」



 数瞬の空白の時間が過ぎ去った後、クー・フーリンは再びダグザと交渉を始めた。


 そう、人によってはなんらかの霊が通り過ぎる時間の間、とでも説明するであろう時間が過ぎた後に。



「ダグザよ、我らはある条件のもとに貴様らが退却することを認めよう。これから我らは戦死者の弔いと装備の回収をする。よってその間に攻めてこないことと、人質が無事に解放されるかどうかを確かめる為に、アルバトール殿を同行させることだ」


「前二つの条件はもちろん認めよう。だが小僧を同行させるかどうかは……」


「先ほど、元々我らは手を取り合って魔族と戦う間柄と言ったな」


「……判った、ルー殿には俺様から言っておこう」



 そして三日後、クー・フーリンたちが戦死者の弔いと、装備の回収を終えて陣から出て来なくなったのを確認したルーたちは、アルバトールとモリガン、バヤールの三人を連れて引き上げていった。


 そしてそれを見届けたクー・フーリンも、また帰還の命を下す。



「では、ウォルヴァーン村の復興に従事する少数の者を残して引き上げるぞ!」


 三日間の間に決められた方策に従い全軍が動き出す中、一人の騎士が残された者たちの安否について不安を述べると、クー・フーリンは明るい顔で答える。


「心配するな。残る者たちの護衛も兼ねて俺もここに残る。王にはそう伝えてくれ。しかる後に、今回の結果に対する処分は受けると」



 騒がしい原因となっていた軍が去り、草原は再び元の静寂を取り戻す。


 そして草原は戦死者の霊が行き交う、沈黙の場所へと変貌していった。




 その頃。


 ヘプルクロシア王国の王都ベイキングダムに、戦いの結果を知らせる急使が慌ただしく入ってきていた。



「陛下! クラレンス陛下はどちらにおわす!」


「おお、これはブラッドリー公。どうなされましたかの」


「ルーが敗北……いや、勝ったのか? ええい、とにかく陛下はどこだ!」



 王宮の廊下を騒がしく駆けていた中年の男が遠ざかると、その背中に陛下はバルコニーにいるとクラレンスの所在を答えた白髪の大男エンツォは、しばらく考えるような仕草で腕を組むとその後を追った。



「陛下! 大変です! 戦いは魔族による介入で双方が壊滅状態! ルー神は無事ですが、ケルヌンノスが転生する痛手を被ったそうです!」


「判った、しばらく考えたいので下がっていいぞブラッドリー」


「は、はっ……しかし」


「お前はうるさいだけで役に立たん。下がれ」


「……」



 ブラッドリーが下がると同時に、入れ替わるようにエンツォがバルコニーに姿を現すと、王である目の前の青年をまるで恐れる様子も無く質問をする。


「若様の安否は?」


「情報は無しのようだ。と言いたい所だが、あのブラッドリーに聞くより使者に聞いた方が話は早いだろう。君も一緒に行くか?」


 頷くエンツォを従え、青年クラレンスは歩き出す。



 その姿は獅子を連想させる、威風堂々としたものだった。

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