第134話 戦いの作法
(そんなバカな! 昨日はもちろん、今日もこれほどの規模の穴が出来るような精霊力の残滓は無かった! 即時発動の気配は当然皆無! 魔術を使わずに普通に人の手で掘るとしても、これだけの穴を掘る間に斥候や旅人の目に留まらないはずはない!)
部隊の行く手にいきなり出現した大穴に、アルバトールの思考は混乱に陥る。
そんな時に穴に落ちゆく騎士の一人と目があった彼は、思わずそちらに手を伸ばして救おうとするが、その手が届くことは無く、目の前にいた騎士は、絶望の表情を浮かべて彼の視界から消えていった。
≪飛びます! 我が主しっかりとお掴まりを!≫
神馬であるバヤールが念話で告げてきた次の瞬間、アルバトールは宙へと舞い、目の前に開いた大穴を遥か視界の下に置きながら飛び越える。
だが普通の馬に乗っていた騎兵たちは飛び越えることは出来ず、何とか穴の手前に留まれた者たちも後ろから押し寄せてくる味方たちに押し出され、長い悲鳴を地上に残して次々と穴の中に落ちていった。
「右翼は全員その場で待機! モリガン! 今より右翼の指揮権を貴女に譲渡する! 残った兵をまとめ、僕が戻るまで敵と距離を置きつつ弩で攻撃せよ!」
バヤールが無事に穴を飛び越えて着地した後、アルバトールは後ろを振り返って手早く指示を出し、穴の向こうに居るモリガンが了承したのを聞くと、彼は全身に気をみなぎらせて馬首を返し、そこにいる大男――ダグザを睨み付けた。
その瞬間、ダグザの向こうに見える空では破滅的な威力を持つ魔術同士がぶつかり合い、まるで死んだ兵士たちを見送る送り火のような、極彩色の光と大地を揺るがす轟音を戦場に撒き散らす。
それはルーとクー・フーリンが、とうとう激突したことを示す証拠だった。
「ルー様、敵は首尾よく罠にはまったようでございますね」
「精霊力を感じなかった故に、罠は無いと思い込んだのだろう。精霊力の残滓によって罠が気付かれるのであれば、設置した後に残滓が消える長さの期間を設ければ良いだけだ。後は罠がある場所を、敵方の侵攻ルートに設定させれば事は済む」
「しかしなぜクー・フーリン様が、西からウォルヴァーン村を攻めるとお判りになったのでございますか? このエスラスにはさっぱり判りませぬ。バーミリオンが目標なら、北の渓谷を通ってウォルヴァーンを攻めても良かったのでは」
「我々の主兵力が農民を主とした歩兵と聞いて、奴らは喜んで騎兵を中心とした編成とした。大量の馬を連れれば、それらの運用に必要な水と飼い葉の確保をする為に、運河沿いの行軍を余儀なくされる」
そこまで述べると、ルーは右手に持っている剣、フラガラッハを弓につがえる矢のように構え、左手は眼前の敵、クー・フーリンの方へと向けながら、傍らに居るエスラスというドルイド僧の少年に続けて答える。
「だがウォルヴァーン村の北の渓谷は狭く、流れが速い為に船による輸送がままならぬ。またこちらも渓谷の合間に伏兵を配置しやすい。だから愚息が西からウォルヴァーンを攻めることは判っていた」
ルーはスッと息を吸い、緩やかな吐息を長く続けた後に宣告をした。
「奴らは出陣した時点で敗北していたのだ」
気合の声と共にルーが右手を前方へ突き出すと、ひときわ激しい光が数本、そこから前方へ飛んでいき、同時に彼の頭上に無数の十字型の光が浮かび上がると、それもまた前方のクー・フーリンが率いる軍勢へ飛んでいく。
その数々の光がクー・フーリンから放たれた槍と見える輝きとぶつかると、それらは陽の光を受け、ことごとくが煌きながら無へと戻って行った。
「しかしこの戦いが決定づけられる半年以上前に罠を設置しておいたとは、誰も思いつかないのでは? そのような前から王に叛意……いえ、旧神の意思統一の戦場の選定と、罠の設置をしていたとは思わないでしょう」
ルーはエスラスの問いに答えず、自らが預かる騎馬隊に向かって矢の一斉射撃を命じ、その直後にウォルヴァーン村方向への退却を命じる。
「かねてより伝えてある作戦通りに動け! クー・フーリンが部隊を合流させようとしたなら奴らを後背から襲い、こちらに反撃しようとする気配を見せれば一目散に退散せよ! さすれば我々の頭上に必ず勝利は運ばれてこよう!」
白銀の全身鎧を着こみ、その周囲にぼんやりと光る黄金色の光を纏いながら、ルーはフラガラッハの発動に集中する。
その神々しい姿の向こうに、エスラスはルーの苦悩を垣間見たような気がして思わず目を擦るが、再び見たルーの姿はいつもと同じように、畏敬の念を少年に抱かせるにふさわしい物であった。
「さて、向こうもおっぱじまったようだし、こっちも始めるか。そういや坊主、主って奴へお祈りしなくていいのか? 俺様はお前らの神へ捧げる祈りという物を知らんのでな、坊主が死んだ後は地面に埋めてやるくらいしかできんぞ」
アルバトールの目の前で巨大なハンマーを担いだまま、ダグザは情けの言葉とも、死の宣告とも受け取れる言葉をアルバトールに投げかけ、ヒゲと吹き出物で埋め尽くされた丸めの赤ら顔に、人懐こい笑顔を浮かべた。
「まぁ、坊主が死ぬ時は既に俺様のハンマーで大地の奥底に沈められちまってるわけだから、埋葬の手間は省ける訳だがな! ガハハ!」
余裕しゃくしゃくで話しかけてくるダグザは、その背丈に見合う服が無い為か、上半身を覆う茶色の上着はヘソの辺りまでしか丈がなく、下半身に至っては黄ばんで裾がボロボロになった、灰色っぽいズボンが膝の所までしか来ていない。
その下は毛皮そのものといったブーツを履き、全体的に見るとチグハグな印象、と言うか物乞いか何かとの印象しか受けないもので、もしも戦場以外で彼の姿を見た者が居れば、その恰好を見て失笑を浮かべたことであろう。
だが、戦場での彼は――。
「一騎打ちだ。悪いが文句は言わせんぞ」
言い放つやいなや、ダグザは巨大なハンマーを地面に打ち付け、アルバトールたちを威嚇する。
もしダグザの近くに立っている者があれば、その威嚇の重圧に耐えられずに失神してしまうことは間違いない、そう思ってしまうほどであった。
「こちらとしては願ったり叶ったりと言った所だけど、いいのかい? 君の配下と共に僕にかかったほうが、簡単に踏みつぶせて楽だと思うんだけど」
孤立した自分に対し、わざわざ一騎打ちを申し込んできたダグザの真意を推し量るべくアルバトールが答えると、ダグザは巨岩のような肉体を揺らして大声で笑い始める。
「いくさはまだ終わっていないのに、何故はぐれた兎一匹に獅子の群れが掛からねばならんのだ? 俺様はお前がルー殿に余計な手出しをしないための壁役よ」
「ではその思惑、壁たる肉体ごと真正面から押し倒して通って見せよう」
アルバトールはバヤールから地に降り立つと、腰から炎の剣を抜いてその切っ先をダグザへ向ける。
「バヤール、ダグザの背後へ」
「承知しました、我が主」
人型に成り、足元に茂った草を踏み分けながら背後に回ったバヤールを見て、ダグザは再び大きく笑い声をあげた。
「おいおい、俺様の話を聞いてなかったのか坊主。いちど一騎打ちを引き受けておきながら二人でかかってくる卑怯なやり方が、戦いに於ける天使の作法か?」
しごくまっとうな内容の抗議。
ダグザの侮蔑を交えたその指摘に、アルバトールは大真面目な顔をしたまま答えた。
「一対一では無く一騎打ちなのだから、馬も戦うのは当たり前だろう。ヘプルクロシアの旧神においては、一度交わした約定をころころと翻すが作法かな?」
「お、おう……あー、ちょっとタンマ」
冷や汗をたらし、左手を上げて制止の格好をするダグザを見て、アルバトールは呆れたように半眼になり剣を構える。
「タンマ無し。一騎打ちと言い出したのはそちらなのだから文句は言わせないよ」
そしてアルバトールは剣から迸る炎と共に、一気にダグザの方へ突っ込んでいった。
戦女神モリガンに任せた軍の勝利を信じつつ。
「転進して下さい! 距離をとってから弩を斉射! 追ってくる敵兵のみに射るようにして下さい! 動けなくなった敵に止めを刺すのは、後でも出来ます!」
後に残されたモリガンは、アルバトールの居なくなった部隊を手早く取りまとめ、ある意味残酷とも取れる作戦の指示を出していた。
だが落とし穴の罠にはまった彼女の部隊の姿を見たルー軍の士気は高く、歩みは相変わらず鈍いものの、その足はまるで止まることは無い。
農民が主体とは思えぬその進軍に、誰からともなく感嘆の声が漏れたその時、追いすがってくるルー軍から高らかな声があがった。
「ルー殿が先ほど放った天罰で、落とし穴に次々と落ちていった敵兵の無様な姿を見たか! 日頃より貴族だ、騎士だと威張っておきながら、いざルー殿と戦うことになればあのザマよ! やはりこの国の旧神を束ねるのはルー殿一人のみ!」
(あの声は……ケルヌンノス?)
モリガンは歩兵の集団の中に、枝分かれした鹿の角のようなものが交じっているのを見て、老人めいた、狩猟の神たる旧神の姿を思い浮かべる。
そのケルヌンノスの号令に叱咤され、モリガンたちをゆっくりと追撃してくる大量の歩兵は、まるでアンデッドのように痛みを感じる神経が存在しないとでも言うように、いくら矢が刺さっても怯むことなく、一直線に彼女たちのほうへ向かってくる。
(幾ら何でもおかしい! 私の力を乗せた矢があれほど当たっているのに! あのケルヌンノスが障壁を張っているとは言っても、一人も倒れないなんて!)
常軌を逸した歩兵の追撃を見て、部隊に動揺が走り始めた時、一つの報告が彼女に成された。
「モリガン様! あれは……あの歩兵共は、一人が何体ものカカシをぶらさげているだけです! 実際にいる人数は、半分にも満たないものです!」
「なっ……しまった! 弓の残数は!?」
顔を青ざめて彼女が周囲を見渡すと、矢の残りは一人二~三本と言う所であった。
(距離をとったまま攻撃したのが仇となりましたね……動きが鈍かったのは、農夫だからでは無くカカシを背負っていたからだなんて。ですが、まだここからでも打てる手はあります!)
彼女は部隊の最後方まで下がると、兵たちから寄せられたありったけの信仰心を使って、草原へ火を放つ。
「か弱き農民たちと侮っていましたが、認めましょう! 貴方たちが、このモリガンが全力を尽くして倒すべき強敵だと言うことを! この戦女神の手にかかって死ぬことを誇りに思いなさい!」
(精霊界とは違う、安定した物質界のモノに乗り移った精霊たちの力――物質界に満ちる聖霊に同化した精霊たちの力――は、弱体魔法で威力を減ずることは出来ない! 後はケルヌンノスの精霊魔術を妨害して、消火させないように……!)
だが、そのモリガンの思惑とは対照的に、ケルヌンノスはまったく動じた様子を見せずに歩兵たちに追撃を行わせていた。
「兵たちを無駄死にさせるつもりですかケルヌンノス! ……何!? あの煙は!?」
草原についた火はこの時すでにカカシに燃え移り、ケルヌンノスが率いる歩兵たちを火だるまと化している。
だがケルヌンノスは力の限りを駆使し、精霊魔術で歩兵たちの身体になるべくカカシの火の熱が伝わらないようにし、それでも防ぎきれなかった熱によって負った火傷を法術で癒しながら、追撃をしてきていた。
その凄まじい光景を見たモリガンたちがあっけにとられていると、カカシから考えられないほどの量の煙が発生して彼女たちに襲い掛かり、その煙を吸い込んだ人や馬は、喉や肺を煙の熱やガスにやられたのか、途端に咳込み始め、苦しみ始めていた。
「いけない! 風を……風を! そんな! 風を起こせない! これは一体!?」
慌てて風を起こし、煙を逆流させようとしたモリガンは、風を起こせない所か、周囲の空気が彼女たちを包むように、巻き込むように展開するのを見て驚愕した。
[や~れやれ、やっと出番かよ……しかし一体何なのかねぇ、煙を見たら敵軍に向けて風を吹かせて、その後煙をしばらく充満させろって指示は……]
ルー軍の後背にそびえる小さい山の頂上。
そこにそよぐ風に水色の髪をなびかせるに任せ、一人の旧神があぐらをかいて座っていた。
[あん? 俺の前で風を勝手に操作しようってか? やらせねえよ。ったく暇だな、アルバトールと遊んでた方がよっぽど面白かったぜ]
闇の風、旧神バアル=ゼブル。
ヘプルクロシアの内乱と見られていた戦いは、魔族である彼らの介入によって一気に混迷の海の中へ滑り落ちていった。