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第133話 開戦

 先王リチャード軍の出陣前夜。


 クー・フーリンは仮宮の見回りの途中で牢獄へと立ち寄り、牢番を遠ざけると一人の男が収監されている牢屋の前に立って何かを中へ放り投げる。


「これは?」


 牢屋の住人コンラッドは、寝藁ねわらの上に落ちた金属の小片を見て理解できないと言いたげな顔をした。



 それは俗にいう牢屋のカギ。


 彼が入れられている独房から、いつでも抜け出せるようになる道具だったからだ。



「明日、我らはウォルヴァーン村へ向けて出陣する。しばらくは何も起こらんだろうが、もしもそのカギが振動を始めたら、お前は陛下が食事をとる時間を見計らって脱獄するのだ」


 驚くコンラッドを見たクー・フーリンは、楽しそうに口を歪めた。


「カギを鍵穴に差し込めば自動的に牢番は眠り、それから数分経つと陽動の爆発が起きる。そうしたらお前はアルバトールの仲間が使っている部屋へ向かえ」


「そこで何をすれば?」


 コンラッドが質問すると、クー・フーリンは余計なことを喋って俺に無駄な時間を使わせるな、と言わんばかりに舌打ちをし、不機嫌そうに答える。


「ピサールの毒槍。それを盗み出してこの俺に届けるのだ。ベルトラムと言う男を覚えているな? 奴の力の源となっているのがその槍らしい」


「そう言えば奴らが最初に陛下との謁見に向かった際に、ベルトラムは何かを大事そうに長持の中に入れておりました」


 不機嫌そうにしていたクー・フーリンは、そのコンラッドの報告を聞いてニヤリと笑い、満足そうに頷く。


「ベルトラムには留守居役を申し付けてある。力はあれど、それを安定して発揮できぬような足手まといを、他者の命まで責任を持たねばならぬ戦場には連れて行けん、と言ってな。そして陛下が食事をする際に給仕をするように、とも」


 そこまで喋ると、クー・フーリンは人の悪そうな笑みを浮かべた。


「この前の暗殺騒ぎの一件もある。陛下の給仕をする間、奴は余計な詮索を避ける為におそらくピサールの毒槍を部屋の中に置いてくるだろう。そこでお前が脱獄し、陽動の爆発で仮宮が混乱する間に盗み出すのだ。ぬかるなよ」


「しかし、そんな大事な物に護衛を着けないはずはありません。実際に奴らが陛下に謁見していた時も、あの部屋には私の他に神馬が留守に残っておりました」


「心配するな。神馬はあの天使と一緒に出陣することになっている。それにいくさが起きれば、誰しもここは前線から遠く離れており、問題など起きぬと認識しよう。それは油断や動転に直結する物。そこにいきなり爆発が起きれば、必ずや不始末を起こす」



 クー・フーリンは目を細め、更に短刀程の長さの筒を牢屋の中へ放り込む。



「どうせ毒槍の護衛につけるのは、あの喚くしか能のない小娘だ。多少は力があるようだがお前の敵ではあるまい。首尾よく毒槍を盗み出せたら、その筒に入れれば探索の魔術を誤魔化せる。では頼んだぞ、コンラッドよ」



 無言でコンラッドは頷き、クー・フーリンは周囲にかすかに聞こえる程度の含み笑いをすると、今初めて牢獄に漂う異臭に気付いた、とでも言うように鼻を鳴らし、そのまま見回りへと戻って行った。



「なるほど、力の源か」



 クー・フーリンが持っていた松明の光を失い、薄暗く静かになった牢獄に小さくコンラッドの呟きが響く。



 誰にも聞かれなかった呟きが。




 明けて次の日。


 朝から執り行われた出陣式の後、アルバトールはクー・フーリンと共にリチャードに呼び出され、直々に注意を言い渡されていた。


「英雄クー・フーリンの勝利を疑う訳では無いが、相手は百戦錬磨、長腕のルーだけではなく、ヘプルクロシア旧神の次代の王と目されるダグザも居る」


「心得ております。では陛下、吉報をお待ちください」


「戦いが長引けば犠牲が増えるだけでは無く、魔族に付け入る隙を与えることになる。頼んだぞ我が友よ。そしてアルバトール殿。ルーとクラレンス側に着いた民は、なるべく助けてやってくれ。今は敵でも、元は国を思っての行動に違いないのだ」


 その言葉を聞いたアルバトールは深々と目の前の王に頭を下げ、対してクー・フーリンは目の前の天使に反目するがごとく、周囲の者にそれと判る舌打ちをした。


「陛下がそのように甘いから反逆されると、何度言えば判るのですかな?」


「いつも私の傍に立ち、私の前に立ちはだかる問題をすぐに片付けてくれる有能な英雄が居てくれるお陰で、まだ飴とムチを使い分けられるほどに人生の辛酸を味わっておらんのでな。苦労をかけてすまんなクー・フーリン」


「……人を信用しすぎると痛い目に遭うことをお忘れにならぬよう。それでは」



 そう言い残し、クー・フーリンは出陣していった。


 行軍の総勢は約六千人。


 アルメトラ大陸の西部に於ける食料の生産力がまだ低く、なかなか人口が増えない状態であるこの時代において、戦闘専門の騎士たちを編成の主力とする軍隊としては大軍勢と言ってよい規模である。



「このままシュロップ運河ぞいにウォルヴァーン村へ向かう! 十五日後の到着を目安に行軍するぞ! ルーはウォルヴァーン村にいるとのことだが、それでも行軍途中での奇襲は十分に考えられる! 油断せず進むように!」



 こうして、アルバトールが初めて臨む大軍同士の戦いは刻一刻と近づいていき、ベルトラムとガビーの二人は自分たちに仕組まれた罠に気付くこと無く、守備を固める為の留守役を務め始めたのだった。




 ウォルヴァーン村に向けて出陣した先王軍は、アルバトールたちがローレ・ライからチェレスタに向かった時とは打って変わり、何事も無く進軍していく。


 軍隊を相手にしようなどと考える気概を持つ野盗がいないと言うこともあるだろうが、魔物もこの人数を見ては鳴りを潜めるか、逃げ出すかしかなかったのだろう。


 懸念された行軍途中での奇襲、妨害は特になかったものの、いきなり降ってきた雹や、しとしとと降り続いた雨で気温が急激に下がったことなどもあって行軍は乱れ、彼らは二日遅れでウォルヴァーン村近郊に到着することとなっていた。



「この陣がしばらくの間われらの家であり、城となる! 設営に決して手を抜くな! 明朝一番でここを発ち、ルーたちと戦端を開く! 今夜のうちに英気を養うように! だが夜襲に備えて飲酒は許さん! 敵に勝ってからの楽しみにとっておけ!」



 まだ日が高いうちに発せられたクー・フーリンの指示に、周りの者たちは大音声で応え、次々と杭やすきを手に取り、陣地を形成していく。


「斥候頭! 偵察に出している奴らを新しい者たちと交代させるぞ! 魔術による罠の設置を見抜く為、精霊力とその残滓が見える者を構成に入れることを忘れるな!」



(……見事な指示だ。定石に沿っており無駄が無い。今のところは、だが)



 矢継ぎ早にクー・フーリンが指示を出す間、アルバトールは傍らに立ってその指示や立ち居振る舞いを注意深く見つめていた。


 今までの発言や行動からするに、クー・フーリンがなんらかの背信行為をしているのではないかと思ったからだが、彼の眼から見てもその指示は的確なもので、敵を利するようなものは何一つ無かった。


「アルバトール殿、すまんが陣の外を軽く見回ってくれ。もし魔物や猛獣のたぐいが居れば駆除を。その後に陣を外や上空から見て、ほころびが無いかどうかを確認してくれ。疲労すれば人は早く休みたがり、その結果仕事の手を抜くことがあるからな」


 命を落としてしまえば元も子もないのだが、と愚痴を言うクー・フーリンに一礼を返すと、アルバトールは陣の外へと向かう。



 そして三時間ほど経った後、彼の姿は自陣を見下ろす位置に浮かんでいた。



「……考えすぎか。地上、地中、空中にも魔物の姿は無し。陣も見た感じ、物理と法術の双方において綻びは見当たらない。専門軍人である騎士を主体とした編成だけあって、練度は恐ろしく高いみたいだな」


 そう独り言を言うとアルバトールは一気に上空へと上がっていき、何の気なしにテイレシアがある方角を見つめる。


 そこには雲がかかっており、アルメトラ大陸の大地は見えなかったが、下手に地形が見えても余計な郷愁を掻き立てられるだけと判断した彼は、肝心の目的であるルーたちが陣を敷いている方角へ目を向けた。



(天幕の数、陣を行き来する人間の数から見て、総数は一万五千と言った所か。反して馬の数はそれほどでもない……千頭ほどか? 人の数はともかく、馬の数は幻術で誤魔化されている可能性もあるが、この距離からだと解除はできないな)


 そう分析した後、彼は戦場となるであろうウォルヴァーン村の郊外に拡がる草原へと目を向けた。


(見たところ、何かの罠を設置した形跡は見られないな……周囲の変化を感じ取って発動するような複雑な魔術を設置すれば、その形跡が数週間に渡って残滓ざんしが残るし、即時発動タイプは発動直前にこちらで弱体、あるいは無効化できる)



 そこまで確認すると、彼は報告をするべく下に降りて行った。



「クー・フーリン殿、陣の周囲に脅威となる生物は無し。陣も物理、法術の双方で綻びは見当たらず。また、自陣を見た後で、ルーの陣も見てみたのですが……」


「アルバトール殿、ルーの陣についての情報は今は不要だ。陣に幻術をかけている可能性が高い以上、もし斥候からの報告との間に食い違いが出れば陣内が動揺する。明日の戦術について結論を見た後、俺だけに報告してくれ」


「承知しました」



 遠征の疲れを狙ったルー軍の夜襲、朝駆けの類も無く、アルバトールたちは何事も無く陣を出発し、そしてその日の正午過ぎ。


 予想していたウォルヴァーン村の郊外にて、敵の後背に低めの山はあるが、馬が縦横無尽に駆け巡れる広い草原で彼らは会敵をした。



 太陽神ルー。


 かつて彼らが敵対していたフォモール族との戦いにおいて、戦争の天才と呼されるほどの戦果を上げ、今はヘプルクロシア旧神たちの指導者。


 クー・フーリンの緊張が高まるのを肌で感じながら、アルバトールはバヤールに跨り、割り当てられた場所、右翼へとモリガンと共に向かった。




「蛮神ルーよ! 旧神を指導する立場にある御身が王権に叛し、あろうことか王の弟君を担ぎ出して勝手に王に据え、専横を成すとは如何なる御所存か! このクー・フーリン、たとえ父であろうともこの道に外れた行為を決して許さぬぞ!」


「正道を知らぬ童が小賢しい口を利く! これからの戦いで敗北を知り、自己の主張を貫き通せぬ非力さを嘆くのだな! 民を守るのは道徳心では無い! 敵を退ける軍事力だと言うことを今からたっぷりと教えてやるぞ!」



 ルー、そしてクー・フーリンの双方は一歩も譲らぬ主張を繰り返し、相手に着き従う兵たちの士気をくじこうとするが、それは叶わなかった。


 しかし本来の目的である、味方の兵の布陣を完成させて敵の布陣を見て取り、それに対応するための方策を考える時間は、ある程度確保できていたのである。



「敵の左翼がやけに分厚いな……斜線陣か? しかし過去の遺物、ファランクスの陣形を打ち破るための陣をどうしてここで?」


 アルバトールは対峙する敵の構成が主に農民主体のものであることを見抜き、浮かない気分になるのを誤魔化すように呟いた。


(移動が遅い歩兵が右手に長槍を持ち、左手に盾を持っていた時代であれば、確かに防御ができない右手の方角から打ち破っていくのは理にかなっていた。だが今は騎馬による高速機動から矢を放ち、敵からの攻撃をかわしつつ攻撃するが主流)



「アルバトール、どうしたのです?」


 考え込み始めた彼を見て、心配そうにモリガンが傍らに寄ってくるのを感じたアルバトールは、出陣前の軍議を思い出して即座に手を上げ、近くに来た彼女を制止する。


「……なんだかとても不愉快な気分なんですけど」


「すまない、戦場に立って気がたかぶっているのかもしれない」


 モリガンは口を尖らせつつ、それでもアルバトールに提言をした。


「見たところ、相手は農夫たちが主な構成ですから簡単に打ち破られないように陣を厚めに編成したのでは? それが斜線陣に見えているだけでしょう」


 その意見に完全に納得した訳では無いが、ある程度うなづけるものを感じた彼は、ひとまず眼前の敵に集中することにする。



「クラレンス王に栄光あれ! 全軍突撃!」


「リチャード王に仇を成す無頼漢どもを誅する! 右翼、左翼ともに展開せよ!」



 号令を受け、戦場に集ったお互いの軍の人数、およそ二万人が動き出す。


 地響き、掛け声が地を揺るがして大気を震わせ、それらが戦場に集まった人の肉体と、相手を思いやる感情を粉々に打ち砕いていく。


「よし! 我らも敵の右側側面に回り込むぞ! 見たところ弓も満足に撃てぬ槍を主体とした軍だが、決して油断をするな!」


 アルバトールも掛け声をかけ、布陣が厚めである右側へ兵を回り込ませる。


 人数が多ければ多いほど動きは鈍く、混乱が起きやすくなるためだが、敵の動きが妙に鈍すぎるのが右翼を預かる彼にとって気になり始めていた。


(練度が低い農民だから? それとも陣を厚めにしすぎたから? いや、それだけでは無い何かが)


 敵の動きが鈍い理由を見抜こうと必死に考えるアルバトール。


 だがその時、敵の中から割れた鐘のような、聞きにくく濁った声が響き渡って彼の思考を妨害した。



「あれを見よ! リチャード王の軍勢は、逃げ回って遠くから矢を撃つことしか出来ぬ腰抜け共の集まりよ! このダグザが居る限り、我々は決して負けぬぞ!」



(あれがダグザか……恐ろしいほどの巨漢だ)



 馬に乗っても居ないのに、敵陣から完全に上半身が飛びぬけて見えている。


 顔ははっきりとは見えないが、その逞しい肉体で構える巨大なハンマーは、軽く当たっただけでも大地を割ってしまいそうに見えた。



「ダグザの虚言に構うな! 弩かまえ!」


 無理にアルバトールたちを追おうとしたダグザたちの陣形に乱れが生じる。



「よし、今……何ッ!?」


 それを見て取ったアルバトールがそこに集中して矢を撃ちこませ、敵陣形に入った亀裂をさらに広げようとした瞬間、異変は起こった。



 彼からやや先行していた騎馬隊が姿を消し、代わりにそこには巨大で深い穴が現れていたのだ。

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