第131話 交錯する思惑
棚上げと言う消極的なものではあったが、暗殺者騒動も一応の解決を見た数時間後。
昼からの軍議は、思っていたより遅い時間から始まった。
理由は主役であるリチャード、そしてクー・フーリンが揃って遅れると言う平時であれば糾弾されてもおかしくはない内容のものだったが、議場に揃った列席者は誰一人文句を言うこと無く、静かに開会の宣言を待つ。
だが、それは傍から見れば異常な光景であった。
何故なら遅れて現れた両者が、奇妙なまでに同じ場所――左の頬――を腫れ上がらせていたのだから。
アルバトールは隣に居る貴族にその理由を聞こうとしたものの、咳払い一つする者すらいない、シンと静まり返った議場では聞き出す機会をなかなか見つけ出せず、結局彼は居心地の悪さを感じながら、視線をあちこちへ動かして事態を把握しようとする。
「モリガンとアルバトール殿はこちらへ」
そんなアルバトールへ声をかけてきたのは、ディアン・ケヒトだった。
リチャードを挟み、クー・フーリンの反対側にあたる椅子を手の平で指し示す白い旧神を見たアルバトールは、開会の前にリチャードが何か自分に話しておくことでもあるのかと思い、モリガンと共に素直にそちらへ向かう。
そこには肘掛のついた椅子が置かれており、ディアン・ケヒトがそれを引く姿を見た瞬間、彼は自分が来賓、援軍の立場にあることを思い出し、ヘプルクロシアの会議特有の丸いテーブルの向こうに居る全員の顔を見た後、軽く会釈をすると椅子に座った。
ディアン・ケヒトに椅子を引かせた、特別待遇の代償は何なのだろうな、などという失礼なことを考えながら。
「では、軍議を始める」
さすがに頬を腫らしたままでは喋りにくい為だろうか。
軍議の主役であるクー・フーリンとリチャードの二人は、開会の宣言前にディアン・ケヒトから治療を受けていた。
だがすぐに別の障害が発生し、頬では無い、何か別の箇所からの痛みを堪えるかのように眉間にしわを寄せていたリチャードにより、軍議は一時中断される。
「ディアン・ケヒトよ、カチャカチャうるさいから剣を没収するぞ」
「……」
お気に入りのオモチャを没収された子供のように、未練がましい仕草で剣を見送るディアン・ケヒト。
しかしそれでも彼はリチャードの後ろに立ち、軍議の成り行きを見守っていたのだが、しばらくすると今度は目を血走らせ、落ち着かない様子で爪をかじり、頭を掻きむしり始めたので。
「な、なにをする貴様等ー!」
ディアン・ケヒトは排除され、会議は平穏無事に再開された。
「全員、午前中に配った資料に目を通しているな? まだ見ていない者が居れば、遠慮なく声でも手でも上げてくれ。白旗以外はいくらでも上げてくれて構わんぞ」
冗談半分。
早々に白旗を掲げて諦めるような能無しは不要と言う本音が半分。
そんな口調で告げたリチャードの提言を聞いた何人かが苦笑いを浮かべ、その倍以上の人数が高笑いを発して士気の高さを見せつけていた。
「陛下、では進軍はシュロップ運河沿いに進み、ウォルヴァーン村近くの山あいからバーミリオンへ抜けるルートで?」
貴族の一人がそう確認をすると、リチャードはすぐに頷いて地図に指を置く。
「それが一番安定したルートだからな。だが既にウォルヴァーン村の郊外に、ルーが陣を張ったらしい。流石に打つ手が早いな」
「ですがさしものルーと言えども歩兵を主体とした軍勢では、騎兵を中心に組み立てる我々の軍勢には敗北を喫するしか無いでしょう」
何人かがその意見に同調し、そしてやや年かさの貴族が愚痴めいた意見を口にした。
「騎兵は強力ですが、飼い葉と水の確保が面倒なのと、その両方を確保する為に進軍ルートが狭められるのが欠点ですな、陛下」
「うむ。もしそれらを必要としない馬が現れれば、戦いの様相は一変するだろう」
若干横道にズレ始めた軍議の内容。
しかし不機嫌そうな顔となったクー・フーリンがアルバトールへ一つの質問をしたことにより、話し合う内容は強制的に戦闘の流れへ移される。
「アルバトール殿は軍を率いたことはお有りか」
「騎士団で隊を率いた程度です」
「つまり天使となってからは率いたことが無い、と言うことだな? では説明しよう。都合のいいことにこの場には、天使や我々のような旧神同士が人々を従えて戦うやり方を知らぬ者が多いのでな」
そう言うと、クー・フーリンはチェスに使う幾つかの駒を取り出し、円卓の上に広げられた地図の上に乗せていく。
「このキングの駒が我々、そして周辺にある駒が諸侯や兵たちだ。我々は障壁を張り、加護を兵たちに与えつつ、敵に魔術などで攻撃を仕掛ける。兵たちは我々の力となる信仰心を捧げながら、我々の加護によって得られた力で敵を叩く」
駒を次々と無造作に動かしつつ、クー・フーリンは説明していく。
「要は我々は力となってくれる兵たちを極力守りながら攻撃し、兵たちは信仰心を捧げながら相手の兵と戦わなければならんわけだ。お主たちのような天使は、信仰の為ならば人を殺してもいいと、聖戦を発動する必要があるようだがな」
アルバトールはクー・フーリンの顔を見ないままに頷く。
なぜなら見れば必要のない感情が産まれることは確実だからであり、今は友軍と張り合うような愚行はするべきではなかったからである。
「アルバトール、私たちは今回クー・フーリンのサポートに回りますから、聖戦は発動しなくても結構ですよ」
だがクー・フーリンの説明に対してアルバトールの反応が無かったのを、聖戦を発動した経験が無いことで不安がっていると思ったのだろうか。
モリガンが微笑み、優しい声をアルバトールへかけ始める。
「大丈夫ですよ、経験が無くても私が寄り添って何とかフォローしますから。ですから経験が無くても安心して突き進んでください」
「経験が無い経験が無いって、そう何回も言わなくても……」
むくれてしまったアルバトールを見たモリガンは、何か気に障ることを言ってしまったのかとオロオロし始め、それを見てクー・フーリンは益々不機嫌となる。
「モリガン、今は軍議の最中だぞ。士気を高めたいなら終わってからにしろ」
「は、はい!」
クー・フーリンに構ってもらえたことで(叱責なのだが)至福の表情を浮かべてうっとりとするモリガン。
対してそれを見たクー・フーリンの機嫌は最悪な物となるのだが、その隣にいるリチャードは表情も変えず、平然と諸侯と布陣についての話を始めるのだった。
「で、軍議が終了した後、クー・フーリン殿にたっぷりと絞られたわけですか」
「今朝の件を根に持ってるわけじゃなさそうだったけど、会議中に女と閨の話をするとは何事だって……。今は戦いについて論じる時、愛を語らう時では無い! ってカンカンでさ。こっちは全然そんなつもりは無かったのに」
「ふえぇ!? いつの間に私、アルバトールとそんな仲になったんですか!?」
「こっちが聞きたいよ! 窮地に追い込まれるのは戦いの時だけで十分なのに、何で私生活面でも追い詰められなくちゃならないんだ!」
軍議の後、部屋に戻ったアルバトールは何やらグッタリした様子でベルトラムへと愚痴をこぼし、クー・フーリンに怒られる原因となったモリガンへ恨み節を告げていた。
「あ、あたしそれ知ってるわ! 男のシットって言う奴じゃないの!?」
「ガビー、そう思うんなら今すぐクー・フーリンに聞いてみてくれないか」
「絶対にイヤよ! 言っておくけど、アイツが怖いとかじゃないから絶対に!」
一気にうるさくなった場を見て、ベルトラムは女三人寄れば姦しい、との言葉を思い出す。
この時三人目の女性であるバヤールは、耳を真っ赤にして窓の向こうを見つめていたわけだが。
「ところでアルバ様、コンラッドの処遇はどうなったのです?」
ついに窓の向こうと話し始めたバヤールを不憫に思ったのか、軽い口調でベルトラムが投じた一石は思ったより多くの波紋を彼らの心に立てたようで、即座に全員が静まり返ってしまう。
それでも聞かれた当人であるアルバトールだけは黙っておくわけにもいかず、モリガンの顔を覗き見てから説明を始めた。
「投獄で済んでいる。何しろかけられている嫌疑が国王の暗殺未遂だし、発見された時点で殺されていてもおかしくは無い。一応取り調べと言うか、申し開きをさせてもらえたのは、ひとえにモリガンの神官だからだろう」
「むしろ王や諸侯が居並ぶ前で、申し開きをさせることが目的だった、と言う可能性はありませんか? こちらのメンツを潰すことが、現在の生き甲斐ともなっているような御仁が一人いらっしゃることですし」
育ちがいい故か、人の悪意に鈍いアルバトールはベルトラムの言葉を聞いてハッとし、そしてゆっくりと溜息をついた。
「ああ、それはあるかも知れないね……ああ、なるほど。でもそれを追及してはっきりさせることは難しいし、意味もあまり無いどころか僕たちの立場を悪くする結果にしかならないだろうからやらないよ」
「私としては、アルバ様が留意してくだされば満足でございます」
「それはいいけどさ……ベルトラム、モリガンに謝っておきなさいよ」
ガビーの不満げな声。
それを聞いたベルトラムは、必要なことだったのでと断りを入れつつも、深々とモリガンへ頭を長い間下げ、いつまでも上げようとしないその姿を見たモリガンの赦しを得た後にようやく頭を上げた。
「私は大丈夫ですから。気にしないでくださいベルトラム」
だがその言葉とは裏腹に、コンラッドの話を聞いたモリガンの顔は生来の肌白さだけでは成し得ぬほどに蒼白なものとなっており、その姿を見たガビーはベルトラムへ罵詈雑言を浴びせかけ、へたり込んでしまった彼女を慰める。
それを見たアルバトールは、あくまでそんな考えも出来るだけ、とモリガンを慰めて、少し考える様子を見せた後にまだ窓の外を見ていたバヤールに声をかけた。
「バヤール、夕食の前に少し遠出をしたいから神馬に戻ってくれるかい? ベルトラム、済まないが僕が遠出している間に仮宮に変な動きがないか見ておいてくれ」
主の命に一人が頷き、一頭が頷く。
「ここで変化してくれとは言ってない!」
そしてその命を下した主は、変化したバヤールの足の下からそう叫んだのだった。
その後、警護が厳重である仮宮への偵察を命じられたベルトラムは。
「さて。アルバ様はああ仰ったものの、私一人で仮宮に入り込めるかどうか。おやディアン・ケヒト。ほうほう? 取り上げられた剣を取りに来たと。なるほど、それでは私も一緒に……いえいえ、お構いなく私は全然気にしてませんから」
難なく仮宮への潜入に成功していた。
「まったく、図々しいのが天使の性分なのでしょうかね。それでは剣も受け取ることが出来ましたし、戻るといたしますかね」
「ああ、ディアン・ケヒト。せっかくなので、帰る前に仮宮の中を少し見回ってみたいのですが」
いきなりのベルトラムの申し出に、ディアン・ケヒトは気後れしたように、やや遠慮がちに答える。
「ふむ、とは言っても私はしがない医者の身分」
「王の後ろで佩剣を許される身分のお方が何か?」
「佩剣の特権と、仕事の管轄はまったく別の問題でしょう。私はここの警備を担当している訳ではありませんから、見学をしたいのであれば警備担当の……おや丁度いい。うってつけの人物がこちらに向かっているようですよ、ベルトラム」
「そのようでございますな」
話す二人の廊下の向こうからは不機嫌な様子を隠そうともしない男。
クー・フーリンが彼らに向かって歩いてきていた。
「ディアン・ケヒト、それにベルトラムだったか。ここで何をしている」
「見学でございます。田舎出身でかつ低い身分の私には、このようなきらびやかな場所を見ることは殆ど有りませぬゆえに」
「見たいのは建物だけか? ふん、食えぬ男だ。それにしても」
クー・フーリンはベルトラムの顔を、いや、その髪の毛をじっと見つめる。
「妙に偏った奴だ。頭に得体のしれぬ力を宿しているのか、貴様の力がそこから漏れ出ているのかは知らんがな。何にせよ俺に見つかったのがここで良かったな。もしも王の近くまで忍び寄ることがあれば、問答無用で叩きだすところだったぞ」
「コンラッドのように、ですか?」
一度殺されかけた相手に対し、まるで物怖じせずに言ってのけるベルトラムを見たクー・フーリンは、再びゲイボルグを顕現させる。
「隣にディアン・ケヒトが居たことを感謝するのだな! ……なにッ!?」
ゲイボルグを構えたクー・フーリンとベルトラムの間には、棒とも、槍とも見える形をした炎が立ち塞がっており、それを見たクー・フーリンは大きく飛び退ると、ゲイボルグの先端をベルトラムに向けて慎重に構え直した。
「これは驚いた。軽く衝撃を与えるだけに手加減しておいたとはいえ、このゲイボルグの力をまったく無効化させるとは……昨日の晩餐会の時にも感じたが、最初に会った時の貴様とはまるで別人だな」
「御褒めにあずかり、恐悦至極に存じます。クー・フーリン様」
わざと隙を見せるかのように、頭を下げて折り目正しく一礼をするベルトラム。
その姿をクー・フーリンは苦々しく見つめた後、ここで人外の戦いをするつもりは無いとばかりにゲイボルグを送還し、両手を軽く広げて敵意が無いことを示した。
「では、後は頼みましたよクー・フーリン。彼はここを見学したいようですから」
クー・フーリンがゲイボルグを収めたのを見たディアン・ケヒトは、常人が今のやり取りを見た後では決して出来ないであろう、明るい笑顔を残して去って行く。
苦々しげな顔でその背中を睨み付けていたクー・フーリンだったが、不意にベルトラムへと鋭い視線を向けると一つ溜息をついて腰に手を当て。
「老いぼれめ、俺に厄介事を押し付けおったな……仕方あるまい。今しがた俺のゲイボルグを防いで見せた褒美代わりに案内してやる」
「身に余る光栄」
そして二人の姿は廊下の角の先へと消えていった。
その頃。
ヘプルクロシアへ向かう船の上では、フォルセールからの四人の旅人と一人の幼女……ではなく、旧神が話をしていた。
[あの小僧も隅に置けんのう、こんな可愛らしいお嬢さんが嫁候補とは]
「あ、ありがとうございます……あの、ティアマト様は」
[ティアちゃんじゃ]
「ティアちゃんは、アルバ様と、その……どういったご関係で?」
[また会いたいって言われる程度の仲かのう]
「ンマアアァァァァ……さようでございますかぁぁぁ……」
「やめておけアリア。ティアマトが怯えているではないか」
「あら~、とっても情熱的でいいわね~ウフフ」
「エステル、ワシは泳げないんじゃからしっかり見ておいてくれんかの……」
旅人たちが目指すはアルフォリアン島、ヘプルクロシア王国の王都ベイキングダム。
そこに居ると目される、アデライードへの謁見が彼らの目的である。