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第127話 死を縫いとめる槍

「では、貴女は別に我々に助けて貰いたい訳でも、同行したい訳でも無いと?」


「そうですね。私の望みはこの街からクー・フーリンを見守ることですから」



 夕食を終えた後、部屋に戻って団らんのひと時を過ごしていたアルバトールたちに、モリガンはあっさりと住処である森に帰ると言い出していた。


 彼女と一緒におはじきで遊んでいたガビーはそれを聞いて驚き、モリガンの同行にいい顔をしなかったアルバトールが原因だとばかりに罵詈雑言を浴びせ始める。


 それにうんざりしたアルバトールが直接モリガンに理由を聞いたのだが、どうやら彼の態度が原因ではないようだった。



「彼が一度死んだ時に決めたのです。これ以上深くは関わるまい、と」


「なるほど……とは納得できない者がいるようだ。モリガン、貴女さえよければその理由を聞かせて貰えないだろうか」


 寂し気に言う彼女の顔を見たアルバトールは、詳細を聞いてしまえばおそらくモリガンを連れて行かざるを得なくなるであろうと予感しながらも、ガビーをだしにしてその理由を聞いた。


「昔から私は、不幸の影を纏っていました。私の周囲に居る者たちは常にその不幸の影響を受け、ある者は自分から、ある者は他者から引きはがされ、次々と私から去って行きました。不幸すら受け付けぬ程の力を持っていたクー・フーリン以外は」


「ね、ねぇモリガン? 昔のことを無理して話さなくてもいいと思うんだけど」


「大丈夫ですガビー。遠路はるばる私を助ける為にやってきた貴女方の助力を断るのですから、きちんと理由を説明するのが礼儀でしょう?」


 モリガンが着ているドレスを引っ張り、無理はしなくていいと気づかうガビーに優しく微笑むと、モリガンはガビーを膝の上に抱きかかえて話を続けた。


「ですがご存知の通り、クー・フーリンも敵の策略によってその短い一生を終えました。それが私の纏う不幸が呼んだものかどうかは判りません。ですが奇跡的に蘇った彼を見た時に誓ったのです。彼に関わらず遠くから見守るだけにすると」


「……モリガン。僕が知っている限りでは、クー・フーリンは騎士になれば短命に終わるであろう、と予言されたにも関わらず、その日に敢えて自らの意思で騎士になったはず。決して貴女のせいで早逝したのでは無いと思うんだが」


「その予言が、私と出会う未来を含めて下されたものとすれば?」


 アルバトールは溜息をついた。


 一度こうだと思い込んだものを、翻させることはそう簡単ではない。


 その思い込みを、誰にでも一目で判る形で粉砕しない限りは。



「貴女が僕たちに同行しない理由は判った」


「ちょっとアルバ!? あんたモリガンに一体何をぶむぐぐぐぐ」


 アルバトールは大声を出して暴れ始めたガビーの口を即座に塞ぎ、素早く扉に走り寄って耳を当て、部屋の外の様子をうかがう。


 そして周囲に騒ぎが聞かれてない、つまり彼がモリガンに不埒なことを迫ったと勘違いした者が居ないことを確認した彼は、昼間のパブで余計な騒動に関わったことを後悔しつつ、そのままモリガンの瞳をじっと見つめた。


「だが、貴女は戦士に勝利を約束する女神でもあるはず。昔クー・フーリンが死んだ原因が、貴女が彼の傍に居なかったせいであったとしたらどうする」


「それは……その……」


「自分の目で確かめたくはないのか? クー・フーリンの傍に居るべきか、それともこのまま離れておくべきなのか」


 真っ直ぐに見つめてくるアルバトールの目を見たモリガンは、その視線に自分の心の底まで貫かれたような気持ちになる。


 そして直視し続けることが出来なくなったモリガンは遂に目を伏せ、項垂れ、弱々しく肩を落として本音を語り始めた。


「本当のことを言うと、私も彼の傍に居たい……ですが怖いのです。彼を見ていると、彼を助けられなかった時のことを思い出して。再び私の前から居なくなった時を想像してしまって。今の私には、ここで震えているのが精一杯なのです」


 泣き出しそうになるモリガンの隣に居たガビーは慌てて慰めようとするが、出会って間もないモリガンに言えることを何も思いつかなかったのだろう。


 迷った末にガビーはアルバトールにその役目を引き継いで、とぼとぼとバヤールの傍へ向かい、アルバトールはその姿を見て更に目に力を籠めた。


「だがここで何もせずに待ち、再び彼が戦場に斃れることがあった場合。おそらく貴女は……彼の死に水を取ってやれなかったことを、これまで以上に後悔する」


 その言葉にモリガンは顔を上げ、アルバトールの目を真っ直ぐに見つめ返した。


「クー・フーリンを見るのが怖いのなら支えよう。失うのが怖いのなら彼を守ろう。それが貴女を助けることになるのであれば」


 そのアルバトールの言葉を、バヤールの横で聞いたガビーはパッと顔を明るくすると、急いでモリガンに駆け寄って祝福をするのだった。



(何となく似てるな、ノエルに)


 アルバトールは無邪気な笑顔を浮かべるガビーと、憑き物が落ちたような晴れやかな顔になったモリガンに背中を向け、円卓状のテーブルでワインを飲み始めたベルトラムとバヤールの隣に座る。



「よろしいのですか? アルバ様が戻られる前に、何やらガビーがモリガンに入れ知恵をしていたようですが」


 心配そうに忠告するその口調とは反対に、ベルトラムの顔はこうなることが判っていたと言うような澄ましたものであり、その問いに答えるアルバトールの顔も、しょうがないと言いたげな苦笑が浮かんでいた。


「女性の涙を打ち負かせる騎士はいないからね。それに僕の性格に付け込んだ頼みごとをしてくる人物は、王都で既に経験済みだよ」


「なるほど」


 ベルトラムは相槌をうった後に席を立つと、アルバトールの為に新しいグラスを一つ持ってきてワインを注ぎ、乾杯の言葉を口にした。


「若き二人の前途に」


「……まぁ君が言う分には間違っていないのかな」


「いいえ、この乾杯はアルバ様とアデライード様お二人の為のものですが」


 それを聞いたアルバトールは咳込んだ後に一気にワインを飲み干し、ベッドに潜り込むのだった。



 モリガンの同行が決まった次の日の朝。


 朝食を終え、チェレスタに向かうべくレクサールの街を出たアルバトールたちは、そこで思いもよらぬ人物に会う。



「首尾よく同行できることになったようですなモリガン様。では参りますか」


「あれ? 君はコンラッド?」


「はい。モリガン神を信奉する神官として御同行させて頂きます」


「え? 神官? でも昨日は衛兵たちの隊長で、おまけにずっとモリガンの面倒を見る羽目になるとかなんとか言って迷惑がっていたような?」


「我々は迷惑ですが、私個人としては仕方がないと思っております。では参りましょうか、アルバトール様」


「う、うん……? あれ?」



 旅の総勢を六人に増やしたアルバトールたちは、一路チェレスタへと向かった。


 その姿を、陰からこっそりと見つめる旧神二人に見送られながら。



[あらあらうふふ。色々と画策した割には、あっさりと天使たちをチェレスタに送り出しますのねお姉様]


[ノリがいいなぁ。もう普段の姿に戻ってるんだから、お芝居はしなくてもいいよバアル=ゼブル]


[ケッ、色々とさせられた割りには成果が無かったから、お前さんに一言二言嫌味を言いたかっただけだ。勘違いすんな]


[ああ、好きな子に嫌がらせをしたいってアレだね。君もようやくボクと同じ高みに登ってこれたか……感無量だよ]


[絶対に違うからな!]


 ムキになって反論するバアル=ゼブルを見てアスタロトはニタリと笑うと、小さくなっていくアルバトールの背中へ顔を向け、不思議そうに呟いた。


[まぁ、これは予想外だったね。レクサールで情報を集めていけば、ボクが告げた占いの結果が本当の物と判ったはず」


 アスタロトは首を傾げ、こうなった原因と見られる昨日の騒ぎを思い出す。


[敵対する旧神が自分に真実を告げる。その互いに相反する矛盾を突き詰めようとして色々と考え込み、見当はずれの行動で時間を無駄にし、疑心暗鬼になって自滅して行く所を見物……じゃなかった、その間にダメ押しの一手を画策しようとしてたのに]


 まぁこれで終わりじゃないから、と拗ねたように口を尖らせ、ブツブツ愚痴をこぼすアスタロトを見たバアル=ゼブルはニヤリと笑い、姿が見えなくなった天使の行く先を見つめて一人ごちた。


[策士、策に溺れる、か……今回そいつはどっちに相応しいのかねぇ。ヘッ、まったく面白い奴だぜ、あのボウヤはよ]


 喜びを隠しきれずに呟くバアル=ゼブル。


 それを見たアスタロトもまた、昏い笑みを浮かべて彼に言うのであった。


[本当にそっちのケに目覚めてないだろうね。これも全部君の為にやってるんだよ]


[だから目覚めてないって言ってんだろ! 真面目な顔をして言うなよ怖いから!]


 一瞬の後に風が吹き、その後に残ったのは微かな言霊の余韻。


 そして旧神の残した一粒の冷や汗の跡だった。




 一方、冷や汗を流していた旧神とは打って変わり、チェレスタに出発したアルバトールたちは平穏無事に、かつ複数が乗れる神馬バヤールのお陰もあってかなりの速さで旅を続け、昼前には周囲を頑丈な城壁に包まれた城郭都市チェレスタに到着する。


 モリガンが同行しているからか、あるいはコンラッドの顔を見知っている者が居たのか、彼らは入城の手続きを必要とせず、真っ直ぐに城郭の中心部である内郭へと足を運ぶことができ、あっさりとクー・フーリン、そして先王と謁見していた。



「ほう、貴殿が名高きトール家の嫡男殿か。俺の名はクー・フーリン。もう番犬の代わりとして警護にあたる約束は免除されているのだが、こちらの方が通りが良いのでな、そのまま名乗らせてもらっている」


「高名、高潔であらせられるクー・フーリン殿にそこまで評されてもらえるとは光栄の極み。父も喜ぶことでしょう」


「気にする必要は無い。我らに助力する正義を理解している優秀な方に、称賛を惜しまぬのは当然のことだからな」


(……高慢な男だな)


 アルバトールがクー・フーリンを見た最初の印象はそれだった。



(僕が子供の頃に聞いた話とはまるで違う印象だ。仁義礼智信のすべてを兼ね備えた、まさに騎士の模範とも言うべき英雄クー・フーリン……蘇ってより以前の彼とは別人のようになってしまったとは聞いたが、ここまで変わるものなのか?)


 ヘプルクロシア随一の英雄とも称される、クー・フーリンの逸話について考えていたアルバトールは、仮の玉座に座る先王リチャードが喋り始めたのに気付き、慌ててそちらの方へ顔を向ける。



 年齢は三十代半ばだろうか。


 人を安心させる、温和ながらもなかなかに整った顔立ち。


 そして広間の隅々まで通る張りのある声をリチャードは持っていたが、先にクー・フーリンを見てしまった後では、流石に見劣りするように感じられた。



(似てないな)


 その先王リチャードに対するアルバトールの第一印象はそれである。


 異母兄弟であったとしても、クラレンスの兄であればもう少し彼の面影があっても良さそうなものだがと考え、アルバトールはクラレンスの顔を思い出す。


(いつも張り詰めたような雰囲気を周囲に発し、不機嫌な顔立ちをしていた……そう言えば僕が騎士の修行で王都に居た時に、街をお忍びで視察していたシルヴェール陛下を偶然見かけた時、陛下も同じような顔をしていたな)



 アルバトールが思い出に浸っている間に、リチャードの労をねぎらう言葉も終わる。


 そして夕方までゆっくりしてほしいと、ひとまず退出を命じられた彼らだったが、そこにガビーが余計な口を挟み、ちょっとした騒動が巻き起こることとなる。



「ちょっとクー・フーリン! あんた見知った顔であるモリガンに一言も声をかけないってのは人としてどうなの!」


「公用と私用は別だろう。もっとも権力や武力に従わないことを楽しみ、とうとう逆らうことを趣味とされるようになった聖職者たちには関係の無い常識だったかな?」


「何ですってえ!」


「やめろガビー! どうしたんだ普段の君らしくもない!」



 不服の意を示し、クー・フーリンに詰め寄ろうとするガビーを見たアルバトールはその前に立ちはだかり、押し留めようとする。


 しかしリチャードの隣に立つクー・フーリンに詰め寄ることは、見る者によってはリチャードを害しようとも見えるもの。


 だがそれを考えに入れたとしても、クー・フーリンのガビーへの対応は過剰と言うより異常に属する物だった。



「王の御前で騒ぎを起こすとは、いかに聖職者殿とは言え許しがたき罪。死を以って償って頂こう」


 クー・フーリンが口にした内容にその場に集った全員が驚愕し、続いて呼び出した槍を見たモリガンが悲鳴を上げた。


「ゲイボルグ……! やめて下さい! クー・フーリン!」


 その懇願に対し、クー・フーリンはモリガンの方を見ることすらせず、槍の穂先をガビーに向けて突き出す。


「危ないアルバ様! ガビー! 伏せ……ぐぬッ!?」



 その刹那、主の危機と見たベルトラムが、クー・フーリンとアルバトールの間に割って入る。



 だがその代償は大きかった。


 ベルトラムは胸を抑えて倒れこみ、苦悶の表情で全身に脂汗を浮かべ、その口からは耐えきれぬ苦痛が漏れ始めていた。


「どうしたんだベルトラム! しっかりしてくれ!」


 アルバトールは瞬時にベルトラムの解析を始め、そして程なくクー・フーリンを睨み付けた。


 彼らから十メートルは離れた所から、こちらに向かって槍の穂先を突き出したままのクー・フーリンを。



「やめいクー・フーリン! 客人に対して失礼であろう!」



 だが全員が動きを止めた広間に、巨大と表現するに相応しいとすら感じられる大声が響き渡り、凍り付いた空気を一撃の下に粉砕する。


 そのお陰とも言えるだろうか。


 同時にベルトラムの苦痛も消えたようで、彼は先ほどまでのか細い笛の音のような呼吸から、次第に緩やかな深い呼吸へと変わっていった。


「失礼しました王よ。しかしこれで彼らも判ったかと。どちらが上で、どちらが従うべき立場にあるのかと言うことを」


 うやうやしく、それでいて嫌味たらしく頭を王に下げたクー・フーリンは、モリガンを蔑んだ目で睨みつけ、言葉を吐きすてる。



「今更何をしに来た。昔ならいざ知らず、今の貴様は邪魔にしかならん。早々にどこかへ逃げ去るがいい」



 そう彼女に言い終わると同時に、クー・フーリンはカーテンの影に消える。


 彼を睨み付けたままだったアルバトールは、その後ろ姿に不穏な影の一筋を見た気がしたが、彼が気付いた瞬間、それは既に消えさっていた。


(気のせいか? しかしあれはどこかで……)


 だがアルバトールはそこで、苦痛で気を失っていたベルトラムが意識を取り戻したことに気付き、クー・フーリンからベルトラムの方へと視線を変える。



 そしてカーテンの影に姿を消したクー・フーリンは、体から飛び出た影に気付いてすぐにそれをしまいこむ。


 ダークマターと呼ばれる、その影を。

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