第126話 災いを呼ぶ女神
それは不幸な事故だった。
「何の騒ぎですか貴方たち! 主格の身柄を確保次第、撤収と言ったはずですよ!」
アルバトールが起こした爆発音を聞き、何が起こったのかと飛行術で急いで駆けつけてくるモリガン。
牧師が逃げた時に備えて衛兵たちとは別の場所に居たのか、彼女が近づいてくる方向はアルバトールや衛兵が来た方角から反対側であり。
「え? なになに? も、もう大丈夫……ぷきゅうっ!?」
「ちょっ! あぶっ!? きゃああああ!?」
そこには先ほどアルバトールが引き起こした爆発音に驚き、地に伏せたガビーがうずくまったままだった。
「……不幸な事故だったね」
「さようでございますな」
「我が主、それではガビーを回収してまいります」
そして新たな爆発が起きないことで安心したのか、いきなりその場に立ち上がったガビーに飛んできたモリガンがぶつかり、二人は仲良くもつれながら吹き飛んでいくと、先ほどまで集会に使われていた大木にぶつかって若葉を紙吹雪のように散らした。
「見世物じゃないぞ! はいはい散った散った!」
そしてその場に居合わせた衛兵たちはその惨状を見てもまったく動じず、なぜか手慣れた様子で辻説法に集った人々――野次馬に解散を命じていったのだった。
「最初に言ったではありませんか! 女神様が動くとロクなことにならないと!」
「ごめんなさいごめんなさい! でも先ほどのような音がしたら、気にならない方がおかしいじゃないですか!?」
「我々の身などより、女神様が動くことによる犠牲の方を先にお考えください!」
「ふええぇ!?」
衛兵の一人に叱られているのは、戦士に勝利をもたらすとされる戦女神モリガン。
彼女は先ほど、さしもの大木すら折れるのではないかと思われるほどの、かなりの勢いで幹の部分にぶつかったのだが、そこはさすが戦女神。
その衝撃をモノともせず、すぐに立ち上がったのだが、そこに近づいていった衛兵の隊長と見られる男に小言を言われ、すっかりしょげ返っていた。
「だってではありませんガビー。そもそも貴女には覚悟と言うものが皆無です。いいですか……」
そしてガビーもまた同じく、先ほどの爆発音で衛兵が怯んだ隙に牧師へ駆けよらず、その場でうずくまってしまったことについてベルトラムにお説教をされている。
ガビーも反論はしたものの、本来であれば彼女は天軍の副官であり、戦いに於いて先陣を切ってもおかしくない立場である。
よって反論した直後にその十倍ほどの指導をベルトラムより受け、彼女は今にも泣きだしそうな顔になっていた。
(うーん……世の中はままならぬものとは言っても、これはひどい)
そんなとても偉い立場、と言うか人間にとって雲の上の存在である二人が、揃って人間に(ベルトラムは元天使だが)お説教をされている姿を見たアルバトールは世の中の不条理を嘆き、だが自分は関係ないとばかりに衛兵に牧師と集会について話を聞く。
「僕は聖テイレシア王国フォルセール領を治める、トール家嫡男のアルバトールだ」
アルバトールは速やかな状況の説明を求める為に敢えて自らの身分を衛兵に明かし、更に衛兵たちに高圧的な態度をとることで相手に余計な抗弁をさせないようにしたのだが、それは思った以上の効果を上げたようだった。
「こ、これは存じなかったとは言え失礼を! 実は最近、この辺りに説法を装って不穏な噂を流す輩がおりまして、その警戒に当たっていた所なのでございます!」
「不穏な噂?」
「それが、その……我々の口からはちょっと……」
彼が聞いてもいない範囲の情報、つまり不穏な噂についてアルバトールが聞こうとすると、途端に衛兵は困惑した表情になって口を閉ざしてしまうが、すぐに確信に満ちた表情で口を開く。
「で、ですが! 聖テイレシア王国内に於いて、幾度の魔族との戦いに勝利を収めたアルバトール殿の信義を、我々は信じております!」
熱に浮かされたような衛兵の言葉を聞いたアルバトールは、噂の内容についてある程度の確証をもった推論を立てる。
(内容を口にすれば、僕を信用していないと受け取られかねない、と言った所か。僕が先王に味方すると見せかけて、実は裏切る予定だとかそんな内容かな? 陳腐な流言だが、僕たちが絶対に裏切らないと言う身の証を立てられない以上、実に有用だ)
加えてアデライードがルーの手にある以上、現王側は彼女の身を好きなように交渉に使えるのだ。
例えばアルバトールに、こちら側に裏切れとそそのかすことなども。
(もしもルーがアデライード王女を表だって交渉のカードに使ってくれば、僕たちの身の安全の保証は殆ど無いに等しい。かと言ってルーの狙いが判らない以上、無条件に王都ベイキングダムに行くのも自殺行為か……何やら複雑な事情になってきたな)
難しい顔で黙り込んだアルバトールを見た衛兵は、自分が何か機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのかと蒼白な顔になって様子を伺うが、アルバトールがそれに気づく様子は無い。
「天使よ、この者に何をしたのですか? 可哀想に、こんなに怯えてしまっているではありませんか」
戦場に落ちる不吉な影の色のような長い灰色の髪を膝ほどまで伸ばし、真紅のドレスにマントを羽織ったモリガンが近づいていることにも。
「え? ああ……申し訳ない。少し考えごとをしていただけなんだが、返事をしなかったせいで余計な疑念を抱かせてしまったみたいだ」
モリガンに声をかけられ、考え事を中断したアルバトールは慌てて衛兵に謝罪をすると、声をかけてきたモリガンへ顔を向けてここまで来た要件を伝えた。
「戦女神モリガン。港町ローレ・ライでアガートラームに貴女を助けるように頼まれたのだが、僕たちは何をしたらいいんだろう?」
「え?」
だが、それを聞いたモリガンは何のことか判らない、と目をぱちくりとさせてしばしキョトンとした後、アルバトールへ誤魔化すような笑みを浮かべると視線を逸らして、必死に何かを思い出そうとする。
その様子を見たアルバトールは、ひょっとするとアガートラームも魔族とグルなのかと疑うが、その疑念は彼の予想もしなかった所から払われることとなった。
「アルバトール様、アルバトール様」
耳を澄ましてようやく聞こえる、そのような小さな声が背後から聞こえてくることに気付いたアルバトールは、彼に背中を向けて考え込むモリガンを一瞥した後に後ろへと振り返る。
そこには先ほどモリガンに矢継ぎ早に小言を投げつけ、彼女をへこませてしまった衛兵の隊長がいた。
「お話し中申し訳ございません。私はこのレクサールの警護を担当しているコンラッドと申す者、以後お見知りおきを」
「何か用かな?」
「実はアガートラーム様にモリガン様への助力を要請したのは、我々なのです」
「ふむ……どうしてまたそのようなことを?」
当然の問いに隊長は顔を歪め、答えを渋る。
だがアルバトールの背後から女性の短い悲鳴が上がると同時に、その重い口は開かれることとなった。
「アルバトール様は、モリガン様が災いを呼ぶ女神、とも呼ばれていることはご存知でしょうか?」
「知っているが、それは彼女が戦場に於いて、凶兆であるカラスに変化することから発せられたデマではないのか?」
アルバトールはコンラッドにそう答えると、先ほどの悲鳴がモリガンのものであることを心配して後ろを向くと、そこには彼女の足元にいきなり開いた穴に足を取られて転倒し、ドレスの裾がめくれあがってしまったモリガンがいた。
「これは失礼」
アルバトールは露わになった淑女の脚を見てしまったことを短く謝罪すると、何事も無かったように隊長の方へ視線を戻す。
「……顔が真っ赤ですが、大丈夫でございますか?」
「問題ない、続きを頼む」
気遣う様子を見せる隊長にひきつった笑顔を浮かべ、アルバトールは話の続きをするように促した。
「災いを呼ぶと申しますが、その実はもっぱらモリガン様に降りかかった災難が周囲に影響を及ぼした物。先ほどお仲間の子供にぶつかったことや、モリガン様の足元にいきなり原因不明の穴が開き、転倒したことからもお判りでしょう」
「なるほど」(ガビーに関してはいつものように感じるけど言わないでおこう)
もっともらしく頷きながら、腹の底では別のことを考えるアルバトールにコンラッドは頭を下げ、懇願を始める。
「お願いでございます! どうかモリガン様に同行の許可を! 主人公に与えられる主の加護とやらをモリガン様にもお与えくださいませ! このままではクー・フーリン様に世話を押し付けられた我々が、ずっとモリガン様の面倒を見る羽目になってしまいます!」
「……少しは誤魔化すなり、言い方を変えるなりした方がいいと思うけど」
「そんな余裕は最早我々にはありませぬ! どうか慈悲を!」
「考えさせてくれないか」
渋るアルバトールを無視してコンラッドは詰め寄る。
「しかし噂では先王やクー・フーリン様に味方して頂けると!」
「噂ではそうなっているみたいだね」
「おや? ですが先ほどモリガン様に僕たちは何をしたらいいんだろうとお聞きになっておられましたよね?」
「……」
(なんでこんな成り行きで自分で自分の首を絞める羽目になってんの!? 噂さえ無ければまだ言い逃れも出来たのに!)
思いもよらない展開により、アルバトールは自分がアガートラームに流させた噂で自分の墓穴を掘ることになった我が身を嘆き、頭を抱える。
また実はこの時、アルバトールの背後では転倒したモリガンをガビーが介抱していたのだが、彼はコンラッドと熱く議論を交わしていたので、と言うよりコンラッドがアルバトールに気付かせまいと熱い議論に持ち込んだので、ひそかに女神と天使の友情が成立したことに気付いていない。
「……致し方ございません。騒ぎに巻き込んでしまったお詫びとして、戦場の勝利を約束すると言われるモリガン様の御同行を涙を呑んで認め……」
「それ押し付けてるだけだろ! 言い方を変えろとは言ったけどここで変えるな!」
数分後。
「それじゃアルバー、先に宿に戻ってるわよー」
「コンラッド隊長! それでは我々は他の任務に戻ります!」
交渉が終わらないことにしびれを切らした衛兵たちと、ガビーの双方から二人に声がかけられ、各々がその場を後にする。
アルバトールとコンラッドは脇から聞こえてきたそれぞれの呼びかけに生返事を返すと、お互いに食い下がる相手を何とか説き伏せようと全力を尽くし。
そして夕方。
「わ、判りました……それでは今日はこれで一旦引き上げることにします。念のために牧師については詐称の取り調べをさせて頂きますが、無事に返すことをお約束します」
「ふう、判ってくれて嬉しいよ。それじゃあね」
ようやく納得してくれたコンラッドを見送ったアルバトールは、頭上を舞う数羽のカラスの鳴き声に見送られたことに嫌な予感をさせながら宿に帰っていく。
「あら、お帰りなさいアルバトールさん」
「遅かったわねーアルバ」
「……うん、何となく判ってた」
案の定、宿の部屋にはガビーと仲良く談笑するモリガンがおり、それに力ない笑みを浮かべるとアルバトールは遠い目で西に沈む太陽を見送る。
「夕日が……目に沁みるぜ……」
「アルバー、夕日はまだいいけど、日中の太陽を直接見たら目を傷めるからねー……ちょ、ちょっと! 何であんた泣いてるの!? 大丈夫? どっか痛いの!?」
(心が痛い)
アルバトールはそう叫びたい気持ちを胸の中にしまうと、彼を心配するガビーに軽く手を振り、ベッドに横になると壁と対話を始めるのだった。