第125話 大きな木の下で
アスタロトに聞いた占いの内容。
(姫の家系が持つ特有の力……か)
その中身を考えながらアルバトールが宿に戻ると、建物の前には彼の帰りが遅いことを心配してかバヤールが思い悩んだ表情で立っており、戻ってきたアルバトールの顔を見た途端、血相を変えて飛んでくる。
長身であるはずのアルバトールから見ても頭二つほど抜けている彼女が、戻ってきた彼らを見るなり土煙を上げながら突進してくる様は、なかなかに壮観だった。
言うなれば、まるで闘牛士が牛に吹き飛ばされる瞬間のように。
そして吹き飛ばされ、壮観な風景の一部を成す役目を終えたアルバトールは、自分に何が起こったのか判らないままに宿のベッドで目を覚ましたのだった。
「なるほど、バアル=ゼブルを取り逃がしてしまわれましたか。嫌な予感はしていましたが、アスタロトまで一緒に居たとなれば致し方ありますまい」
「初めて会うタイプの相手だったよ。術で幻惑されていたとは言え、こちらが掴みかかればするりと手を抜け、術を撃とうとした時には既にその場に居ない。まるで霞を相手にしているようだった。ところで何で僕はベッドの上に?」
隣から聞こえてくる、術って言うか色仕掛けよねー、とのガビーの嫌味を右から左へ聞き流し、アルバトールは宿の前で途切れた記憶に関する詳細をベルトラムに問うが、それに答えたのはバヤールであった。
「実は私が下で我が主の帰りをお待ちしていた所、お戻りになられた我が主の目が正体を無くしていたように見えましたので、少々手荒いとは思いましたが体当たりによるショック療法を」
「そうか、僕は君に吹き飛ばされて……いや、最初に手荒いと思ったんなら、まず僕が正気かどうか聞いてからショック療法を試してくれよ!」
とは言ってはみたものの、自分も考えごとをして周囲に注意を払っていなかった点を思うと、バヤールばかり責める訳にもいかなかった。
とりあえずアルバトールは、アスタロトの占いの内容をベルトラムとバヤールにも話し、その意味について聞いてみるが、二人から返ってきた答えはやはりと言うか、芳しい物では無かった。
だが、それを聞いてもアルバトールは占いの内容を切り捨てられないように見える。
「アルバー? ねーちょっと聞いてる? ……あーもう!」
反応が無いことに痺れを切らしたガビーがベッドの上で何度も跳ね、そこでようやく彼を気遣う周囲の視線に気付いたことからも、それは明らかだった。
「アルバ、あたしもベルトラムやバヤールと意見は一緒よ。それでもあんたはアスタロトの占いの内容を信じるわけ?」
「信じるでは無く、信じたい、なのではありませんか? アルバ様」
ガビーの苦言に続き、気遣うような発言をしたベルトラムにアルバトールは軽く頷いて、その考えに同意する様子を見せる。
だが、彼の口から出た言葉は違うものだった。
「アスタロトは簡単に逃げおおせる機会を無視して、自分たちの正体がバレることも恐れずに占いの結果を告げた。その真意は何だ? と思ってね。ひょっとすると、占いの結果そのものは事実なのかもしれない。それを聞かせる狙いは別としてね」
「うー? 良く判んないけど、狙いって何が考えられるのよ」
ベッドの上にうつ伏せになり、行儀悪く足をぱたぱたさせながら質問をするガビーを見てベルトラムは眉をひそめ、アルバトールは苦笑し、バヤールは主のベッドで暴れるガビーを摘み上げて離れていく。
「自分たちが暗躍する為の時間稼ぎかな? 僕たちがアガートラームの願いを放棄して、王都に行くことを望んでいるなど、考えられることは他にもあるけど、一番考えられるのは占いについて僕たちが悩むことを目的とした時間稼ぎだと思う」
「じゃあ、これからどうするの?」
バヤールの指にぶら下がったガビーは顔をしかめ、どこにも体を支える物が存在しない空中に浮かんだ自分の身を不安がりながら、アルバトールにこれからの自分たちの去就を聞くが、その答えは彼女が予想だにしなかった物だった。
「占いがあったこと自体を忘れちゃおう」
その答えに、ガビーはあんぐりと口を開け、ベルトラムは感嘆の声を上げ、バヤールは腕を組んで考え込もうとした瞬間にガビーの首を脇に締めこんだことに気付き、慌てて肩の上に彼女を避難させた。
「悩んでも判らないし、判らない問題にこだわって無駄に時間を浪費してもしょうがない。だから判る問題から解くことにしようか」
「判る問題とは?」
涼やかな笑みを浮かべ、興味深そうに顔を覗き込んでくるベルトラムに笑顔を返し、アルバトールは自信ありげに方針を告げる。
「魔族が近寄ろうと思わない場所であり、そこに従事する人たちの立場が民衆に近く、世俗のことは何も分からない、知らないと言ったように見せかけて、実は情報収集を欠かさない組織。教会に行って問題を解決するとしようか」
そう自信満々に告げるとアルバトールは先頭に立って部屋を出ていき、それを見たガビーが慌てて後を追いかけ。
「え? レクサールには教会無いわよ?」
そう告げた瞬間階段の方からは、けたたましい音が聞こえてきたのであった。
再びアルバトールはベッドの上で目覚め、体のあちこちから聞こえてくる傷の悲鳴に頭の中を掻き乱される。
「そうか、僕は階段から転げ落ちて……」
転倒による自傷行為。
それは彼が先ほどバヤールに吹き飛ばされた傷より遥かに浅い物だったが、天使の自己回復が働かないことによるデメリットは思った以上の物のようだった。
「なので回復を頼むよガビー」
「嫌よ。エロ巫女に発情するような天使に近づいたら子供が出来ちゃいそうだし」
「じゃあ自分でやるか」
「え」
「え」
不満げな顔から不満げな顔へ。
何となくそう感じさせる微妙な表情の変化を見せるガビーの横で、アルバトールは柔らかい光に全身を包んで治療をする。
「そう言えばガビー、こっちに教会が無いと言うのは?」
何かを耐えるように爪を噛んでいたガビーは、アルバトールが発したその質問に更なるイライラを感じたようだったが、彼女は何とかプクッと頬を膨らませるだけでその怒りを収めたようで、そのままアルバトールに説明を始める。
「簡単よ。こっちにはまだあたしたちの教えが浸透してないから、信仰の対象である教会が建ってないってだけ。一つ建てるだけでもかなりのお金や人手、期間が必要だから教会ってのは凄く貴重な物なの。だから教会や神殿の数、もしくは規模は、その地に於ける信仰の勢力図をそのまま表すと言っていいわ」
「面倒な話だね」
「あたしたちの教えが世界を満たせば、そんな面倒も無くなるわよ」
話す間に機嫌が良くなったのか、ガビーは胸を張って得意気に言うが、逆にアルバトールは彼女が発した言葉に複雑な思いを抱き、陰鬱な気持ちになっていた。
だが、今は彼女と議論をしている場合では無い。
「となると、教会から情報を得ることは出来ないか……これと言った対策が無いままに乗り込むのは怖いけど、今日はここに泊まって、明日チェレスタに行こうか」
「それなんだけど、必要なのは情報であって、教会と言う施設じゃないわよね?」
意味深にいうガビーの顔を見たアルバトールは、彼女が簡単に喋りそうもないことに勘付いて他の者の意見を聞こうとするが、そこにはベルトラムもバヤールの姿も無く、部屋の中に居るのは彼ら二人だけだった。
「じゃあ行くわよ。運がいいわね、丁度今ベルトラムとバヤールから、お目当てのものが見つかったって連絡があった所よ」
自信満々に言う彼女の顔を見たアルバトールは、底知れなく嫌な予感を抱く。
それでもベルトラムに関しては全幅の信頼を置く彼は、ガビーに手を引っ張られ、よろめきながら宿を出たのであった。
「なーるほどね、教会は無くても信者が皆無と言う訳じゃないか」
「そ。ローレ・ライと違って、こっちは辻説法が主な布教手段なのよ」
アルバトールとガビーの目の前では牧師と見られる男性が、体全体をすっぽりと黒い服で包んで見慣れた十字架を胸に下げ、頭頂部を剃り上げた光り輝く頭で、大きな木の下に集った人々に彼が幼い頃から何度も聞かされてきた一説を口にしていた。
(殺すな、奪うな、汚すな、か)
自分を含め、人間や生命を持つ者たちを殺すな。
他者の所持物や思い出を奪うな。
周囲の環境や自他の名誉を汚すな。
今までも、これからも守られることは無いと断言できる理想を唱える聖職者。
数年前まで彼らを偽善者だと、内心であざけっていたことを思い出してアルバトールは苦笑する。
(無駄だと分かっていても、やらないよりはやった方がいい。何も変わらないように見えても少しずつ前に進んでいることを信じ、人は理想を広めていく……)
ふと気づけば、説法を聞いている集団の中から隠そうとしても隠しきれない巨体、つまりバヤールが生えており、それを目印に見てみると、隣には子供を見守る親のような表情で牧師を見つめるベルトラムが居た。
(あんな嬉しそうな顔をするベルトラムは、今までに見たことが無い食材や、貴重な食材を見つけた時くらいだな)
何か縁がある人なのだろうか。
そう考えた瞬間、アルバトールは遠くから物騒な気配を持つ数人の集団がこちらに近づいていることに気付き、即座に隣にいるガビーに警告を発すると、説法を聞いている二人にも伝えるように言う。
非常時に情報収集をする者は、国や領地を治める者に間者の疑いをもたれて真っ先に取り調べられる。
その危険性を十分に知っており、慎重に行動してきたアルバトールであったが、来てほしくは無い、最悪の中でも最も最悪のタイミングで追及の手が伸びて来たことは、少なからず彼を後悔させた。
(彼らを巻き込みたくはない……移動してこちらから迎え撃つ? いや、いたずらに騒ぎを起こすことは好ましくない)
もし捕えられたとしても、自分の力であれば余裕を以って抜け出せる。
そう考えたアルバトールは、馬に乗って猛スピードで彼に近づいてくる、衛兵と見られる集団が警戒心を持たぬように、ゆっくりと歩き出す。
だが武装した衛兵たちは彼に脇目もふらずにその隣を駆け抜けていき、木の下に集う人々の方へまっしぐらに向かって行った。
(しまった! こいつらの目的は僕では無く、集会を邪魔することか!)
彼が慌てて振り返った時には、既に衛兵の姿を見た集団から金切り声が上がり、時をおかずに先ほどまで明朗な声で語っていた牧師と見られる苦痛の声と、解散を命じる衛兵たちの怒声が聞こえてくる。
慌ててアルバトールは駆け出しながら仲間の安全を確認するが、既に彼らは集団から離れた所に移動し、騒ぎの中心になっている牧師を見ていた。
今にも衛兵たちを蹴散らそうとせんばかりの、厳しい表情をしながら。
(ま、それが当然とも言えるけど)
アルバトールは衛兵と民が入り混じった集団を冷静な目で見つめ、衛兵たちが民に対して特に怪我をさせようとしていないことを確認すると、その場を収める為の術を演算、調整して、安定させた物を具現化――行使――する。
「うわああああ!?」
「なんだ!?」
「僭王軍の攻撃か!?」
いきなりその場に鳴り響いた激しい空気の振動を伴う轟音。
つまり爆発音により、衛兵はともかく民衆たちは一気に狂騒状態に陥る。
そしてその混乱状態に乗じたベルトラムが牧師の身の安全を確保したのを確認すると、アルバトールは声を張り上げて今のが術の暴発であったことを全員に伝えた。
(後は口先三寸で言いなだめれば解決、っと)
そう考えていたアルバトールは、爆発音を聞いて更に近づいて来る人影によって、その思惑がまるで違った方向に導かれることをこの時点では知らなかった。
飛行術で急速に彼らに近づきつつある、灰色の髪を持つ女性の人影。
それは戦場の三姉妹を束ねる長女モリガンであった。