第124話 神聖娼婦のヒミツ
「マスター! この辺りで青い髪をした……遅かったか」
いきなり店の中に飛び込んできた客を見て、驚いた顔をしつつも首を振るマスターを見て、アルバトールは唇を噛む。
なぜなら天使の眼で見たマスターには、精神の働きに干渉する精霊が纏わりついており、しかもそれは彼の力では解除できないほど精緻なものだったのだ。
だがアルバトールは旧神の気配をまだ肌で感じており、彼らがまだこの近くに居るのではないか、と考えて横に居るガビーに確認を取る。
「ガビー、確かにこの辺りにバアル=ゼブルは居るんだな?」
「うん。ついさっきまではっきりとした気配を感じたし、間違いないわ」
そしてガビーから確信に満ちた返事が返って来ると同時に、彼はパブの中を見渡して昼食をとっている客の顔を一人一人確かめ始め、すぐにその中で二人、明らかに常人とは違った力を持つ者が居ることを見抜く。
その二人組が座っているテーブルに近づいたアルバトールは、食事中すまないと断ってから少し話をしたいのだがと切り出し、そのまま相手の返答を待つが、椅子に座る二人を見るその目は既に落胆の色を隠せないものだった。
(まるで違う顔、と言うより……二人とも女性か? それにこの露出の高い服装は)
自分たちが王都でやったように、旧神たちが変装している可能性を考えてはみたものの、顔つきはともかく、体つきまではそうそう変えられる物では無い。
もし彼女たちが砂漠民のようにベールやローブですっぽり顔や体を覆い、体のラインを隠しているならまだ疑いもしただろう。
だが二人とも顔は普通に露出しているし、薄衣の下に透けて見えるシャツからすらりと伸びた腕や、短めのスカートから出ている艶めかしい脚の肌の色も、旧神の白い肌とは違って日に焼けており、顔に若干かかっている長い髪の色も黒かった。
「占い? それともあっちのお相手?」
女性たちは初対面の、しかも近づいてくるなり話があると唐突に言ってきたアルバトールを恐れる様子も無く、それどころかくすりと笑いながら色目を使ってくる。
アルバトールは体を少し引くことで拒絶の意思を示すと、念のためと言った感じで彼女たちの正体について聞き始める。
「君たちは魔女か?」
「いいえ、私たちは巫女よ。占いの他に儀式としての性交渉を生業とする、ね」
アルバトールは彼女たちの自己紹介を聞き、巫女であれば力を持っているのも当たり前か、とひとまず納得する。
同時にアーカイブの情報からメディウムについて調べた彼は、本物の巫女かどうかを看破する為に占いを依頼しようと思いついていた。
なぜなら性交渉を生業とする巫女、つまり神聖娼婦職は、発祥の地とされる東方の地や南方の大陸ですら、とうの昔に絶えて久しい。
その上ここはアルメトラ大陸から更に西の海を越えたアルフォリアン島となれば、彼女たちがここに居ること自体が妙であるからだった。
「旧神バアル=ゼブル、そして堕天使アスタロト。この二人の所在を知りたいんだけど出来るかい? おそらく君たちにとっての信仰の対象とも言える存在のはずだから、簡単すぎて失礼に当たるかもしれないが」
「構わないけど、それを聞いてどうするの? もし入信希望ならこちらの紙にサインを。今ならこちらの開運の壺と魔よけのお札がついて大変お得よ」
「いらない。さっさと占ってくれ」
「あらそう」
巫女の女性は残念そうに呟くと立ち上がり、ゆっくりとスカートをたくし上げ、上質の絹のような滑らかな太ももを衆目に晒していく。
「へ?」
「へ、じゃないでしょう。占ってと言ったのはそちらよ? 早く準備をして頂戴」
「準備とは?」
「性交渉。判りやすく言うと子作り、くだけた言い方だとセックスの準備ね」
「なんで?」
「言ったでしょう? 私たちは巫女。性交渉によって力を分け与えるのが仕事よ。神の居場所を教えるには、体の交わりを以って直接伝えるのが一番だわ」
巫女の女性の説明に対し、人形のように機械的にコクコクと頷き、手を打って納得するアルバトール。
「あーはいはい、そう言えばそうでしたね。ではこちらのガビーで」
「あんた何いきなり人を身売りしてんのよ! このヘタレ! 童貞! さっさとやることやって知りたいことを占ってもらいなさいよ! 四十秒で支度して何も知らなかったあの頃の自分を捨てるくらい出来るでしょ!」
「やかましい! もう少し頑張れるわ!」
唐突に起きた仲間割れから、醜い争いに発展するのに時間はいらなかった。
当然パブの中にいたすべての客の視線はアルバトールとガビーに集中し、これまた時をおかずにざわめきがパブの中を満たし、遂にはマスターが彼らに近づいて、呆れた顔で警告をした。
「お客さん、うちはそういう店じゃないんでね、衛兵たちが来る前に出てってくれないか? 未 来 永 久 に」
「はい」
ふと彼らが気付けば、占い師の女性たちはパブの中から完全に姿を消していた。
[あっはははははは! あの間抜けな顔! 思い出すだけでお腹がよじれるね!]
巫女の女性たち……の姿をとっていたバアル=ゼブルとアスタロトは、アルバトールとガビーがマスターに出禁を言い渡されている間にパブからこっそりと出ており、そのまま裏路地へと移動した彼らは、そこからパブの中を高みの見物と洒落込んでいた。
[どうやって誤魔化すかと思えば、マスターの精神操作と俺たちの音声操作、幻影かよ。流石の手並みと言った所だが、通じなかったらどうするつもりだったんだ?]
[彼らには見抜けないことは実証済みさ。君に代わってラィ・ロシェールで挨拶をしてきた時と、パブまで誘導する時にね]
[チッ、パブにアイツらが来たのはお前さんの手引きかよ。見つからねえように気を使って行動してた俺が馬鹿みてえじゃねえか]
拗ねたように不満を口にするバアル=ゼブルを見て、アスタロトが悪戯っぽい笑みを浮かべた時、彼女はパブの出入り口からほうほうの体で出てきた二人の天使の気配を感じとり、再び先ほどの巫女の姿を取って表通りへ歩き出す。
[さて、それじゃ先ほどの続きといこうか]
そう言うと、アスタロトは建物の角からかろうじて姿が見える程度に体を出し、アルバトールたちに向かって手招きを始めるのだった。
「どう言うつもりだ!」
手招きを見たとたん、足早に近づいてきたアルバトールは激怒していた。
(彼の隣で頭の天辺を抑えて口を尖らせているガビーが主な原因だったが)
「どういうつもりと言っても、私たちも昼間から大手を振って歩けるような職業じゃないから店を出ただけよ。その原因となった人に追及されるのは心外だわ」
とりあえず怒鳴ってはみたものの、不満そうに反論されたアルバトールは言葉を詰まらせ、顔を白黒させるが、意外なことにその窮地を救ったのはガビーであった。
「ちょっと何を言ってんのよ! 童貞があんな大勢の人前でセッきょおお!? いきなり殴るのやめてアルバ!」
「ガビー後で説教ね。ともかく! あんな人前でその、セ……じょ、女性と交わる行為など出来る訳が無いだろう!」
「パブの中でいたすなんて、一言も言っていないけど?」
「え?」
アルバトールは自分の不利を一瞬で悟り、下手な反論は命取りとばかりに黙り込む。
「最初に言ったでしょう? 占う準備と。それとも場所の移動は準備じゃないとでも言うのかしら?」
「あー、うー……準備ですね」
「解って貰えて嬉しいわ。何か勘違いされていたようだけど、手慣れていない方は性急に事を進めたがるものですから、お気になさらず」
「え? いや、そうじゃなくて……その……ほ、他に占う方法は無いのか!?」
狼狽えるアルバトールを見て、巫女の女性――アスタロト――は火照った顔と、薄着にも関わらずしっとりと汗ばんでいるように見える胸元をはだけ、目の前のアルバトールに向かって、獲物を見つけた猟師のようににじり寄っていく。
「無いこともありませんわ……でもバアル=ゼブル、アスタロトの御所在について調べるも出来なくなるわ。体を交えても教えられるかどうかの判断がつかないほどに、神と我々の存在はかけ離れているから」
アスタロトはアルバトールにぴったりと寄り添い、相手の胸に当てた指先をそっと滑らせながら耳元に潤んだ口元を近づけ、しっとりとした言葉をアルバトールの頭の中へ一滴一滴垂らし、塗り込み、理性を奪っていく。
「そ、そうかー! そんなに難しいなら、そっちは調べて貰わなくてもいいかな! ええと、そうだ! アデライード姫の所在と姫をさらったルーの目的を占ってくれ!」
「ちょっとアルバ! ルーが姫様をさらったとか、そんなこと喋っちゃっていいの!?」
ヘプルクロシアでは広まっていない、つまりは重要であろう情報を漏らしたアルバトールを見てすぐにガビーは警告を発する。
「はっ!?」
巫女の誘惑に正体を無くしていたアルバトールは、それを聞いてすぐに目に光を取り戻し、体を密着させたままの巫女をにらむが、彼女は特に気にした様子は無かった。
「占いに関わる情報に対し、口を閉ざすは我らの掟。お客様の相談事は口が裂けても他者に漏らしませんわ」
(ヘッ、よく言うぜ)
それを聞いたもう一人の巫女が口を歪ませるが、残念なことにアルバトールは彼にしなだれかかってくる巫女の肢体から目を逸らそうとしては失敗しており、ガビーのほうもその巫女を消えてしまえとばかりに睨み付けていて気づいていない。
アスタロトはそんな彼らへ笑顔を浮かべるとするりと離れ、先ほど口を歪めていた巫女の方を向く。
「では占いの準備を。パール、筮竹を出して」
パールと呼ばれた巫女は、はい、アナベラ姉さんと返事をすると、背中のバッグから数十本の木の棒が束ねられた物を取り出し、アナベラに手渡す。
「それでは」
アナベラは棒の束を握りしめ、ジャラジャラと音を立てながら両手の間でしばらくそれをもてあそび。
「イイヤアアァァッ!」
裂帛の気合と共に、その内の一本を地面に突き立てた。
ぱた
数秒ほどゆらゆらと揺れた後、木の棒は倒れて南東の方角を指し示し、それを見た途端にアナベラは難しい顔になったかと思うと、重々しい声を絞り出してアルバトールに占いの結果を告げた。
「アデライード姫の身は、王都ベイキングダムに。そして姫を攫ったルーの目的だけど、こちらは姫の心が霞の向こうにあるように感じられ、詳しくは判らなかったわ。ただ、姫の家系が持つ特有の力が関わっている……何なの? その顔は」
「怪しい巫女にこれ以上ないほど本気の棒占いを見せられて、どう反応しようか迷ってる顔だけど」
時間を無駄にしたと言わんばかりにむっすりとなったアルバトールの顔を、アナベラはまるで気にせず澄ました顔で答える。
「見た目は不格好だけど、結果に関しては保証するわ」
「何の力も働いていないのに?」
「当たり前じゃない。貴方、自分の体の中だけで処理が行われ、完結する精神魔術が人に見えると思ってるの?」
「あ、そうか……そうなのか?」
アルバトールはすっかり存在を忘れていた精神魔術のことを思い出し、危うく納得しかけるが、彼が今まで習った術の中に、占いと言う自分の外に在るものを察知する物は無かったはずである。
そう説明するアルバトールだったが、アナベラはそれを聞いても動揺せず、それどころか呆れたと言ったように溜息をついて目の前の純情そうな青年を見つめた。
「確かに貴方たちテイレシアの騎士たちは学んでいないでしょうし、例え占いの存在を知った所で使うことは出来ないでしょう。この術は日頃より人のみならず、精霊などの人外の情報まで集め、統合し、過去から未来の可能性すべてを導き出す物」
「なるほどね……だが巫女アナベラよ、それをどうやって僕に証明するんだい?」
尚も疑いの目を彼女に向けるアルバトールを見て、アナベラは涼やかな笑みを浮かべるとまるで詩を歌うかのように言葉を舞わせ始める。
すると言葉が紡がれるごとに、アルバトールたちの目の光は徐々に失われていった。
それを見届けたアナベラ――アスタロトは、アルバトールやガビーに気付かれないように、彼らから少しずつ距離を取っていく。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦。すべては可能性であって、確実という訳では無い……ですが現在において私たちが集めえることが出来るすべての情報から導き出した占いの結果、大切にお使いくださいませ……フォルセールの智天使アルバトール様」
「待て! 僕の情報をどこで……!」
喋っていないはずの自らの正体を口に出され、さすがに正気に戻ったか。
アルバトールはアナベラたちを押しとどめようとするが、しかしその時には既に彼女たちの姿は手はおろか術も届きそうにない位置まで遠ざかっており、それでいてアナベラの発する声は、はっきりと聞こえていた。
「私たちを知る人は世界中の人々の中でほんの一部ですが、私たちを求める人の数は世界中のどの人間よりも多い。つまり私たちの占いはそれほど価値があるもの。当然、貴方たちが話しかけてくることも、その正体も前から知っていましたわ」
まあ嘘ですけど。
とは言わず、アスタロトは去って行く。
「また会うこともあるでしょう、天使アルバトール。占いのお代はその時に……」
そしてアナベラ――アスタロト――はアルバトールたちの前から姿を消し。
「……あれ?」
そして彼女たちが去って行ったあと、ガビーが思い出したように呟く。
「そういえばあたしたちって、バアル=ゼブルとアスタロトを探してたんじゃ?」
「ああ……あー!? ってことは、さっきの巫女たちはやっぱりバアル=ゼブルとアスタロトか!? おかしいと思ったんだよ! 如何に巫女とは言っても、僕をたやすく幻術にかけて逃げ出すなんてありえない!」
「アナベラを見て鼻の下を伸ばしてた人が言っても説得力が無いわねー。ま、逃がしちゃったものはしょうがないわ。宿に戻ってベルトラムに怒られて頂戴ね」
「う……」
怒ったように言うガビーの、慰めとも嫌味ともとれる言葉を聞きながら、アルバトールは彼女たちから得た情報の真偽のほどを確かめる方法は無いか、と考えながら宿に足を向けた。
「でもガビーも一緒に幻術にかかってたから同罪だよね」
「あ」
ついでにガビーに対し、一矢報いることも忘れずに。