第122話 どっちの味方ショー?
「うん、美味い。グリルの素材は舌平目かな?」
「さようです。本来であればムニエルにする所ですが、ヴァハ殿に怒られまして」
「だって貴方たち、テイレシアの料理自慢をする為にわざわざヘプルクロシアまで来たんじゃないわよねー?」
料理について話していたアルバトールとベルトラムは、急に横からかけられた声の持ち主、旧神ヴァハを見て首をすくめ、たちまち黙り込んでしまう。
人間でいえば二十代の女性に見えるヴァハは、料理に髪が入らないように布を頭にかぶせ、うなじの辺りにある髪飾りでブラウンの巻き毛をまとめて腰まで流し、やや太めの眉毛の下にある青い瞳で、まるで何かの勝負を挑むような視線を二人に送る。
それを見たアルバトールとベルトラムは、ヴァハの視線から逃げるように一人は食事を、一人は給仕を再開していた。
「ほいほい。ヴァハよ、客人をそう脅すもんじゃないぞ」
「あふん。でもこの人たち、姉さんを助けてくれるってまだ約束してないんじゃないの? ハニー」
「ほほい、まぁ彼らには彼らの事情があるんじゃろう。そこの気持ちを汲み取るのも、また人の間に交じって暮らすに必要な素養じゃぞ」
「ハニー優しいのね……ヴァハ、ハニーのそんな所もだーい好きよ!」
他者の目をまったく気にせず、目の前でいちゃつきだすアガートラームとヴァハを見てアルバトールとベルトラムは半眼になる。
しかしそんな中でもガビーは目を皿のように見張って体を乗り出し、対してバヤールは困ったように下を向いた。
知り合ったばかりの者に熱いラヴシーンを見せつけられると言う、そんな気まずい雰囲気がしばらく流れた後、ようやくアガートラームはアルバトールたちが居ることに気付いた、と言わんばかりに彼らに目を向ける。
「明日の朝食、それまでに答えを出しておいてくれんかの? メタトロン」
明日までに何らかの回答を出すように、にこやかに釘を刺してくるアガートラームを見たアルバトールは、その笑みをまるで悪魔が浮かべたもののように感じたのだった。
「アルバ、どうすんの?」
落ち着かない食事の時間を過ごした後、彼らに割り当てられた客室の一つでアルバトールたちは顔を突き合わせ、アガートラームの頼みについて話し合いを始めていた。
だがその解答を導き出すための数式に、当然あるべき数字は圧倒的に足りておらず、彼らは自分たちで勝手に数式の補充と、解答制作にあたらなければならなかった。
「……情報が足りなさすぎる。アガートラームの申し出を受けるだけ受け、その後にルーの言い分も聞いてから最終的な決断を下したい所なんだが、アガートラームがそれを許してくれるかどうか」
よってアルバトールは、これからの方針を聞いてきたガビーにはっきりした答えを返すことができず、それを受けたガビーは自らが勝手に導き出した解答を口にする。
「ひょっとしたら、ルーは姫様とクラレンスを結婚させて、クラレンスに王としての箔をつけさせたいんじゃない? そうだとしたら、姫様の身は安全だと思うけど」
「ありそうと言えばありそうだけど、動機づけとしては弱いかな。テイレシアを敵に回してまでクラレンスの王座に固執する理由が、ルーにあれば判るんだけど」
一時間を超える話し合いにも関わらず、出された問題が解けるどころか、解答への道筋である数式すら見つからないこの現状に於いても、何とかしようと懸命に考えるガビーを見てアルバトールは微笑みを浮かべ、その頭に手を乗せた。
「よし、アガートラームの申し出を受けよう。ただし僕たちがクー・フーリンに味方する理由は、アデライード姫を取り返す助力を得る為、と触れ回ることを条件にね」
「それはそうだろうけど、なんでわざわざ触れ回らせるの?」
不思議そうな顔をしてアルバトールを見つめるガビー。
「そうすればルーの思惑が何であれ、しばらくの間アデライード姫の安全が保障される。人質としての明確な価値を姫に付加することによって、僕が到着して交渉を始めるまで下手に危害を加えさせないようにするんだ」
「しかしアルバ様、それでは姫が賓客として遇されている場合、人質としての最低ラインの待遇しか受けられなくなる可能性も」
ベルトラムの疑問を、アルバトールは軽く笑い飛ばす。
「その時は我慢してもらおう。でも多分大丈夫さ。クラレンスはプライドが高いから、姫が余計なことを言わない限り……いや、たとえ言ったとしても、姫の身分に不相応な扱いをすることは、彼のプライドが許さないだろう」
――むしろ、彼はそれを正面から言い負かすことを喜びとする人間だから――
アルバトールは、それを口にはしなかった。
今の状況で、友であるクラレンスの擁護をすることがひどく照れ臭く思えたのだ。
自分が心から信用し、自分を心から信用してくれている人たちに、友人の擁護など必要無い。
彼はそう心の中で呟くと、明日の出立に備えて準備に取り掛かっていった。
「おはよう」
翌朝、朝食が用意されている大広間でアルバトールの到着を待っていたアガートラームは、入ってきた彼の顔を見て少し驚いたように見えた。
「ほほい? 随分と晴れやかな顔をしておるのう、メタトロン」
「そのメタトロンと言う呼び方は止めて頂けますかアガートラーム。僕にはアルバトールという名前と、フォルセールを治めるトール家の嫡男と言う大事な立場があります」
「ほむり。そりゃ構わんがの。しかしガブリエル、ウリエルの二人と一緒に居ながら人の立場にこだわるとは。その執着、今のうちに捨てておいた方が良いかもしれんぞ」
「それは無理な話です」
真面目な顔をしてそう告げてくるアガートラームに対し、アルバトールははっきりと否定をすると、着席をしてから昨日の申し出を受けると伝える。
「ほいほい、姫の為に味方するとの噂を流せばいいんじゃな? 一度にそこかしこに噂を流すと怪しまれるから、少し時間をかけさせてもらうぞ。ではそちらもモリガンを頼む。今はクー・フーリンを追いかけ、城郭都市チェレスタの近くに居るはずじゃ」
「……お願いします」
アデライードがルーの元に居るにも拘らず、ルーと敵対するクー・フーリンへの助力を要請するアガートラームの真意を確かめるべく、アルバトールは目の前にいる老人の瞳を真っ直ぐに見据える。
だが飄々とした態度をまったく変えぬアガートラームの心を、遂に彼は読み取ることが出来ず。
そして食事を終えたアルバトールたちは、一宿一飯の礼を言うと城郭都市チェレスタへと旅立ったのだった。
「……これで良かったのか?」
「ええ、まったくよろしい結果になったわハニー」
「その呼び方はよせ、アスタロトよ」
もしもアルバトールたちがこの場にまだ居たとしたら、アガートラームが発した言葉の内容と、その不機嫌な声色を聞いたことにより、冷や汗で全身を濡らしただろう。
そう確信するほどにアガートラームが隣に立つ、愛する妻に向けて発した声は、先ほどまで彼が仲睦まじく接していたはずの女性ではなく、仇敵に対する敵意。
いや、むしろ明確で鋭い殺意に満ちていた。
[あはははは、ごめんごめん。さっきまで愛想に満ちた好々爺を演じていた時との落差があまりにひどくてね。ハニーって言ってあげればまた優しい君に戻ってくれるかと思ってさ。怒った?]
まるで天使のような、明るく軽やかな声。
そして悪魔のような、無責任で軽薄な声。
戦女神ヴァハの姿から元の姿に戻ったアスタロトは、いつもの朗らかな笑顔のままアガートラームにその美しい顔を近づけた。
[それじゃあ約束通りヴァハは返してあげる。でも、それを履行するのはもう少し後にさせてもらうよ。だってボクの目的はまだ達成されてないんだもの]
「無駄だとは判っているが、話が違う。と言わせてもらうぞ。貴様の言うなりになったのは、他にヴァハを取り戻す為の手段が無かった故の消極的選択の結果だからな。こうなることは、最初から予想の一つとして我が内に存在していた」
苦渋の表情を浮かべるアガートラームの顔を見たアスタロトは、愉悦の感情で全身を満たし、その感情が外へと溢れ出た結果である恍惚とした表情を浮かべる。
[ああ……いい……いいよその表情……かつてはヘプルクロシアの旧神を束ねていた、貴き存在であるはずの君が自分の無力を嘆くその姿はたまらなく心地いい……]
「相変わらずのクズっぷりで反吐が出る。儂はこれからアルバトールの頼みを叶えてやるので忙しい。他にやることが無いのなら、とっとと儂の目の前から消え失せい」
[つれないその返答もまたいい。何とかしてボクの存在を無視しようとするその必死さ。自分の背丈では届かない所にあるお菓子を取ろうと、懸命に背伸びをする子供を連想させて、とてもキュートさ]
自分自身を抱きかかえるように、腕を胸と腰に巻きつかせるアスタロトを見て、アガートラームはげっそりとした表情になる。
「クズと言うよりは変態じゃのう。ガブリエルどころかミカエルすら手を焼く訳じゃ」
頭を振った後、アガートラームは再び敵意に満ちた目でアスタロトを睨み付けた。
「だが天軍最強のミカエルを凌ぐとすら言われる程の力を持つ貴様が、何ゆえ我が妻を誘拐して儂を脅迫し、儂を使ってアルバトールたちを先王と現王の板挟みと言う難しい立場に追い込む、などと言った回りくどい真似をする。メタトロンに普通に戦いを挑み、倒してしまえば良かろう」
[それはメタトロンの潜伏先、宿り主の天使を気に入ったからさ。更に付け加えるなら、さっきまでの君の感情も答えだよ]
妖艶な笑みを浮かべ、顔を上気させたアスタロトは、肉付きの良い太ももを擦り合わせながらアガートラームへ答えた。
[自分への興味を持ってもらいたいが為に、意中の子を困らせる。好いている子に悪戯をして、困っている顔を見たい。少し子供じみた趣味だと自分でも判っているけれど、これがやめられないんだよね。いつになっても、さ]
吐息を次第に荒げ始め、唇に当てた人差し指を赤い舌で舐め上げながら身悶えを始めるアスタロト。
しかし彼女がふと気付いた時、先ほどまで話し相手であったアガートラームは既にその場を離れ、影も形も無くなっており。
へっへっへ
そして彼が立っていた位置には、彼女と同じように息を荒げて舌を出し、尻尾をぱたぱたさせながらじっと顔を見上げてくる一匹の犬がいた。
[あれ? アガートラームがわんわんになっちゃった? ってそんな訳あるかーい]
そして王都でバアル=ゼブルに習ったノリツッコミを駆使してみた後、アスタロトはブルックリン邸の前から姿を消したのだった。
≪バヤール、ここからチェレスタまで何日ほどかかるか判るかい?≫
≪王都ベイキングダム、また現王政権に着いているとの噂のある要衝バーミリオンを回避する道を進んだとしても、夕刻までには着きましょう。また我が主が急を要するのであれば昼までには。ただし何事も無く行程が進めば、の話です≫
≪だよね≫
その頃、既にローレ・ライを遠く離れたアルバトールたちは、チェレスタへ向かう道について話し合っていた。
もちろん飛行術を使えば容易にチェレスタへ着けるが、それで敵に見つかるのは愚の骨頂であり、急がば回れに従ってバヤールで迂回路を進むのが、この場合一番の得策であるとアルバトールには思えた。
≪姫に関する情報が隠匿されている現状では、急ぐべきか、じっくりと行くべきかの判断もつかない。と言うことで! まず自分たちの身の安全を優先させよう。噂が広まる時間や、情報を集める時間も必要だし一週間ほどかけて行こうか≫
≪承知しました、我が主≫
敬意を以って答えるバヤールの頭の中に、アルバトールの念話が続けて入る。
≪そうでもしないと先走って失敗しそうだしな……約二名ほど≫
≪我が主、念話を切らないとダダ漏れですぞ≫
≪あ、うわわっ!?≫
手を顔の前で振り回し、今のは無し、と騒ぎ立てるアルバトールの前に座ったガビーと、後ろに座るベルトラムの二人がそれぞれ違った意味で溜息をつくのを感じ取ったアルバトールは、口を尖らせて諦めたように謝罪をした。
「別にあたしたちは気にしてないわよ。それよりあんた時々は弱音を吐きなさいよね。司祭様には弱音を吐けても、あたしたちには吐けないって訳?」
「ベルトラムにはきちんと吐いてるよ」
「え……? ああ、いや知ってたわよ? ホントホント。やっぱりアレよね、長年培ってきた信用度の違いって奴かしらね!」
「人間的な信用度の違い、の間違いではありませんか? ガビー」
ベルトラムのチクリと刺すような発言を聞き、不満そうに頬を膨らませるガビーを見たアルバトールは、苦笑しながら声を上げる。
「いつもさり気なく気を使ってくれてありがとうガビー。バヤール、君の堂々とした態度を見ていると、僕が抱え込んだ多少の悩みなど吹き飛んでしまうよ。二人とも、これからも、これまでのように、僕を助けて欲しい」
ベルトラムと同じくらいに、君たちにも感謝している。
先走り云々の発言を、おどおどと言い訳をするのではなく堂々と申し開きをしたアルバトールは、真っ直ぐに前を見据えてチェレスタへ、と掛け声をかけた。