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第12-1話 下準備の重要性

 こうして初日の修行は終わり、日は暮れる。


 飛行術の光を咎める者もいない郊外を飛び、礼拝堂へ戻ったアルバトールたちを待っていたのは管理者の夫婦。


 そしてテーブルの上に並べられた、作りたての夕餉ゆうげだった。


 パンとシチュー、それにウサギのソテーが湯気を立て、横にはザワークラウトと呼ばれるキャベツの漬物が添えてある。


「あらあら、こんな贅沢な物を出していただけるとは思いませんでしたわ」


 エルザがそのメニューを見て歓喜の声をあげる姿を、アルバトールは不思議そうに見つめていた。


 城でのメニューはもちろん、詰所で出される食事でもこれ以上の品数と量があるので、これを贅沢と言ったエルザの顔を思わず見てしまったくらいである。


「んだ。今年はなかなかの豊作だったのと、さっきの修行の音で動物たつが驚いたみてえで、罠にかなりの数が掛かってたさ」


「あらあら、それはようございました。それでは早速主に祈りを捧げることにいたしましょうか」


(なるほど、そう言うことか)


 エルザと管理者の男性との会話を聞いたアルバトールは、自分はやはり貴族なのだと思い知っていた。


(清貧と言えば聞こえはいいが……いや、言うまい。だからこそ僕たち貴族や騎士は、民衆に危険が迫ったときに命を懸けて戦うんだ)


 拳を握り、決意を固めるアルバトール。


 その横ではそんな彼を気にする様子もなく、エルザと夫婦が談笑していた。


「すかす司祭様、神父様はいつ戻ってくんだべ? おらたちは雨露がしのげるし、食うに困らぬ仕事もあるしで文句はねんだけども、何だか不安でしょうがねえ」


「申し訳ありません。私どものところにも全く連絡が入ってこないのですわ。何か分かりましたら使いの者を出しますので御心配なく」


(ん? ここの神父は不在なのか……そう言えばこの辺りには集落が無いはずなのに、なぜこんな所に礼拝堂が?)


――教会は秘匿主義ですから――


 出発前に聞いた言葉に、彼は礼拝堂についての思考を停止していたが、考えてみれば変な話だった。


 彼は思わずエルザの顔を見た後、管理者である夫妻の姿も見つめる。


(あれ?)


 次の瞬間、夫妻の姿は消えていた。


(へ!? ……いや、いるが……これはもしかして)


 しかし消えたと思ったのは気のせいであった。


 テーブルの端に、髪の毛らしきものを見たアルバトールが更にその一点を注意深く見ると、そこに居たのは妖精種族ドワーフであった。



 彼らは屈強であるが、その背は小さい。


 椅子に座っていても、食器の向こうに頭がようやく見えている程度だった。



(人に変化していたのか。修行前は気付かなかった幻術を、今になって見破ったということは、修行で眼の能力も上がったのかもしれないな)


 懸命に手を伸ばし、食器を持って食べるドワーフ夫妻を見て、アルバトールはくすりと笑ってしまう。


(しかしなんでこんな所にドワーフが……ああ、表には小麦畑しか見えなかったけど、大麦もどこかで育てていて、それからエールを作ってるのかもしれない)



 縦に低く、横に太いドワーフは、その体型から酒樽とも称される。


 だからと言う訳ではないだろうが、彼らはアルコールを事のほか好む種族である。


 ドワーフ達が作る細工物や武器、防具は人間たちの間で高く取引されるが、その代金をすべてエールやワインに変えて集落に持ち帰った、などという逸話もあるほどに。



(わざわざ人間に変化してるってことは、以前に何かあったんだろうなぁ……何も聞かずにそっとしておくか。最近はそう言った気遣いが無駄になる事が多い気もするけど)

 


 食事を終えた彼は、気遣いが無駄になる筆頭のエルザに入浴を勧められる。


 どうやらドワーフの夫妻が、昼間にアルバトールが作った薪を使い、風呂を沸かしてくれたらしかった。


「よろしいのですか? 私が先に入って」


「構いませんわ。修行を終えた今日の貴方には、その権利がございます」 


 エルザの好意に甘え、アルバトールはじっくりと湯船につかる。


 同時に天使の羽根を使用して倒れた時とは違う、心地よい脱力感が彼の体中に染みわたっていった。


(ああ、これは確かに……癖になる……)


 そしてアルバトールは今日一日を振り返り、新しく得た知識を反芻はんすうした。


(魔術、法術、聖天術、か……しかし魔術の系統が、精神魔術と精霊魔術の二つに分かれているとは知らなかったな。ああ、そう言えば魔物の術は何という名前なんだろう)


 彼は湯船のお湯で顔を洗い、ちょっとした失敗の気分転換をする。


(まぁいいよね、その内聞くような気がするし)


 だがその直後、彼は気分転換どころか夢見心地を吹き飛ばす一喝を受けたのだった。



「アルバトール卿! 大丈夫ですか!?」


「あ、そろそろ出ます……ぎええ!? すぐ出ます! 考え事をしてただけですから!!」


 血相を変えた声に我に返れば、彼の目の前にはエルザが目を尖らせて立っていた。



「余りに遅いので、湯船で溺れているのかと思いましたわ。入浴には神気を抜く効果があるので、気を抜くとそのまま溺死することもあります。気をつけてくださいまし」


「申し訳ありません……いや何を見てるんですかちょっと」


 自分の顔からちょっと目線がずれているエルザを見て、アルバトールは慌てる。


「立派になりましたわね……ちょっと目頭が熱くなってしまいましたわ。私も年を取ったものです」


「自分で言う分にはいいんですね」


「では外でお待ちしておりますわ」


「できれば脱衣所の更に外でお願いします」



 温まった体は、そこに宿る心すら温める。


 そんな感想を持ちつつ、風呂を出たアルバトールが礼拝室を通りすがると、そこには彼の剣をしげしげと見つめるドワーフの夫妻がいた。


(う……)


 とりあえず直接手を触れている訳では無いので、差し迫った問題はない。


 しかし彼は夫婦と目を合わせてしまっていた。


 途端に礼拝室に漂い始める、微妙な空気。


 だがドワーフは、さすがに屈強な種族であった。


「天使様?」


「はい」


 そんな微妙な空気を気にも留めず、むしろ素材として利用したかのように、夫婦はつぶらな瞳をしたままアルバトールに押し寄せてくる。


「この剣だども、ちょっくら打ち直したいんだがいいかね?」


「それはまぁ……こちらからお願いしたいくらいですが、生憎手持ちがありません」


 申し訳無さそうに答えるアルバトールに対して、ドワーフの妻が手をブルォォォォンと振って答える。


「あー、御代は結構ですだー。日頃から司祭様や領主様にはお世話になってるからー」


「ですか。ではお願いしてもよろしいですか?」


「うんだ。んだばいっちょ激しくやっかね」


「あいよーお前さん」


 一抹の不安を感じながらも、ドワーフに剣の打ち直しを頼んだアルバトールは、今から作業にかかると聞いて慌てて止めに入ったのだが。


「ああ、おらたつなら心配しなくでもいいだよ」


「人間らと違ってー、三日や四日なら寝なくても問題ないだよー」


「いや今はおらたつ人間だべや」


「ああー、そういう設定にしだんだったー」


「……お願いします」


 大らかな性格、と言うよりは大雑把。


 エルザに通じる何かを感じたアルバトールは、その場を逃げるように立ち去る。


「湯船につかり過ぎたのか、少し暑いな……。外に出てみるか」


 急いで立ち去ったことにより、火照った体を持て余した彼は礼拝堂の外に出る。


 するとそこには、満天の星が散りばめられた夜空が広がっていた。


 その光景に心を奪われ、しばし黙り込んだアルバトールは、夜の静謐せいひつを撫でる水音に慌てて周囲を見渡し、ホッと息をつく。 



光風霽月(こうふうせいげつ)……か。今宵の空はこんなに澄み渡っているのに、もうすぐ世の中は乱世の暗雲に遮られようとしている」


 そして何かを誰かから誤魔化すように、彼は夜空の星へ語り掛けていた。


(なぜ天魔大戦は起きるのだろう)



 魔物がいるから、と言うだけでは説明がつかない。


 上級魔物は確かに珍しい存在だが、平時に於ける存在が皆無と言うわけではない。


 それがなぜ天魔大戦の時だけ一斉に出没するのか。


 集うことを嫌う彼らが、なぜ統率された動きで人間達に戦を挑んでくるのか。


 その仕組みは未だに解明されていない。



(エルザ司祭に聞けば分かるのかな)


 アルバトールは自問自答し、だがその回答を得られたとしても、今の状況が変わるわけではない事に気づく。


(天魔大戦が回避できるものなら、とっくにエルザ司祭がやってるよね……とりあえず神気の制御の復習でもしておくか)



 頭上に天使の輪を浮かべ、背より天使の羽根を生やした彼の全身を、ゆっくりと白い光が覆っていく。


 夜の闇と月の光、星のまたたきに彩られたその姿は、神話の一ページを思わせるに相応しい神々しさに満ちていた。



 そしてそろそろ明日に備えて寝ようと思った彼が見たのは。



「……なぜベッドが一つなのでしょう」


「貴方が床で寝るからですわ」


「なるほど」


「ではお休みなさいませ」


「お休みなさいませ」



 色々と考え、思いつくことはあったが、結局アルバトールは素直に床に敷かれた毛布にくるまり、目を閉じる。



 寝室にあるのは、普段ドワーフの夫妻が寝るために使用している小さめの寝具。


 それ以外のベッド、つまり人間用のものは一つしか無い事にアルバトールが気づいたのは、夜も更けてからの事であった。

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