第120話 自治の街ローレ・ライ
ヘプルクロシアの港町ローレ・ライは、街の住民たちによる完全な自治をヘプルクロシア王国より認められている。
ヘプルクロシアが存在するアルフォリアン島への玄関口とも言えるこの街は、昔から他国による侵略により、幾多の戦火に巻き込まれてきた。
その度に王都に使者を出し、援軍を乞うのでは非効率きわまると言う理由で、町の住民で港湾や海岸線の防衛を一手に担う代わりに、町への国の不干渉、及び完全な免税を許されたと言う。
それ故に自由を好み、自立の気風溢れる海の男たちにこよなく愛されることとなり、移住してくる者たちが後を絶たなくなったこの町の規模は、いつの間にかヘプルクロシア王都を凌ぐまでに成長していた。
[到着だな、お前さんたちともここでお別れだ]
「……君が居ない間に色々あったんだが、どこに行ってたんだバアル=ゼブル」
その自治の街に降り立つ為の準備を終えて甲板に出たアルバトールの傍に、どこに雲隠れしていたのかバアル=ゼブルがふわりと舞い降りてくる。
[ティアマトがお前さんにかまけてたから、その間にちっと上空に行ってお前さんの術を邪魔してた。ま、その割にはなかなかの手際だったぜ]
「合格点は貰えるのかな? 教官殿」
[年に何度も無いようなベタ凪ぎの場合なら、な。それから一応言っておくが、俺がここまでお前さんに協力するのはサンダルフォンの件があるからだ。そこんとこを勘違いしてこれから妙に馴れ馴れしくしてくるんじゃねえぞ? じゃあな]
バアル=ゼブルはニヤリと笑うと、先ほどのティアマトの様にふわりと宙に浮き、アルバトールに向けて手を上げると、そのまま飛び去ろうとする。
それを見たアルバトールは慌てて彼の名を呼び、聞きたいことがあると叫んだ。
「ブライアンという名の男を覚えているか!? 王都に僕たちが行った時に君も見ているはずなんだが!」
[おー……、あーあー、ブライアンな、覚えてるぞ。残念だが見てないな、見かけたらお前に教えてやるよ]
明らかに目が泳いでいるバアル=ゼブルの返事にアルバトールは半眼となり、だがすぐに仕方ないとばかりに一つの溜息で疑念を吹き飛ばした彼は、再び口を開く。
「……うん、頼む。それから」
[なんだよ、まだ何かあるのか?]
「ロザリーとリュファスが君に感謝していた。約束を守ってくれてありがとう、とか言ってたよ」
それを聞いて、バアル=ゼブルはきょとんとした顔になるが、すぐにいつものように軽薄そうな笑みを浮かべると、微笑むアルバトールに向けて首を振る。
[頼りない味方を持つと苦労するな、って伝えておいてくれや。じゃあな]
「判った。次に会う時には、君に頼りがいのある敵と言って貰えるように努力するよ」
そいつは楽しみだな、と言い残し、バアル=ゼブルは西へ飛び去っていく。
それを感慨深そうに見送ると、アルバトールは背後に立ち並ぶ仲間の方へ振り返り、まるで先ほどのバアル=ゼブルの様に不敵な笑みを浮かべた。
「さぁ、上陸だ。頼んだよ皆」
港町ローレ・ライの沖合に停泊した巨大な船から一艘の小舟が降ろされ、その船の乗組員の一人が接岸の許可を取りに自治府へ向かう。
そしてそれ以外の数名はリーダーらしき人物の指示を聞いた後、街中に一人、また一人と消えて行ったのだった。
その日、港町ローレ・ライの酒場にちょっとした事件が起こる。
酒場の天井が一気に低くなったように感じられるほどの巨大な客が中に入り、まっすぐにカウンター席へ向かうとそこに座った。
言葉にするならただそれだけのことだったのだが、その客はそれを周囲に異常と感じさせる異様な雰囲気を身に纏っていたのだ。
「見たことがねえツラだな……」
「だがあの面構え、ただ者じゃねえ」
「そんなモン誰だって判るわ! 顔だけじゃなく、体つきも尋常じゃねえ。あれを普通だって言う奴がいたら、俺はそいつの目をラム酒で洗ってやるぜ……うっ」
ざわつく酒場の客を一瞥して黙らせると、カウンターに座った客――バヤール――はカウンターに両肘をつき、手を組んで主人を静かに見つめた。
「親父、エールを一杯」
「へ、へい……お客さんここら辺じゃ見ない服装だが、北から来たのかい?」
「残念だが違うな、たった今港に着いたばかりだ。……だが、なぜ私が北から来たと思ったのだ?」
酒場の主人はそのバヤールの返答を聞いた瞬間、機嫌を損ねたのかと委縮して顔を凍り付かせる。
ニィ……
それを見たバヤールは主人を安心させようと笑顔になるが、それは主人を委縮から恐怖のどん底へと叩き落しただけのようだった。
「ククク……安心しろ、私が注文したのはエールであって貴様の命では無い……なるほど、私が北部に住んでいる民の様にスカートを履いているからか」
バヤールは呟くと出されたエールを一気に飲み干し、空になった杯を置く。
「そう言えば主人、テイレシアの王女がZzz」
「ちょ、ちょっとお客さん!? お客さん!?」
それから。
「とまぁ、そのようなことを酒場の主人が私に言っておりました、我が主」
「……それってアデライード姫に関する情報じゃなくて、君が酔いつぶれた理由についての情報じゃないのかな」
「恥ずかしながらそのようで」
港の一角に指定した集合場所でバヤールの報告を受けたアルバトールは、彼女が口にした内容にどこか人の居ない所で、力の限り叫び声を上げたい気分になる。
だがここ数ヶ月の間に、彼は大きく成長していた。
つまりエルザだけではなくヘルメースやガビーが増えたことによって、忍耐力が以前と比べ物にならないほど成長していた彼は、すぐに立ち直ってバヤールをねぎらう。
「酒場に行くにはまだ少し早い時間だったし、情報を得るには向いていない時間だったかも知れないな。食事がてら、全員が集まってから後で酒場に行こうか。ガビー、そっちはどうだった?」
「聞いて聞いて! それがもう可愛い子供たちばっかりでね~。一杯友達が出来ちゃった! それでその中の一人に、早速今日の晩御飯に呼ばれちゃってるのゴキャ!?」
だが、情報収集と全く関係の無いことをしていたらしきガビーには容赦なかった。
続けてアルバトールはベルトラムの話を聞く。
「ベルトラム、君はどうだった?」
「申し訳ありませぬ、港にいる商人たちは先王と現王の対立についてしか情報を持っておりませんでした」
「つまりアデライード姫のことは、完全に極秘事項にされているわけか」
アルバトールは一人呟くと、やたら手を振り回して彼を殴りつけようとするガビーを手で押しのけながら自分の考えを述べる。
「仕方ない。大変だろうが、皆もう一度分散して情報を集めてきてくれ。ガビーは役に立ちそうもないから僕と一緒に行こう」
「役に立ちそうもないって……ちょっとは相手に気を使った発言をしなさいよ!」
「気を使った発言って言うのは、それに気付ける人に言わないと意味が無いんだよね」
そしてアルバトールとガビーは、港で仕事をしている水夫たちの元へ足を向けた。
のだが。
「だからダメだって言ったでしょ。仕事中で忙しいのに、相手をしてくれる水夫なんて居るわけないじゃない」
「まさか休憩時間が終わってるとは思わなかったんだよ……」
皆と別れた後、アルバトールたちは情報を集める為に水夫たちに話を聞こうとしたのだが、けんもほろろとばかりに相手にされず、それでも話を聞いてくれる者は居ないかと歩き続けた彼らは、気づけば建物もまばらなローレ・ライの外れにまで来ていた。
「流石にここまで来ると人もいないか、戻ろうガビー……ガビー?」
返事が無いことに気付いたアルバトールは慌てて振り返るが、後ろをついてきていたはずのガビーはそこに居なかった。
(しまった! いくら自治の街とは言え、ここはヘプルクロシアが治めるアルフォリアン島の一角! 敵地と考えて然るべきはずなのに!)
自分の油断を認め、慌てて周囲を探索しようとした彼に、倉庫と思しき建物の影から声がかけられる。
「な~んてね、驚いた? アルバ」
「そう言うことは時と場を選んでやってくれよガビー。本当に驚いたよ」
ホッと息をつくアルバトールを見て、ガビーは満足げに胸をそらす。
「さっき殴られた仕返しだけどなんか文句ある?」
「うん」
「えっ」
「冗談だよ、それじゃあ戻ろうか。そろそろ集合に指定した時間だしね」
頭に手をやって防御姿勢をとるガビーを見て苦笑すると、アルバトールは彼女の手を取って軽く握りしめる。
そして二人は手を繋ぎ、揃って港の中心へ戻っていった。
「おや、アルバ様いつの間にガビーと手を繋いで歩くほど仲良くお成りに?」
「仲良く、と言うより監視の為と言った方が正しいかな。さっき街外れでガビーを一瞬見失っちゃってね」
からかうと言った様子ではなく、何か脅迫でもされているのではないかと心配そうな顔をするベルトラムに、アルバトールは苦笑しつつ答える。
「でもそのお陰で気付かされたよ。幾ら自治の街とは言え、敵が居ない保証は無い。旧神ルー以外にもバアル=ゼブル、それにアスタロトの存在を忘れてはいけないんだ」
そしてアルバトールは薄暗くなってきた周囲を見て、酒場への移動を提案する。
が、ガビーはその指示に慌てて首を振り、自分は行かないことを告げた。
「ちょっと待って。ほら、あたしさっき食事に誘われたって言ったでしょ?」
「そういえばそうだったか。ガビーは見た目的に酒場は難しいだろうし、かと言って一人きりにはできないから……」
「あ、大丈夫大丈夫。その人、凄くお金持ちだし全員で行った方がいいと思うの」
「へ?」
「……ここ?」
「うん、さっきもこの中で色々お菓子を御馳走になったし、間違いないわ」
「そっか、ちなみにこのお屋敷、誰の物か知ってる?」
何も判ってないように首を傾げるガビーを見て、アルバトールは溜息をつく。
「ここはローレ・ライの意思決定をする評定衆の筆頭、ブルックリン殿の家だよ」
それを聞いても表情をまったく変えないガビーと、あからさまな不快感を見せるベルトラムを見て、アルバトールは再び溜息をついた。
「四海にその名を轟かす豪商、商機と見れば物乞いに頭を下げることすら辞さない。そんな噂が絶えない人が、見ず知らずの僕たちに御馳走なんてありうるはずがない」
「そんなの知らないわよ、本人に聞けば? それにさ」
ガビーは猫のような笑みを浮かべると言った。
「人間を治めるのが人間とは限らないんじゃないの?」
そう言うと彼女はさっさと門をくぐり、敷地の中からアルバトールたちを手招きするのだった。
「ほいほい、お前さんたちがテイレシアからの客人じゃの。儂がローレ・ライ評定衆筆頭のブルックリンじゃ。ま、お前さんたちにはアガートラームと言った方が通りがいいかも知れんの」
「はい?」
「ほむり、若いのに耳が遠いとは難儀なことじゃの。旧神アガートラーム、またの名をヌアザじゃよ」
「いや、それはまぁガビーからはそれとなく、貴方の正体が人間ではないとは聞いておりましたが……ローレ・ライは住民による自治の街、と言う触れ込みですよね」
「んむ。若いのに良く勉強しておるの。褒美に飴をやろう」
「あ、ちょっと! ちゃんと連れて来たんだからあたしにも飴ちょうだいよ!」
「ほいほい、それじゃ手をお出し」
豊かな白髪と白髭を持つサンタクロースのような老人アガートラームは、ツボの中から妙にとげとげしい物体をガビーの掌の上に数粒ほど落とし、自慢げに笑う。
「コンペイトウじゃ。如何にメタトロンと言えど、これは見たことなかろ? うん?」
「なるほど、そう言う訳か……ガビー、どう言うつもりだ?」
アガートラームがコンペイトウと称した飴を、ガリガリとむさぼるようにかじっているガビーをアルバトールは睨み付けるが、逆に彼女は呆れたように返事をする。
「どう言うつもりって言われても、今更何を? としか言いようが無いわね。アガートラームはアルバがメタトロンってことはとっくに知ってたわ。ついでに言っておくと、ベルトラムを人間に転生させる術を教えてくれたのもこのアガートラーム」
ガビーの話した内容に、ぎょっとしたようにアルバトールは体をのけぞらせ、そして背後に居るベルトラムに目を向ける。
「相変わらず食えぬお方ですな。今回はどのような取引をお望みなのです?」
そしてアルバトールの視線を避けるようにベルトラムは顔を逸らし、眉間にしわを寄せて椅子に座っているアガートラームを見下ろした。
「まぁそういきり立つものでは無い。老人と子供はいたわるものであって、苛める物では無いぞ、ホッホ」
そう言うとアガートラームはガビーの頭を撫で、慈愛に満ちた表情でアルバトールとベルトラムを見つめる。
「そう言う訳で察しはついたじゃろうが、正確に言うと儂は元旧神じゃ。今は間違いなく人間じゃよ。色々あって疲れてしもてな、ルーに神の王座を譲り、今はここローレ・ライで隠遁生活を送らせてもらっておる」
「隠遁生活ですか。豪商として名高い貴方が?」
「ホッホ、少々商売に精を出しすぎたせいで、評定衆筆頭などと祭り上げられてはおるが、基本的にワシがやっておるのは議長。つまり進行役であって、直接意見を出すことは無いと言ってよい」
「まぁ、信じましょう……それで、我々をここへ呼んだ訳は?」
アガートラームはもごもごと髭……では無く口を動かし、その理由を告げた。
「我が妻、ヴァハの姉であるモリガンを助けて欲しいのじゃよ、ホッホ」
それを聞くやいなや、アルバトールは腰に帯びた炎の剣に手をやり、抜きざまにガビーへ剣先を向ける。
「なるほど、それを聞いて疑問が氷解した。アガートラームよ、残念だが君たちの思惑通りに事は進ませない!」
その場に居合わせた全員が彼の乱心に驚く中、アルバトールはそう叫んだ。