第112話 相変わらずな魔族
ヘルメースがフォルセールに居付いて数日が経った。
結論としては、事態は徐々に良い方向へ向かったかのように見えた。
幾たびかの騒ぎを引き起こし、その度に分裂した二人の姉に叱られて体験学習をした彼は、フォルセールに来た当初より騒ぎを起こさなくなったからだ。
あくまで当初と比べて、だが。
つまりいくら改善されたと言っても、ヘルメースが来る前より来た後の方が、アルバトールの周囲の環境が悪化している事実に変わりはない。
気の毒に。
そんなある日のフォルセール郊外、いつもの礼拝堂の近くにある丘の上。
そこでガビーが見守る中、アルバトールは光り輝く鎧のようなものを全身に纏わせて宙に浮かんでいたのだが、そこにいきなりヘルメースが現れ、彼に苦情をまくし立てて来た所から今日の物語は始まる。
「おい、幾ら僕でもそろそろ死ぬぞ。何とかしろ」
「目の前に立ち塞がる問題を解決する方法には、大きく分けて二つある。一つは自分の周囲の環境を変えること。もう一つは周囲の環境に応じて自分を変えることだ」
昨日、自警団の巡回先の教会で、とうとうエルザにまで手を出そうとしたヘルメースは、逆にその持てる力の殆どを吸収されてしまい、おまけにそれを止めようと間に入ったラファエラには、何故か数えきれないほどの平手打ちを食らってしまっていた。
その結果ヘルメースの眼は落ちくぼみ、ひどくやつれた顔に見えるかと思えば、頬はふくよかに腫れ上がっていると言う複雑怪奇な顔に変わり果てている。
アルバトールはそんな落ちぶれた彼を見て流石に哀れに思い、簡単な忠告と助言をしようとしたのだ。
「真っ当な生き方をしたら痛い目に遭う確率は随分減るよ。毎日教会に行って懺悔でもするといい」
「本当に死ぬだろいい加減にしろ!」
しかしどうやら、その忠告内容は当人にとって死刑宣告に等しい物のようであった。
血相を変え、必死に訴えてくるヘルメースを見たアルバトールは、面倒くさがっているところを見られないように顔を背け、溜息をつくと頭を振った。
(真っ当に生きると死ぬのか、教会で懺悔をすると死ぬのか聞いてみたい所だな)
そんな人の悪い感想を抱きつつも、今日ばかりはヘルメースが本気で困っているように見えたアルバトールは、仕方なく光の鎧を解除して地に降り立ち、ヘルメースを激励しようとしたが。
「あ~ら、もう音を上げたのかしら? そんなことじゃあ、また王都の旧神たちに手も足も出ずにやられちゃうわよ?」
地に降りた彼をすぐさまガビーが咎め、嫌味を飛ばして修行を中断させまいとする。
どうやらアルバトールとガビーは、ここで新たな力――光の衣――を身に着けようとしていたらしかった。
そのガビーの発言を完全に無視できる雰囲気でも無いと察したアルバトールは、うんざりとした表情をガビーに隠そうともせずに、何とかしろとのヘルメースの頼みを断ろうとする。
「やれやれ、ひどい鬼教官だ。ヘルメース、悪いが君に協力は出来ないみたいだよ……ちょっと! 近づくと危な……あ」
こんがりと香ばしく焼きあがったヘルメースを見て顔を強張らせたアルバトールは、すぐに周囲に素早く目を走らせ、ガビー以外の目撃者が居ないことを確認すると即座に彼の治療を始めるのであった。
そして。
「むう! 思ったより弱体化しているな僕の身体は!」
復活したヘルメースは腰に手を当て、胸を張って堂々と情けないことを口にし、それを見たアルバトールは遂に面倒そうな顔を隠そうともせず、愚痴をこぼし始める。
「……威張って言うことじゃないと思うけど。ああもう、君の治療をしてたらお昼になっちゃったじゃないか。ガビー、急いで城に戻ろう」
「それは一大事ね! すぐに戻るわよあっちゃああああ!?」
「なぜ君まで無防備に近づいた。まだ光の衣は自在に操れないんだから、完全に解除するまで少し待ってくれよ」
光の衣の残滓にさわってしまい、騒ぎ出すガビーを瞬時に癒すと、アルバトールはヘルメースとガビーを持って飛行術を使い、フォルセール城へ戻っていった。
「お帰りなさいませアルバ様。ちょうど昼食が……おや、ガビーとヘルメースも一緒でしたか」
「何よその言い方! アルバに修行をつけてたんだから一緒なのが当たり前でしょ!」
「冗談ですよガビー」
冗談な割にはニコリともせず、冷徹な目でベルトラムはガビーを見下ろすと横へ押しのけ、アルバトールに近づいて耳打ちをする。
「明日、ダリウス司祭ご帰還の予定との知らせが入りました」
「そうか。ありがとうベルトラム」
ここ数日の間、ずっと待っていた知らせを得られたアルバトールは唇を真一文字に引き絞ると、昼食が用意されている広間に向かおうとした。
のだが。
「君の名前は? ここでずっと働いてるの? ……おお、君のような繊細で光り輝く意思を目に宿す小鳥が、こんな籠の中の世界に閉じ込められている悲劇に僕は我慢ならなあっちいいいいいい!?」
「あ、アルバ様お帰りなさいませ……この方は?」
背後でアリアがヘルメースに口説かれる気配を感じた彼は、即座に無慈悲な炎の一撃でヘルメースを葬る。
「話すと長くなる……と言うか彼はすでに思い出したくない過去の人物なんだ。だからこれだけ覚えておいてくれ。この男が二メートル以内に近づいたら切り捨てていい。責任はすべて僕がとる」
「は、はぁ」
困惑するアリアの手を引き、アルバトールはベルトラムとガビーを連れて足早に広間へ向かった。
「よろしいのですか? 焼けぼっくいになったご友人をロビーに置き去りのままですが」
後ろを歩くベルトラムに、優美な笑顔でそう問いかけられたアルバトールは、ややうんざりとした様子で振り向いて答える。
「よしてくれ、あれは友人ではなく知り合いだよ。心を捧げられる、捧げてくれる相手を僕が紹介したら。あるいは彼がそんな相手を見つければ、ここをすぐに出ていく、それだけの関係……でもヘルマの件があるからそうもいかないのか」
「はて、世間ではそういった縁、繋がりがある方を友人と言うのでは?」
「君もガビーに対していささか態度が冷たくないかい?」
「参りました。差し出口をお許しください」
謝罪するベルトラムだったが、しかしその顔にはそれほど応えた様子もなく、それどころか嬉しさがにじみでているように見えた。
「怪我の功名とはいえ、アルバ様とアリアがあれほど近づいて気兼ねなく喋るのを、ここしばらく見ておりませんでしたから」
「……大げさだねベルトラムは。そう言えばブライアンは今頃どうしているかな」
「王都偵察の折に行方不明になったとか?」
アルバトールは肯定も否定もしない。
ただ彼の帰りを待っているだけと言った体を装う。
「早く帰ってくれないと、団長やエレーヌ殿、アラン殿が過労死しちゃうね」
そう言って、彼は広間で彼の到着を待っている者たちの前へ進んでいった。
その頃、噂の当人であるブライアンは。
まんまと自警団の一員として潜り込み、王都の一角でのんびりと見回りをしていた。
「隊長と呼ばれるほど力量がある訳ではないですし、頭の回転がいい訳でもありません、どうかブライアンと呼んで下さい」
元々フォルセールの騎士隊長を、一時的にとは言え二十代前半で務めた彼である。
自警団の中でもすぐに頭角を現し、更に全員に対して下手に出る彼をなかなか嫌う者も無く、そこに団長であるフェルナンが直々に推挙したこともあって、数日で彼は自警団の隊の一つを任されるようになっていた。
「それじゃ今日はここまでで。私は少し路地裏の孤児たちに挨拶をしてきます」
そんなある日のこと。
ブライアンは街を巡回した後、隊員たちに解散を告げると貧民街へと向かった。
そして王都の中央に位置するテイレシア城では、魔族の間でちょっとした騒ぎが起きていた。
[あ? アーシラト……じゃねえな、もうアイツはアスタロトか。なんだって今頃戻ってきやがった]
[ジョーカーが呼び戻したらしい。先ほど部屋に案内してきたとペイモンが言っていた]
[やれやれ、まーた何か企んでやがるのかジョーカーの野郎。そういやアイツ今どこにいるんだ?]
[いつものカウンセリングだ]
[お、おう……そうか]
その騒ぎの中心となっているのは二人の堕天使。
ジョーカー、そして堕天使の長を務めるアスタロトである。
ここ謁見の間では、旧神バアル=ゼブルとモートがその噂について話していたが、もともと彼らは旧知の仲と言うこともあってか、すぐに他の話題へと移っていった。
[で、お前なんで今日も壁際なんだ? 珍しくアナトも居ないし、そこに逃げる必要も無さそうだが]
[あ、いや、俺がいつも壁際にいるのは別にアナトから逃げているわけでは無いぞ? 俺がここに居るのには訳がある]
[訳って何だよ。壁にネズミが侵入する穴が開いてて、そいつらがお前の髪の毛を全部かじったから復讐したいとかか?]
バアル=ゼブルが何気なく発した言葉を聞いたモートは、誰かに聞かれていなかったかと慌てて周囲を見渡した後、ホッとした表情を浮かべてコソコソと説明を始める。
[似たようなものだ。この前、八雲とアナトの戦いで城が崩壊しただろう]
[ん? んん? ……そうだっけか]
少し目を逸らすバアル=ゼブルを見て、モートはやや表情を厳しくする。
[その後に八雲が修復してくれたと思ったら、お前が余計なことをしたせいで城の形が変化しただろう。そのせいで、この謁見の間の隠し通路がどこにあるか判らなくなってしまったのだ]
[ああ、あまりにも激しかった戦闘のせいで詳細は覚えてねえが、そんなこともあったかも知れねえな。で、それがどうしたんだ?]
しらを切るバアル=ゼブルに、とうとうモートは怒りをあらわにして叫びをあげた。
[少しは考えろ! それが敵に知られたら一気に隠し通路から攻め込まれるだろう! まったくお前と言う奴は……だからこうやって入り口がどこか探しているのだが、聖霊の加護のせいかさっぱり判らなくてな]
[元あった場所を探せばいいだけだろ]
[元あった場所から移動してるから探してるんだ。解ったか?]
[ワカッター]
息が感じられるほどの距離に、真顔で急接近したモートを見て、さすがのバアル=ゼブルも怯んだ様子を見せ、しかしまったく分かっていないような返答をする。
[まったく、これではジョーカーがフェルナンの所にカウンセリングに行くようになったのも無理はないな]
[こいつ自分を棚に上げて何言ってやがる。お前もその原因の一つじゃねえか]
[そうだな、主な原因が言うのだからその通りかも知れん……おい、何をするつもりだ]
苦笑するモートを余所にバアル=ゼブルは謁見の間の中央に移動し、彼ら以外に人影も気配も無いのにマイムールを具現化させ、力を集中させ始めていた。
[いいこと思い付いた。これ城を全部吹き飛ばせば隠し通路が見つかるんじゃねえか?]
[やめんかああああ!!]
しかしいつの間にか帰ってきていたジョーカーに、バアル=ゼブルはいきなり後頭部を力いっぱい殴られ、頭を押さえてのたうち始める。
そしてバアル=ゼブルを殴り飛ばした拳を握りしめたまま、ジョーカーは怒りに全身を震わせつつモートを睨み付けた。
[モート! こいつの見張りを頼んでおいたはずだぞ! なぜこんなことになっている!]
[お前はそう言うが、こいつはたった今そんなことをしようとしたばかりだ。止める暇もあるものか]
流石のモートも顔をしかめ、ジョーカーに歩み寄って吐き捨てるように返事をするが、それでも目の前の堕天使の精神状態が心配なようではあった。
[そんなことよりカウンセリングの方はもう終わったのか? まだ少し分かれているように見えるが]
[アスタロトが帰ってきたと聞いたので、早々に切り上げて戻ってきた。そう言えばベリアルはどこに行った? フォルセールの奴らが起こした騒ぎの収拾がついていないこの時期に、三日前のように自警団との間に騒ぎを起こしては困るぞ……遅かったか]
ジョーカーが謁見の間を見渡した時。
自警団の詰所の方角で雷光が煌き、耳をつんざかんばかりの雷鳴が城を土台ごと揺るがしていく。
想像を遥かに超える轟音が響いてきたのは、彼らに対するけん制を兼ねているからであろうか。
[アスタロトはどこだ?]
轟音がやんだ後、ジョーカーはモートに詰め寄り、帰還した堕天使の所在を聞くとアスタロトに割り当てられた一室に向かった。
[やれやれ、せわしない野郎だ。少しはゆっくりしたらいいものを]
ようやく後頭部の痛みが治まったのか、バアル=ゼブルが頭を抑えながら立ち上がり、少し隙間があいたままの扉に向かって呟く。
そんな彼を見たモートは、再び壁のほうへ移動すると背中を預け、集中するために目を閉じてからバアル=ゼブルへ忠告をした。
[お前が奴の仕事を引き受けてゆっくりさせてやったらどうだ?]
[だがあれが奴の性分なのかもしれねえな。他人の俺たちがあれこれ言う筋合いじゃなさそうだ]
目の前の問題から逃げるような返答をしたバアル=ゼブルに、モートは呆れた顔をすると直後に壁の一箇所に手を当て、ゆっくりと力を籠めた。
[ここも違う、か。なかなか簡単には見つけさせてもらえんな]
[まぁ頑張ってくれや、俺ぁちょっくらベリアルを迎えに行ってくらぁ]
[バアル=ゼブル]
[……何だモート]
モートの声音に、聞き過ごしてはならない重みを感じたバアル=ゼブルは、いつも浮かべている軽薄な笑みを消し、モートの視線を真っ向から受け止める。
[仕事の一部でもいい、仕事でなくても奴が動きやすい環境を作る、でもいい。あまり……奴に押し付けるな]
一瞬だけ言いよどむ気配を見せたモートの言葉を聞いたバアル=ゼブルは、少し迷う様子を見せた後に一言、判ったとだけ言い残して謁見の間を出ていった。
[どいつもこいつも気を使いすぎだぜまったく。ダメならダメで次の機会を待てばいいじゃねえか……]
王都を奪還する機会など、そうそうある訳が無い。
それに気付いていても、彼はそう呟かずにはいられなかった。
しばらく後。
[うん? バアル=ゼブルはどこに行った、モート]
[ああ、ベリアルのお迎えだ。子供のような屈託の無い日々を過ごす輩同士、気が合うのだろうな]
ジョーカーが謁見の間に戻ってくるが、その瞳には狂気の色が宿っていた。
[そうか。何か事件が起きたら目を離したお前の責任だな。次回の当番はお前とする]
[なっ!? この前も俺が一人でフェルナンの小言を聞いてきたのだぞ!?]
動揺を隠そうともせずにモートが行った抗議が通ることは無かった。
ジョーカーは焦点の合わない目をモートに向けると、うろたえた彼を嘲笑うかのように鼻を鳴らして背中を向ける。
[嫌なら今からバアル=ゼブルを追いかけ、あやつが愚行を行いそうな場合には力ずくでも止めるのだ。判ったな……キキキ……クキケケケケ……カーッカッカッカ!!]
奇声をあげ、高笑いをしながら謁見の間を出ていくジョーカーの後姿を見送ったモートは、冷や汗が全身に浮かんでいることに気付く。
[アスタロトに会っていた間に何があった……あれほど魔の色に染められている奴の姿は、久しぶりに見たぞ]
だが、ジョーカーに何が起きたのかを見定めている場合では無かった。
彼は今すぐバアル=ゼブルを追いかけ、騒ぎを起こす前に城に連れ戻さなければならなかったのだ。
[何だもう帰ったのか]
と言ったことをモートが考えて出かけようとした時、既にバアル=ゼブルは城に戻ってきていた。
[あー……なんだ、その、アレだ]
戻ったバアル=ゼブルの歯切れの悪さに、モートは今度は何をしでかした、と怒鳴りそうになる。
[何だ? その子は]
しかし口を開こうとした瞬間、モートはバアル=ゼブルが一人の子供を連れていることに気付き、子供が怯えることを恐れた彼は慌てて態度を取り繕った。
[ほら、モートおじちゃんに挨拶しろ]
[誰がおじちゃんだ]
挨拶を促すバアル=ゼブルに、おずおずと首を縦に振って答えた子供は、バアル=ゼブルの背後から顔だけを出し、胸の前で指をもてあそびながら自己紹介をする。
[あ、あの……初めましてモートおじちゃん、ぼく、ベリアルって……言うらしいです]
[今度は何をしでかした貴様等ァ!!]
先ほどの我慢の分も加え、謁見の間はモートの怒気の海に沈んだ。